第31話 出勤2

 ベッドルームの床の掃除が終わると、明日香がふたたび蒼汰に聞いた。


 「それで、神代君。昨夜、あなたを襲った女は、あのろくろ首の女将ではなかったのね?」


 「そうなんだよ。あの女将ではなかったんだ。僕が初めて見る若い女だったよ」


 「若い女だったのね。女将に続いて、今度は若い女なのね? 次々と現れるわね」


 明日香は少し考えていた。


 「でも、昨夜、あなたを襲ったのが、あのろくろ首の女将でなくてよかったわね。あの女将のろくろ首が相手だったら、あなた、やられていたかもしれないわよ」


 「そ、それはまったくその通りだね」


 蒼汰は先日のどこまでも伸びる女将の首を思い出した。蒼汰の背筋を冷たいものが走った。たしかに明日香の言うとおりだった。昨夜、蒼汰を襲ったのがあのろくろ首の女将だったら蒼汰はひとたまりもなくやられていただろう。


 「で、昨夜のその若い女は『返せ』と言ったのね・・・この前の旅館でも、あのろくろ首の女将が『返せ』と言ったでしょう。いったい何を返せと言ってるのかしら? 私たちが持ってるのは、葬儀屋くんのハンカチと靴下、それに茅根先生のストッキングだけだよね。ひょっとしたら、女将やその女はハンカチと靴下とストッキングを返せと言ったのかしら?」


 「女が『返せ』としか言わなかったので確証はないけれども、たぶんそうだと思うよ。僕の部屋には、それ以外に連中が欲しがるものはないしなあ」


 「それで、そのハンカチと靴下とストッキングは無事なの?」


 「あっ」


 しまった。あの若い女に襲われて・・後は逃げるのに夢中で、ハンカチと靴下とストッキングのことをすっかり忘れていた。それらは昨日寝る前にベッドルームに持ってきて、ベッド脇の机の中に入れたはずだ。


 蒼汰は急いでベッド脇の机の鍵を開けた。ハンカチと靴下とストッキングが入った二つのビニール袋は・・・そこにちゃんとあった。


 「あ、あった。無事だったんだ」


 明日香が二つのビニール袋を見ながら首をひねった。


 「あのろくろ首の女将も昨夜の若い女も、どうしてそれをそんなに返せと言うのかしら? あの連中にとって、何かとてつもなく大切なものなのかしら?」


 蒼汰は昨夜のことを思い出した。


 「あの女はそこの窓の外に張り付いて『返せ、返せ』と言ったんだよ。ずっと『返せ』と繰り返していたから、よっぽど大切なものなんじゃないかな」


 「とすると、昨夜の若い女はその大切なものを奪い取ることができなかったわけね。ということは、神代君、連中はまたあなたを襲うわよ」


 そ、そうか! 言われてみれば明日香の言うとおりだった。そこまで考えていなかったが、まったくその通りだ。あの女にまた襲われる! 


 蒼汰は昨夜の恐怖を思い出した。もう、あんな恐怖は二度と味わいたくない。背中に冷たいものを感じて、蒼汰はぶるっと身体を震わせた。思わず泣きそうな声が出た。


 「えっ、そ、そんなあ、ぼ、僕はいったいどうしたらいいの?」


 それを見ていた明日香が蒼汰に言った。


 「これからどうしたらいいかは社に行って編集長と相談しましょう。で、神代君、あなた、おうちに何か食べるものはないの? 私、あなたの電話で起こされて、何も食べずにあなたのおうちに飛んできたから・・・おなかがペコペコだよ。腹がへっては何とかって言うでしょ。とにかく、後は出勤して編集長と相談するとして、その前に何か食べようよ」

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