第10話 妖怪4
「ウワー」「キャー」
隆司と綾香はたまらず、横の和室のふすまを開けると中に逃げ込んだ。
「佐々野君・・・何?・・・いまの?」
隆司は声も出ない。あの音は何だったんだろう。冷汗が額から落ちてくるのがわかった。和室の中はしんと静まり返っていて、廊下からは何も聞こえてこなかった。さっきの音はやんだようだ。
隆司はゆっくりと和室を見回した。薄暗い部屋だ。しかし広かった。30畳以上あるだろう。床の間に掛け軸が一幅かかっていた。滝の絵だった。掛け軸の下に赤い文箱が一つ置いてあるのが見えた。表面には赤地に螺鈿細工が施してある。部屋の中には霞のようなものがかかっていた。室内が薄暗く煙っているようで和室の奥がよく見えなかった。
「佐々野君。あそこ」
ひきつったような声で綾香が息をのんだ。和室の奥を指さしている。
目を凝らすと奥の暗がりに何かがいた。1mぐらいの小さい人物だ。こちらに背中を向けて立っていた。灰色の髪の毛を背中に長く垂らして、木の枝を切り取ったようなつえを持っている。木こりのような、何かの毛皮のベストを身に着けていた。雰囲気からして老人のようだった。
老人がゆっくりと振り向いた。顔の中に二つの巨大な眼があった。眼が顔の半分以上を占めている。ギョロリと一回まばたきをすると、眼の下に赤い裂け目ができた。口だ。口から巨大で真っ赤な舌がニョロニョロとでてくる。舌の影で鋭い歯が見え隠れしていた。とつぜん、老人が奇妙な甲高い声で笑った。
「キヒヒヒヒヒヒ」
老人の舌がゆっくりと畳をなめた。「ヒッ」という声が綾香の口から洩れた。
老人が隆司と綾香に向かってゆっくり歩いてきた。隆司と綾香はふすまを開けた。いつでも逃げ出せる体制をとったのだ。隆司の手が震えている。隆司の耳元で心臓の鼓動が大きく鳴った。心臓が口から飛び出しそうだった。綾香は固まったままだ。
そのときだ。廊下の角から、あのシャッ、シャッ、シャッという音がまた聞こえてきた。隆司と綾香はあわててふすまを閉めて和室の中に身を伏せた。眼の前では、不気味な老人がゆっくりと二人に近づいてくる。
シャッ。シャッ。シャッ。シャッ。
音は角を回ってこちらに近づいてくる。そして、二人のいる和室の前でピタリと止まった。
「ここか」
女将の声が響いた。隆司と綾香の目の前で、ふすまがゆっくりと開いていく。ふすまの隙間から女将の顔が現われた。口が耳まで裂け、髪の毛を振り乱している。女将は真っ赤な目で二人をにらみつけた。
すると、女将の首が少しずつ身体から伸びていった。隆司は眼を疑った。
首が身体から2mほど伸びた。空中で止まった。女将の顔が隆司と綾香を見下ろした。女将の口がニヤリと笑った。隆司と綾香は女将の首を見つめたままだ。動けなかった。身体が固まってしまった。恐怖で声も出ない。
後ろから、「キヒヒヒヒヒヒ」という老人の不気味な声が迫ってきていた。
老人の舌がまた畳をなめた。
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