第21話 茶わん坂1
先に気が付いたのは蒼汰の方だった。
コンクリートの床の上に蒼汰は寝ていた。横に明日香が倒れている。頭上には、澄み渡った初秋の青空が広がっていた。足元には二人の靴が転がっている。靴は旅館の玄関に脱いだはずだった。蒼汰は半身を起こして自分の身体を触ってみた。怪我はしていなかった。
蒼汰は明日香を揺り動かした。幸い明日香も怪我はなさそうだ。
「山之内さん。山之内さん」
明日香が眼を開いて、コンクリートの床に半身を起こした。周りを見まわしている。
「うーん・・・こ、ここは?」
「わからない。なんだか駐車場みたいだなあ」
見渡すと民家の壁に取り囲まれて、20m四方ぐらいのコンクリートの床が広がっていた。床の上は四角く白線で区切られて、2、3台の車がまばらに止めてある。ここはまさに駐車場と言ってよかった。
駐車場? 僕たちはあの女将の旅館にいたはずなのに、どうして、駐車場なんかにいるんだろう? ひょっとしたら、ここはあの女将の旅館の駐車場なのだろうか? そうすると、また女将に襲われるかもしれない・・・
蒼汰はあわてて周りを見わたした。・・・周りに女将の姿は見えなかった。人が一人、のんびりと駐車場の脇の道路を歩いているのが見えた。そこには初秋の平和な日常があった。
僕たちはあのろくろ首の女将の旅館から無事に脱出できたのだろうか?
蒼汰の頭に疑問符がいくつも点滅した。
二人は靴を履いて立ち上がった。
「山之内さん。怪我はなかった?」
「あ、ええ・・・なんとか大丈夫のようね。神代くんは?」
「僕も大丈夫みたい」
「私たち、助かったのかしら?」
「そのようだね・・・」
「でも、ここはどこ?」
明日香も周りを見回して首をかしげた。
蒼汰は歩いて駐車場を出てみた。坂になっていて、道路が左手に下っている。道路わきに立て看板があった。『茶わん坂由来』の文字が見える。立て看板には次の説明が記載されていた。
「茶わん坂由来
清水一帯に開窯を見るに至ったのは伝へによると聖武天皇(七三四~七四三)の頃僧行基によって清閑寺村茶碗坂で製陶されたのが始めてといわれている。
あるいは慶長年間(徳川家光の頃)茶碗屋久兵衛が 五条坂一円で 金・赤・青を彩色した陶器を作り これに清水焼の名を冠したのが始まりといわれている。
その由緒ある名を頂き茶わん坂と名付けた。
茶わん坂繁栄会」 (著者註:原文のまま)
「えっ、こ、ここは茶わん坂?」
蒼汰が目をむいた。
茶わん坂は清水坂の南にある清水寺の参詣道のひとつだ。東大路と五条通りの交差点から清水坂に上がるのが五条坂だが、茶わん坂はその五条坂の途中から清水寺に上ることができる道だった。観光客があまり行かない隠れた参詣道としてマニアの間には有名だ。茶わん坂の名前はその昔、清水焼の多くの陶工が店をだしたところから名づけられていた。茶わん坂では今でも何軒かの清水焼の窯元が営業を続けている。
蒼汰は頭の中に京都の地図を思い浮かべた。ここは、五条坂にあったあの女将の旅館からはおそらく2kmほど離れているだろう。
どうしてそんなところに・・・
蒼汰は明日香と顔を見合わせた。
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