157 - 「レティセの八つ当たり」

 ――旧領主館。


 煌びやかなシャンデリアが吊り下げられてある大部屋で、フロン、レティセ、オーリア、レイアが、四人で食卓を囲っている。

 

 白いテーブルクロスの敷かれたテーブルの上には、同じく白い皿が並び、その上にはお世辞にも豪華とは言えない質素な料理が、申し訳程度に置かれている。


 ただ唯一、バスケットに入れられたパンだけは例外で、小麦色に焼けた皮からは、食欲をそそらせる香ばしい香りとともに蒸気が立ち昇り、その場にいる者の食欲を、視覚と嗅覚の両方から刺激していた。


 そのパンは、地球でいうところのバタールに近い。


 バタールとはフランス語で「中間」という意味で、フランスパンと言われてすぐに思い浮かべるバゲットよりも短く、太さがあり、焼き上がりの食感はモチっとしているのが特徴のパンだ。


 これには、これまで王族として豪華な食事をとってきたフロンでさえ、舌を巻く旨さに感嘆の声を漏らした。



「こ、このパン…… お、美味しいわ! これが噂の空を喰らう大木ドオバブで作ったパンなの? こんなに美味しいパンが作れるなんて今まで知らなかった……」



 無邪気に喜ぶフロンに、同じく顔を綻ばせたレティセが続く。



「確かに、これは美味しいですね…… まだ噂でしか聞いていませんが、材料が空を喰らう大木ドオバブというだけではないようです。どうやら、パン職人が窯を新調して、新しい焼き方を習得したとか」


「この状況下で窯を新調? それに偶然新しい焼き方を習得? さすがに考え難いわよ? もしかして、これもマサトの力なの?」


「そこまではまだ分かりません。ですが、後ほど詳しく調べる価値はありそうですね」



 黙々と食べる二人を他所に、オーリアは何処か落ち着かない様子で、食べ物に手をつけていなかった。


 そんなオーリアへ、先程から無機質な視線を送り続けるレイア。


 パンに喜ぶフロンとレティセとは対照的に、オーリアとレイアの間には不穏な空気が流れている。



「ちょっと、そこの二人、いい加減にしなさいよ? せっかくの美味しいパンが不味くなるじゃない」



 フロンに話を向けられたオーリアが、身体をビクッと跳ねさせながらも、たどたどしく受け答える。



「は、はい、フロン様。も、申し訳ありません…… い、いただきます!」



 邪念を振り払うかのように、目の前に置かれたパンに勢いよく「はむっ!」と齧り付くオーリア。


 パリッと小気味好い音が響くと、口の中に広がるほんのりとした甘さに、オーリアは驚きの表情を浮かべた。



「お、美味しい! あ、も、申し訳ありません、はしたないことを……」


「いいの、いいの。テーブルマナーは気にしないで楽しんで食べましょ」


「は、はい、フロン様」


「あなたもよ、レイア。せっかくの焼きたてが冷めちゃうわよ?」



 それまではオーリアへ無機質な視線を送っていたレイアだったが、オーリアの食べるパンが余程美味しそうに見えたのか、フロンから食事を勧められると、素直に目の前のパンへと手を伸ばした。



「そうだな。いただこう」



 再び部屋にパリッと小気味好い音が響く。


 レイアもまた、オーリア同様、そのパンの美味さに舌を巻いた。



「むっ? 確かに旨いな。肉を挟んだらもっと楽しめそうだ」


「お肉を? それ良いアイディアね! レティセ、今度どうにかならない?」


「姫様、毎度私に頼らなくても、マサト陛下に直接お願いされたら如何ですか? もう黒死病ペストの治療は済んだようですし、姫様なら面会させてもらえると思いますが」


「そ、そうね…… 考えておくわ」



 マサトの話題を急に振られたフロンは、それまで饒舌だったのにも関わらず、顔をほんのり赤くさせると、目を瞑りながら一人黙々とパンを頬張り続けた。



「……生娘かよ」



 レティセのボソリと呟いたツッコミが、静かになった部屋に響く。


 すると、その言葉にフロンの手が止まり、静かにふるふると震え始めた。


 その様子をジト目で観察し続けるレティセ。


 だが、レティセの期待を裏切り、フロンはレティセの挑発に触発されて勃発した癇癪を、自分で鎮めることに成功したのだった。


 フロンが「ふ、ふぅー」と溜息を吐く。


 そして、そのまま何事もなかったかのように、また黙々と料理を口に運んでいった。


 その様子に、フロンの反論からの切り崩しを目論んでいたレティセが、「ちっ」と舌打ちすると、その二人のやりとりを見ていたオーリアがビクビクし始める。



「お前達、何かあったな? 何だ? 言え」



 レイアが直球の質問を投げ込む。


 オーリアが目を見開き、身体を硬直させる。


 その顔は火が出そうな程に真っ赤だ。


 目を細めるレイア。



「マサトと何かあったな?」



 その鋭い指摘に、オーリアが身体を背後に反らし――過ぎて椅子もろとも転がった。



「う、うわっ、ああ!?」



――ドンッ!



