240 - 「主に捧げる侵攻の狼煙」
暗澹たる雲が夜空を覆い隠し、一筋の月気すら届かぬ海原が漆黒に染まる。
渡り鳥ですら躊躇う闇の空を、黒い翼を羽ばたかせながら我が物顔で突き進むのは、フログガーデンより飛び立った黒い怪物――使い魔ファージの群れと、その群れの先頭で大きな翼を広げている頭部のない不気味な翼竜――肉裂きファージの群れだ。
数千規模の使い魔ファージに、体格が大きく、獰猛で、一頭でも
誰もが恐怖するそのモンスターの群れを制御しているのは、肉裂きファージの背に乗った屈強なゴブリン達だ。
そして、その群れを統率するのは、群れの先頭で一際大きな肉裂きファージに跨る
彼らが目指すのは、東の地――ワンダーガーデン。
目的は、自身の創造主たる主への支援。
人の眼では到底方角など分からぬ真っ暗闇の中を、真っ直ぐと東を見据えたゴブ郎の手綱を握る手に力が入る。
その瞳には、闇の中にポツポツと浮かび始めた街の灯りが映り始めていた。
◇◇◇
赤布に金の
本来であれば帝王でしか座することを許されていないその玉座に、真紅のワインが注がれたグラスを片手に、優雅に足を組んで座っているのは、女性に王位継承権のない帝国において全ての実権を掌握した実力者、現帝王グリフォンス・キング・ヴィ・ヴァルトの長女にして、強欲の女帝――ネメシス・キング・ヴィ・ヴァルトだ。
そのネメシスが、シルクハットを被った男に蔑みの視線を送りながら話しかける。
「おい帽子屋。貴様はいつになったらあいつの首を持ってくるんだ?」
絶対の権力者であるはずのネメシスに厳しい言葉を向けられた男は、恐縮するどころか悪びれた様子もなく、あろうことか狂気を孕んだ笑みを浮かべて言葉を返した。
「スギギギ。本当にどこへ消えたんでスかねぇ。捜索に邪魔立てしたスペード領を焦土にまで変えたと言うのにににハハハッ!」
「貴様は無能か? 私はいつかと聞いているッ!」
そう怒鳴ったネメシスが、空になったワイングラスを男に投げつけるも、ワイングラスは男に届く前に空中で静止した。
「いやはやァアッ! 貴女の弟様は実に賢いッ! さすが貴女の弟様でスッ! 本当に抜け目がないでスねェエッ! まるで人目を盗んで下水に逃げ込むドブネズミのようでスギギギハハッ!!」
ネメシスの怒号など気にした様子もなく、そう狂気的な笑い声をあげた男は、ワンダーガーデン全ての商業ギルドを束ねるハッタ・ハット卿だ。
挑発ともとれる言葉で返されたネメシスは、額に青筋を浮かべ、歯をくいしばりながらハッタ・ハット卿を睨むも、それ以上は踏み込まない。
いや、踏み込めないというのが、帝国を支配するネメシスとハッタ・ハット卿の関係だった。
その緊迫した空気の中、ガシャガシャと鉄のぶつかる音を響かせた女が一人駆け込んでくる。
「報告いたします!」
紅いマントに鋼の鎧を身に纏った騎士が、兜を脇に抱えながら跪き、頭を垂れて進言する。
「なんだ? こんな夜中に騒々しい」
「西海より、黒い
「何ィッ!? どういう事だッ!?」
ネメシスが目を見開き、ハッタ・ハット卿へ再び視線を送る。
だが、その視線を受けたハッタ・ハット卿は、両手を上げて知りませんと身振りで示しながら、空中で静止したままのワイングラスを掴み、ネメシスの真紅の口紅がついたその飲み口を舐め回した。
ハッタ・ハット卿の行動に、ネメシスは左眼の涙袋をピクピクと痙攣させるも、特に咎めもせず女騎士へと聞き直す。
「状況はッ!?」
「ハッ! ハート領西部、沿岸都市ヨークが早々に陥落。ヨーク卿の詳細不明。ランカスター卿が各地に駐屯させていた軍で応戦しておりますが、状況芳しくない模様。フレイム・ハート・フラミンゴ公からは、緊急の援軍要請がきております!」
「猫目は何をしてるッ!? 奴はハート領の監視役だろッ!」
「暫く姿を見せていないとの報告が」
「相変わらず使えない愚図めッ! どいつもこいつも話にならんッ! 構わんッ!
