210 - 「時の狭間」


 流れ星のような白い光が無数に流れていく群青色の空間を、何かに引き寄せられるままに飛んでいく。


 移動している感覚があるのは、周囲の光の軌跡が頭から足へ、皆同じ方向に流れていくからだ。


 見渡す限り同じ景色で、風もないため、実際に進んでいるのか確認する術はない。


 いつぞやの夢のように、空間を漂うだけのマナになった気分に近いとも言える。


 何も出来ぬまま、何時間、あるいは何日そうしていたか。


 音もなく流れ去っていく光の中で、俺はひたすら考え続けた。



 ――どうしてこうなった?


 ――どうすれば良かった?



 何回も自分の誤ちを振り返っては発狂し、自分の愚かさと、大宮忠にしてやられた自分の不甲斐なさを嫌という程痛感しながら反省し続けた。


 出し惜しみせず、最初から全力で挑んでいれば勝てたかもしれない。


 今までも、強敵との戦いでは攻めに転じることで勝利してきた。


 素人が下手に守ってもジリ貧なのは分かっていたはずなのに。


 それなのに、フロンを死なせ、シュビラを失ってからの自分はどうかしていた。


 冷静さを欠き、いつの間にか逃げることしか考えなくなっていた。


 時を戻せるという現実逃避に、目の前のことから逃げようとしたのだ。



 ――最低だ。


 ――間抜けな上に、最低の屑。



 そう、自分の失態を振り返る度に、自己嫌悪に陥っていく。


 そして、一通り落ち込んだ後に来る感情の波は、壮絶な怒りの感情だった。


 シュビラを殺し、俺の仲間に手を出すと笑いながら言い放った大宮忠。


 同じ日本人とは思えぬ非道な言動と、人を小馬鹿にした挑発的な笑い声が、あの一戦を思い出す度に、耳鳴りのように繰り返し聴こえてきた。


 その幻聴に何度も何度も発狂する。


 奇声をあげ、頭を掻き毟り、頬を叩き、胸を殴る。


 それでも内から込み上げてくる怒りはおさまらない。


 何もできない光の空間の中では、内に燃え盛る怒りのはけ口などなく、出口を求めて身体の中で暴れ狂う怒りの感情に、俺の精神は少しずつ歪んでいった。



 悔しい悔しい悔しい――


 死にたい死にたい死にたい――


 死ね死ね死ね――


 殺す殺す殺す――



 何百回、何千回、この思考のループを繰り返したか。


 それ以外に考えることができなくなりつつあったその時、突然、一際大きな薄い桃色の淡い光の球体が俺へと急速に近付き、そのまま身体を包み込んだ。


 温かく、それでいて懐かしいような。


 そう、まるで子供の頃に母親の腕の中で抱きしめられた時のような、荒んだ心を癒し、包まれる感覚に、怒りに支配されていた感情がゆっくりと落ち着きを取り戻していく。



 ――――旦那さま



 すると、聞き覚えのある声が微かに耳に届いた。


 また幻聴かと落ち込むも、その声は俺が再び聞きたいと求めていた声でもあった。



(シュビラ……)



 シュビラを失った記憶が蘇り、再び自己嫌悪から始まる思考の負のスパイラルへと落ちそうになると、再び俺を呼ぶ声が聞こえた。



 ――旦那さま



 確かに聞こえた。


 空耳なんかじゃない。


 その声は、この世界に転移して、初めて召喚したURカードであり、頭の足りない自分のサポートをずっとしてきてくれた、見た目は幼女だけど、とても賢く、参謀役として頼れるゴブリンのシュビラの声にそっくりだった。



