201 - 「王の器」
「ふぁ〜」
大きく背伸びしながら、光の差し込む廊下を歩き、応接間へ向かう。
昨日は何事もなく一日を終えることができた。
と言っても、シュビラと別れた直後に寝て起きたら朝だったので、特に何かした訳ではない。
どうやら丸一日寝てたらしいのだが、寝ている間に運ばれたのか、目覚めた時は既に自室のベッドの上だった。
眠りについた時は、確かにアジトの中だった気がするのだが。
思い出せる範囲で、眠りについてから起きるまでにあったことと言えば、なんだか途轍もなく気持ちの良い夢を見た気がする程度のことしかない。
一瞬、サーズでの一件――夢だと思って快楽に身を任せたらオーリアとノクトを手篭めにしてしまった事件――が頭を過ぎって焦ったが、今回はちゃんと夢だったようで安心した。
(それにしても、シュビラどこ行ったんだか)
起きてからすぐに念で呼びかけたが、一向に反応がない。
それは前にも一度あったのであまり心配していないが、今回は少しだけ違和感を感じていたりもする。
(何か引っかかるんだよな…… 意識が飛ぶ直前に、何か気になること言われた気がするんだけど…… 思い出せん…… まぁシュビラなら大丈夫かな。信用しよう。本人もすぐ戻ってくるって言ってたし。今はこのどうしようもないくらいの猛烈な空腹を先に満たすか)
昨日丸一日寝ていたせいで、今は絶好調にお腹が空いている。
むしろ空腹を通り越して若干気分が悪くなってきたくらいだ。
「腹減った……」
空腹を訴えるお腹をさすりながら廊下を歩く。
窓の外は快晴。
窓から差し込む日差しが、舞い上がった埃をキラキラと照らしている光景は、つい先日の大戦が夢だってんじゃないかと思わせてくれる。
(でも現実なんだよなぁ…… 俺は逃げ遅れた人を、あの
寝起きのボーっとする頭で、そんなことを考える。
だが、意外にも罪悪感や後悔の気持ちは全くなかった。
実感が湧いてないだけな気もするし、感覚が麻痺している気もする。
一線を超えた人間は、こうやって慣れていくのかもしれない。
自分のした行為すら他人事に思えてしまうのだ。
昨日の自分はもはや他人。
そんな感覚。
(せめて、助かった人達は手厚く保護しよう)
そこで一旦気持ちの区切りをつける。
すると、下の階から美味しそうな匂いが漂ってきた。
「美味しそうな匂い……」
匂いに釣られて歩みを早める。
ハインリヒ滞在中は、朝食を応接間で取ることになっている。
今の時間であれば、ハインリヒ達が朝食を取っているところだろう。
せっかくの機会なので、同席しようと考えていた。
皆には「可能であれば同席する」と事前に伝えてあるので、料理は多めに用意されているはず。
すると、料理を運んでいるメイドさんが、丁度調理場のある部屋の通路から曲がって出てきたところだった。
焼きたてのパンやら、色取り取りのサラダが並んだワゴンを緊張の面持ちで押しており、こちらに気付く様子はない。
パンの香ばしい香りに食欲が刺激され、腹が獣の唸り声のようにぐうおおおと鳴ると、メイドさんが何事かと振り向き、こちらに気が付いて焦って頭を下げた。
「マ、マサト様! お、おはようございます! 気が付かず大変失礼いたしました! お、応接間にて、ハインリヒ様がお待ちです!」
「あ、おはよう。分かった。食事の用意ありがとね」
「え、えっ!? め、滅相もございません!!」
(凄い挙動不審だけど、新人さんかな?)
