186 - 「シルヴァー戦6―生き残り」



 ……。


 …………ジ。


 ………………ガレッジ!!



「っは!? お、親方!?」



 目の前に、頭から血を流した親方の顔があった。


 ここは死後の世界だろうか?


 俺の顔を見た親方は、ホッとしたような笑みを浮かべている。



「ガレッジ、目を覚ましたか。もう駄目かと思ったぞ」


「親方…… お、俺は……」


「ん? 混乱してるのか? まぁあの衝撃だ。記憶が飛んでてもおかしかねぇか。お前はあの怪物の攻撃を受けて気絶してたんだ。あれで大勢やられちまったが…… ガレッジ、お前は生きてた。お互い、悪運は強ぇらしいな」


「気絶……? み、皆は…… い、ぃづっ!?」



 身体を起こそうとして、突然襲ってきた激痛に顔をしかめる。


 あるべき感覚がない。


 嫌な予感に、血の気がサーッと引いていく。



「ま、まさか……」



 俺は痛みの元へ恐る恐る視線を向ける。



「あ…… ああ……」



 見たくない現実を直視し、無意識に声が漏れ出た。


 通りで痛い訳だ。


 左足がなくなっていたのだから。



「無理に動かすな。重傷だが、応急処置は済ませておいた。命までは失わねぇはずだ。だが、早く癒し手ヒーラーの治療は必要だな。今は回復薬も何もねぇ。急いでここから撤退するぞ」


「撤退……?」



 半ば放心状態の回らない頭で考える。


 撤退って事は、負けた?


 周囲を見渡してみれば、第一城壁は完全に崩壊していた。


 堅牢だった岩の壁は無情にも崩れさり、既に城壁としての機能を失っていた。


 今は、運良く生き残った魔導兵達が、城壁だったものの上に立ち、懸命に空を飛ぶ怪物と戦っているだけだ。


 周囲に、それを整備する仲間達の姿は見えない。



「まだ息のあるものは先に向かった。後はお前だけだぞ」



 どうやら、歩ける者は既に第二城壁へと向かったらしい。


 身動きの取れない負傷者は、大半があの怪物に殺されてしまったと親方は言った。


 俺と親方は運良く瓦礫の下敷きになっていたため、怪物に狙われずに助かったとか。


 怪物達は何処かに去ったのだろうか?


 視線を親方の先にある空へと向ける。



「……夜?」



 この絶望を運んできた空は、いつの間にか黒く染まっていた。



「親方、俺はどのくらい気を失ってたんだ?」


「バァーロォー、よく見ろ。空が暗いのは、陽が落ちたからじゃねぇ」



 もうこれ以上の絶望は懲り懲りだ。


 そう思いつつも、俺は黒く染まった空を見上げた。



「なんだ…… あれ…… 何かが、無数に蠢いてる……?」



 視線の先で何かが蠢いている。


 無意識に目を凝らして見ると、そこには空一面を埋め尽くす、得体の知れない化け物の群れが溢れかえっていた。



「っ!?」



 あまりの光景に言葉がすぐに出てこない。


 空っからに乾いた口を閉じ、ない唾を飲み込む。



「な、なんだよあれ……」



 皮膚のない、黒く染まった剥き出しの筋肉。


 姿はガーゴイルにも似てるが、角も、目もなく、全体的に細身で小悪魔インプのようにも見えた。



「悪魔…… 怪物の次は、悪魔かよ……」



 そう呟いた俺に、親方はハッと短く笑うと、「まぁそういう顔になるわな」と空を見上げながら落ち着いた様子で話し始めた。



「異形の見た目は悪魔そのものだ。だがな、そう悲観するもんでもねぇぞ?」


「それは、どういう……?」


「なに、よぉく見てみろ」



 目を凝らす。


 すると、あり得ない光景が目に飛び込んできた。



「あ、悪魔が怪物と戦ってる!?」


「ああ、そうだ。驚きだろ?」



 親方がニヤリと笑う。


 悪魔達の動きはとても俊敏で、長い手足を使って紫銀色の怪物に取り付くと、鋭い無数の牙で怪物の喉元へと噛み付いていた。


 黒い悪魔と紫銀色の怪物が取っ組み合いながら空から落ちてくる。


 その光景は、空全体で起きているようだった。



「い、一体何が起きてるんですか? あの悪魔は何? 一体どこから!?」


「さぁな。俺にもさっぱりだ。だが、何となく、あれは隣国の王の仕業じゃねぇかと思ってんだがな」


「隣国の、王……? ローズヘイムの、英雄王?」


「そうだ。その証拠にな、ほれ。悪魔どもが飛び交う空を、ドラゴン達が怪物だけを狙って攻撃してるだろ? あのドラゴンは見間違いもしねぇ、ついこの間、マサト王が連れてきたドラゴンだ」


