160 - 「実力差」

 目の前に立っている、少女の口が裂けた。


 見てはいけないモノを見てしまったという衝撃が、ゾゾゾと肌を粟立たせながら一瞬で背中を駆け上る。



(こっわ! なんだよあれ!? こっわ!!)



 お化け屋敷で突然驚かされた時のように、突発的な過度の緊張で、ほんの僅か一瞬だけ、全身の筋肉が硬直。


 刹那、皮を突き破るような鈍い音が身体を伝い、同時に背中を棒で突かれたような衝撃が走った。



「ぐぅっ!?」



 その衝撃で前のめりにツンのめり、肺が圧迫されて口から空気が漏れる。


 何が起きたのか、あるいは何をされたのか全く分からない。


 それでもこのままでは不味いと、咄嗟の判断で何とかその場から飛び退くことには成功した。


 地面を転がり、地に手をつきながら急いで振り返る。


 すると、先程まで立っていた場所に、長身の男が剣を突き出した状態で立っているのが見えた。


 その男が感心した様子で話す。



「これは驚きました…… 私の突きで貫けなかった人族は貴方が初めてです。マジックイーターというのは、鋼鉄の加護でも持っているのでしょうか」



 ――マジックイーター?


 ――こいつはなぜそれを知ってる?



 背中がズキンと痛む。


 つい、その痛みを表情に出してしまうと、男は俺の顔を見てから小さく頷いた。



「さすがにダメージはあるようですね。安心しました。倒せない相手ではない」



 突然の出来事に停止してしまっていた思考が、目の前にシステムメッセージが表示されたことでゆっくりと戻っていく。



『壊血呪いLv1が付与されました』



 理解できることとしては、背中を剣で突き刺さされ、変な呪いをかけられたということと、それが俺を殺そうとした一撃だったということ。


 背中にズキンズキンと響く鈍い痛みが、何よりの証明だ。


 冗談やドッキリなんかではなく、明らかに俺を殺しにきた刺客――暗殺者だ。



「痛ぇな…… 挨拶もなしにいきなり背中刺してくんなよ…… 何だ? 公国が送ってきた刺客か?」


「ククク」


「ご想像にお任せします」



 少女がケタケタと不気味に笑い、男が淡々と答える。



(くそ…… 余裕だな……)



 先程から、ニドと対峙した時のような強烈な威圧プレッシャーに、肌がピリピリとざわついている。


 間違いなく、この二人は強い。


 油断はできないし、気持ちで負けることも許されない。


 また強敵とのバトルかよと内心辟易するが、文句を垂れるのは、目の前の刺客を片付けてからだ。



「俺に楯突いたこと、後悔するなよ」



 こういう時の強がりは、相手に対してではなく、自分への発破なのだと、相手に告げながら思う。


 だが、それでも全力でやらなければ、相手に飲まれて死ぬ。



(気持ちで負けるな…… 殺られる前に…… れ!)



