214 - 「プセリィ・フォルス」


 ゆっくりと上下に揺れる船内。


 船内の中でも一際豪華に作られた船長室の天井には、照明として使える輝水晶が嵌め込まれたシャンデリアが吊り下げられ、揺れる船に合わせてゆっくりと揺れ動きながら、窓のない室内を明るく照らしている。


 その室内、汚れ一つない白花色の壁紙が綺麗に貼られた壁一面には、船長のコレクションである愛用の鞭達が等間隔に飾られていた。


 材質、形状、色味。


 どれ一つとっても同じものはなく、対人用の武器となるものから、鞭打ち用の拷問器具、拘束具、調教用など、その用途も多岐に渡る。


 どの船員も、この船長室に足を踏み入れる時、この異様な鞭の存在に圧倒されるのだ。


 何故ならば、壁に飾られている鞭は全て、観賞用のコレクションという優しいものではなく、その全てが、実用品として船長の手で酷使されてきた愛具という事実があったからである。


 そして、その愛具を愛おしそうに眺めながら手入れをしている者が、この巨大奴隷船オサガメの船長であり、ヴァルト帝国南部の海域を独占する奴隷商ギルド――海亀ウミガメのNo.3、プセリィ・フォルスだった。



「西部までわざわざ出向いた甲斐があったわぁ。こんな珍しい鞭が手に入ったんだもの。やっぱり、フログガーデンにはまだまだ珍しいお宝が眠ってそうねぇ」



 プセリィは、遠征に出掛けた西部海域で新しく手に入れた “真っ黒に染まった禍々しい鞭” の手入れを止めると、その鞭を持ったまま別室へと向かった。


 真紅のピンヒールが、鉄板の打ち込まれた床に当たり、コツン、コツンとリズムを刻む。


 プセリィは機嫌が良かった。


 いや、プセリィがこの部屋を訪れる時は決まって機嫌が良い。


 何故ならば、この部屋はプセリィが愛用の鞭を試すためだけに用意した娯楽室だからだ。



「今日はどのペットでこれを試そうかしら」



 プセリィの猟奇的な眼が、手足を拘束された奴隷達に向けられる。



「ひぃ……」


「や、やめてくれ、死にたくない、死にたくない……」


「神様…… 神様……」



 奴隷達の顔が絶望に染まる。


 その奴隷達の表情に、プセリィは満足気だ。


 彼女は、その歪な性癖――嗜虐心が刺激されることに快楽を覚える生粋のサディストだった。



「あらあら? なぜあなたの床だけ濡れているのかしら?」



 股から尿を漏らした奴隷へとプセリィが近寄る。


 その奴隷の身体には、まだ癒えていない無数の鞭傷があった。

 

 前回の実験での被害者だ。



「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」



 男が身体を恐怖でガクガクと震わせながら、涙を流し、必死に謝る。


 その姿に、プセリィは火照った吐息をひと吐きすると、とろんとした眼つきで男を見つめた。



「あはは。本当にいけない子。そういう子にはお仕置きが必要だと思うの」


「ご、ごめんなさいごめんなさい。ゆ、許して、許してください……」


「許してほしいの? 仕方ないわねぇ。じゃあ、この新しく手に入れた鞭の鞭打ち10回に耐えられたら許してあげる。あはは。優しいでしょ? たった10回で良いのよ?」


「い、嫌だ…… ゆ、許して……」



 男が涙を流してそう答えると、プセリィは腰帯から教鞭を取り出し、にっこりと微笑んだまま、その男の頬へ向けて振り抜いた。


 風切り音とともに、プセリィの振り抜いた教鞭が、男の頬を容赦なく斬り裂く。



「ぎぃゃ!?」



 男の頬が斜めにぱっくりと割れ、その後に遅れて血が流れ始める。


 その傷口に教鞭を突き付けると、プセリィは微笑みながら優しく語り掛けた。



「そうじゃないの。返事が違うでしょ? こういう時は、何て言うんだっけ?」


「や、やめて…… 許し……」



 恐怖のあまり顔を引きつらせた奴隷の男が許しをこうと、プセリィの振るった教鞭が、再び奴隷の頬を引き裂いた。


 血飛沫とともに頬の皮膚が弾け飛ぶ。



「ぎぃやゃぁあ!?」


「はぁ。私は悲しいわ。ご主人様の言葉が理解できないなんて。そんなペットは殺処分ね」

 

「ゆ、許し……」


「お黙りッ!」



 倒れ込みながらも許しをこう奴隷の男を、プセリィが踏み付ける。


 真紅のピンヒールが男の肩に刺さり、奴隷の男は再び悲鳴をあげた。

 


