319 - 「ニニーヴ・リーヴェ」

(湖から出ていなければ、こんなことには……)



 まだひとりでは何もできなかった幼い頃の記憶が、朦朧とした意識の中で走馬灯のように流れていく。


 ニニーヴがリデルと出合うよりも遥か昔。


 まだ湖の精霊だった頃の記憶の断片だ。


 その頃のニニーヴは、とても臆病だった。


 「自分の知らないものは全て怖い」と、見るもの全てに驚いては逃げ回っていた。



(あぁ……そう……この恐怖心は……あの頃に感じたものと同じ……)



 自身の知らない存在や未知の力を、ただ「怖い」と感じる感情。


 それは、精霊が本来持つ生存本能だったのかもしれない。


 だが、ニニーヴは長い年月を経て、膨大な知識と、何者にも屈することのない力を得たことによって、いつの間にか忘れてしまっていたのだ。



(これも全ては自分の慢心と驕りが招いた結果なのね……)



 走馬灯と現実の狭間で、ぼんやりと目の前に立つ男の存在を思い出す。


 その瞬間から、身体がガタガタと震え始めた。



(いえ……私の本質は変わってなんかいない……私は……)



 無意識のうちに、視線がその男の顔へと吸い寄せられていることに気付く。



(うぅ!? ううっ!?)



 必死に抵抗しようとするも身体は言うことを聞かない。


 まるで錆びたブリキのおもちゃが、ギギギと鈍い音をあげながら動くかのように、視線が少しずつ移動し、遂には男の視線と重なる。


 どこまでも深く、底の見えない黒い瞳が、こちらをじっと見つめている。


 その瞬間、ニニーヴの思考はひとつの感情に支配された。



(こ、怖い……!?)



 それ以外の感情など入る余地がないほどに、目の前の存在に身体が全力で拒絶反応を示し始める。


 それは人族のようで、人族ではない、人の皮を被った、得体のしれない何か。


 その得体の知れない何かは、目に見えるほどの濃厚な「死」の臭いを発していた。


 男が口を開く。



「怖いか?」



 たった一言の小さい呟きだったが、ニニーヴにとっては意識が飛びそうなほどの大音量に感じられた。


 ガダガタと音を上げるくらいに身体の震えが大きくなっていく。



(い、嫌……こ、怖い……)



 本能も最大級の警鐘を鳴らしている。


 だが、身体の自由は既に奪われてしまっていた。


 動かす腕や脚はなく、痛覚すらももはや機能してはいない。


 それでも、本能が身体を突き動かし、その場から、目の前の存在から必死に逃げようとしていた。



(こ、来ないで……)



 逃げようとするニニーヴだったが、黒髪の男は、その場から一歩も動いていない。


 全ては錯覚だった。


 ニニーヴは恐怖のあまり、錯乱していたのだ。



(く、来るな……嫌だ……嫌……み、見るな……見……)



 再び目の前の男の、黒い瞳に意識が吸い込まれる。



(ひ、ひぃ……)



 その黒い瞳の底に、ニニーヴが生涯をかけて逃げ回ってきた相手――「死」が垣間見えた。



(――ッ!?!?!?)



 言葉にならない叫びをあげるニニーヴ。


 すると、目の前の死が、口を開いた。



「何をそんなに恐れている?」



 死が、そう語りかけてくる。



「い、嫌だ……死に、し、死にたくない……」


「死ぬのが怖いのか?」


「こ、ここ、怖い……死にたくない……死に……」

 


 死が、笑った気がした。



「お前にも、生きる道が残されているかもしれない。だが、それはお前次第だ」



 どういうことなのか。


 だが、その言葉に「死」から逃れることができる可能性を感じたニニーヴは、必死に懇願した。



「す、全て話したわ! 知っていることは全て! ほ、他に何が必要なの!?」



 死が、再び笑った気がした。



「俺に忠誠を誓え。生きたいと思うのなら。それだけを全身全霊で願い続けろ」



(死に、忠誠を誓え……?)



