第8話 妖怪2
「佐々野君。ここって、いったい・・・」
綾香が喘ぎながら言った。その声が隆司を現実に引き戻した。
「先生。逃げましょう」
二人は和室を飛び出すと、女将が消えたのと反対の方向に廊下を進んだ。綾香が隆司に手を差し出してきた。隆司はそっと綾香の手を握った。綾香の手を握るのは初めてだった。綾香の白い腕が廊下の明かりに光った。その光が女将の出刃包丁を連想させた。隆司はいまにも女将の出刃包丁が背中から襲ってくるような恐怖を覚えた。女将に襲われて、出刃包丁が後ろから隆司の首筋をかき切るイメージが浮かんだ。首筋が震えた。隆司は思わず首をすくめた。たまらなくなって、背を低くするようにと綾香に声に出さずに伝えた。
隆司と綾香は背中を丸めて廊下を進んだ。
女将が後ろから追いかけてきそうで気が気ではない。隆司の足はおのずと早足になっていた。何度も後ろを振り向いた。綾香の手を握っている隆司の手が、汗ばんできて少し震え出した。隆司は手の震えを綾香に悟られないように、綾香の手を強く握った。綾香も強く握り返してきた。そうしたままで二人は走るように歩いた。
しかし、行けども行けども和室が続いているばかりで、建物の中には何の変化もない。隆司の足がもつれた。疲れていた。おかしい。いくら何でも広すぎる。
「先生、ちょっと止まりましょう」
隆司はたまらず立ち止まった。綾香と手をつないだままだ。
「佐々野君・・・ちょっと、おかしく・・・ない?・・・ 私たち・・・さっきから・・・いくら・・・歩いても・・・玄関に・・・でないんだけど・・・」
綾香の息が切れていた。苦しそうにあえぎながら言った。つないだ綾香の手が震えていた。綾香はおびえていた。
立ち止まると、隆司の額から汗が吹き出した。隆司は汗をぬぐおうとして、つないだ手を離した。その手を額に持っていった。そのとき、白いワイシャツのポケットから何かが床に落ちた。見ると隆司がいつも使っているボールペンだ。キャップが外れていた。逃げている途中でどこかにキャップが飛んだようだった。隆司はボールペンをひろい上げた。
そのとき、廊下の向こうから、ドシンという音が大きくひびいた。腹にひびくような重く低い音だ。隆司と綾香は思わず音がした方を振り向いた。廊下が30mほど行くと右に曲がっていた。廊下には誰もいない。
ドシン。また聞こえた。音は廊下の曲がった先から聞こえたようだ。
ドシン。ドシン。ドシン。
今度は連続して聞こえた。音が腹にひびいてくる。音がだんだん大きくなるようだ。
ドシン。ドシン。ドシン。
音が廊下を震わせた。音に合わせて、隆司と綾香の立っている板敷の床が小刻みに揺れた。
ドシン。
急に白いものが廊下の角を曲がった。
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