211 - 「目覚め」

 通路に置かれた小さな蝋燭の炎に照らされた、灯りのない一室。


 その一室は、天井、壁、床、全てが黒鉄で覆われ、通路へ続く出入口には、頑丈な黒鉄の太い鉄格子が嵌め込まれている。


 その内装は危険な囚人達を閉じ込めておくための堅牢な牢獄そのものだ。


 そこへ、鷲獅子グリフォンの装飾が胸元に入った制服を着た男が、手首を拘束魔法で縛られたスキンヘッドの男を連れてやってきた。



「入れ。問題を起こすなよ。言い付けを破れば、その柔な指を一本ずつ切り落とし、お前達の朝食に混ぜてやる。いいな?」



 鉄格子の扉から、背中を蹴られる形で部屋へ入れらたスキンヘッドの男は、たたらを踏みながら部屋の中央まで進み、振り返り様に背中を蹴った男を睨み返した。



「なんだ? もっと蹴られたいのか? それとも自分の指を食ってみたくなったか?」


「……くっ」


「フンッ、言い返す気概すらないのか。こいつもハズレだな」



 男は吐き捨てるようにそう告げると、鉄格子の扉を閉め、その一室から離れていく。



「舐めやがって……」



 部屋へと入ってきたスキンヘッドの男が、悪態を付きつつ、部屋の中を見回す。


 部屋の中には、男が数人いるだけだ。



「どいつもこいつも時化た顔してやがる…… ん?」



 ふと、足元に転がっている一人に気が付く。



「なんだこいつ…… 部屋のど真ん中で…… てめぇ、何寝てんだ。邪魔だ。起きろ」



 スキンヘッドの男が、部屋の中央で大の字に寝ている男に蹴りを入れる。


 すると、部屋の隅で胡座をかいていた金髪の男が、すかさず声をあげた。



「おいおい。新人、そいつはそっとしておいてやれ」


「あん? うるせぇな、てめぇは黙ってろウスノロ」


「だはー、ウスノロときたか」



 罵倒を快活に笑い飛ばした金髪の男は、その長い前髪をかきあげながら、もう片方の手で通路側を指差しながら話す。



「そうカリカリすんなって。あまり騒いでっと、さっきの看守が戻って来るぞ?」


「チッ」



 スキンヘッドの男は、忌々しく通路側を睨むと、しきりに指を触りながら黙って部屋の隅へ移動した。



「そうそう、今は・・大人しくしてるのが利口だ。それに、そいつは何しても起きねーよ」


「起きない? 死んでんのか?」


「いやいや、そいつは生きてる。だが、すげーことに何されても起きないんだよ。これが。それに、身体が鉄で出来てんのかと思うくらいに糞頑丈。ま、そのせいで看守達の良いおもちゃさ」



 やれやれといった風に両手を広げて首をすくめた金髪の男が、ペラペラと話を続ける。



「女の上司に尻に敷かれてるのが相当ストレスなんかね。俺なら女の上司は歓迎だが。あ、いや、美人に限るな。不細工はごめんだ。そんな奴にこき使われたらストレスで禿げるぜ。っと、そうなるとあいつらと変わらねぇーな。ハハ」



 一人でそう笑う金髪の男に、スキンヘッドの男が話に付いていけず黙っていると、話を脱線させたことに気付いた金髪の男は、ぽりぽりと照れ隠しに頭をかきながら話を戻した。



「まぁ、そんな感じでそいつは看守によく連れ出される。その度に身体に傷を付けて帰ってくるからな。大方、仕事の憂さ晴らしの的にでもされてんだろうさ」


「看守達に…… だからか。こいつがボロボロなのは」


「サンドバッグ代わりに丁度良いからな〜、どんな傷も、なぜか一日経てばほぼ治ってるしな。どういう加護かは知らんが、あいつらにとっては良い実験体だ。ここじゃ頑丈過ぎる身体は逆に損ってこった。まぁ、尻周りは汚れてねーから、掘られてる訳じゃないのがせめてもの救いだな」