「はぁ、本当にダメな子。なんだか飽きちゃった」



 一瞬で能面のような表情に変わったプセリィが、手に持っていた真っ黒の鞭の柄を握り、無数の棘が生えたひもの部分を下に垂らした。


 それと同時に、プセリィは男を踏み付けていた足を戻した。


 土下座する形で先程から許しを求めていた奴隷の男が、プセリィが足を退かせたという行為に異変・・を感じ、恐る恐る視線を地面から前に移す。


 目の前にぶら下がる、真っ黒に染まった禍々しい鞭のひも。


 その紐には毒針にも似た棘が等間隔に生えていた。



「い、いは、いゃはぁーッ!?」



 フラッシュバックする鞭打ち拷問の恐怖に、男はパニックになり、許しをこうのも忘れて必死に飛び退き、口をパクパクさせながら這うようにして壁へと逃げた。


 その反応に、プセリィの顔に再び微笑みが戻る。



「あらぁ〜、やればできるじゃない。まだそんな表情ができるなんて。でも〜、もうダメ。一度冷めた恋が再び燃え上がることはないの。あなたはもう過去の人。不要品よ」


「ど、どうか、それだ、けは……」


「あはははは。ダ〜メ」



 プセリィが真っ黒の鞭を振り回し、男へ向けて振り抜く。


 刹那、鞭の風切り音とともにバチィンッという破裂音が部屋にいた者の鼓膜を殴った。



「ぎぃひぃ!?」



 プセリィの放った鞭は、男の脛に当たり、その肉を大きく抉りとった。


 あまりの激痛に、奴隷が脛を庇って前向きに転がるも、その男の背中へ向けてプセリィが間髪入れず二発目の鞭を放つ。


 鞭の風切り音と破裂音が再び部屋に響く。


 だが、奴隷の男は悲鳴をあげなかった。


 二発目の鞭が男の背中を大きく抉る前に、男は息絶えていたのだ。



「これは凄い効き目ね。人をこんなにも簡単に殺せるなんて。傷を与えた相手を即死させる伝説級レジェンド古代魔導具アーティファクト――残虐王の黒い鞭クルエルキングウィップ。はぁ〜、残虐王だなんて。わたくしにぴったりじゃないの」



 プセリィが残虐王の黒い鞭クルエルキングウィップを眺めながらうっとりとした表情で吐息をこぼす。


 だが、その瞳には狂気が宿っていた。


 興奮したプセリィが、その狂気の瞳を他の奴隷達に移す。



「で〜も〜、まだ打ちたりないのよね。一回で死んじゃうんだもん。これだけじゃあ欲求不満だわ」



 プセリィの発言を聞いた奴隷達の顔が恐怖で染まる。



「い、いやだぁあ!」


「や、やめ……」


「助けて、た、助け、誰か!」



 奴隷達が逃げようとするが、牢と変わりのないこの部屋に出口などなかった。


 奴隷達の慌てように、プセリィが笑う。



「あはははは。そう、いいわ。いいわあなたたち。逃げて。逃げないと死んじゃうわよ〜? あははははは」



 狂ったような笑みのまま、プセリィが残虐王の黒い鞭クルエルキングウィップを振り回し、逃げ惑う奴隷の一人へ向けて放つ。


 強烈な風切り音。


 鞭のぶつかる破裂音。


 そして、奴隷の断末魔。


 奴隷の血肉の花が咲き、その命が無残にも飛び散る。


 最後の奴隷が死ぬまで、その殺戮は続けられた。



「はぁ…… はぁ…… 足りない…… 足りないわ…… もっと…… もっとぉお……」



 恍惚とした表情で、プセリィが股に手を挟みながら喘ぐ。


 すると、部屋に備え付けられていたベルが鳴った。


 緊急事態を知らせるベルだ。



「はぁ…… はぁ…… もう少しなのに…… こんな時に何かしら……」



 プセリィが船長室まで戻ると、そこには焦った表情の部下が数人、プセリィが禁断の娯楽室から出るのを待っていた。


 プセリィの恍惚とした表情と、肌に浴びた返り血を見て、プセリィに報告しにやってきた者達の肝が縮みあがる。



「お、お仕事中失礼しました!」


「なぁ〜に? 緊急なんでしょ? 早く要件を言いなさい」


「は、はッ! い、一部の奴隷が脱走しました!」


「はぁ?」



 一瞬で能面へと変わったプセリィに、部下達の顔から血の気が引く。


 罰としての鞭打ちを覚悟したのだ。



「なんで脱走できるわけ? 倦怠の印マークトーパーの牢獄よ? 看守が余程の間抜けじゃなければ、脱走なんて不可能よね?」


「は、はッ! その通りであります! 看守達の不手際は間違いなく!」


「はぁ…… 魔力マナも大して保有してない屑には何をやらせてもダメなのね。今の看守全員、奴隷にしちゃおうかしら。看守が使えないなら、あなたたちがしっかりしないとね? 早く制圧してしまいなさい」


「し、しかし、それが脱獄した奴隷達は、コロシアムで戦わせるための剣闘士達でして、その」



 そこまで報告した部下に対し、プセリィが無言で鞭を振り上げ、放った。


 鞭は部下の腹部に命中し、服の上から皮膚を切り裂いた。



「いぃッ!?」



 残虐王の黒い鞭クルエルキングウィップを受けた部下の一人が短い悲鳴をあげると、そのまま前向きに倒れ、動かなくなる。


 たった一振りで動かなくなった同僚に、一緒に報告へ来た者達が動揺する。


 罰としての鞭打ちは覚悟していたが、殺されるとは考えていなかったのだ。



「はぁ…… いいわ。丁度、欲求不満だったところだし、わたくしが出向きましょう。今積んでいる剣闘士おもちゃに、そこまで見込みのある男がいた記憶はないんだけど……」



 そう告げながら看板へと繋がる扉へ歩みを進めるプセリィ。


 部下達は急いで道を開け、背筋を伸ばしてプセリィが通り過ぎるのを待った。



「念のため、今ある倦怠の杖トーパースタッフを全て持ってきなさい」


「ハッ! 直ちに!!」


「はぁ〜、威勢の良い剣闘士はどこかしら。早く会ってお仕置きしないとね」



 そう呟くプセリィの顔は笑っていた。

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