169 - 「ライフ5点を失う」

 公国へ殴り込みを行ったその日の夜。


 俺はベッドで胸を突き刺す激しい痛みに踏ん反り返っていた。



「ぐっ、い、いてぇ……」



 胸からは血にも似た真紅の粒子が溢れ、窓枠へと漂い、夜空へと消えていく。


 息も出来ない程の激痛。


 まるでナイフで心臓を突き刺されているかのような痛みに、脳裏に自分の死に様がちらついて見えた。


 そうやって痛みに耐え、もがき苦しむこと数分。


 一生にも感じた時間を経て、ようやく痛みが引き始める。


 そして、さっきまで死ぬほど痛かったのが嘘だったかのように、綺麗に痛みが消えた。



「はぁ…… はぁ…… な、何だったんだ今のは……」



 ヴァゾルに受けた壊血呪いは、帰還後にシュビラに解いてもらっていた。


 なので、別の理由だ。



「まさか……」



 すかさずステータスを開く。



<ステータス>

 紋章Lv30

 ライフ 41/46

 攻撃力 99

 防御力 5

 マナ : (赤×5602)(緑×129)(黒×47)

 加護:マナ喰らいの紋章「心臓」の加護

     炎の翼ウィングス・オブ・フレイム

     火の加護

     火吹きの焼印

 装備:心繋きずなの宝剣 +99/+0

     火走りの靴

     火投げの手袋

 補正:自身の初期ライフ2倍

    +2/+2の修整

    召喚マナ限界突破12

    火魔法攻撃Lv2

    飛行

    毒耐性Lv5

    疫病耐性Lv5



 ライフが5点減っていた。



「ライフ5点…… やっぱり……」



 考えられる可能性は一つ。


 肉裂きファージが持つペナルティ能力「毎ターン:ライフ5点を失う」だ。


 ライフは寝れば1回復するし、毎日上級回復薬ハイポーションをがぶ飲みすればライフ5点くらいは耐えられるが、毎日この痛みに耐えないといけないとなると話は別だ。


 ライフがゼロになる前に、激痛による苦しみで気が狂ってしまう。


 それに、肉裂きファージは稚児を産み落として回っていた。


 もしそれが全て成体になったりでもすれば――



「お、おい…… 俺簡単に即死じゃん……」



 不味い。


 かなり不味い。


 今まで気にしていなかった自分を殴りたくなるくらいに、このリスクについて不用意過ぎた。


 俺は居ても立ってもいられなくなり、念で肉裂きファージを呼び寄せる。


 暫くして、月明かりが降り注ぐ中庭に、黒い悪魔がバゥッサバゥッサと羽ばたきながら舞い降りた。



「ファージ、今すぐここに稚児を集めろ」


「グゥウウウ」



 ファージが拒否するかのように低く唸る。


 始末されることを察したのだろう。


 まさか拒否されると思わなかったので驚いたが、こればかりは譲れない。



「駄目だ。今すぐ集めてこい。お前の子供が全て成体になったら、俺が保たない」


「グゥウウウ」


「拒否するのか?」



 宝剣を取り出し、怒気を強める。


 光の刀身によって白く照らされた肉裂きファージは、恐怖の対象そのものだ。


 だが、ファージ相手に恐怖心は抱かなかった。


 感じたのは、ファージから流れてくる恐怖心だけだ。



「子を失うのが怖いのか?」


「クゥオオ……」



 困った。


 子は殺さないでくれと懇願されても、生かしておけば俺が死ねる。


 見逃すという選択肢は端から取れないのだ。



「悪いが……」


「グゥウウウ」


「……何?」



 ファージが何か訴えているが、今一感情が読み取れない。


 殺すと決めてから、心が離れたせいか?


