第36話 タクシー2
何とか開いてくれ。蒼汰は必死になって、ドアノブを揺すった。タクシーの中には、あの運転手とラジオの声が響いている。
「返せ。返せ。ストッキングを返せ」
「返せ。返せ。ストッキングを返せ」
運転手とラジオが唱和する声がだんだんと大きくなっていく。それに連動するように青信号の残り時間を示す秒数が刻一刻と小さくなっていった。
10、9、8、7、・・・。
恐怖が蒼汰の身体を支配した。もう時間がない。口から心臓が飛び出しそうだ。ドアノブで切れて、両方の手の平が血で真っ赤だ。ドアノブを触る手が血で滑って、うまくドアノブを握れない。やむなく蒼汰は両手でドアの窓ガラスをドンドンと叩いた。ドアの窓に血の手形がいくつも残った。
「返せ。返せ。ストッキングを返せ」
「返せ。返せ。ストッキングを返せ」
運転手とラジオの声が割れんばかりの大音量で、せまいタクシーの中にこだました。蒼汰の気が遠くなってきた。
・・・3、2。
蒼汰は血で滑る手でドアノブを掴んだ。最後の力を振り絞って、ノブを回した。
・・・1。
そのとき、ドアが開いた。
蒼汰は自分の身体を思い切り車道へ放り投げた。肩からコンクリートに激突した。身体がコンクリートの上を転がった。その瞬間、乗っていたタクシーがドアを開けたまま、転がった蒼汰のすぐ横を猛スピードで走り去った。
ドアから車道に転がり出た蒼汰に対して、急ブレーキの音がいくつか鳴りひびいた。まわりの車がいっせいにクラクションを鳴らした。「ばかやろう」、「気を付けろ」、「あぶない」・・・さまざまな罵声や怒声がクラクションに入りまじって聞こえてきた。
蒼汰はクラクションと怒声が飛び交う中を、向かってくる車をよけながら、道路をはうようにして反対側の歩道にたどり着いた。そして、そのまま歩道の上に倒れこんでしまった。恐怖でひざがガクガクして、とても立っていられなかったのだ。呼吸が苦しい。蒼汰はあえいだ。
すると、さっき乗ったタクシーがUターンして、こちらに向かってくるのが見えた。後部座席のドアが開いたままだ。さっきのタクシーが戻ってきた! 恐怖で目の前が真っ暗になった。蒼汰の身体を絶望が貫いた。もうダメだ。
そのとき、蒼汰の横に別のタクシーが止まった。蒼汰は身構えた。
タクシーから降りてきたのは・・・明日香だった。明日香が叫んだ。
「神代くん」
明日香のすぐ横を、さっき乗ったタクシーが後部ドアをあけたまま猛烈な勢いで走り去っていった・・・そして、タクシーの姿が小さくなって・・・道路の向こうに見えなくなった。タクシーが横を走り去るときに、ドアの窓に血の手形がついているのがはっきりと見えた。それに合わせて、「返せ。返せ。ストッキングを返せ」という声がかすかに聞こえた。
「神代くん。もう大丈夫よ」
明日香の明るい声が歩道に響いた。
どうして、ここに山之内さんが・・・
蒼汰の頭は混乱した。まるで、夢でも見ているようだ。明日香にはそんな蒼汰の心の中が手にとるように分かったようだ。明日香が笑いながら言った。
「神代くん。あなたの携帯のGPSを拾って助けにきたのよ」
蒼汰は歩道に倒れたまま、呆然として明日香を見上げた。
「携帯の?・・・GPS?・・・いったい、それは?」
何が何だか分からなかった。どうなったんだ?・・・
明日香が蒼汰を助け起こした。蒼汰のカバンを取ると、チャックを開けて中に手を差し入れた。そして、蒼汰のカバンから蒼汰の知らない携帯を取り出した。
「会社の携帯電話よ。さっき、あなたのお部屋であなたに黙って、私があなたのカバンに入れておいたのよ。GPSで子どもや高齢者の位置が分かる機能がついているのよ」
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