 倒れる直前、咄嗟にテーブルクロスを掴もうとしたオーリアだったが、その手を隣に座っていたレティセが素早い身のこなしで叩き落としたため、テーブルの上の料理は巻き添えにならずに済んだ。


 オーリアが倒れるのを止めず、倒れまいと咄嗟に伸ばした手を叩き落とす選択をするあたり、レティセの私怨が垣間見得よう。



「ちょっとオーリア、さすがにそれははしたないわよ?」


「す、すみません! フロン様!」



 顔から湯気を立てながら、オーリアが椅子を戻して座り直す。


 だが、よほど恥ずかしかったのか、正面から顔が見えないほどに俯いていた。


 レイアの追求は続く。



「サーズで何があった」



 目を瞑りながら黙々と食べ続けるフロン。


 俯いたままピクリとも動かなくなったオーリア。


 だが、唯一、レティセだけは、その質問に口角を釣り上げた。



「マサト陛下ご自身にお聞きするのがよろしいかと」



 レイアの瞳に、僅かばかり殺意が浮かぶ。



「そうさせてもらう」



 レイアが席を立ち、部屋から退出しようとしたところで、再びレティセが口を開いた。



「ああ、レイア様、マサト陛下の元へ行かれるのであれば、言伝をお願いしてもよろしいですか?」


「……なんだ?」



 レイアが振り返らずに答えると、レティセは笑みを強くしてこう答えた。



「オーリア様に対する例の責任をどうするか、フロン様は早急にマサト陛下のお考えをお聞きしたい、と」


「責任? 何の責任だ?」


「それだけお伝えいただければ、マサト陛下はご理解されるかと思います。私の口からはこれ以上のことはお話しできません。詳しくはマサト陛下の口から、直接お聞きください」

 


 その言葉を受け、無言で退出するレイア。


 その拳は青筋が浮かぶくらいに強く握られていた。


 レイアが退出した後、レティセは悪くなった場の雰囲気を戻そうと、一つの小瓶を取り出した。


 その瓶には、飴色の液体が詰められている。



「さっ、姫様、パンが冷めないうちに、これを試しましょう」


「ん? あ! それ! 例の蜂蜜じゃない!?」


「そうです。火傷蜂ヤケドバチの蜂蜜です。手に入れるのに苦労したんですよ」


「さっすがレティセ! どうやって手に入れたかは聞かないわ! 早く試しましょ! 早く早く!」


「はぁ…… そこは聞いてほしいところですが…… まぁいいでしょう。小皿に取り分けますね。はい、これは姫様の分です。そして、これはオーリア様の分。城でも中々お目にかかれないかなり貴重なものですので、よく味わってお食べくださいね」


「わーい! やっぱり甘いものがないとやっていけないわよね!」


「す、すまない。いただく」


「ふふふ」



 子供のようにはしゃぐフロンに、レティセが自然と微笑む。



「オーリアも、いつまでそんなに硬くなっているのですか。あなたは任務を見事に遂行してみせたのです。もっと胸を張りなさい。その巨乳はただの重しですか? 騎士が猫背など、笑われますよ?」