「ハッ!!」
去り際にハッタ・ハット卿を睨むように一瞥した女騎士が立ち去る。
その視線を卑しい笑みで返したハッタ・ハット卿へ、ネメシスが殺気を込めた声をぶつける。
「おい、帽子屋。本当に貴様の差し金じゃないんだろうな?」
「スギギギ、面白い冗談でスね? ハート領はまだ収穫前の果実ででススギギハハッ! 収穫前に
「チッ、イカレ野郎がッ! 貴様のイカレ仲間の兎野郎は何をしてる。帝都上空を通り過ぎるなど、死罪にも等しいふざけた真似、二度とさせるな。次はないぞ」
「これはこれは申し訳ありません。しっかりと遺憾の意を伝えておきましょう。伝えたところで従うような性格でもないでスがね。スギギギ」
「従わせろッ! これは命令だッ!!」
激怒したネメシスが、王座の肘掛けへ拳を振り下ろす。
そのネメシスを見て、ハッタ・ハット卿は目玉が飛び出しそうな程に目を見開き、口を大きく釣り上げながら、ゆっくりと答えた。
「では、仮に次の違反があれば、ヘイヤ・ヘイヤを殺スように動いても?」
「くっ……」
言葉を詰まらせるネメシスに、ハッタ・ハット卿がスギギギと特徴的な笑い声をあげる。
「強気な貴女の、その屈辱に歪んだご尊顔。素晴らしィイッ! とても素晴らしィイでスよォオオオッ! 身体は全盛期の張りを失ってしまいましたが、これもまた唆るものがあるるッ! 良いですねェッ! 情欲を掻き立てられまススギギハハハッ!!」
そう狂気的に笑いながらハッタ・ハット卿がネメシスへと歩み始める。
「久し振りにこのギンギンに熱くなった情欲を慰めて貰っても?」
「断るッ! 貴様はまだ私の要求に応えていないッ! 私の身体が欲しくば、あいつの首をここに持ってこいッ!」
「ハァアア…… またそれですかァアア…… また萎えるようなことを。焦らなくとも、弟様は必ずここに現れまス。その時を待てば宜しい」
「そう言い続けてもう何年になるッ!? あいつが扇動した抵抗勢力は確実に増えているぞッ!!」
「そうでスかね? スペード領の抵抗勢力は殲滅しましたし、着実に減っていると思いまスが?」
「それはあいつが関わらなければ殺す必要のなかった帝国の民だッ! これ以上、私の民を減らすのは許さんッ!!」
「貴女の民? はて? それは違いまスねェ。まだこの国の民は貴女の物にはなっていない。まだ貴女のお父上の物でス。お父上の中身が空っぽになっていたとしても、例え貴女が実権を掌握していたとしても、この事実は変わりませんねェ。それは貴女が一番ご存知の筈ではァ?」
「……黙れ」
「スギギギ! それにィ、抵抗の意思を隠していただけで、本当は貴女が帝王の座に就くことに反対していたはずでス。潜在的な抵抗の芽は早めに摘んでおくに越したことはありませんよ」
そう話しながらハッタ・ハット卿はネメシスへと近付いていく。
「だからね? ほら、お股をお開きなさい」
手を伸ばせば届く程まで近付いたハッタ・ハット卿に、ネメシスが素早い動きで剣を抜き、ハッタ・ハット卿の喉元に突きつけた。
「おい。勘違いするなよ。私は貴様の情婦になった覚えはない。これは契約だ。貴様が破るのであれば、私にも考えがある」
だが、ハッタ・ハット卿は再び笑みを強くした。
「ピリピリと肌を焼くその気迫、肌を突き刺スその殺意。それでススッ! 貴女はそうでなくてはつまらないッ! そうでなくては蹂躙する意味がないッ! 良いでしょう、契約は契約でス。それに、楽しみは後に取っておく方が興奮しまスしね? スギギギ、スギギギハハハッ!!」
狂気的な笑い声をあげながら、ハッタ・ハット卿が姿を消した。
「クソッ!!」
叩きつけるように投げ捨てられた剣が床に転がり、甲高い音を立てる。
「忌々しい悪魔どもめッ! 私の怒りを買ったこと、後悔させてやるッ!!」
そう吐き捨てたネメシスの瞳には、満たされることのない強欲の炎が燃え滾っていた。
――――――――――――――――――――
▼おまけ
【SR】
「真に欲しいと望む意思は力となり、お前達を成功へと導いてくれるだろう。だが、気を付けよ。それはやがて呪いへと変わる。決してその力に囚われるな。強く、正しき意思を持て。我が最愛なる子供達よ――グリフォンス・キング・ヴィ・ヴァルト」
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