第7話 妖怪1
二人はトイレを探して歩いた。どこまで行っても同じような和室が並んでいる。荷物はさっきの和室に置いたままだ。こんな迷路のようなところで、さっきの和室にちゃんと戻れるのだろうか? そんな疑問が隆司にわいてきたが、綾香を怖がらせると思って口には出さなかった。それにしても、トイレは一体どこにあるのだろうか?
しばらく、物音ひとつしない廊下をさ迷い歩いた。すると急に、廊下の突き当りに木の引き戸が現われた。引き戸に『厠』と書かれている。男女の区分の表示はなかった。
「あっ、先生、ありましたよ。ここがトイレですね」
隆司は喜び勇んで木の引き戸を開けた。眼の前は洗面所になっていて、その奥にもう一つ木製のドアがあった。洗面所の中は壁も天井も床もすべて木製だ。綾香が洗面所の中に入って奥のトイレのドアに手を掛けた。そして、廊下にいる隆司を振り返った。
「佐々野君。戸は開けたままにして、そこにいてよ。お願いだから、絶対にどこにも行かないでね。絶対にそこを動かないでよ」
「先生。大丈夫ですよ。ここにいますから」
綾香はトイレのドアを手前に引き開けた。木製の床に白い和式の便器が見えた・・・引き開けた木製のドアの内側に、あの女将が顔をこちらに向けて張り付いていた。ドアの回転とともに女将の身体がゆっくりと半回転して、女将と綾香の顔が真正面で向き合った。女将が眼を見開いて綾香を見つめている。そして、綾香の頭上に手を伸ばした。女将の口が耳まで引き裂かれた。「シャー」という音が口から洩れた。
「キャー」
綾香は悲鳴を上げて飛び下がった。しかし、あまりのショックに腰が抜けてそのまま廊下に座り込んでしまった。隆司があわてて抱き起す。女将がトイレのドアを離れて、少しずつ近づいてくる。女将の伸ばした手が隆司と綾香にもう少しで触れそうだ。また、女将の口が耳まで引き裂かれ、「シャー」という音が聞こえた。
「ウワー」
隆司も悲鳴を上げた。綾香を抱えて廊下をめちゃくちゃに走って逃げた。後ろから女将が追いかけてくる恐怖に襲われて、足を止めることができなかった。和室が続く屋内をどこをどう走ったか皆目わからなかった。
しばらく走って後ろを振り返ると・・・追いかけてくる人影は見えなかった。女将は追いかけてこなかったようだ。隆司と綾香は廊下に立ち止まって、荒い息を吐いた。
そのときだ。廊下の先の角から、何か音が聞こえてきた。シャッ、シャッという衣擦れのような音がだんだんとこちらに近づいてくる。
隆司と綾香は思わず顔を見合わせた。嫌な予感が隆司を襲った。音が廊下の先の角を曲がってこちらにやって来ると思われたとき、隆司はとっさに綾香を促して横の和室のふすまを開けて中に隠れた。二人はふすまを少し開けて、和室の畳に深く身体を沈めた。
シャッ、シャッ、シャッという音が廊下の角を曲がった。音がこちらに近づいてくる。
シャッ。シャッ。シャッ。シャッ。シャッ。シャッ・・・
着物を着た人物がゆっくりと部屋の前を通っていくのがふすまの隙間から見えた。あの女将だ。女将は何かに魅入られたように、まっすぐ前を向いて歩いていく。まるで般若のような顔だ。黒髪を振り乱している。女将の手には出刃包丁が握られていた。何かの光を反射して出刃包丁が不気味にキラリと光るのが見えた。隆司と綾香は声にならない悲鳴を上げた。
シャッ。シャッ。シャッ。シャッ・・・女将が二人の眼の前を通り過ぎていく。
長い沈黙の後、女将の足音が廊下の角に消えた。
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