213 - 「セラフ」


「バハッ、六つ羽の悪魔セラフデーモンだって? それはえらく大きく出たな!」



 一瞬の沈黙の後、キングが声を上げて笑った。


 どうやら冗談に受け取られたようだ。



(まぁ当然の反応か)



 自分で名乗っておいて、酷い名乗りだったなと自傷の溜息が溢れる。


 そんな俺の反応を見ていたキングは、不思議そうに片眉だけあげつつ、お喋りを続けた。



「しっかし、今まで色んな奴に会ってきたが、あんたみたいに自分のことを悪魔デーモンだと自称する奴は初めてだな」



 俺もそう思う、と心の中で同意した上で、無駄話をするつもりはないので、キングへは素っ気なく返す。



「そうか」


「まぁ悪魔デーモンは人にも化けるというけどよ。いや、それでも自分から悪魔デーモンだとバラす間抜けな悪魔デーモンはいなくねーか?」


「そうだな」



 俺が素っ気なくしていると、キングは降参したとばかりに両手を上げ、俺の呼び名を自ら提案してきた。



「分かった分かった。じゃあ、そうだな。セラフって呼ぶことにするぜ?」


「好きにしろ」



 俺がそう許可を出すと、キングは「よっしゃ!」と手を叩いて喜んだ。


 このやり取りのどこにそんな喜べる要素があったのか。


 だが、その些細なやり取りがあっただけで、キングへの不信感が消えつつあるのも実感していた。


 これがこの男の処世術なのだろうか。


 他人との距離の詰め方がやけに上手い。


 確かに、キングの言うように、それぞれ呼び名があった方が便利だ。


 それは認める。


 だが、この時代に長居をするつもりのない俺にとってはどうでも良いことの一つでもあった。


 この時代の住人と馴れ合うつもりも、仲間を作るつもりもない。


 情が湧けば、いざという時に非情になれなくなってしまうリスクもある。


 目的を達成するためには、それこそ身も心も悪魔に成り切る必要があるのだ。


 そう考え、まだ俺に話しかけたそうにしているキングを余所に、牢の中で意識を失ったまま倒れている看守達に視線を移す。


 すると、そのうちの一人に近付いたスキンヘッドの男が、突然看守の腹を蹴り始めた。



「よくもっ! あん時はやってくれたなっ! このっ! おらぁっ!」


「うぐ……」



(仕返しか)



 あまり見ていて気持ちの良いものじゃないが、この程度で気持ちが揺らぐようじゃダメだと自分に言い聞かせる。


 すると、キングが溜息を吐きつつ、スキンヘッドの男へ声をかけた。



「おいおい、その辺にしとけ。死んじまうぞ。何も殺すことないだろ?」


「あぁ? ウスノロは黙ってろ!」



 キングがスキンヘッドの男を宥めるも、スキンヘッドの看守への蹴りは止まらなかった。


 それどころか、段々とエスカレートしていく。


 蹴られ続けた看守の男は、呻きを上げて冷たい黒鉄の床へと血反吐を吐き、蹲っているだけだ。


 反撃がないことに気が大きくなったのか、頭に血が上ったスキンヘッドの男が、蹲る看守の男を蹴りながら叫んだ。



「こいつはなぁ! オレの弟を殺しやがったんだ! 生まれつき左腕が不自由だっただけの弟を! こいつは使えねぇと吐き捨てて! まるで不良品を処分するように、何の躊躇もなく斬り捨てやがった!!」



 その言葉の後、スキンヘッドの男は大きく足を振り上げ――


 地面に蹲る看守の頭を勢いよく踏み抜いた。


 ゴッと、黒鉄の地面と頭部がぶつかる鈍い音が響き、看守の男がぐったりと力なく転がる。



「はぁ…… はぁ……」


「あーあー、やっちまった。まっ、脱獄した手前、どっちにしろ後には引けねぇか」



 キングがスキンヘッドの男をフォローするように声をかけ、俺を見る。



(俺の出方を窺ってるのか?)



