167 - 「ルーデント卿」


 三対の炎の翼を生やしたローズヘイムの新たな王――マサト王が、羽ばたきもせず、ふわふわと空中に浮かんでいる。


 右手には光の剣、身体には白い靄を纏い、その周囲は陽炎で歪んで見えていた。


 身に纏っている白い靄には実体があり、自在に操れるようだ。


 触手のように素早く動いた靄が、たちまち矢を放った者達を拘束してみせたのには驚いた。


 一体何の加護なのか想像すらできない。


 私の混乱など関係なく、周囲の状況は激流の如く流れていく。


 私の命令に背き矢を放った者は、見た目こそ衛兵の格好をしていたが、マサト王に脅され、闇の手エレボスハンドだと自白した。


 それも、四人。


 それが本当であれば、公国は闇の手エレボスハンドを衛兵として紛れ込ませていたことになる。


 アローガンス王国時代には見なかった衛兵達だ。


 考えられる可能性は二つ。


 公国側の誰かが闇の手エレボスハンドと手を組んでいるか、第三者の企みか、そのどちらかだろう。


 白い靄に拘束され、空中に持ち上げられた女が、涙を流しながら必死に訴えている。



「わ、私ら簒奪者タロンはそれ以上のことは知らない! 公国から依頼があったと聞かされ、仕事をしたまでよ! だ、だからその怪物に喰わせるのだけは止めて! そんな最期、い、嫌よ! 嫌!!」


「……だ、そうだが。公国の王よ、弁明はあるか?」



 膝をついて苦しそうに顔を歪めていた陛下が、マサト王から新たに伸びた白い靄に拘束され、宙へ持ち上げられる。



「へ、陛下!」


「動くな。動けば黒とみなす」


「ぐ……」



 肝心の魔導兵は動かない。


 あれは陛下が直に操作するタイプの人型魔導兵だ。


 陛下しか扱えない代物ではあるが、その性能は、屈強な戦士を凌ぐと聞く。


 一方で、操縦者が満足に魔力マナを錬成できない状態だと、ただの人形と化してしまうらしいが――



(まさか…… 陛下が負傷を!?)



 先程のドラゴンの大咆哮バインドボイスは、意識を刈り取られてもおかしくないほどの凄まじい威力だった。


 例え魔導鎧を装着していた陛下でも、あれを間近に浴びて無事でいられたとは考えにくい。



(このままでは……)



 シルヴァーの復活が近い今、陛下を失う訳にはいかない。


 シルヴァーに対抗できる力を保有しているのは、魔導を極めた陛下――そして、魔導兵を量産できる公国だけなのだ。



(だが、この状況、どう打開すれば……)



 そう考えを巡らせているうちに、陛下がマサト王へと口を開いた。



「余は知らん…… 何度も言わせるな……」


「じゃあ何故ここに闇の手エレボスハンドがいる。衛兵の格好をして、こんな城の中枢まで。それも四人。四人とも衛兵の格好だぞ? 予め側近として身を守らせていたとかじゃない限り不可能だろ。それとも何だ? 城壁に配備された魔導兵が対応できない速度でここまで辿り着いた俺を追い掛けて、更には衛兵になりすましてここまで来たと?」



 陛下は答えない。


 もし陛下が白であっても、身の潔白を証明するのは難しいだろう。


 私ですら、この状況では、公国の誰かが闇の手エレボスハンドと組んでいたと考える。


 陛下でないなら、相応の権力を持つ者――ステン卿、イロン卿、ルミア卿あたりになるが……


 ルミア卿は先程の咆哮に耐えられなかったのか気を失っている。


 あの曲がったことが嫌いなルミア卿が、今回の手引きをしたというのは、些か想像がつかない。


 すると、陛下が再び口を開いた。



闇の手エレボスハンドを側近として起用するなど、正気の沙汰とは思えん。余には魔導兵という至高の兵士が作れるのだぞ? なぜ信用のならぬ暗殺ギルドなどと手を組まなければならんのだ。ましては余の近くに置くなど…… 余には、予めここに貴君が来ることを知っていた者が手配したとしか考えられぬがな……」


「何……」



 マサト王の表情が変わる。


 その可能性を考えていなかったのか、はたまた思い当たる節があるのか。


 どちらにせよ、新たにローズヘイムの王となったこの男は、ただの破壊者とは違うようだ。


 この状況において、尚も真実を追求している。


 問答無用で王都を火の海に変えられる力を持ちながら。



(まだ…… まだ望みはある……)