「まぁそんな緊張せずに。俺も君と同じ普通の人間だし。気楽にすれば良いよ」
「そ、そんなお言葉…… 勿体無いです! あ、ありがとうございます!」
恐縮しまくるメイドさんに笑いかけ、そのまま応接間へと入ると、食事が並んだテーブルを挟んで、左手側にハインリヒ王、ルミア卿、ルーデント卿、右手側にはトレンとドワンゴが、それぞれ並んで座っていた。
「あれ、思った以上に人がいるな。あ、立たなくていいから座って」
席を立とうとする面々を軽く手を上げて制止させながら入ると、トレンが真っ先に返事をした。
「昨日はちゃんと休めたのか?」
「お陰様でたっぷり休めたよ。ハインリヒ王、ルミア卿、アーネスト卿、おはようございます」
「はっはっは。らしくないな。王都へ単騎で殴り込みをかけてきた荒くれ者とは思えぬ変わりようだ」
「まぁあの時は状況が状況でしたし、敵でないのであればちゃんと対応しますよ」
「敵ではない、か。そうであったな」
ハインリヒ王が軽く目を瞑り、フッと笑う。
それがどういう反応かは読めなかったが、悪い反応ではないだろう。
挨拶する俺の背後に続いて、メイドさんが料理を運んできたので、さっさと席に着く。
一応、この国の王という立場なので、俺は中央の席だ。
焼きたてのパン、サラダ、シチューなど、日本に居た時とあまり遜色のない料理が並べられていく。
「このパンはフランスパンと言って、この国で開発した製法で作られたものです。特製のシチューに付けて食べるのも美味しいですが、一度、このローズヘイム特産の蜂蜜を付けて食べてみてください。忘れられない体験になるはずです」
トレンが料理の説明をしていく。
(なるほど、この朝食の機会も、特産品の売り込み手段として使ってるのか。さすがトレン)
「これが噂に聞く
「そうです。人気が人気を呼んで、今では3g金貨1枚ほどで取り引きされている高級品ですが、一度味わってみれば、その価値が分かるかと」
ハインリヒ王とトレンのやり取りに、アーネスト卿が「3gで金貨1枚!?」と驚く。
ルミア卿も驚きつつも興味津々で蜂蜜を見ている。
「それは楽しみだ」
「じゃ、いただきましょう。ここでは食事前の祈りとかないので、各自自由に食べていいですよ」
皆が王である俺が食べ始めるのを待っていたので、適当に済ませて一人さっさと食べ始める。
もうマナーとか細かいことは気にしない。
気にしても国や地方、信仰で作法が全く異なるということだったので、気にしないことにしたのだ。
この国のルールは王である俺が決める。
自由というルール。
それでいこう。
「フッ、フフフ」
俺の言葉に、ハインリヒ王が笑った。
「あれ、俺なんか可笑しいこと言いました?」
「いや、すまない。マサト王の柔軟さに舌を巻いていただけだ。そうだな、温かい料理を前に、長い祈りは不要だ。余もマサト王に倣うとしよう」
ハインリヒ王が料理に手をつけ始めると、戸惑いながらもルミア卿とアーネスト卿がそれに続いた。
どうやら、公国には朝食の前に、その日一日の恵みを太陽に感謝する長い祈りが習慣として根付いているらしく、祈りでスープが冷めるというのは良くあることらしい。
因みに太陽教の教えだそうだ。
パンとシチューをそれぞれ口にしたハインリヒ王が呻る。
「昨日も感じたが、この国のパンは美味いな。噛めば噛むほど、口の中で旨味が広がっていくようだ。口の中の水分が奪われるだけの公国のパンとは違う。それに、このシチューも格別だ。肉に臭みや筋がなく、とても柔らかい。うむ、美味いな」
ハインリヒ王の賞賛の言葉に気を良くしたトレンが、すかさず説明していく。
「そのパンは
「
「ええ、王族との交易も歓迎するところです」
トレンが自信満々に売り込む。
だが、それを聞いたハインリヒ王は食べるのを止め、真剣な表情で話し始めた。
「その件だが、マサト王、折り入って話がある」
「何でしょう?」
面倒くさいお願い事じゃなければいいなと思いつつ、口の中をリセットしようと水を飲む。
「余をマサト王の家臣に加えてほしい」
「うぶっ!?」
危うく水を吹き出しかけた。
水が気管に入って咽せる。
「ゴホッ、ゴホッ…… い、今、何て?」
「余を家臣として迎い入れてはくれぬか」
聞き間違いかと思ったが、聞き間違いではなかったようだ。
ハインリヒ王の隣に座るルミア卿やアーネスト卿が、若干暗い表情をしているのがやけにリアルで、その言葉が冗談の類ではないと物語っているようだった。
(しかし何で家臣? この人、王の立場だろ? 何かの冗談なのか?)
「今一、状況が掴めないんですが……」
トレンに視線を送ると、トレンもドワンゴも口をあんぐり開けて停止していた。
(トレンも初耳なのか。仕方ない……)
「詳しく話を聞いても?」
「うむ」
先を促すと、ハインリヒ王が事情を話し始めた。
ハインリヒ曰く、公国には大きくハインリヒ派と太陽教のサン教皇派の二大勢力が存在しており、以前まではハインリヒ側が絶対優位の状況にあったとのこと。
だが、シルヴァー討伐の一件で、ハインリヒ王は主力軍全てを失った。
その結末を即座に知り得た教皇派は、これを好機だと考え、民衆を扇動してハインリヒ排斥へと動いたらしい。
謂わば革命だ。
信者達を使って情報を操作し、ハインリヒ王を今回の失態を招いた戦犯として仕立て上げ、次期公王としてハインリヒ王の妾の息子を祭り上げる。
そして、新たに即位した公王を傀儡として裏から操作しようという目論見なのだと。
「え…… でも、シルヴァーの一件は、つい二日前の出来事ですよ? 展開が早過ぎませんか?」