 スキンヘッドの男が看守を殺したことに対して、どう反応するのか。


 他の囚人達も俺へと視線を向けている。


 どうやら俺の判断を待っているようだ。


 キング含め、ここにいる囚人達が俺に何を求めているのかは分からない。


 だが、俺の答えは一つ。



「その死んだ男と、まだ息のある二人をこっちに連れてこい」



 俺はスキンヘッドの男を含めた、他の囚人達へと呼び掛ける。


 囚人達は顔を見合わせるも、俺に逆らわない方が良いと判断したのか、地面に転がっている看守達を運び出した。


 キングが俺に問う。



「看守どもを牢から出してどうするつもりだ? ここに閉じ込めておくんじゃないのか?」


「ああ、違う。こうする」



 手にマナを込める。


 保有しているマナは0だが、付与魔法エンチャントで身に付けた [火魔法攻撃Lv2] は使えるはず。


 すると、その考え通り、上に向けた手の平から炎が舞い上がった。


 その様子に、囚人達が「おお……」とどよめく。



「おいおい、牢の外だとはいえ、倦怠の印マークトーパーの影響がない訳じゃねぇんだぞ? なんで魔法が使えるんだ?」



 驚きつつも、笑いながら質問を投げかけてくるキングに対し、俺は再び素っ気なく返す。



「さぁな。倦怠の印マークトーパーとやらの効果が弱いんじゃないのか?」


「そんなはずはねぇ筈なんだが……」



 顎に手を当てながら首を傾げるキングを余所に、俺は看守二人へ向けて炎を放った。


 黒鉄の壁が紅色に照らされ、突然の強い光源に皆が目を細める。


 手から放たれた炎は、真っ直ぐと地面へと向かい、倒れている看守二人を炎で覆った。


 火炎放射器で焼かれるが如く、あっという間に火達磨になった看守二人が、その熱さで目を覚まし、呻きをあげてもがき苦しむ。


 だが、それもすぐにおさまった。


 看守二人の動きが止まったのを確認し、炎の放出を止める。


 火はすぐに消え、その場所に姿を表したのは、先程まで看守だった黒焦げの肉塊が二つ。


 辺りには肉の焼ける異臭が漂った。


 その不快な異臭に皆が顔をしかめる中、キングは異臭を気にするどころか、むしろ関心した様子で話し始めた。



「すげぇ炎だな。そこまでの火力を詠唱なしで使えるとは」



 キングの言葉に、他の囚人達が冷や汗をかきつつも頷く。


 どうやら、看守を焼き殺したことに対する忌避感は、誰も感じていないらしかった。


 どちらかと言えば、その眼に浮かぶのは、俺に対する恐怖心だろう。


 俺としても、大人しく従ってくれるなら、今のところ何もするつもりはなかったので好都合だ。



(取り敢えず、倦怠の印マークトーパーとやらの効果を調べておくか)



 試しに手の平から炎を出した状態で、鉄格子の間から牢の中へ手を差し入れてみると、途端に手の平の炎が消えた。


 倦怠の印マークトーパーとやらは、付与魔法エンチャントの効果も打ち消すらしい。


 全ての効果を無効化するとは考えにくいので、恐らく無効化できる効果Lvがあるはず。


 少なくともLv2以下の効果を無効化するのは確定だ。



(なるほどな……)