 そう話しながら男は笑う。


 一方で、スキンヘッドの男含め、他にいた周りの男は顔をしかめた。



「あんたは余裕だな。この船の行き着く先は地獄だってのに」


「んー? な〜に、何事もなるようにしかならんさ。それに、俺は豪運だからな。なるようになるとも思っている」


「はっ、豪運持ちがこんなところにいるかよ」


「違いねぇー! バッハハ!」


「ば、馬鹿! うるせぇよ! 大声で笑うな! 看守が来るだろ!!」


「おっと、わりぃわりぃ」



 そうおちゃらけて笑う金髪に、場が少し和む。


 すると、部屋の中央で死んだように眠っていた男の指が、ピクリと動いた。



「ん? 気のせいか? さっき、こいつの手が動いたように見えたんだが……」




◇◇◇




 男達の小煩いやり取りに、眠っていた意識が覚醒し始める。


 どうやら眠ってしまっていたようだ。


 何か、凄く悲しくて、凄く悔しくて、でも、それでいて凄く嬉しかった夢を見ていたような気がしていた。


 大切な事のような気もする。


 だが、思い出せない。


 両手ですくった水が手から溢れていくような、寝起き直後に、夢の内容を思い出せないような、そんな感覚だ。



(何か…… 何か重要な夢だった気がするんだが……)



 寝起き直後のふわふわした気持ちの中、ふと、耳に届く聞き覚えのない声に気付いた。



(……近くに誰かいる? 誰だ?)



 未だ整理のつかない頭のまま、ゆっくりと身体を起こそうと身体に力を入れる。


 すると、全身が筋肉痛のようにズキズキと痛んだ。

 


(痛ってぇ…… なんだこの痛み……)



 痛みに阻止され、起きるのに失敗する。


 仕方ないと寝た状態のまま目を開けると、黒い天井がぼんやりと見えた。



(どこだここ……)



 少しずつ目の焦点が合い、ぼやけた視界がクリアになっていく。


 黒く見えた天井は、赤黒い錆びが所々に発生した黒鉄の天井だった。



(鉄の天井? ここはどこだ? それに、なんでこんなに暗いんだ? 今は夜か?)



 顔を上げようとするも、思うように身体を動かせない。


 油の切れたロボットのように、関節やら筋肉が硬直し、少しでも動かそうものなら、電流が流れるが如く、激痛が身体中を走り回るからだ。



「いっづ…… どうなってんだ……?」



 俺の呟きに、誰かが声をあげて答えた。



「マジかよ。こりゃー驚いた。もう目を覚まさないもんだと思ってたぜ。なんせ、あんなに殴られてもちっとも目を覚まさなかったんだからな」



 その男は、俺の顔の横まで歩いてくると、勢いよくドサッと腰を下ろした。



「兄ちゃん何者だ? どっから来た?」



 白い肌に無理矢理汚れを付けたような不自然に黒く汚れた顔に、無精髭を生やした金髪の男が、やけに綺麗な白い歯をニカッと見せながら、人懐っこい笑みを浮かべてそう話す。


 体格は良く、麻でできた服の袖から覗く二の腕には無数のタトゥーが刻まれているが、人当たりの良さそうな肉体派のイケメンだ。


 年齢は30代くらいだろうか。


 胡座をかきながら、俺の顔を覗き込むようにして返事を待っている。



(誰だこいつ…… いや、そんなことよりここはどこだ?)



 男の質問より、ここがどこなのかが俺には重要だった。


 直前の事を思い出す。



(俺は…… そうだ! 俺は時の狭間でシュビラと会ったんだ! あれは夢じゃない! で、それで…… それで……)



 その後の記憶がなかった。


 だが、ようやく重要なことに思い至る。



(と、時の秘宝!!)



 悲鳴をあげる身体を無理矢理起こし、身体中を必死に探るも、視界に映るのはボロボロになった薄手の服のみ。


 時の秘宝どころか、心繋きずなの宝剣すらなかった。



「おい! 俺の持ち物をどこにやった!?」



 咄嗟に目の前の男の胸ぐらを掴むと、掴まれた金髪の男は、少し驚いた表情をしながらも焦る様子もなく、落ち着いた口調で答えた。



「お〜おいおい、ちょい待て待て。落ち着け。勘違いすんじゃねぇーぞ? 俺は何も取っちゃいねぇ。てか、俺含めてここにいる全員、兄ちゃんと同じ状況だ。ほれ、落ち着いて周りを見てみろ」