「ドラゴン……」



 黒く染まった空を、灰色のドラゴンが火を吹きながら飛んでいる。


 間違いない。


 あれは英雄王が連れてきたドラゴンのうちの一匹だ。



「じゃ、じゃあ…… あ、あの英雄王が援軍に!?」



 英雄王マサト――ローズヘイムの新たな王にして、数万もの土蛙人ゲノーモス・トードの大軍から一人でローズヘイムを救ったとされる伝説の大魔導師アークメイジ


 つい最近、魔導兵が配備された城壁をいとも簡単に素通りし、王都ガザに単騎で乗り込んで来た彼が城を破壊して帰ったことは記憶に新しく、その武勇伝は末端の兵士だけでなく、王都の住民達にも広まっている。


 あのハインリヒ王が、公国と並ぶ軍事力を保有していると公言した程だ。


 その英雄が援軍として来てくれたという事実に、俺は胸がいっぱいになった。



「どうだ? 少しは生きる希望が湧いたか?」



 親方が揶揄うような笑みを浮かべて告げる。


 俺は込み上げる涙を必死に堪えながら、頭を上下に振って肯定すると、親方は俺の頭を乱暴に撫でてきた。



「まだ泣くのは早ぇぞ? あのマサト王とハインリヒ王の二人が居れば、あの異常な怪物相手でもまだ勝機はある。だからな、俺達の戦いは終わっちゃいねぇ」


「ああ、分かった!」


「そうか分かったか。じゃあここは魔導兵に任せてとっとと撤退するぞ」


「え…… て、撤退!? 何で!? お、王を残して撤退なんて!!」


「なんだ? じゃあお前一人で残るのか? その身体で何ができんだ?」


「うっ…… お、俺一人じゃ何もできないけど、だからって王を見捨てて撤退なんて……」


「バァーロォー、何もできねぇ奴が何人残っても結果は同じだ。何もできねぇ。だがな、持ち場はここだけじゃねぇんだ。よく考えろ。魔導兵を整備できんのは俺達だけだ。その俺達がここで死んだら、次の前線へ送り込む魔導兵を誰が整備するんだ? ここで無駄死にして、次の戦いも負け戦にするつもりか?」


「それは…… そうだけど…… でも、王が…… い、いや、親方の言う通りだ…… ごめん」


「謝る必要はねぇぞ。ガレッジ。お前の考えも間違っちゃいねぇ。王を敵地のど真ん中で奮闘してるっつのに、それを見捨てて真っ先に撤退なんてする奴は打ち首もいいところだからな!」



 そう言ってガハハと笑う親方。


 その時、親方の背後に、紫銀色の怪物が迫って来るのが見えた。



「親方! 危ないっ!!」



 親方を助けようと咄嗟に身体を動かそうとするも、上手く力が入らず、代わりに襲ってきた激痛によって身体が硬直してしまう。



「お、親方!」



 親方が振り返り、慌てたように仰け反った。


 その親方目掛け、紫銀色の怪物が凶悪な牙を剥き出しにして接近し――



 その刹那、大きな黒い影が突風とともに頭上を通り過ぎた。



「「なっ!?」」



 突然の事に、二人して唖然となる。


 影の通り過ぎた後に、間近に迫っていた紫銀色の怪物の姿はなかった。



「あ、危ねぇ。た、助かった。いや、助けられたのか?」


「あれは…… あれも英雄王のドラゴンだ!!」



 顔のない異形のドラゴンが、口から丸呑みしたであろう紫銀色の怪物の尻尾を覗かせている。


 その異形のドラゴンは、新たに現れた他の怪物に取り付かれながらも、まるで意に介した様子もなく、悠々と空を旋回していた。



「ガレッジ! 今のうちに行くぞ! その足じゃ辛ぇかもしれんが、ここに居ても死を待つだけだ。死ぬ気で踏ん張れ! 片足でな!」


「はは……」



 親方の冗談は相変わらず酷い。


 だが、この状況でもガハハと笑いながら、絶望した部下を奮い立たせようとしてくれる親方は、心から尊敬できる。



(今はここから生き延びることだけを考えよう)



 親方に担がれながら、周囲を見渡す。


 建物は崩壊し、至る所で火の手が上がっている。


 空には黒い悪魔と紫紺色の怪物が飛び交い、王都ガザの中心部では、アインズ部隊と魔導鎧で完全武装した王が、未だに圧倒的な存在感を放ち続ける巨大な銀色の怪物と激戦を繰り広げていた。


 その死地へ颯爽と飛んでいく英雄王の姿を見つけ、感動で視界が霞む。



「え、英雄王…… どうか、どうか負けないで……」



 彼がなぜ英雄王と呼ばれているのか、俺はその時、心の底から理解することができた。



「この都を救えるのは、きっとあなたしかいない……!」

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