170 - 「モヤモヤした気持ち」
翌日。
雲一つない晴れ晴れとした東の空を、無数の鳥達が飛び交っている。
公国から送られてきた
ハインリヒが交易再開を民に周知したのだろう。
それまで制限されていた情報交流が解禁され、利に聡い商人達が、ローズヘイムの情報を得ようと、手持ちの
ということは、商人達のキャラバンが雪崩れ込んで来るのは、早くて今日の夜あたりになるだろうか。
これで少しは活気付けばいいが。
「ん? 心なしか、町の方が騒がしいような…… お祭りでもやってるのかな?」
もしかしたら、交易再開を祝して、住民達がお祭り騒ぎしているのかもしれない。
そう思い至ると、自分の行動が評価されたみたいで少し嬉しくなった。
まだそうと決まった訳ではないが、こういう余韻に浸ってもバチは当たらないだろう。
軽く背伸びしながら、深呼吸すると、何処からか食べのものの匂いが漂ってきた。
「ふわぁ〜。腹減ったな。なんか食べるものあればいいけど」
その食欲のそそる匂いに誘われて、別館の大食堂へとふらっと足を運ぶ。
クズノハはというと、早朝に一人で起きて、そのまま日課となったスッチーこと
クズノハはほとんど眼が見えないため、最近ではスッチーの上に乗りながら移動することが多いようだ。
側から見ると、子供がおもちゃの車に乗って移動しているみたいでとてもほっこりする。
クズノハも少しずつ外の世界に慣れるよう頑張っているのだと思うと、自分も頑張ろうという気持ちになる。
クズノハを心配する気持ちも強いが、過保護になり過ぎてもクズノハの為にならない。
見守ってあげるのも保護者の務めだろう。
まぁ、そんなことを言いつつ、クズノハには4体のゴブリンを護衛に付けている訳だが。
そんな事を考えつつ、食堂の扉を開くと、一瞬、入る場所を間違えたと錯覚する光景が目の前に広がっていた。
「なんであんた達がここに居るの……」
「シュホホホホ。予想以上に早い再会でしたねぇ。ここへは、シュビラ様にご招待いただきました」
「招待?」
「おや? まだ聞いていないのですか? コロナ族とエンベロープ族は、王であるあなたの命を狙う不届き者――
「
「ヌフゥ、どうやら納得されたようですねぇ。本来なら、このような依頼は受けないのですが、今回は我らの王の危機ですからねぇ。しっかりと働いていきますよ。シュホホホホ」
ニドが口に手を当てて高笑いしている。
この男であれば、そんな依頼出したところで「暗殺されるような者だったのであれば、元々王としての器ではなかったのでしょう」とか言って協力しないイメージだったのだが、何か裏があるのだろうか……?
食堂には、コロナ族と思わしき屈強な男達の他に、仮面を背負っている半裸の集団が半々で席を占拠している。
中には女性の姿もあるが、食堂が変な熱気に包まれている。
すると、金髪の美人が突然席を立ち、颯爽と歩いて来た。
コツコツと靴と床がぶつかる音が軽快に響き、美人の青い瞳と視線が重なる。
「マサト、暫く協力してやる。その代わり――」
自己紹介もなく唐突に要求を告げようとしている色白の美人は、エンベロープ族の族長であるヨヨアだ。
一度しか会ったことはないが、戦場に立った戦女神のような彼女の姿は、今でも鮮明に印象に残っている。
劣勢な状況でも敵を討とうとする鬼神のような姿も。
ヨヨアは一度言葉を止めると、少しだけ頬を赤らめながら告げた。
「ローズヘイム産の
「……え? 蜂蜜? そ、それは別に構わないけど」
「本当か!?」
ヨヨアの表情がパァッと華やぐ。
だが、すぐ様いつもの顰めっ面に戻ると、上目遣い気味に「言質はとった。撤回は許されない。しかと聞いたからな」と言って去っていった。
そのヨヨアの後を、ぞろぞろと仮面を被りなおした集団が続く。
「あの時とイメージが違う……」
「シュホホホホ。ヨヨアは根っからの甘党のようですねぇ」
「そうみたいだね…… って、それより、サーズを留守にして大丈夫なのか?」
「問題ありませんよ。今や私に刃向かう愚か者は一人としていませんからねぇ。シュホホホホ」
「そ、そう…… 深くは聞かないことにする」
「興味がないのですか? それは残念ですねぇ。ですが、あなたが公国で成し得てきた事に比べたら些細なことなのは間違いないですねぇ」
「あー、もう聞いてたのか」
「勿論です。今や町中その話で持ちきりですよ。皆があなたの功績を賞賛し、あなたの怒りを受けた公国を知り、今まで公国に対し溜め込んでいた溜飲を下げています。素晴らしい功績です。ここまで計算されての行動だったのですかねぇ?」
「いや…… 偶々です。本当」
「シュホホホホ。偶々で、無駄な血を流さず公国との国交を回復させ、更には自国の民の溜飲まで下げるなど、本当にできるものですかねぇ?」
「まぁ、うん、運が良かった」
「シュホホホホ。あなたは本当に見ていて飽きませんねぇ」
嘘をつく余地もなく、全て真実。
俺としてはガザを火の海に変える覚悟で乗り込んだので、あの結果は本当に偶然だったのだ。
すると、ニドが俺の背後の何か気付き、突然話を切り上げ始めた。
「それでは、私も挨拶が済んだところですので、狩りの続きへと出掛けるとしますかねぇ。ああ、今度、私の知らないあなたの武勇伝を聞かせてくださいねぇ」
シュホホホホと高笑いしながら立ち去るニド。
コロナ族もニドの後に続き、次々に退出していく。
コロナ族の後ろ姿を見送ると、食堂の出入り口に、銀髪のダークエルフ――レイアが立っているのが見えた。
「お、レイア。昨日の夜はどこ行ってたんだ? 探したんだ…… けど…… ん?」
レイアの背後に居る、目の下に隈のある男と目が合う。
レイアの背後に隠れてはいたが、猫背らしく、身長はレイアより少し高い。
少し癖のある
顔立ちは良く、苦労顔ではあるが、控え目に言ってもイケメンだった。
「誰?」
「
「
その言葉に、自然と眼つきが鋭くなってしまう。
「信用できるのか?」
「できる。元々、こいつは貴族の坊ちゃんだった。その時に
まだ半信半疑な俺に対し、レイアは話を続ける。
「
レイアの肩入れ具合が強すぎて、間者云々より、レイアとの過去の方が正直気になってしまう。
レイアの元カレか何かだろうか……?
