第30話 出勤1

 蒼汰が目覚めると、カーテンが押し開かれた窓から、明るい朝日がベッドルームに差し込んでいた。蒼汰はベッドルームの床に倒れていた。


 蒼汰はあわてて起き上って、窓に駆け寄った。窓の外を見たが、窓の外には・・・女はもういなかった。明るい朝の光の中に幅の広い堀川通りが浮かび上がっていた。堀川通りを車や通勤通学の人たちがゆるゆると動き出しているのが見えた。


 蒼汰はベッドルームのドアのロックを外して、おそるおそるリビングに出てみた。明かりをつけた。ソファの横の床にビールの缶が転がっていて、ビールがこぼれていた。サイドテーブルやら、スタンドやら、室内のあらゆる物の位置が変わり、多くはは床に倒れていた。惨憺たるありさまだった。昨夜、あの女からリビングを逃げまどった恐怖が蒼汰によみがえってきた。


 女・・そうだ。天井だ。


 蒼汰はあわてて天井を見たが、女はいなかった。しかし、玄関の外に女が待ち構えているかもしれない。恐怖で蒼汰は玄関のドアを開けることができなかった。


 蒼汰は携帯から明日香に電話をした。呼び出し音が4、5回鳴ったあとで、「はあーい。神代くん。こんな朝早くからどうしたの?」という明るい明日香の声が聞こえてきた。明日香の声を聞くと・・・全身の力が抜けて、蒼汰はリビングのソフアに倒れこんだ。


 電話で蒼汰の話を聞くと、明日香はタクシーを飛ばして蒼汰のマンションにやってきてくれた。


 玄関のチャイムが鳴ると、蒼汰はおっかなびっくりでドアを開けた。明日香が立っていた。


 蒼汰はあわてて聞いた。


 「女は? 女は外にいない?」


 明日香が驚いたような顔をした。


 「えっ、女? 女ですって? 女なら・・」


 明日香が周りを見まわした。


 「女なら・・いるわよ」


 蒼汰の顔が引きつった。あの昨夜の女はやっぱり玄関の外に隠れていたのか! 襲われる! 恐怖で頭に血が上った。


 「ええー!」


 明日香がくすりと笑った。


 「神代君。あなた見えないの。女ならたったいま玄関の外に立っているじゃない。私よ。私はこう見えても女なのよ」


 ひざの力が抜けて、蒼汰は思わず玄関に座り込んでしまった。


 ・・・・・


 「・・・というわけなんだよ」


 蒼汰は昨夜の出来事をもう一度初めから明日香に説明した。明日香は険しい顔をして、黙って話を聞いている。あれから、明日香と蒼汰はベッドルームのベッドに腰かけて二人で話していた。明日香は初めて入る独身男性の部屋でベッドルームに行くのを嫌がったが、蒼汰がリビングでは怖いので、明日香にどうしてもベッドルームで話を聞いてくれと頼んだのだ。


 「山之内さんにはとても信じられないと思うけれども・・・でもほんとの話なんだよ。信じてよ」


 「私は信じるわ。この前、神代くんとろくろ首の女将の旅館であんな不思議な体験をしたばっかりだし・・・それに神代くん、あなた、ここにおしっこを漏らしたのね。よっぽど怖かったのね。あなたのおしっこの跡を見たら、どんな話でも信用するわ」


 そう言って明日香は床の失禁の後を指さした。


 蒼汰は真っ赤になった。失禁で濡れたパジャマは明日香が来るまでに着替えていたが、昨夜の恐怖で床の失禁の後までは気がまわらなかった。


 蒼汰が真っ赤になったのを見て、明日香がバスルームから雑巾を持ってきて床をていねいに掃除してくれた。蒼汰は呆然とそれを見つめていた。

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