 男に促され、周囲を見渡す。


 黒く鈍い光を放つ黒鉄の鉄格子に、囚人のような身なりの男達が数人。


 皆、項垂れているか、冷たい黒鉄の地面の上に寝転がっている。



「なんだ…… ここは……」


「兄ちゃん、何も覚えてねぇーのか?」


「あ、ああ…… 何でここにいるのか覚えてない」


「かーっ! そりゃ災難だな!」



 何が楽しいのか、金髪の男が快活に笑う。



「ここはな、剣闘士の輸送船だ。国の認可を受けた奴隷商のな。ま、剣闘士なんてのは名前だけで、早い話、コロシアムで貴族達の前で殺し合いさせられる奴隷として売られる奴らの集まりだな。バッハハ」



 その言葉に唖然としながらも、目の前の金髪が言った言葉を頭の中で復唱する。



 剣闘士?


 コロシアム?


 輸送船?


 訳が分からない。


 なぜ俺はそんな船に乗せられて、奴隷として売られようとしているのか。



(俺は時の秘宝を使って未来へ来たんじゃなかったのか?)



 考えられることとしては、時の秘宝の効果による副作用だが、どんな経緯で奴隷商になんかに捕まることになったのか。


 未だにぼんやりと影の残る頭では皆目見当もつかなかった。



(そ、そうだ! ステータスはどうなってる!?)



 心配なのは、時の秘宝による副作用だ。


 大宮忠に使われた強制逆行反転レトログレスの効果も気になる。


 俺がステータスと念じると、目の前に半透明のウィンドウが表示された。



<ステータス>

 紋章Lv50

 ライフ 24/50

 攻撃力 7

 防御力 7

 マナ : 0

 加護:マナ喰らいの紋章「心臓」の加護

     炎の翼ウィングス・オブ・フレイム

     火の加護

     火吹きの焼印

 装備:なし

 補正:自身の初期ライフ2倍

    +2/+2の修整

    召喚マナ限界突破15

    火魔法攻撃Lv2

    飛行

    毒耐性Lv5

    疫病耐性Lv5

 称号:次元を渡り歩く者ディメンションズ・ウォーカー




 ウィンドウが表示されたことに一安心するも、その状態はあまり安心できるものではなかった。


 ライフが半分切っていることもそうだが、マナが枯渇し、装備は全てロストしていたのだ。



(カードは!? カードはどうなってる!?)



 カードはこの世界を生き抜くための必需品だ。


 まだ強力なカードを多く所持していたはず。


 それすらもロストしてしまうのであれば、今後の行動に差し支えてしまう。


 そう焦り、咄嗟にカードを取り出そうとして、目の前の男が興味津々にこっちを凝視しているのに気付き、寸前のところで止める。



「あ、ああ。悪い。少し動揺した」


「まぁ動揺して当然だろう。俺のことは気にすんな」



 俺の返事に、金髪の男は興味津々な様子でそう答えるだけだ。



(怪しまれたか? いや、このウィンドウは第三者には見えないはず。問題はない。それよりも今は自分の状態を確認するのが先決……)



 目の前に表示された半透明のメニューウィンドウを目で追いつつ、手持ちのカードリストを表示させる。


 目視でも操作可能なUIであることに感謝しつつ、表示されたカードリストに目を通すと、そこには見慣れたカード名が並んでいた。



(良かった…… 所持カードは無事だ。これなら何とかなる)



 無意識にホッと息を漏らすと、目の前に立っていた金髪の男がニヤリと笑いながら口を開いた。



「今、何を見ていた? それは魔法か? 何かの加護か?」



 一瞬ドキッとするも、このウィンドウが相手に見えないことは以前にも検証してある。


 間違いなくハッタリだろう。


 瞬時にそう結論付け、何とか動揺を顔に出さず答える。



「何のことだ?」


「言いたくないか。いいね、賢明な判断だ。それでいい。一応言っておくが、この房に張り巡らされている黒鉄には、倦怠の印マークトーパーが刻まれてる。普通なら、魔法も加護も使えない。もし仮に何か能力が使えるんなら、看守どもには絶対に知られるな。いいな?」



 倦怠の印マークトーパー


 また知らない単語が出てきた。


 能力を封じる何かだろうか?