「シュビラ!? シュビラなのか!?」



 ――くふふ



 シュビラ特有の笑い声が聞こえてくる。


 そんな気がした。


 いや、確かに聞こえたはずだ。


 それすらも判断できなくなっているのかもしれない。


 でも今だけは、そうであって欲しいと祈りながら、声のした方向へ振り向き、必死にシュビラの姿を探した。


 しかし、目の前に広がるのは真っ白に染まった世界のみ。


 そこにシュビラの姿を見つけることはできなかった。


 でも、近くにいる感覚、失ったはずのシュビラとの繋がりを微かに感じたのも確かだ。


 俺は幻聴でも良いからと、藁にも縋る思いで必死に呼びかけた。



「シュビラ!? そこにいるんだろ!? どこだ!? どこにいる!?」



 ――旦那さま



「ああ! 俺だ! シュビラどこだ!? 幻覚でもいい! いるなら姿を見せてくれ!!」



 すると、光の中に薄っすらと小さい少女が浮かびあがった。


 願望が見せた幻だったのかもしれない。


 だが、両手を広げ、目尻に涙を溜めたその姿は、淡い光を放ち、身体全体が透過してはいるが、紛れもなくシュビラそのものだった。



 ――旦那さま、会いたかったのだ



「俺も会いたかった! なんで勝手に死んだんだ!? 前もって俺に相談してくれていたらっ!」



 この期に及んでシュビラを責めるなんて。


 俺はつくづく最低な人間だ。


 即座に自分の発言を撤回する。



「いや…… シュビラは悪くない。全ては、俺が不甲斐なかったせいだ。ごめん」



 ――旦那さま



 シュビラの細腕に頭を抱きしめられる。


 この空間では匂いを感じたことはなかったのに、シュビラの香りがした気がした。


 そして、耳にはっきりとシュビラの声が届く。



「旦那さま、ごめんなさいの…… ああするしか、他に方法はなかったのだ……」


「他に、方法がなかった……?」


「うむ、旦那さまが全てを知っておったら、旦那さまはあやつに負けてしまうのだ。逃げる選択を取らなかった旦那さまは、あやつに真っ向勝負を挑み、あやつの巧みな魔法に翻弄されて死んでしまう。その未来を変えるには、ああするしか方法がなかったのだ。われは旦那さまが死んでしまう未来だけは許容できぬ。われの勝手を許してほしいの」


「許すも何も…… ちょっと待ってくれ…… 頭がついていかない。俺が…… 負ける? あいつに殺されていた? それに未来を変えるって一体…… 俺は、あいつに負けたからこうなったんだぞ?」


「旦那さまはまだ負けてはおらぬ。あやつとの戦いでの敗北は、即ち "死" なのだ。旦那さまはまだ生きておる。だからまだ負けていないのだ」


「生きているから…… 負けてない? でも、俺はあいつの戦術にハマって……」


「それでも旦那さまは負けていないのだ。少し先の世界へ飛ばされたに過ぎぬ。でもこれで、旦那さまが死んでしまうはずだった未来は回避できたのだ。最悪な未来はもう存在せぬ。旦那さまが生きている限り、負けではないの」


「それじゃあまるで俺が死んだ世界があるみたいに…… いや、まさかあるのか? 俺が死んだ世界が?」


「……あるのだ」



 ここは魔法の存在するファンタジー世界であり、マジックイーターと呼ばれるトレーディングカードゲームに酷似した世界だ。


 タイムパラドックス的な世界線があったとしてもおかしくはない。

 