「それはな、教皇派がシルヴァーの一件関係なく、今回の反乱を起こそうと画策していたからだ」
「それは…… 事前に知っていたんですか?」
「知っていた。知っていて、余は全ての軍を北へ動かした。教皇派が事を起こしやすいようにな」
「なるほど……」
ハインリヒ王の計画では、王国側の太陽教の要請を受けるという名目で全軍を北へ移し、教皇派が事を起こしたタイミングで南へ戻り、反乱分子を掃討しようと考えていたようだ。
王国側の太陽教徒であるルーデント卿と内通し、アローガンス側の要所を領地に持つ侯爵達を引き込み、フロンが
例えその後シルヴァーが復活せずとも、それを名目に軍備の大幅増強が出来れば良く、上手く事が運べば被害を最小限に抑えてフログガーデン大陸を統一できると踏んでいたのだ。
現に、王都ガザを占領するまでは順調だった。
計画が狂い始めたのは、ローズヘイムにドラゴン使いが現れてからとのこと。
そのドラゴン使いとは俺のことだが……
「もし、フロンが
「その場合は、戦争になっていただろうな。だが、戦力差は圧倒的だ。魔導兵を保有する公国側が負ける可能性は限りなくゼロに近い」
それはハインリヒ王の言う通りだろう。
魔導兵なんていうチート兵器相手に、生身の兵士が太刀打ちできるとは思えない。
しかも短期決戦を目的とした主力全軍での進軍。
王都の防衛戦力も筒抜けで留守中を狙われるなら、万が一にも勝てる要素はなかったはずだ。
「何となく事情は把握しました。それで、ローズヘイムの家臣になってどうするんですか? その後の公国は?」
仮に「公国を取り戻すのを手伝ってほしい」とお願いされれば断るつもりだったが、その答えは意外なものだった。
「マサト王の作る国に興味が湧いた。余ももう歳だ。先は短い。だが、その先の短い命をそこに賭けてもよいと思えるものを、余はマサト王の統治するこの国に垣間見た。余はその先の世界が見たいのだ」
「左様ですか……」
先の世なんて自分にも見えていないのに、そんな期待されても正直困る。
ハインリヒ王が嘘をついているようにも見えないが……
だが、相手は大国の王だった人物。
油断はできない。
「トレン、どう思う?」
流石に判断しきれないと話を振ってみると、我に帰ったトレンが頭を振り、一瞬考えた後、口を開いた。
「先程の話が事実であれば、ハインリヒ王を家臣に加えたことで、公国と戦争になるリスクが高まる」
「余を迎い入れずとも、教皇派が公国を牛耳ることになれば、必ずこの国とは戦争になろう。それは避けられん。マサト王は太陽教と確執があるとも聞いた。だが、余が家臣に加われば、それを回避できる手段も増える。悪い話ではない筈だ」
公王の身でありながら、自らを家臣にと売り込んでくるこのバイタリティは一体どこからきているのだろうか。
「回避する手段とは?」
「公国の内部情報だ。主力の部隊は全て連れてきたが、南に残った信頼の置ける者達も多い。敵の情報があれば、自軍の被害を最小限に抑え、敵を圧倒することもできよう」
公国との内通者か。
確かに理にかなってはいるように思えるが。
トレンに再び視線を送るも、トレンは目を瞑って何か考え事をしていた。
(トレンでもすぐ判断は付かないか…… まぁ、でも、ハインリヒ王が王の座と実権を太陽教に奪われるというのが本当なら、また戦争になるだろうなぁ……)
ようやく訪れたと思った平穏な日々も、一日悩まずに済んだ程度で通り過ぎる。
でもまぁMEの世界ならそんなもんだろうと思えるようになった自分もいた。
戦争がご所望なら受けて立つぞ? くらいの気持ちだ。
きっと度重なる戦いで自信がついたんだろう。
(人間、経験一つで色々変わるもんだな)
自分の心境の変化に、ついつい笑みが零れる。
「まぁ、うちに来たいなら来てもいいですよ。太陽教が公国を牛耳って、うちの国に喧嘩を吹っかけてくるなら滅ぼすまでです」
「まことか!」
俺の発言に、その場にいた全員が驚く。
「その代わり、魔導兵の作り方を教えてください。うちも戦力を増強したい。これから、どんな敵が来ても対抗できるように」
そう告げると、トレンも笑いながら話しに乗っかってきた。
「マサトがそのつもりなら話は早い。魔導兵については、丁度ハインリヒ王と交渉する予定だったんだ。ドワンゴが同席しているのはその為でもある」
「ドゥワッハッハ! マサト殿は相変わらず豪気だわい! で、ハインリヒ王はどうするんじゃ?」
「フハハハ! その程度であればお安い御用だ。存分に余の知識をお貸ししよう。ルミアも、アーネスト卿もだ。良いな?」
「ハッ!」「仰せのままに」
ハインリヒ王が言葉を促すと、ルミア卿とアーネスト卿も頭を下げて同意の意を示した。
「じゃあ、魔導兵を作る人材やら費用の工面についてはトレンに任せた」
「ああ、分かった」
こうして、ハインリヒ王とルミア卿、そしてアーネスト卿はローズヘイムの一員となった。
その後、トレンから
ハインリヒ達の役職については追々検討。
トレンとハインリヒ達は、早速工房に出掛けた。
俺はというと、去り際にトレンが「フロン様と会う予定」を入れてあると伝えてきたので、そのままフロンへ会いに行くことになった。
拘束した
「さて、行きますか」
寄り道せずに旧領主館へ向かう。
皆が元気な姿が見れると、この国が無事で良かったなぁとしみじみ感じた。
「後は、フロンの身体に植え付けられた
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