第5話 旅館5

 女将は二人の前に立って歩き出した。隆司と綾香がその後に続く。裸足の足が木の廊下に吸い付くようで、歩くたびにピタッ、ピタッと音がした。廊下には塵ひとつない。


 シーンと静まり返って、物音一つしない中を女将はしずしずと進んでいく。ときどき、右や左にまわる。まわりは和室のふすまが続いていた。どこを歩いているのか、隆司や綾香には見当もつかなかった。いつの間にか雨音も聞こえなくなっていた。女将はどんどん歩いていく。歩けど歩けど誰にも出会わない。客がいる様子もない。人っ子一人見当たらないとはこのことだった。それにしても・・・と隆司は思った。もう10分は歩いている。


 いったい、どこまで行くんだろうか?


 隆司の脳裏に疑念が浮かんできた。京都の町家は奥に長く伸びている構造が多い。いわゆるウナギの寝床といわれている構造だ。しかし、いくら奥に延びているといっても、旅館の中を10分以上歩くというのはどうしたことだろう。この旅館はいったいどのくらい広いのだろうか? 京都市内にこんなに広い大きな旅館があったのだろうか?


 ようやく、女将が和室の前で立ち止まった。膝をついてふすまを開けると、20畳はあるりっぱな和室だ。真新しい畳の上に黒壇の見事な座卓があり、座椅子と脇息が二つ見えた。掛け軸には隆司の知らない軸がかかっていた。


 「こちらのお部屋どす。ゆっくり休んどぉくれやす」


 女将はそういうと静かに立ち去っていった。


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