 マサト王は、シルヴァーの存在を知っていた。


 フロン女王陛下から話を聞いているのだろう。


 ならば、理を説けば、この状況を打開できる可能性はある。


 賭けてみるだけの価値はあるだろう。


 元々、私はシルヴァーからこの大陸を守る為に、アローガンスを公国へ売った身だ。


 今更この身が惜しいとは思わぬ。



「ローズヘイムの王よ! どうか私の話を聞いてほしい!」



 マサト王の視線が動く。


 反応はない。


 だが、止められはしなかった。


 マサト王の神々しい姿が、熱心な太陽教徒である私に、真実を話せと、促している気さえする。


 それが例え錯覚だったとしても、全てを話そう。


 私の目的と、犯した罪を。


 全てを話した上で、マサト王にも協力を仰ぐ。


 そう、自然と思い至った。



「私はこの地に封印されたシルヴァーに対抗するため、王国を裏切った! それは王国がシルヴァーに対抗できる力を保有していなかったからだ! だが、公国は違う! 魔導兵がある! 魔導兵ならば、シルヴァーに対抗できる!」



 マサト王の反応はない。


 ただ、私の言葉に耳を傾けている。



「シルヴァーの封印は、直に破られてしまう! 数日の猶予もないかもしれないのだ! 私は封印の加護を持つ太陽教徒の末裔、だから分かる! 今、貴国と戦争している場合ではない! 故に、公国が貴国との戦争の火種を撒くような愚策はしない! 信じてほしい!!」



 少しの間、沈黙が場を支配する。


 そして、マサト王がゆっくりと口を開いた。



「それがもし真実だったとしても、この程度の武力で、シルヴァーは止められない。あれは、そんな生易しい存在じゃない」


「魔導兵でも不可能だと仰るのか!?」



 私の質問に、首を振りながらマサト王が続ける。



「奴らは日に数千もの子を産む。生まれた子が全て、あらゆる環境にも適応する能力を持つだけでなく、その適応した能力を、近くの個体と共有し合う。これがどういうことか分かるか?」


「す、数千も…… 能力の共有を…… し、しかし……」


「一体が進化すれば、新たに得た能力をたちまち共有し合い、全体が進化する生命体だぞ? その影響は、もちろん生まれたての子にも適用される。稚児などという優しい期間はない。生まれてすぐ最前線で戦う戦士と同等の力を保有することになる。そんな存在が、既に封印された空間で子を産み続けているとすればどうだ? 魔導兵は、日に数千も量産できるのか? 仮に量産できたとして、最前線で戦う兵の知識を…… そうだな…… 常にどこかの記憶媒体へ蓄積し、そうやって蓄積した情報全てをそれぞれの個体へ共有、即座に更新できる仕組みがあるのか?」


「そ、それは……」



 言葉を失う。


 マサト王の話す内容が事実であれば、どう対処すれば良いというのか。


 すると、陛下が「フッ」と笑い、告げた。



「少しは魔導の知恵があるようだ。それには素直に感心した。だが、余の魔導兵ならば、一機でそのシルヴァーとやらを数百は狩れるだろう。問題はない」


「自惚れだな。俺の侵入すら許した人形に、シルヴァー数百分の戦力があるとは思えない」


「随分とシルヴァーという古の魔物を過大評価しているようだが、貴君ならその力があると申すのか」


「俺か…… どうだろうな。俺や真紅の亜竜ガルドラゴンでも、手に負える存在じゃないだろうな」



 視線を落としてそう話すマサト王に、謙遜の色は見られない。


 恐らく、本当にそう考えているのだろう。


 厳重に配備された対空用魔導兵の迎撃を一切受けることなく、いとも簡単にガザに侵入してみせた男でも、手に負える存在ではないと。


 目の前には、巨大な真紅のドラゴンと、顔のない獰猛な黒いドラゴンが、その男の指示に従い、じっと待機し、空には灰色のドラゴンが、地上を監視するかのように絶えず旋回している。


 どれも人の力を超越した存在だ。


 それを操る三対の炎の翼を生やした男もまた、同じく超越した存在。


 その男の言葉は、魔導兵という人智を超えた兵器への期待を打ち砕くのに、十分過ぎる衝撃を私に与えたのだった。

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