 ニニーヴは混乱するも、それが死から逃れるための方法ならと、思考の矛盾に気付くこともなく、動かない身体に力を込め、全力で頷こうとした。


 身体は動かなかったが、意思は伝わったようであった。


 目の前の死が動く。


 そして、ニニーヴが後悔の念を抱く隙もなく、それは実行された。



(あ……)



 青い閃光が瞬くと、そのまま光とともに、視界から死が消えた。


 恐怖心も、意識さえも一緒に。



(…………)



 真っ暗闇に染まった世界で、死の最期の言葉が届く。



「生きたいなら、死しても尚、願い続けろ。俺が召喚できるように」




◇◇◇




 ニニーヴの頭部が地面へ落ち、鈍い音をあげた。


 マサトは、その頭部の横へ移動すると、光を失ったニニーヴの瞳を見ながら、腕を組んだ。



(上手くいくか……?)



 ニニーヴから必要な情報を聞き出したマサトは、物は試しとばかりに、ひとつの実験を行った。


 それは、対象を殺した際のカードドロップに、特殊条件があるのではないか?という仮説に基づいた実験だ。



鳥の子色とりのこいろの羽根、ホーネストをカードドロップした時は、そこにホーネストの意思があったのを感じた。カードドロップの法則に、対象の意思が影響するなら、恐怖で支配、洗脳した状態ならどうだ?)



 普通に考えれば、負の感情がカードドロップに影響するとすれば、マイナス面での作用だと連想できる。


 だが、人の感情など、先入観や錯覚で変わる移ろいやすいものだ。


 それなら強力な洗脳や支配で強制しても効果があるのではと考えたに過ぎない。



(そろそろか)



 ニニーヴの亡骸から青い光の粒子が舞い上がる。


 それをすかさず吸収し、暫し待った。


 すると目の前に見慣れた表示が――。




(きたか!?)




『エンチャント:[UC] 水の加護を獲得しました』



(エンチャントか。まだあるよな?)



 期待通り、次の表示に切り替わる。



『アーティファクト:[SR] 氷星の宝珠アイススターオーブを獲得しました』



(SR!?……よし、次は?)



 マサトが期待に胸を膨らませていると、地面に転がっているニニーヴの頭部から、小さな青い光がひとつだけ浮き上がったのが見えた。



(あれは……きたか!?)



 ホーネストの時と似た状況に、マサトも心の中でガッツポーズをする。


 だがその光は、マナを吸収しようと手を伸ばしたマサトに抗うように、ふらふらと弱弱しい飛び方で反対方向へ行こうとした。



「おい!」



 思わずマサトが声をあげる。


 すると、青い光は驚いたのか、びくりと跳ねた後、慌てたように左右にふらふらと蛇行。


 そのまま方向転換し、マサトへと向かって漂い、そのまま胸の紋章へと吸収された。


 そして表示されるシステムメッセージ。



『モンスター:[UR] 臆病な水の精、リーヴェを獲得しました』



(UR!! よ、し……? いや、何か違和感が……)



 上手くいったと喜んだのも一瞬。


 すぐさま獲得したカードの情報を確認する。



【UR】 臆病な水の精、リーヴェ、0/1、(青×2)、「モンスター ― エレメンタル、妖精フェアリー」、[隠匿Lv2] [気配察知Lv2] [手札帰還] [飛行]



 そのカードは、目の前に転がっている水色のドラゴンとは似て非なるものだった。


 似ているところがあるとすれば、それはリーヴェという名前くらいだろう。



(半分成功、半分失敗ということか)



 恐怖で縛ったことによって、このリーヴェカードが特殊ドロップしたのであれば、それは成功といえるだろう。


 だが、普通に倒していれば、もしかしたらドラゴンとして成長したニニーヴのカードを獲得できていたかもしれない。


 その点では失敗でもある。



(何も収穫がないよりはマシか)



 少なくとも、死の直前の行動や、相手の精神状態がカードドロップに影響するという、本来のMEには存在しなかった法則を知ることができた。


 それだけでも十分な成果だといえるだろう。



(念のため、他のカードも見ておこう)



 最初に獲得したカードから確認していく。


 まずは水の加護だ。



【UC】 水の加護、(青)(2)、「エンチャント ― モンスター」、[能力補正+0/+2] [水魔法攻撃Lv1] [回復魔法Lv1] [耐久Lv1]



 水の加護は、UCと低レアリティながら、回復魔法が使えるようになる貴重なエンチャントカードだ。


 補正値は低いが、回復魔法が使えるようになるのは大きい。


 例えば、攻撃魔法に特化した大魔導師アークメイジに回復魔法を覚えさせることで、癒し手ヒーラーとしての動きも可能にできる。


 これは、持久戦において大きなアドバンテージになるだろう。



(次は――SRの氷星の宝珠アイススターオーブか)



