159 - 「忍び寄る漆黒」


 鉛色の空の下、拳を強く握りしめて、不機嫌を隠そうとせずに大股で闊歩する褐色のエルフ――レイア。


 彼女はマサトにサーズで何があったのか問い詰めるべく、北門へと急いでいた。



「ちっ……」



 自然と舌打ちが溢れる。


 レイアはとても不機嫌だった。


 理由はいくつかある。


 マサトが相談もなしにフロンとの婚約を決めたことに始まり――


 サーズへ同行できなかったこと。


 フロンのお守りをさせられたこと。


 帰還したマサトが連絡すら寄越さなかったこと。


 それらの不満が、レティセに挑発されたことで噴火したとも言える。


 レイアの権力者嫌いは、彼女の生い立ちを考えれば仕方のないことだとも言えるが、その鬱憤をマサト本人へ向けようとしている自分も、結局はマサトへ甘えたいだけなのだと、レイアは理解していた。


 それが更に自分をイラつかせる原因となっていたりもする。


 兎にも角にも、マサトには一言言ってやらなければ気が済まない心境だった。


 そう考える度に、舌打ちが漏れる。



「ちっ…… なんで私はこんなにイラついているんだ!」



 そう呟くレイアの視界に、一瞬、異質な人影が写り込んだ。


 常人であれば気に留めないほどの一瞬。


 だが、その僅かな一瞬にレイアが気付くと、その影は路地へと引っ込んだ。


 嫌な予感が脳裏をよぎる。



「あれは……」



 一気に加速し、路地へと消えた影を追う。


 いくつかの路地を曲がると、漆黒のローブを身に纏った者が、まるで来るのを待ち構えていたかのように、路地を進んで来たレイアを向いて立っていた。



「お前は…… カジートか?」



 カジートと呼ばれた者が、ゴホッゴホッと咳込みながら答える。



「そうだ。久しぶりだな」



 だが、レイアは挨拶に応じず、男を睨み返した。



「何故ここにいる」


「仕事。それと、受けた恩を返しに来た」


「……恩?」



 レイアに聞き返されたカジートは、視線を左下に少し下げると、そのまま話を続ける。



「ゴホッゴホッ…… 俺が勝手に恩を感じてただけだ。だから、今も勝手に返す」



 カジートが闇の手エレボスハンドに入団して間もない頃、その指導に手を貸したのがレイアだった。


 レイア自身、カジートの “闇の手エレボスハンドを返り討ちにして勧誘を受けた者” という境遇に、何らかしらの共感を覚えたのだろう。


 そして、それはカジートにとっても同じだった。


 自分の命を狙った暗殺ギルドに入るという決断には、相応の苦悩が伴ったはず。


 だが、それは体験した者にしか分からない。


 例え傷の舐め合いが目的ではないとしても、同じ境遇の者が近くにいるというだけで、カジートにとっては有り難かった。


 レイアが闇の手エレボスハンドを離れた後も、レイアはネスの里で採取した希少素材をカジートに融通したり、何かとカジートの世話を焼いた。


 カジートとしては、姉のように世話を焼きたがるレイアに、むず痒い気持ちになることもあったが、嫌な感情は一切なかった。


 良好な関係だった。


 カジートは、そう、思っていた。



「カジート、お前は何を言ってる!? なぜここへ姿を現した!?」



 レイアが剣の柄に手を掛けながら叫ぶ。



「そこまで警戒しなくとも…… いや、警戒して当たり前か……」



 そう、こぼすカジート。


 軽く溜息を吐くと、ここへ来た理由を話し始める。



「依頼を受けた。依頼主は、ハインリヒ三世。正真正銘、公国の王、当人。依頼内容は、ローズヘイム国王の暗殺」


「なにっ!?」



 驚き、目を見開くレイアへ、カジートがゆっくりと視線を戻す。



「公国が闇の手エレボスハンドに支払った金額は、前払いで白金貨1000枚――10億G。成功報酬はその10倍だ。ドラゴンの一件で公国側も内心は焦っているんだろう。早速手を打って来たと言う訳だ」


「前払いで10億G!? そんな大金…… くっ…… その依頼は、お前達が受けたのか!?」


「依頼を受けたのは俺達じゃない。ガザ支部の連中だ。だが、今回は依頼額が大きい。ここまでの額を提示してきた相手は、過去に存在しない。闇の手エレボスハンドとしても、この額を断っては面子にかかわるからな。当然、本部も動く。俺達は、その先駆けに過ぎない」