だとしたら嫌過ぎるが、そんな事が気になる自分も女々しくて嫌だ。
女性の過去を気にするなんて、男として小さ過ぎるだろう。
幸い、口には出してない。
顔には出てしまっているかもしれないが、それは
思っていないと思いたい。
「そうだな……」
取り急ぎ、悩んでいる風の相槌を打つ。
そんな事を言い始めたらキリがない。
ここはレイアを信用して、懐の大きい男をアピールしておくのが吉か。
勿論、暫く監視をつける必要はあると思うが。
「分かった。レイアが保証するなら、俺も駄目とは言わない。だけど、彼が信用に足りる人物か分かるまで、暫く監視は付けさせてほしい」
「それは構わない。元からそのつもりだ」
表情を緩ませたレイアが頷く。
「その…… カジート? が、
「話していない。ここでマサトに相談したのが最初だ」
「じゃあ、
「いない。少なくとも、
「なら、彼の素性はそのまま明かさない方がいいな。今回の件で、
「それは理解している。暫くは監視も含め、私の助手として扱き使う予定だ」
レイアの助手……
いや、いかんいかん。
別の意味で疑ってどうする。
レイアを信用しよう、レイアを。
でも、暫くご無沙汰だったからまさか……
もしや昨日の夜……
いやいやいや、いらん事考えるな。
そんな浮気みたいなことしないだろ。
でもでも、ダークエルフって性欲旺盛だし……
がぁー!
女々しい!
駄目だ!
一度考えると思考が引っ張られる!
別の話題!
早く別の話題に移ろう!
突然頭を振り、悩み始めた俺に訝し始めたレイアへ、心の動揺を悟られぬよう、平然を装って質問を投げる。
「あー、っと、か、彼の、加護とか、特技はあるの?」
少しどもった。
だが、レイアは気にしていないようだ。
「ある。カジートは、希少な
「……
また偉く懐かしい呪文が出てきた。
MEでの代表的な打ち消し系呪文だ。
どんな強力な呪文も、打ち消し不可能属性がないなら、差し込み一発で打ち消してしまうチート呪文。
MEでは、打ち消し呪文を打ち消し呪文で打ち消そうとした打ち消し呪文を打ち消し呪文で打ち消すなんて光景もザラだと聞く。
その呪文が使えるなら凄い才能だろう。
「それは、強力だな」
「やはり、
「ああ、知ってる。俺でも知ってる有名な呪文だ」
「そうか!」
俺にカジートの事が褒められて嬉しかったのか、レイアが自分のことのように喜んだ。
(なんだこのモヤモヤした感情は……)
一瞬、胸が締め付けられ、鼻の奥がツンとしたが、我慢する。
「それで、レイア」
「なんだ?」
「今日の夜の予定は?」
「夜……?」
俺の泳ぐ視線をじっと見つめたレイアが、何かを察したように片方の口角を上げると、「ああ、そういうことか」と呟き、頷いた。
「予定は空けておく。深夜に寝室へ忍び込めばいいか?」
揶揄うような視線に胸がドキッと跳ねる。
「い、いや、普通にノックして入ってきて。突然背後に現れたり、枕元に立ったりするの禁止で」
「フッ、冗談だ。そう言えば、レティセがサーズでのオーリアの一件で、マサトがどう責任を取るのか聞いてくれと言っていたが…… どういうことか、その時にしっかりと説明してもらうからな」
「サーズでの…… 一件?」
レイアの視線がたちまち鋭いものに変わる。
「あ、じ、じゃあ、その件も夜に話す」
「……分かった。逃げるなよ」
「は、はい」
その後、カジートとも少し話し、二人と別れた。
レイアからは、カジートの持病を治すため、試供品の
しかし、サーズでの一件って、もしかしなくともあの件だよな……
すっかり忘れていたというか、記憶から抹消していた。
責任ってどういうことだ……
も、もしや慰謝料?
そんな文化がこの世界にあるのか?
いや、まさかないだろ?
くっ、一人で悩んでも分からん!
「取り敢えず、トレンに相談しよう……」
あまりの動揺に、空腹のことを忘れた俺は、誰もいなくなった食堂を出て、トレンが仕事をしているであろう書斎へふらふらと向かったのだった。
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