【SR】 氷星の宝珠アイススターオーブ、(青×3)、「アーティファクト ― 宝珠」、[生贄時:全体一時凍結魔法Lv9] [耐久Lv3]



(これは……もしやコーカスで使われたやつか? いや違う。確かあれは凍結の宝珠フリーズンオーブだったはず。ということは、あれ以外にもまだ隠し持っていたってことか……? 凍結魔法Lv9クラスの効果をもつ魔導具アーティファクトを……)



 背中に冷たいものが走る。


 さすがのマサトでも、Lv9という数字は脅威だ。



(名前からして、凍結の宝珠フリーズンオーブの上位互換か……?)



 ドロップするということは、ニニーヴが所持していて、使える状態だった可能性も考えられる。


 そう仮定すると、これが使われずに済んだことは不幸中の幸いだったのかもしれないと、改めて魔導具アーティファクトの恐ろしさを実感する。


 形勢逆転の一手どころか、Lv9の全体攻撃魔法ともなれば、周囲の地形や気候すらも壊しかねない大量破壊兵器といっても誇張にはならないだろう。



(だが、良い武器が手に入った)



 用事は済んだと顔をあげたマサトが、シャルルの顔を見てふと思い出す。



(そういえば、シャルルがニニーヴから奪ったこれ・・があったか)



 腕輪らしき魔導具アーティファクトを取り出して確認する。


 中央に水色の宝石が埋め込まれた、装飾の凝った美しい腕輪だ。



(装備できるか試してみるか)



 装備条件は分からないため、ひとまずマナを総当たりで込めてみる方法だ。


 だが、その手間すらも必要なかった。


 装備できるか試そうと思っただけで、腕輪はみるみるうちに小さくなり、掴んだ手の人差し指に嵌ったのだ。



『幸運なエリネドの指輪を装備しました』



「これは指輪だったのか」



 装備できたことで、魔導具アーティファクトの情報が明らかになる。



【UR】 幸運なエリネドの指輪、(0)、「アーティファクト ― 装備品、指輪」、[幸運Lv2] [(青):一時致命傷ダメージ無効化20%アップ、魔法耐性強化Lv2 ※上限1、致命傷ダメージ無効化成功時:耐久Lv-1] [(1):一時ダメージ無効化20%アップ、不可視化Lv2、魔法強化Lv2 ※上限1] [耐久Lv13]



 耐久Lv13という、高耐久値をもつこの指輪は、マナを込めることで一時的に各バフを得ることができる魔導具アーティファクトだった。



(不可視に魔法関連強化、何より致命傷ダメージ無効化20%というのは強いな……)



 「一時」というのは、この世界で換算すると大体効果時間は1日くらいの時間に該当する。


 その効果時間中、5回に1回とはいえ、ダメージを無効化、即ちダメージをなかったことにしてくれるのは間違いなく強い。


 絶好のチャンスで1度しか放てないとっておきの一撃が運悪く無効化されたとなれば、それだけで形勢逆転にもなり得る。



(これは良い拾い物をした)



 少しずつだが、確実にステータスを強化できていることに満足する。


 事が済み、ようやくその場を立とうとしたところで、召喚モンスターからの念――というよりは、危機的な感情に近いものが届いた。


 それは、金色の鷲獅子騎士団グライフスヴァルト、第十五部隊隊長であるアネスティー・グラリティに授けた鷲獅子グリフォン――鳥の子色とりのこいろの羽根、ホーネストからの念だった。


 ホーネストは人語を話せないが、言葉を理解するだけの知能はあるため、危機的な情報を伝えることができたのだろう。


 とはいえ、情報といっても、危機的な状況にある、という救援信号に近い情報でしかなく、状況を推察することしかできない。



(ホーネストが攻撃を受けているということは、アネスティーが事を起こしたのか? それとも、黒崖クロガケの作戦がいよいよ実行されたのか?)