「本部も…… そ、それで、オーチェは!? 従ったのか!?」


「まさか。オーチェは特殊だ。あれは別の目的で動いている」


「別……? 何が目的だ!?」


「優秀な人材の現場復帰。その復帰を阻む原因の排除」


「何…… まさか」



 一瞬、何を言われたのか理解できず、怪訝な顔をしたレイアだったが、すぐにオーチェの目的が何か察しがつき、口元を震わせた。



「馬鹿な! 私との契約はどうした!!」


「今回は競合相手の依頼額に負けたな。二倍のルール、忘れた訳じゃないだろ?」


「くっ…… カジート! まさかお前の目的は……!」


「悪いな。俺も仕事なんだ。情報共有で恩は返したが、仕事はさせてもらう。俺の仕事は、あんた――レイアの足止めだ」


「ちぃっ!!」



 素早く退避行動を取ろうとしたレイアだったが、周囲を一瞥して踏み止まった。



「踏み止まったのは、正しい判断だ。小規模だが、ここには俺の結界が張ってある。触れれば怪我じゃ済まない。俺を倒さなきゃ簡単には出られないだろうな」



 カジートが気怠そうに笑う。


 レイアは、そんなカジートを睨み付ける。


 だが、急に目を閉じると、フッと鼻で笑った。



「嫌々か。悪い癖が出てるぞ、カジート」


「生憎、闇の手エレボスハンドの仕事で心躍ったことなんて一度もない。全て嫌々やってんだよ。それしか、俺にはこの世を生きる術がないからな」



 そう答えるカジートの瞳に、陰が落ちる。


 だが、レイアは笑みを強くするだけだった。



「そうか。なら丁度良い。お前を勧誘してやる。闇の手エレボスハンドを抜けて、私の下で働け」



 その言葉に、カジートは目を丸くした。



「この状況で引き抜き? 正気か? そんな世迷言で俺を煙に巻こうとしても……」


「私がそんなくだらない手を使うと、本気で思っているのか? 私の性格を知らないお前じゃないだろう」



 言葉を遮られたカジートが、自信満々に言い放つレイアの真意を探ろうと、目を細める。



「仮に俺がその要求に応じたとして、また闇の手エレボスハンドを敵に回すことになるぞ?」


「フッ、その時はまた返り討ちにしてやればいい。一度返り討ちにしているんだ。出来ないことはない。それに、今でも敵だろう? 今の状況と何が違う?」



 レイアの真意が読めず、カジートの顔が歪む。



「それは…… そうだが…… あくまでも標的は王であってレイアじゃない」


「同じだ。私は王――マサトに仕えている。マサトの敵は私の敵だ。例え昔の戦友が相手になるとしても、私は躊躇はしない」


「なぜそこまであの男を信用できる? あんたは本当にあのレイアか?」


「お前も、マサトに会ってみれば分かる」


「な……ゴホッゴホッ」


「お前のその咳も治してやれる。悪い条件じゃないと思うが」



 少しの揺らぎもなく、そう言い切るレイアに、カジートは観察を諦めた。


 一度呼吸を整えると、真剣な表情でレイアに言い放つ。



「……じゃあ証明してみせろ。引退したあんたが、腕を磨き続けた俺を圧倒できたら考えてやる」



 その言葉に、レイアは口の端を吊り上げて笑った。



「望み通りに、その生意気な口をもう一度矯正してやろう。だが、一つ忠告しておく」


「……なんだ?」


「私はまだこの力を完全に制御できている訳じゃない。つまり、手加減ができない。死なないよう、お前が気を付けろ」


「……なに?」



 訝しみ、目を細めるカジートだったが、次の瞬間、その瞳は驚きで大きく見開かれることになる。



「これが、ローズヘイムの王――マサトから授かった力だ」



 そう話すレイアの背中からは、紅蓮の翼が、陽炎を巻き上げながら、メラメラと燃え上がっていた。




◇◇◇




 炎とともに、灰色の煙がもうもうと立ち上る。


 目の前で燃えているのは、昨日まで寝泊まりしていた隔離小屋だ。


 何のことはない。


 二次感染を防ぐために火を付けただけ。


 ただ、仮住まいとはいえ、昨日まで寝泊まりしていた場所が燃えてなくなるのは少し寂しかったりする。


 そんな感傷に浸りながら、俺はポケットに両手を突っ込み、灰へと変わっていく小屋だったものを、ぼーっと眺めていた。



「ふぅー。これでようやく皆とも会って話せる」



<ステータス>

 紋章Lv30

 ライフ 46/46

 攻撃力 99

 防御力 5

 マナ : (白×1)(赤×5807)(緑×129)(黒×52)