 すると、背後から聞き覚えのある声が響いた。



「大丈夫、だよ? 赤ちゃんは、大丈夫。もんしょうの、けいやく?が、ないからって」


「クズノハ?」



 声をかけてきたのは、黄金色の狐耳が愛らしいクズノハだった。



「ファージの言ってることが分かるのか?」


「うん、わかるよ。兄ちゃん」


「そっか…… 凄いな」



 近くまで手探りでゆっくりと歩いてきたクズノハの頭を、わしゃわしゃと撫でてやる。


 クズノハが嬉しそうに目を瞑ると、話を続けた。



「赤ちゃんは、兄ちゃんの光、食べないって。そのかわり、赤ちゃんは、ごはんいっぱい食べないと、すぐ死んじゃうって。そう、言ってるよ?」


「俺の光って、あの赤いライフの事か…… それに紋章の契約って、召喚者との繋がりのことだよな…… 召喚獣の子供は別ってことか? そんな例外本当にあるのか?」


「兄ちゃん?」


「ああ、大丈夫。分かったよ。子供は見逃す。だが肉裂きファージ、お前は……」


「クワァアア!」


「自分はどうなっても良い、って。ありがとう、って」


「はぁ…… んなこと言われたら殺し難くなるじゃねーか……」


「兄ちゃん?」


「大丈夫、大丈夫。クズノハは心配しなくて良いから。ふぅ、分かったよ。取り敢えず、蛙人フロッガー殲滅までお前の処分も保留にしといてやる。それまで毎日あの激痛に耐えなきゃいけないのは、正直相当辛いんだが、まぁ上級回復薬ハイポーションで何とか凌ぐか。良かったな、肉裂きファージ」


「キシャァアアア!」


「ふふ、うれしいって」


「おうよ。その代わり、蛙人フロッガー殲滅に参加して来い。分かったな?」


「キシャァアアア!」



 そう叫ぶと、勢い良く空へ飛び上がる肉裂きファージ。


 向かう先は、蛙人フロッガー殲滅へと戦力を集結させている大陸北端の禿山地帯だろう。


 しかしながら、これから暫くあの痛みに襲われるとなると、やはり溜息が出る。



「兄ちゃん? どこか、痛い?」


「大丈夫。心配してくれてありがとな」


「うん」


「それより、こんな夜遅くに出歩いてどうしたんだ?」


「兄ちゃんの、つよい光が見えたから」


「それで追ってきたのか?」


「うん」


「そか。俺が何処かに封印されたとしても、クズノハが居れば安心だな」


「ふういん? 兄ちゃん、いなくなっちゃうの?」



 クズノハの顔に不安の色が浮かぶ。



「いやいや、クズノハを置いて居なくならないよ。例えばの話だから。俺が迷子になっても、クズノハがいれば見つけてくれるから安心だなってこと」


「うん、クズ、兄ちゃん見つける! まかせて!」


「はは、頼もしいな。じゃあ、頼んだ。さ、早くベッドに戻ろう」


「うん!」



 クズノハの手を握り、部屋へと戻る。


 クズノハは別の部屋なのだが、今日は特別に許してやろう。


 自分のベッドにクズノハを寝かし付け、自分は窓から外を眺める。



「はぁ…… 今日も色々あった……」



 公国がローズヘイムへ攻めてくる心配は解消した。


 交易が再開されれば、食糧問題は解決する。


 これは素直に喜んでいいだろう。


 かなり強引だったが、上手く落とし所が見つかって良かった。


 だが、潜伏している闇の手エレボスハンドがまたいつ仕掛けてくるかは分からない。


 召喚した禿山のゴブリンが繁殖し、警備へ回せるくらいに増えるまでは数日かかる。


 それまでは何も起きないと良いが……


 再びベッドへ戻り、クズノハの寝顔を眺める。



「子を持つ親って、こういう感覚なんだろうか……」



 頭を撫でてやると、クズノハが少し微笑んだ気がした。


 この子にだけは辛い思いをさせたくない。


 そう心の底から思える。


 子を思う親の気持ち。


 肉裂きファージも同じ気持ちだったのかと思うと、心がチクリと少しだけ痛んだのだった。

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