 おかしくはないが、疑問はある。



「それを、シュビラは知ってるのか?」



 その言葉に、シュビラは苦笑いを浮かべながら、いつも口にしていた言葉で返した。



「われは、旦那さまのことなら何でも知っておる」



 哀愁漂う切ない表情で、涙目になりながらそう告げたシュビラに、胸が締め付けられる。



「なぜ…… なぜ、そんなことをシュビラは知ってるんだ?」


「われが、時を彷徨う者タイム・ワンダーとなったからなのだ」


時を彷徨う者タイム・ワンダー? 俺が紋章Lvを上げた時に手に入れた次元を渡り歩く者ディメンションズ・ウォーカーと似てるけど……」



 シュビラの語った時を彷徨う者タイム・ワンダーとは、その言葉の通り、時を彷徨うことになった者のことだそうだ。


 時の狭間でも死なない力を得るが、俺のもつ次元を渡り歩く者ディメンションズ・ウォーカーと違い、時や次元を渡り歩くことはできない。


 本来、時の狭間とは、生物の存在が許されぬ場所。


 時の概念から外れた異質なその空間では、時による老いが存在しない代わりに、耐性のない者はたちまち肉体が崩壊してしまう。


 そんな場所で耐性だけを得た上で、彷徨うことになればどうなるか。


 答えは容易に想像できた。



「そんな…… それじゃあシュビラはずっとこの空間に……?」


「うむ。われはここで、旦那さまをずっと待っていたのだ」


「ずっと…… こんな何もない世界で?」


「そうだの」



 何でもないことのように微笑みながら話すシュビラに、ぎゅうっと胸が苦しくなる。


 そんな俺に再び抱き着いたシュビラは、俺が混乱しないようにゆっくりと話を続けた。



「ここは時の狭間。旦那さまは、時の秘宝の効果で一時的にここへ飛ばされてきただけ。本来であれば、この狭間へ迷い込むことはないが、旦那さまが行使した力はちと強過ぎたようだの」


「シュビラはどうしてここに?」


「われはネスの時空装置による転移で失敗し、ここに迷い込んだうちの一人・・・・・なのだ」


「時空装置…… そんなものが。ん? うちの一人?」


「くふふ。そうだの。数多に存在する世界線で、ネスの時空装置での転移に失敗して死んだわれは無数におる。その中で、われは奇跡的に時を彷徨う者タイム・ワンダーの加護を得たのだ。そう、無数にある世界線で、この加護を得たのはわれだけ。褒めて良いのだぞ?」



 そう茶目っ気いっぱいに告げるシュビラに、自然と顔も綻ぶ。


 だが、その言葉の意味は重かった。



「無数に…… いや、次元の存在するME世界なら、並行世界やら世界線が無数にあっても驚かないけど…… でも、俺の知らないことでそんなことになっていたシュビラがいたなんて……」



 シュビラが悲しそうに微笑む。



「われのせいで悲しまないでほしいのだ。われはここに囚われの身となったが、そのお陰で旦那さまを救うことができる。これ程の喜びはないの」


「シュビラ……」



 思わずシュビラを抱きしめ返す。


 身体は半透明になってはいるが、シュビラの温かい体温をしっかりと感じることができた。


 俺の行動が嬉しかったのか、シュビラの花のような笑い声が耳をくすぐった。



「くふふ。ここにいるお陰で色んな事を知ることができるのだ。そう悲観するものでもないの」



 シュビラは続ける。



「この時の狭間には、色んなモノが迷い込んでくるのだ。その中に、他の世界線から迷い込んできたわれもいっぱいいた。そして、耐性がない為に死にゆくわれから記憶を受け継ぐことも……」



 話の途中で、シュビラが何かを思い出したように再び「くふふ」と笑う。



「どうした?」


「もう一人のわれから貰った、旦那さまとの思い出を思い出していたのだ。そのわれは、羨ましいことに、旦那さまとともに日本へ行っていたの。耳が見えるとコスプレに思われるからと、旦那さまが選んでくれた可愛い帽子で耳を隠して、色んな場所へ旅行して回ったのだ。そのわれは、われが知っている中で一番の幸せ者だった・・・の」


「日本へ…… そうか…… だからシュビラは」



 謎が解けた。


 シュビラが何故日本のことを知っているのか、何故俺のことをここまで知っているのか。


 だが、そうなるとここにいるシュビラと召喚したシュビラは同じということなのか?