 その手の効果をもつカードがMEにあった気がしないでもないが――



(話を合わせるか? いや、無理に話を合わせて、これが相手のカマかけだったら間抜けだな。ここは惚けよう)



 正直に相手の質問に答えて、自分の身を危険に晒すのは愚かな行為だ。


 情報の重要さは、大宮忠との一戦で痛感した。


 相手の素性が分かるまでは、例え相手に怪しまれたとしてもシラを切る方がマシだ。



「何を言っているのか分からないが…… それより、今は何年だ?」



 強引に話を変えると、男は再び快活に笑ってみせた。



「バハッ! 良い回答だ。気に入った」



 そう告げながらウィンクとサムズアップを同時にしてみせた男に少し呆気に取られる。


 驚く俺を余所に、男は目線を左上に上げると、無精髭の生えた顎を触りながら答えた。



「今はそうだな〜。ヴァルト暦384年だったと思うぜ?」


「ヴァルト暦? それは…… 知らないな。フログ暦で頼む」



 フログガーデン大陸での暦は、旧アローガンス王国でもハインリヒ公国でも、フログ暦を採用していた。


 フログ暦で答えなかったということは、この男はフログガーデン大陸の人間ではないということになる。


 逆にフログ暦しか分からない俺も、フログガーデン大陸の人間だと名乗っているのと変わらないが、それはこの際仕方ないだろう。


 時の秘宝を使う上で、ここが何年後の世界なのかは非常に重要な情報だ。


 早く手に入れておきたい。


 俺の質問を受けた男は、再びニヤリと口の端を釣り上げると、「やっぱりな」と呟きながら質問を返した。



「あんたフログガーデンの住人か。ま、あの魔の秘境の住人ってんなら納得だな」


「魔の秘境? いや、それよりも今はフログ暦何年だ?」



 男がフログガーデン大陸を魔の秘境と呼んだことに引っかかりを覚えたが、それよりも今は何年後の世界かを先に知る必要がある。


 俺が飛ばされる前の時代は、フログ暦1245年。


 シュビラの言葉を信じるなら、その十数年後――1255〜1265の間に飛ばされたはず。


 俺が詰め寄ると、男は「まぁまぁ落ち着け」と苦笑いを浮かべながら答えた。



「そうだな…… 1260年くらいじゃないか?」


「1260年か……」



 1260年ということは、丁度15年後の世界に飛ばされたということになる。


 15年の月日を遡るには、2万7000程のマナが必要な計算だ。


 それは以前保有していたマナの約2倍。


 これまで殺してきた者達の更に倍を殲滅しなければ、目標のマナを回収することはできない。



(やるしかないか……)



 決意とともに、瞳に仄暗い闇の炎を宿す。


 そんな俺へ、金髪の男は手を差し出して名を名乗った。



「まっ、誰にも人には言えないような事情はある。なんなら協力するぜ? 俺は、そうだな。キングと呼んでくれ。皆にはそう呼ばれていた」



 キングと名乗った男の手を見つめる。



(手を組めと言うことか? こいつの目的は分からないが、俺はこの世界の情報が欲しい。今は失った時の秘宝を見つけるために、なんでも利用すべきか)



「悪いが知らない相手と安易に手は組めない。だが、俺は今の状況を詳しく把握したい。ここが奴隷商の船というなら尚更だ。その情報の見返りなら考える」


「バッハ! 良いねぇ良いねぇ! そうこなくっちゃな! それで良いぜ! それであんたは何を聞きたいんだ?」


「俺は……」



 キングの視線に鋭さが増す。


 この男は、見た目ヘラヘラしてはいるが、相当頭が回るんだろう。


 それに微かに強者の雰囲気を感じる。


 信用はできないが、得られる情報は多いはず。



「アローガンス王国が滅んでからの、フログガーデン大陸の出来事が知りたい」



 俺の言葉に、キングは再び口の端を片方だけ釣り上げ言った。



「そんなことであれば、お安い御用だ。魔の秘境と化したフログガーデン大陸のことなら俺に任せな。このキング様が全部教えてやらぁ〜!」

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