第37話 協議1

 みろう出版の編集部にある雑然とした部屋の中に蒼汰と明日香は座っていた。この部屋は会議室でもあり、作業スペースでもあり、編集部員の休憩所でもあり、物置でもあった。二人の前には編集長の山縣が座っている。


 窓から初秋の透明な光がその埃っぽい部屋の中にまんべんなく降りそそいでいた。光の中にたくさんの埃の粒子が白く浮いている。それらが光の中できらきらと光って、少しずつ机の上に降り積もっていった。降り積もっても、降り積もっても、どこから湧いてくるのだろうか、次から次へと新たな埃の粒子が明るい朝の光の中に現れてくる。まるで雪のようだ。蒼汰は思った。


 三人の眼の前の机には、問題のハンカチと靴下とストッキングが入った二つのビニール袋が置いてあった。蒼汰が五条坂のろくろ首の女将の旅館で見つけたものだ。


 明日香が山縣に昨日から今朝までの経緯を話し終わったところだった。話を一通り聞くと、山縣が首をひねった。


小野おののたかむらの井戸ねえ・・・それにお公家さんのマンションでお公家さんを襲った若い女ねえ・・・ハンカチと靴下とストッキングを奪い返すねえ・・・地下鉄とタクシーの襲撃ねえ」


 『お公家さん』はみろう出版の社内での蒼汰のあだ名だ。あまりの盛りだくさんの報告に、山縣はなかなか頭がついていかない様子だった。それでも何とか事態を理解すると、おもむろに蒼汰に聞いた。


 「それで、また、その連中がお公家さんのハンカチと靴下とストッキングを奪おうとしているのは良く分かったわ・・・でも、連中はハンカチと靴下とストッキングの中のどれを狙ってるのかしら?・・・今の話だと、地下鉄の乗客たちとタクシーの運転手は『ストッキングを返せ』と言ったのね。ということは、このハンカチと靴下とストッキングの中でも、ストッキングを取り戻したいのかしら?」


 蒼汰はストッキングの入ったビニール袋を手にとった。


 「でも、これは、茅根ちね先生がはいていた普通のパンストですよ。どう見ても、何か特別なパンストっていう訳じゃなさそうですよね。茅根先生には申し訳ないけど、こんなのどこにでも売っていますよ。すぐそこのコンビニでも買えますよ。こんなものがどうして、そんなに重要なんでしょうか?」


 蒼汰は首をひねった。山縣が蒼汰には答えず、別のことを話し出した。


 「とにかく、お公家さん。その連中の襲撃を振り返って考えてみると・・・あなたが一人になると必ず襲われているのよね。だから、あなた、一人になるのは危険だよ。これからは、絶対に一人にならないようにしなさい。できればお公家さんにボディガードをつけてあげたいんだけど・・・でも残念ながら、この話は誰も信じてくれないと思うのよ。へんな女が天井に張りついていて襲われたとか、地下鉄の車内で乗客全員に襲われたとか、のっぺらぼうのタクシー運転手に襲われたなんていう話だからねえ・・・私は信じるけれど、他の人は、うちの社員も含めて誰も信じてくれないと思うのよ。一体、どうしたらいいのかしら?」


 蒼汰が何か言いかけたが、明日香が眼で制した。蒼汰の代わりに明日香が山縣に答えた。


 「編集長。私が神代くんのボディガードになります」


 蒼汰と山縣が、あっと息を飲んで明日香を見つめた。


 「これからは、私が神代くんにずっとついています。神代くんにはGPSの携帯を持たせますが、GPSだけでは神代くんを守るのにも限界があります。それよりも、事情を知っている私が神代くんにずっとくっついているのが一番安全だと思うんです。編集長が言われたように、これからも神代くんが一人になると必ず連中は襲ってくるでしょう。いま、こうしている間も、神代くんは連中に見張られていると思うんです。そして、わずかでも隙があると、あの連中は間違いなく神代くんに襲いかかるんです」

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