200 - 「ハインリヒ三世の散歩」


「陛下、傷は癒えたとはいえ、まだ魔力マナは十分に回復していないはず。病み上がりの身体ですし、なるべくこの屋敷から出るのは控えていただきたいのですが」



 外出の準備を進める公国の王――ハインリヒに、アーネスト卿が困った表情で苦言を呈した。


 その言葉を受けたハインリヒは、口の端を曲げながら「どうということはない」と一蹴し、準備を進める。



「心配はいらん。護衛はちゃんと付ける」


「そういう問題ではありません。事が起きてからでは遅いのです。ここは旧アローガンス領地、公国に恨みを持つ者がいてもおかしくありません。それに、護衛がいたところで役に立つかどうか……」


「マサト王が用意する護衛に不満があるのか?」


「いえ、そういう訳では…… しかし、トレン殿の話では、ここローズヘイムには闇の手エレボスハンドの幹部が潜伏している可能性が高いという話でしたので……」


「フッ、潜伏なら公国も同じだ。卿はいつからそんなに心配性になったのだ。暗殺ギルド如きに恐れを抱いておっては何も成し得ぬ。それに、報復や暗殺に恐れを抱き、行動を制限させることは暗殺ギルドの常套手段。それでは相手の思う壺だ」


「それは、そうですが……」


「心配であれば卿も付いて来るが良い。勿論、ルミアもだ」



 それまで黙って二人の様子を眺めていたルミアが、ハインリヒに話を振られ、軽く姿勢を正す。



「言われなくとも、私はそのつもりでした」


「ほぉ、そうか。ならば良い」



 ハインリヒが感心した様子でいると、ルミアは半目で淡々と返した。



「王は助言程度で予定を変える人ではないですから。それに、闇の手エレボスハンドが相手であれば、屋敷に引き篭もっていても同じでしょう。奴らは城の中まで潜伏してきた手練れ。標的を王に変えたのであれば、どこにいようがリスクは変わりません。それなら護衛を厚くした状態で、応戦しやすい外で狙われた方がまだマシです。マサト王が血眼で探してる闇の手エレボスハンドもおびき出せますし、一石二鳥かと」


「ルミア卿! 貴方は陛下を囮にする気か!」



 ルミアの発言に、アーネスト卿が声を荒げるも、ハインリヒは声をあげて笑った。



「フハハハ! 余を餌に闇の手エレボスハンドを誘き出すと申すか!」



 ハインリヒの視線を直に浴びつつも、ルミアが当然だという表情で応じる。



「ええ、王は釣り餌には十分かと。恐らく、それでも闇の手エレボスハンドは食い付いてこないと思いますが」


「で、あろうな。余も同じ考えだ。闇の手エレボスハンドの狙いは、マサト王との全面戦争ではないように思えるからな」



 含み顔でそう話すハインリヒに、アーネスト卿が溜息とともに頭を振りつつ答えた。



闇の手エレボスハンドの狙いは、あくまでもローズヘイムと公国との全面戦争ですか」


「そう考えるのが妥当だろう。その思惑は最初こそ失敗に終わったが、結果的に思惑通りに運ぶ可能性が高い」


「教皇派ですね」


「そうだ」


「陛下の力で抑えることはできませんか?」


「主力の軍隊を失った余に、倅を担ぎ上げる教皇派は抑えられんだろうな。帰国しても、待っているのは冷たい監獄だろう。幽閉された上で、暗殺される可能性も高い」



 ハインリヒの言葉に、アーネスト卿が黙る。


 アーネスト卿も、同じ結論に行き着いていたからだ。


 王都ガザを壊滅させるほどの怪物を、太陽教が長年封印していたことが広まれば、太陽教への求心力は高まる。


 例え討伐したのがマサトであっても、情報操作で太陽教の手柄とされることは目に見えていた。



「……と、迎えが来たようだ」



 ハインリヒが部屋のドアの方へ振り向くも、そこには誰もいない。



「まだ来ていないようですが?」



 アーネスト卿が首を傾げるも、ルミアが影を睨みながら、剣帯につるしてあった剣の柄に手をかけた。



「いや、そこにいる! 姿を見せろ!」



 場に緊張が走る。


 すると、影の中から、薄桜色の瞳をした銀髪のダークエルフと、人族の男がゆっくりと姿を現した。



「い、いつの間に!?」



 突然の訪問者に驚いたアーネスト卿が後退り、ルミアは戦闘態勢に入る。


 だが、ハインリヒは不敵に笑っていた。


 その三人の様子をダークエルフの訪問者が一瞥すると、意外にも少し感心した様子で口を開いた。



「私の気配に気付けるなら、大方問題はないだろう」



 ダークエルフの言葉に、ハインリヒが答える。



「余を試したな?」


「護衛する者の力量を知ることも、護衛する上では重要だからな。試させてもらった」


「フハハ、確かにそうだな。ルミア、アーネスト卿、この者達がマサト王が寄越した護衛だ。元闇の手エレボスハンドのな」


「「闇の手エレボスハンド!?」」



 ハインリヒの説明に、動揺から復帰したアーネスト卿が再び驚きの声を上げ、同様に驚いたルミアの声と重なる。



「陛下! なぜそのような者を護衛になど!」


「王! それは本当に信用できるんですか!?」



 アーネスト卿とルミアが抗議の声をあげると、それを不快に思ったダークエルフのレイアが、大した興味もなさそうに呟いた。



「嫌なら構わない。私は私の用事があるからな。ここで失礼する」



 そう告げて踵を返そうとしたレイアを、ハインリヒが「待て」と引き止める。



「二人の非は詫びよう。この二人は、貴女がマサト王が王となる前からの伴侶だとは知らないのだ。許してやってほしい」


「は、はん、伴侶!?」



 突然のマサトの伴侶呼ばわりに、レイアが目を丸くしながら頬を赤くする。


 レイアと一緒に現れた男――カジートも、ハインリヒの「レイアがマサト王の伴侶」という言葉に驚き、レイアの背後で一人勝手にショックを受けていたが、その反応に気が付いた者はいなかった。


