第22話 茶わん坂2

 蒼汰は『茶わん坂由来』の看板を見つめながら、ここから1kmほど離れたところに、清水焼の由来を書いた説明板があったのを思い出した。


 清水焼は京都発祥の焼き物として有名だ。以前『みろう出版』が清水焼を取り上げて、特集本を出したことがあった。そのとき、蒼汰はその説明板を取材したので、そこに書かれていることはよく覚えていた。確か、五条坂のふもとにある清水焼の説明板には次の記載があったはずだ。 


 「清水焼は、室町時代中頃に始まるといい、寛永年間(1624~1644)に野々村清兵衛(仁清)が出てその名声を高めた。その後、青木木米、高橋道八、尾形周平、清水六兵衛、清風与平、真清水蔵六、三浦竹泉など多くの名工が輩出して、製法と意匠の研究が進められ、西陣織、京友禅と並ぶ京都の代表的伝統産業となった。その独自の芸術性は海外まで高く評価されている。」


 蒼汰が『茶わん坂由来』の看板を見つめながら、そんなことを思い出しているうちに、いつの間にか明日香が蒼汰の横に立っていた。明日香も『茶わん坂由来』の看板を見つめている。明日香がぽつりと言った。


 「あの井戸は茶わん坂の駐車場につながっていたのね」


 井戸? そうだ。井戸だ・・・蒼汰は思い出した。


 僕たちは、あのろくろ首の女将の旅館で・・・女将の首に坪庭に追い詰められて・・・そうして、二人とも、坪庭にあった井戸の中に落ちたはずだ・・・


 蒼汰はあわてて自分の身体を探った。あれっ、井戸に落ちたのに、身体が濡れていない・・・


 「おかしいよ。僕たち、井戸に落ちたのに、身体はぜんぜん濡れていないよ」


 「えっ」


 明日香もあわてて身体を探った。


 「ほんとだ。濡れていない・・・井戸に落ちたのに。どうして?」


 「空井戸だったのかな?」


 明日香があのときを思い出すように、宙に視線を走らせた。そして、思い出したようにつぶやいた。


 「でも、女将の首が坪庭まで追ってきたときに、井戸の釣瓶つるべが落下したでしょう。あのとき、確かに井戸の底から水音が聞こえたわよ」


 「じゃあ、どうして身体が濡れていないんだろう」


 「うーん・・・わからないわ・・・神代くん。ともかく、ここを出ない?」


 「そうだね。ここにこうしていても仕方がなさそうだね・・・」


 それから、蒼汰と明日香は茶わん坂を下った。しばらく歩くと右手から五条坂が下ってきて合流している交差点に行きつく。交差点の向こう側には瀟洒な白壁のマンションが建っていた。初秋の光の中で白壁のマンションが輝いて見えた。


 二人は交差点を右手に折れて、五条坂を上っていった。民家の間に土産物屋、京ゆばの店、雑貨店、牛カツ専門店、豆腐屋などが軒を連ねている。


 五条坂の途中にさっき訪問した、ろくろ首の女将の奇妙な旅館が必ずあるはずだ。蒼汰と明日香は眼を皿のようにして旅館を探した。しかし、何も見つからないまま、道は五条坂の終点である清水坂との交差点に行きついてしまった。


 蒼汰は交差点に立って明日香と二人で五条坂を見下ろした。五条坂を歩く人々の姿が陽炎で揺れていた。蒼汰は首をひねった。


 「あれ、おかしいなあ・・・あのろくろ首の女将の旅館が見当たらない?・・・おかしい。確かにあの旅館は五条坂にあったはずなのに・・・」


 それから、蒼汰と明日香は何度も五条坂を往復したのだが・・・結局、あの旅館は見つからなかった。


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