 アネスティーは、海亀ウミガメやヘイヤ・ヘイヤの実態を、金色の鷲獅子騎士団グライフスヴァルト団長であり、更には強欲の女帝として帝国の頂点に君臨しているネメシス・キング・ヴィ・ヴァルトに直接問いただすと意気込んでいた。


 一方で、黒崖クロガケも、北部の元領主であり、帝都にいる金色の鷲獅子騎士団グライフスヴァルトの隊長格を動かせるライオス・グラッドストン伯爵とユニコス・ディズレーリ伯爵を使い、現状の軍事体制に対する反乱を計画していた。


 黒崖クロガケであれば、アネスティーを駒として使う程度のことは抜け目なく計画しているはずで、マサトにはホーネストのこの一報が作戦開始の合図なのだと解釈した。



(ダンジョンで時間を使い過ぎたか……それとも、何か不測の事態でも起きて、事が想定より早く進んだだけか。どちらにせよ、俺も急ぐべきか)



 少し考え、決断する。



「プロトステガの闇魔法使い、召喚」



【UC】 プロトステガの闇魔法使い、1/1、(黒×2)(1)、「モンスター ― 人族」、[飛行] [闇魔法攻撃Lv1]



 プロトステガ戦で獲得した闇魔法使いカードだ。


 黒い靄がつむじ風を伴って舞い上がり、その靄の中から、黒いローブを身に纏ったひとりの魔法使いが姿を現わした。


 ローブで体形は分からないが、身長170cmくらいで、頬がこけた顔から察するに、体形もやせ型だろう。


 如何にも闇魔法に精通していそうな、暗い表情をした、見た目30歳くらいの男だ。


 戦力としては然程期待できないが、[飛行] 持ちかつ人族なため、ファージたちを先導させつつ、現場で状況判断させるには適役だろう。



「名前は?」


「ナードと申します」


「よし、ナード。お前は永遠の蜃気楼エターナル・ドラゴンとファージたちを引き連れてホーネストの元へ向かえ」


「仰せの通りに」



 ナードが深々と頭を下げる。



(仮に手強い敵がいたとしても、永遠の蜃気楼エターナル・ドラゴンがいればどうにかなるだろう)



 ナードたちに見送られ、マサトとシャルルは、その場をあとにした。




――――

▼おまけ



【UC】 プロトステガの闇魔法使い、1/1、(黒×2)(1)、「モンスター ― 人族」、[飛行] [闇魔法攻撃Lv1]

「闇を嫌悪する者も多いが、誰しもが少なからず心に闇を抱いている。その真実から目を背け、自分の心を否定してはいけない――プロトステガの闇魔法使い、ナード」


【UC】 水の加護、(青)(2)、「エンチャント ― モンスター」、[能力補正+0/+2] [水魔法攻撃Lv1] [回復魔法Lv1] [耐久Lv1]

「世界は五色の色から生まれたとされる概念――始原五色しげんごしきのうちのひとつ「青」に属する四大元素しだいげんそ、「水」。人族にとって最も身近で、親和性の高い属性ではあるが、その加護ともなれば、それがどこから齎されるものなのか? 未だ解明されていないことは多い。一説では……――青の大魔導師アークメイジ、ポット・クェの講義」


【SR】 氷星の宝珠アイススターオーブ、(青×3)、「アーティファクト ― 宝珠」、[生贄時:全体一時凍結魔法Lv9] [耐久Lv3]

「大いなる創造の神々は、とても多忙なのだ。それゆえに、進化速度が速い生命体を好む傾向にある。気候変動を苛烈に操作するのは、世代時間の短く、遺伝的多様性が高い個体を選別するためでもある――神を観測する者マツゲンジ・ロウ」


【UR】 臆病な水の精、リーヴェ、0/1、(青×2)、「モンスター ― エレメンタル、妖精フェアリー」、[隠匿Lv2] [気配察知Lv2] [手札帰還] [飛行]

「怖いのは嫌い。大嫌い――リーヴェ」


【UR】 幸運なエリネドの指輪、(0)、「アーティファクト ― 装備品、指輪」、[幸運Lv2] [(青):一時致命傷ダメージ無効化20%アップ、魔法耐性強化Lv2 ※上限1、致命傷ダメージ無効化成功時:耐久Lv-1] [(1):一時ダメージ無効化20%アップ、不可視化Lv2、魔法強化Lv2 ※上限1] [耐久Lv13]

「ブリテン島、十三の秘宝のうちの一つ。装飾の凝った指輪には、この世の厄災の目を欺く効果があり、その指輪に埋め込まれた水色に輝く透明な石には、厄災の牙から己を護る力が宿っていると伝えられている――聖ウェールズの伝記、第十二項」



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