「うっ…… わ、分かった! 気を付ける!」



 オーリアが姿勢を正す。


 が、顔はやはり真っ赤だった。



「よろしい」



 だが、レティセは満足気だ。


 すると、フロンが蜂蜜をつけたパンを嚙り、足をバタつかせて喜んだ。



「んんんーー! 甘くておいしぃーー!!」


「姫様、さすがにそれははしたないです」


「いいから、レティセもオーリアも早く食べてみなさいよ!」


「もう……」



 促されるままに、蜂蜜をつけたパンを嚙るレティセとオーリア。


 一口含んだだけで、二人とも目を瞑りながら「んんんー!」と唸った。



「美味しいですね!」


「これは美味い!」


「でしょでしょ!? パンと蜂蜜だけなのに、城で出たどんな高級料理にも引けを取らないわ!」


「これは間違いなくローズヘイムの特産品になりますね。貴族がこぞって買いにやってくる光景が目に浮かびます」



 暫し、三人は蜂蜜かけパンを堪能し、至福の時を過ごした。



「ご馳走様。ふぅー、今日は久しぶりに満足できた食事だったわ」



 食後、フロンがレティセへ先程の話題を振り直した。



「それで、レティセ。レイアにあんな風に嗾けて良かったの?」


「はい、問題ありません。マサト陛下に逃げる選択肢を与えないために、ここは穏便にいくより、事を荒だてて場を乱し隙を突く、攻めの一手であるべきだと考えています」


「でも、もしかしたらレイアも側室になる可能性があるのよ? 険悪な仲になるよりは、内に引き込む努力をした方が良いんじゃない?」


「それも選択肢として考えました。ですが、数日ともに暮らしてみて分かりましたが、あの方はマサト様一筋です。マサト様の為であれば、暗殺も躊躇いなく実行するでしょう。その手の者を引き込むのは難しく、現実的ではありません。であれば、マサト陛下を追い込む駒として利用するまでです」



 そう断言するレティセを、フロンとオーリアが引き気味に見つめる。



「な、なんでそこまで断言できるの?」


「はて? 姫様とオーリア様には分かると思いますが? レイア様は、恋敵ですよ? 私達にとっても、彼女にとっても。一緒に暮らして感じませんでしたか? 時折、彼女の瞳に仄暗い殺意が浮かぶのを」


「うっ…… それは……」


「これまでは、女王である姫様に、あの手この手で近付いてこようとする輩が相手でしたが、これからはこちらも仕掛けていかなければいけません。指を咥えて待っているだけでは、いずれ大量に湧いて出てくるであろう魑魅魍魎に、今の立場ですら取って喰われてしまいます」


「魑魅魍魎って……」


「いいえ、言い過ぎではありません。これからマサト陛下に近付いてくる者達は、皆、魑魅魍魎と大差ありません。いいですか? マサト陛下は古代魔法ロストマジックを駆使する古代人にして、かのマジックイーターなのですよ? この大陸に留まらず、世界を支配する力を持つお方です。フログガーデンのようなちっぽけな大陸の小国の女王という地位だけでは、到底釣り合いは取れません」


「なっ!? その言い方だと私では釣り合わないって言っているように聞こえるけど!?」


「そう言いました」



 フロンがわなわなと震え始める。


 だが、レティセは変わらぬ調子で続けた。



「いいですか? マサト陛下がこのローズヘイムに留まり、降りかかる火の粉を払うだけだと言っていた時であれば、そこまで焦る必要もなかったかもしれません。ですが、マサト陛下は外の世界を知り、複数の女の身体を知ったことで、精神的に少し大人になったようです。姫様が目標として掲げていた蛙人フロッガー殲滅へ動くだけでなく、公国へ対しても動くとマサト陛下がお決めになったからには、それはきっと実現します。それだけのお力をマサト陛下はお持ちですから。そして、その後、マサト陛下の存在が瞬く間に世界へと広まるでしょう。そうなれば、恋敵などと言っている余裕すらなくなってしまいますよ? マサト陛下が国をあける時間も長くなっていくでしょうし…… 近い将来、話す機会すら取れなくなってしまいます。どうですか? ここまで話せば、今がどれだけ恵まれている状況か、どれだけチャンスを無駄にしている状況なのか、理解できるはずですが」



 スラスラと自分の考えを展開するレティセに、フロンとオーリアが呆気に取られる。



「理解できましたか?」


「り、理解したわ」


「オーリア様も、理解できましたか?」


「あ、ああ、理解した」


「よろしい」



 レティセが微笑む。


 だが、先程までの自然な微笑みとは違い、今度の微笑みにはどこかしら不気味な怖さがあった。



「理解されたのであれば、お二人が何をすべきか、勿論、分かっていますよね?」


「わ、分かってるわ」


「も、問題ない」


「よろしい。良いお返事です」



 スッキリした表情のレティセとは対照的に、疲れた表情のフロンとオーリア。


 二人の内心は、とある思いで一致していた。



『レティセのあれ、きっと一人だけマサトと関わりを持てなかった腹いせだわ……』


『レティセは、自分がマサトと関わりを持てなかったことを根に持っているのか……』

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