 新たな疑問が浮かぶと、シュビラは俺から離れ、再び悲しそうな顔をした。



「旦那さまに話すことは、まだまだいっぱいあるのだ。ずっと一緒に居たいとも思っておる。でも、もうお別れの時間のようなのだ」



 何となく、そんな予感はしていた。


 シュビラと話す間も、どこからか身体を引っ張る力が、少しずつ大きくなり始めていたからだ。



「この身体を引っ張るような力のせいか……」


「時の秘宝の力だの。目的の未来へと旦那さまを導いてくれる」


「じゃ、じゃあシュビラも一緒に!」



 そう告げて身体を掴む手に力を入れると、ふいに手がシュビラの身体をすり抜けた。



「シュビラ!?」


「ごめんなさいの。われは旦那さまと一緒に行けないのだ。でも悲しまないでほしいの」



 俺から離れていくシュビラが今にも泣きそうな顔で微笑む。



「われには、ここで旦那さまを守る使命があるのだ。それは、他のどのわれにも任せられない。時を彷徨う者タイム・ワンダーとなったわれだけができる使命だの」


「そんな……」



 シュビラと離れたくない一心で手を伸ばすも、シュビラには届かない。


 そんな俺を見て、シュビラはくしゃっと笑い、目尻に溜まった涙を溢れさせた。



「くふふ。旦那さまのその気持ちだけでわれは満足なのだ」



 泣きながら微笑むシュビラは告げる。



「ここにいれば、また旦那さまに会える。われが経験できなかった幸せな経験をしたわれにも会える」



 精一杯の強がりを見せながら。



「だから、私はここにいても平気なのだ」


「そんな! そんなの平気な訳ないだろ!? 本当は悲しいんだろ!? 失敗しても良い! 一緒に俺と帰ろう!?」


「……っ」



 シュビラの口がぎゅっと強く結ばれる。


 泣くのを必死に堪えているのが丸わかりだ。


 やはり、こんな何もない空間に一人で彷徨うのが辛くない訳がない。


 だが、シュビラの意思は固かった。

 


「ごめんなさいの。それでもわれは旦那さまとは一緒に行けないのだ。ここにいるわれの役目は、ここへ迷い込んでしまった旦那さまを導く光となること。旦那さまはきっと元の時代に、元の世界に戻れる。だから、決して諦めないで」


「シュビラ……」


「未来では、旦那さまが残してきた種達が手助けしてくれるのだ。旦那さまが行く未来は、恐らく十数年後の世界。時の狭間でわれが引き留めてしまった分、飛ぶ先の未来も少し変わってしまったようなのだ」


「どうしてそんな事が分かるんだ?」


「くふふ、われは旦那さまのことなら何でも知っておる」



 目の前からシュビラの姿がすぅっと消えていく。


 悔しいが、今は目の前にいるシュビラを助けることはできないらしい。


 ゆっくりと消えていくシュビラへ、今一番知りたかった質問を投げかける。



「また…… 会えるのか?」


「われはいつでも旦那さまの側におる。いつでも旦那さまのことを思っておるの」


「俺が聞きたいのはそう言うことじゃ!」


「勿論、会えるのだ」



 シュビラは再び悲しそうに笑う。



「われではないわれに。われとはここでお別れだの」


「シュビラ……」


「これを渡しておくの」



 シュビラの手から青い光が放たれ、その光は俺の手の中へと移動した。



「これは…… 時の秘宝!?」


「うむ。それはわれの一人が奴から奪ったものの一つ。今の旦那さまには必要なものだからの」


「ありがとう」


「いいのだ。われの存在意義は、旦那さまがいるからこそだからの」



 そう告げたシュビラが、目の前から完全に消える。



 ――われは望んでここに残る


 ――多くの旦那さまを救うために


 ――われの記憶は、再び召喚されたわれに引き継がれる


 ――われがここに存在する限り、旦那さまは最強だの


 ――くふふふ



「必ず、必ずここにいるシュビラも助けにくる! だから、それまで待っててくれ!!」



 最後の言葉がシュビラに届いたのかは分からない。


 だが、必ず時の狭間に囚われたシュビラも救う。


 新たな決意の炎が、大宮に抱く殺意の衝動と混ざり合い、大炎となって俺の心に燃え盛る。



「もう遠慮はしない。手加減もなしだ。俺の邪魔をする者は全て排除する」



 そして、俺は時の秘宝の導きにより、未来の世界の門へと引き込まれていったのだった。

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