 加護:マナ喰らいの紋章「心臓」の加護

     炎の翼ウィングス・オブ・フレイム

     火の加護

     火吹きの焼印

 装備:心繋きずなの宝剣 +99/+0

     火走りの靴

     火投げの手袋

 補正:自身の初期ライフ2倍

    +2/+2の修整

    召喚マナ限界突破12

    火魔法攻撃Lv2

    飛行

    毒耐性Lv5

    疫病耐性Lv5 New



 黒死病ペストは完治し、ライフも全快した。


 万全。


 そして予想通り、完治と同時に疫病耐性を新たに得た。


 黒死病ペストLv3でも相当危険な状況になったので、耐性Lv5であれば大抵の疫病が防げるはず。


 逆に、耐性Lv5でも防げない疫病にかかったら相当危険だという証拠でもあるが。


 因みに、黒死病ペストが完治した時には、既に疫病耐性がついていたのだが、今までずっと隔離されたままだった。


 念のための二次感染予防だ。


 それまでは、根こそぎ減ったライフを全快するべく、ロイ、クララ、シエナ、カルメ、キュリが交代制で回復に専念してくれた。


 そのお陰で、ライフが危機的状況だったのは、実質最初の数日のみ。


 ロイを除く、癒し手ヒーラー四人からは、あの手この手でアプローチされたが、関係を持つまではいっていない。


 危ない時もあったが、さすがに自重した。


 その話は機会があればいずれ……


 他には、トレンから話を聞いたらしいベルが、灰色の翼竜レネに乗って鷹狩りをしてくれてたらしく、差し入れとして一羽貰った。


 ベルとしては、数羽狩るつもりで何日か空を飛び回ったようだが、空を飛ぶ鷹を狩るのは、相当難しかったようだ。


 結局一羽しか狩れなくてごめんねと手紙を貰った。


 俺は実際に体験したからその気持ちが良く分かる。


 あれは無理ゲーだ。


 結構な距離が離れていたとしても、僅かな空気の振動でバレて逃げられる。


 小回りは圧倒的に向こうの方が上なのに、飛行速度ですら、全力を出した真紅の亜竜ガルドラゴンと同等だったのだ。


 ショックボルトが、対象目掛けて一瞬で着弾してくれる超優秀魔法じゃなければ、一匹ですら狩れなかったと思う。


 一匹とはいえ、ベルは良く狩れたもんだと感心すらする。



 ――むしろ、どうやって狩ったんだ?



「あー…… ショックボルト欲しいな…… 今思えば、あれ凄く優秀な簡易魔法インスタントだったじゃん…… もう少し早く火の加護の使い勝手の良さを知っていれば……」



 溜息が出る。


 だが、ないものを願っても仕方がない。


 忘れよう。



「白マナ一つだけで召喚できるの、何かあったかなぁ……」



 手持ちのカードを確認する。



[C] 神聖な力ホーリーストレンクス (白)

 [能力補正 +1/+2]

 [耐久Lv1]



「これだけか……」



 他の手持ちの白のカードは、(白×3)とか、(白×4)とか、どれも呪文コストの色拘束が厳しいものばかりだ。


 その点、強力な能力持ちモンスターが多いが、相手に倒された際に、大量のマナを奪われるリスクもある。


 そのリスクすらもメリットに変えられる戦術が取れれば、多少は見方も変わるのかもしれないが――



「マナ運用テクニックかぁ…… ん?」



 小屋の鎮火を見届けていると、ふと背後に気配を感じて振り向いた。



「……誰? こんなところで何して……」



 するとそこには、漆黒のローブを身に纏った一人の少女が、俯き加減に立っていた。


 いつの間にか雲に陽の光が遮られ、昼過ぎだというのに夕暮れ時のように薄暗い。


 少女の目は、目深に被ったフードに遮られて見えなかったが、不思議と目が合った気がした。


 少女の口元がゆっくりと開き――


 口角が上がる――


 上がる――


 上がる――



「お、おいおいおい…… マ、マジかよ……」



 つり上がった口角がフードの端へと消える。


 口裂け女の如くニタァッと開いた少女の口は、赤の絵の具を塗りたぐったような真紅色に染まっていた。

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