 囚人達が黙って俺の行動を見つめている。


 その視線を浴びながらも、俺は検証を続ける。


 次は、炎の翼ウィングス・オブ・フレイムの確認だ。


 背中から炎を出すイメージで力を込めると、何の問題もなく背中から炎が噴射し、炎の翼を具現化することができた。


 炎の翼ウィングス・オブ・フレイムによって再び周囲が紅色に照らされ、その強い光源と熱波に、囚人達は驚き、後退る。


 これには、さすがのキングも「お、おいおいマジかよ!?」と声を吃らせながら驚いていた。



「炎の翼なんて初めて見たぞ!? 一体何の加護だ!?」


「教えると思うか?」


「バハッ、まっ、普通、教えないわな」



 キングが両手を肩の高さまで上げて首をすくめ、戯けてみせる。


 すると、急に真面目な顔になり、通路の先、階段の方へ振り向きつつ口を開いた。



「っと、騒ぎを聞きつけて看守どもがやってきたぜ? どうする? セラフ」



 視線を階段へ向けると、先程の看守と同じ軍服に身を包んだ男が二人、革靴の底に打ち込まれた鉄板をカツンカツンと鳴らしながら階段を降りて来ているところだった。


 新たに現れた看守の声が響く。



「おい、さっきの音は何だ? あまり騒ぎ過ぎると船長にバレ……」



 そこまで話したところで、看守二人の動きが止まる。


 看守二人の視線は、背中から炎の翼を生やした俺に向けられていた。



「な、なんだお前たちは!? そこで何をやってる!?」


「違う! 見ろ! 他の奴隷も牢から出てるぞ! これは脱走だ!!」



 そういうや否や、大声をあげながら階段を慌てて登っていく。



「あーあー、バレんの早すぎだろ。で、どうすんだ? まさか正面突破で制圧してくなんて言うんじゃねぇだろな?」



 キング含め、他の囚人達が俺の言葉を待っている。



(いつの間に俺がこいつらを助ける話に? 確かに手数は多い方が何かと便利だが……)



 少し考え、彼らから視線を外す。


 炎の翼ウィングス・オブ・フレイムを一旦消すと、辺りは再び暗闇に包まれた。


 通路にかけられた蝋燭の火だけが揺らめきながら周囲を照らしているが、その僅かな光源では、炎の翼ウィングス・オブ・フレイムの光源に慣れた瞳には光源がなくなったように感じたのか、囚人達の動揺する声が聞こえる。



(その前に、これを片付けてしまおう)



 俺は再び肉塊となった死体へと視線を移すと、手を広げ、マナを引き寄せるイメージを作った。


 マナ回収だ。


 直後、死体から微量な淡い光の粒子が舞い上がり、光源の少ない暗闇を微かに照らした。



「な、なに? 今度は何をやってんだ!?」



 キングが驚きの声をあげる。


 その声を背中に浴びつつ、俺は舞い上がった光の粒子を回収した。



「なっ!?」



 あり得ないものでも見たかのように、キングが短い声を上げて黙った。



 そして、看守三人から回収できた肝心のマナは――



 僅か1マナだった。


 それも無色。



(たった1マナか。先は長いな……)



 この効率だと、目標とする27000マナまで81000人も虐殺しなければならない。


 勿論、モンスターを乱獲すれば済む話でもあるが、肝心の時の秘宝が見つからなければ、帰ることもできない。



(この船の乗組員全員を拷問してでも、時の秘宝を探し出す。まずはそこからか)



 時の秘宝を奪われたという事実が、鎮火していた怒りの炎に再び火を付けた。

 

 もしかしたらこの船員の誰かが奪ったのではないのかもしれないが、再燃し始めた怒りの炎がその判断を曖昧にさせた。

 

 時間の経過とともに、大宮忠に対する復讐心も復活し始める。


 大宮忠に上手くやり込められてしまった、あれは自分の詰めの甘さが招いた結果だ、という自責の念は、いつの間にか怒りの炎と混ざり合い、狂気の大炎となって、体の内側を容赦なく焼き続ける。


 時の狭間で何万回と繰り返したこの怒りの感情は、消えない傷として心に刻まれてしまったのだろうか。



「はぁ…… くそ……」



 制御の効かない怒りの感情に、溜息が溢れる。


 いつの間にか、その怒りの感情に呼応するように、身体からは火の粉が舞い上がり、パチパチと小さい音をあげて暗い室内をまばらに照らしていた。


 俺が据わった眼つきで振り返ると、黙って俺の様子を窺っていたキング達と目が合う。


 キングは驚いた表情で、口を半開きにして止まっており、他の囚人達は及び腰だ。


 その様子に、少しの優越感と、嗜虐心がスパイスとして加わり、少しだけ残っていた良心をかき消した。

 


「お前ら、死にたくなかったら俺に従え。俺はこれからこの船を制圧する。誰一人この船から出すな。俺に少しでも逆らえば容赦なく殺す」



 キング含め、他の囚人達が頷く。


 まずはこの船の制圧。


 話はそれからだ。



 通路へ歩き出した俺を見つめていたキングの瞳には、暗い笑みを口元に浮かべる悪魔が映っていた。

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