 少しの間の後、我に返ったレイアがハインリヒに答えた。



「私はマサトの伴侶では…… ない。だが、ここへ来る前から、マサトとは二人で旅をしていた。それは事実だ。過去に闇の手エレボスハンド、ローズヘイム支部の簒奪者タロンに所属していたことも事実。だが、今は違う」



 レイアは続ける。



「この背後にいる男も元闇の手エレボスハンドだが、元々私の部下に近い存在だった。信用はできる。それに、こいつは希少な対抗魔法カウンタースペル使いだ。役に立つ」


古代魔法ロストマジック使いか。それは頼もしいな」



 ハインリヒが関心した様子でカジートへと目を向けると、カジートはゴホゴホと咳き込みながら顔を伏せた。


 どうやら褒められ慣れていないらしい。



「私は大抵の隠匿魔法を看破できる。対闇の手エレボスハンドの護衛としてはこれ以上ない待遇だと思うが?」


「最もな意見だな。どうだ? ルミア、アーネスト卿。異論はあるか?」


「いえ……」


「マサト王のご推薦とあれば……」


「うむ、では行くとしよう」



 ハインリヒがドアへと歩き出す。



「広場には救助された民が集まっていると聞いた。咄嗟の出来事で混乱もあるだろう。余が直接説明しに行く」



 こうしてレイアとカジートを護衛に加えたハインリヒ一行は、救助された人達の待つ広場へと赴くのだった。




◇◇◇




「これが竜信教ドラストか……」



 広場の光景を見たハインリヒが、一人小さく呟いた。


 広場には、今も一人、また一人と怪我人が運び込まれてきており、その一人一人に癒し手ヒーラーが見て回り、適切な処置を施していっている。


 そして、竜信教ドラストの信者と思わしき人達が運ぶ木箱には、ハインリヒがマサトから渡された希少な薬――上級回復薬ハイポーションがびっしりと詰められており、症状の重い者へ惜しげも無く使用されていた。


 中には、後から高額な請求をされるのを怖がり、上級回復薬ハイポーションの使用を拒む者もいたが、そういう者達には「マサト様の施しです。お代は取りません」と信者達が優しく説明して回っていた。



「こうも違うのか。太陽教とは正反対の存在だな…… この違いは、国に対する民の信頼に大きく影響するであろうな」


「ここまで民を無償で助けることにも勿論驚きはありますが、あの大量にある回復薬ポーションは、本当にあの上級回復薬ハイポーションなのですか? 何かの間違いでは……」



 驚きに目を見開きながら話すハインリヒに、冷や汗をかきはじめたアーネスト卿が、目の前の出来事を否定したい一心で聞き直す。



「確かに目を疑う光景だな。だが、今、目の前に見えているこの光景が真実だ」


「そう、ですか……」



 すると、それまで言葉を失っていたルミアが、突然眉間に皺を寄せて話し始めた。



「やはり、太陽教は力尽くでも解体するべきだったんです。ローズヘイムから太陽教を追い出したマサト王は正しかった」


「確かに、太陽教を排斥したマサト王の決断は評価できよう。だが、それはあの者達がいたからできたことでもある。上級回復薬ハイポーションの開発もそうだ。太陽教の代わりになる者達や物がない状態では、太陽教を排斥するのは現実的ではないな。民に深く根付いている信仰であれば尚のことだ」


「代わりがいないのではなく、代わりができないよう独占しているだけでは?」


「その事実もある。だが、全ての太陽教徒が悪いわけでもないのも事実。太陽教徒の中にも善意のある者は多い。その者達の下では、太陽教徒の信仰とともに次期世代が着実に育っているのまた事実。一概に全てを否定することはできんだろう」



 ハインリヒの言葉を受けて、ルミアが唇を強く噛み締める。



「全てを正すことはできんが、新たなものを築くことはできよう。このローズヘイムのようにな」



 そう告げるハインリヒに、ルミアが違和感を感じて聞き直す。



「何か…… 新たに始めるつもりですか?」



 すると、ハインリヒは何を思ったのか突然笑い始めた。



「フハハ、余は決めたぞ! 余はここでマサト王とともに新たな国を築く! マサト王が先日語った理想郷とやらを余も見たくなった!」


「「なっ!?」」



 ハインリヒの爆弾発言に、ルミアとアーネスト卿が今日二度目となる奇声を発した。



「王! なぜそうなるんですか!?」


「へ、陛下! 国はどうするおつもりですか!?」



 焦る二人の事など気にした様子もなく、ハインリヒは目の前の光景に目を輝かせながら告げる。



「余の座を教皇派と倅が奪うのであれば、それも良い。くれてやろう。所詮は拾った命だ。マサト王がいなければ、余はガザで戦死していた。マサト王に救われた先の短い老いたこの身でも、この国の礎を更に強固にすることは可能であろう。まだこの国には足りない部分も多い。家臣も圧倒的に不足している。ならば余が一肌脱ごうではないか!」

 


 そう熱く語り始めたハインリヒの顔は、公国を魔導大国へと発展させた若き天才児だった時の面影が復活していた。


 そのやる気に満ちた表情を見たルミアとアーネスト卿は、二人で顔を見合わせ、溜息とともに脱力した後、昔の王が戻ってきた気がして、少し嬉しくなり、やれやれと微笑んだのだった。

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