 敵の威圧プレッシャーを弾くため、俺はありったけの殺気を込めて相手を睨み返す。


 一陣の風が、自分を中心に渦を巻くように発生し、長身の男へと流れる。



「これはこれは。殺気は一流ですね。その殺意が、実力の伴っていないただのハッタリだと、私としては助かるところですが……」



 そう言いつつも、男は隙のない様子で剣を構え直した。



「手加減はしませんよ。先程の一撃で、あなたが全力を出すべき相手であるとお見受けしましたから」



 すると、それまで不気味に笑うだけだった少女が言葉を発した。



「ククク…… 少し遊んであげたいところだが、時間もないことだし、早く片付けるとしよう」



 長身の男の身体が少し沈み、口の裂けた少女がゆっくりとした動作で動き出そうとする。


 その刹那――


 白い剣線が長身の男を真っ二つにするように斜めに走った。


 剣線の後に現れる光り輝く甲冑姿の戦士。


 先程まで姿を消していた護衛――礼拝堂の守護霊ガーディアン・オブ・チャペルだ。



「よし!」



 思わず感嘆の声が漏れる。


 だが、真っ二つにしたかと思われたそれは、長身の男が身に付けていた漆黒のローブだった。



「ちっ、躱されたか。やったと思ったんだけどな」



 礼拝堂の守護霊ガーディアン・オブ・チャペルから少し離れた位置に、見るからに貴族の佇まいの男が、何もなかった場所からすうっと現れた。


 ヨーロッパの貴族が着ていたようなジュストコールの上衣に、キュロット――半ズボン、それとウエストコート――袖なしの胴衣を着用している。


 髪は白菫色すろすみれいろ


 肌は青白い。


 顔立ちが良く、紳士然とした立ち振る舞いが様になっている。


 だが、その瞳は、黒い結膜に血のように紅い瞳孔をしていた。



「光の戦士ですか? 大層な護衛を付けていますね」



 礼拝堂の守護霊ガーディアン・オブ・チャペルの奇襲に顔色一つ変えず、男が告げる。



「あんた達みたいのが襲ってくる世界だからな。護衛くらい付けるさ」



 そうは言ったものの、長身の男の初撃は、礼拝堂の守護霊ガーディアン・オブ・チャペルも反応できていなかった。


 あの男は、護衛に付けていた礼拝堂の守護霊ガーディアン・オブ・チャペルにすら勘付かれず、俺へ剣を突き刺して見せたのだ。


 いくら礼拝堂の守護霊ガーディアン・オブ・チャペルが [物理攻撃無効] の能力をもっていたとしても、攻撃が当たらなければ戦力にならない。


 そう考えると、先程まで頼もしく見えていた礼拝堂の守護霊ガーディアン・オブ・チャペルの背中が、少し心許無く見えてしまう。



(仕方ない…… 火の武装で対抗するか。森に火が燃え移らなきゃいいけど)



 敵が礼拝堂の守護霊ガーディアン・オブ・チャペルに気を取られている隙に、心繋きずなの宝剣を取り出し、光の刀身を出現させつつ、炎の翼ウィングス・オブ・フレイムを展開する。


 背中に炎を展開していれば、先程のように不用意に背後を取られることもなくなるだろう。


 男の大きく開かれた瞳――その黒い結膜に、白と赤の光が反射して見える。


 男は素直に驚いたといった感じで、また淡々とお喋りを始めた。



「これは…… 規格外ですね。光の剣に、炎の翼。それに光の戦士を護衛に付けて…… 私も長いこと生きてきましたが、貴方のような方は初めてです。もしや、貴方は人族ではなく、天使族か何かなのでは?」


「天使? 最近よく言われるな。だが、もしそうならどうする」


「もし貴方が天使族なら、そうですね。そこにいる彼女が喜ぶと思います」



 そう、話を振られた少女に視線を向ける――


 男が話している間も、一瞬たりとも目を離さないでいたはずなのに、少女がいた場所には、ぼんやりとした黒い影しかなかった。



(なっ!? どこ行った!?)



 視界のすぐ下に、黒い影が写る。


 そこには、高速で地面すれすれを移動――四つん這いで這ってくる化け物の姿が!



「くっ!?」



 突然の危機に、集中力が一気に高まる。


 白い手足で地面をかき、グルンと首を上に跳ね上げたその顔は、無の空間を想像させる漆黒の瞳に、ガサガサの白い肌、そして――


 血のように赤い大口には、無数に蠢く黒い歯が生えていた。



「き、きも!? く、来んなっ…… がっ!?」



 咄嗟に宝剣で斬り伏せようとした瞬間――


 左胸に剣を突き立ている男と目が合った。



「マジかよっ!?」


「遅いですよ。貴方の攻撃と防御の力には感心しますが、素早さについてはまだまだのようですね」



 そう喋る男越しに、礼拝堂の守護霊ガーディアン・オブ・チャペルが振り向き、こちらへ駆け付けようと移動し始めたのが見える。



(この男、いくらなんでも速過ぎるだろ!?)



 つい数秒前まで、この男は礼拝堂の守護霊ガーディアン・オブ・チャペルと対峙していたはず。


 それが、礼拝堂の守護霊ガーディアン・オブ・チャペルを躱しつつ、一瞬で距離を詰めてきたどころか、警戒していたはずの俺の左胸を綺麗に突いてきた。


 どれだけの実力差があるというのか。


 これでは、一方的に蹂躙されるだけだ。



(まずい…… これはまずい……!!)



 男の背後からも、口が大きく裂けた、身の毛もよだつほどに奇怪な怪物が迫る。



(くっ…… 怖ぇっ!!)



 体勢を崩されつつも、左手で左胸に突き刺さった剣の刀身を握り、そのまま右翼の出力をあげ、迫る怪物諸共、強引に宝剣で薙ぎ払いにかかる。



「うぉおおおおっ!!」



 右背中から噴出させた炎が、ゴオオオと音を上げ、直後、ブゥォオンッという音とともに光の剣線を走らせる。


 そのまま勢いのついた俺は、ねずみ花火のように回転して周囲を焼き払った。



「……躱されたか」



 目の前から消えた二つの影。


 当たりさえしなかったが、敵を一時的に退かせることには成功したようだ。


 周囲を確認すると、男と少女が再び距離を取るように前方へ位置取ったのが見えた。



「貴方は本当に硬い。先程の一撃は、不意打ちではなかったにせよ、私の渾身の一撃でした。それでも貫けないとは。大したものです」


「お陰でくっそ痛かったよ…… っつか、さっきよりも一回り大きくなってねぇか? それにその翼、まるで吸血鬼ヴァンパイアだな」



 比較的スリムだった男の身体は、今では筋骨隆々になり、洋服が所々破けて逞しい筋肉が覗いていた。


 そして、その背中には黒い翼が生えている。



吸血鬼ヴァンパイアに似ているとよく言われますが、違います。ですが、ここへ来る前に食事を済ませておいて正解でした。獲物が貴方程の実力者であるなら、素面では苦戦していたでしょうから」


「……食事? 血を吸ったのか?」


「随分と古い表現を使いますね。血は吸いますが、正確には命を吸い、力の糧にするのです。当然、命を吸われた者は死に絶えますが、私の中で新しい力となって生き続けます。それが私の力――適性の一つですよ」


「まさか…… 強化能力パンプアップ……?」



 ――強化能力パンプアップ


 MEでのモンスター能力の一つで、マナや対象物などを犠牲にすることによって自身を強化する能力を指す。


 強化されたモンスターは、攻撃力や防御力が上がるが、効果には時間制限のあるものが多い。


 奴が吸血鬼ヴァンパイアであるなら、その能力は、対象を殺して血を吸うことでの強化能力パンプアップ


 強化上限と時間制限はあるが、攻撃力と防御力を+1/+1した上で、別の特殊能力を解放する強化能力パンプアップのはず。


 だが、気になったのはそこではなかった。



「何人…… 何人殺した……」


「行きがけに捕まえた者を3人ほど」


「それは、ローズヘイムの民…… か?」


「ええ、街で捕まえた者で済ませましたから、ローズヘイムの住人でしょう」


「そうか……」


「どうしました? 死んだ者が気になりますか?」


「…………」



 皆の顔が浮かび、無事でいてくれと心の中で願う。



「クククッ、他人の心配とはまだ余裕があるようだ。ヴァゾル、お喋りはその辺にしておけ」


「おっと失礼。好敵手との連戦で、どうやら私も少し興奮していたようです」



 二人の雰囲気がまた少し変わる。


 炎を身に纏っているのにも関わらず、二人から流れてくる空気は肌を刺すように冷たい。



(考えろ…… スピードで勝てない相手への対処法を……)



 礼拝堂の守護霊ガーディアン・オブ・チャペルではスピードで勝てない。


 目の前の強敵相手では、戦力にすらならない。


 それならどうする?


 今まではどうしてきた?


 黒崖クロガケの時は――


 ニドの時は――



(……つか、全力で空に逃げればそれで終わりじゃね?)



 よくよく考えてみれば、MEでの戦闘の基本は、召喚モンスターでの殴り合いだ。


 プレイヤー自ら殴りに出向くタイプのデッキは、トリッキースタイルであり、地雷デッキ――相手に動きを読ませずに勝ちを拾うことを狙ったデッキ、または流行りやメタゲームから外れた少数派のデッキ――と呼ばれている。


 常に自分が戦う必要などない。


 まともにやり合わずとも、敵の射程圏外へ離脱して、安全な場所からモンスターを使役して攻撃させればいい。


 売られた喧嘩から逃げるようで癪だが、礼拝堂の守護霊ガーディアン・オブ・チャペルが役に立たない程の強敵二人を一度に相手にするのは流石にキツイ。


 吸血鬼ヴァンパイアの方は翼が生えているので空まで追ってくるかもしれないが、一人相手ならまだ何とかなるかもしれない。


 そうと分かれば、早くここから離脱を――



「あん、ちゃん……?」


「……えっ? クズノハ? な、何でここに?」



 聞き覚えのある声のした方向へ視線を向けると、そこにはマーチェと手を繋いだクズノハが、木の麓から顔を覗かせていた。



「くっ! マーチェッ! 今すぐクズノハ連れて、ここから逃げろぉおお!!」


「は、はぃいいい!!」



 顔を真っ青にしたマーチェが、クズノハを抱き抱えて走り出す。


 その様子を、口裂け少女はケタケタと笑って見つめていた。

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