156 - 「マサト療養の裏では」
礼拝堂から続くローズヘイムの地下、
「マサト君の容態は、その後どうですか?」
「心配ないの。少し時間はかかったが、
「あの二人は相当に優秀なようだ。しかし、マサト君にはもう少し危機感を持って行動してもらいたいものです」
「ふっふっふ。そなたが言うと嘘に聞こえるの」
「それは誤解ですよ。私にも人並みに人を心配する時もあります」
「ふっ、そういうことにしておこう。して、そなたの研究は進んでおるかの?」
「少しずつではありますが、着実に前進している手応えはあります。その証拠に、私の里とローズヘイムを繋げる
「ほぅ、それは凄い進歩だの」
「いえ、まだまだです。この程度では到底 "次元" を超えることはできません。それと、シュビラ様に一つお願いがあるのですが、よろしいですか?」
ネスの唐突な要望の切り出しに対し、シュビラは内容を聞かず、ネスの依頼を言い当た。
「強力な魔石が追加で必要なのじゃな? 以前のような水晶の予備を、旦那さまがまだお持ちかは、われにも分からないが、後ほどちゃんと旦那さまに掛け合っておこう」
その回答にネスが驚くも、すぐさまいつもの温和な表情に戻り、感謝の言葉を口にする。
「助かります」
「里の方はどうなっておる? 皆元気にやってるかの?」
「それはご自分の目で確かめられた方が良いのではないですか? シュビラ様であれば、
「そうだの…… いや、やめておこう。今は
シュビラのその言葉に、ネスが意味深に微笑むと、シュビラはそっぽを向いてはぐらかした。
「それは残念です。ネネが会いたがっていましたよ」
「はぁ…… あの黒耳か。落ち着いたら顔を出すと言伝を頼む」
「承知しました」
了承するネスの顔は少し笑っていた。
少しの沈黙の後、ネスが話題を戻す。
「ついに公国に対して動きますか。あのマサト君が、それを決意するとは。彼も変わりましたね」
「本来なら、旦那さまが変わらずとも、われらだけで全て解決できるのが理想なのだ。旦那さまが良い方向に変わってくれたのは嬉しいが、頼ってばかりはいられんの」
「そうですね。私の
二人でほくそ笑む。
「ふっふっふ。われらは旦那さまの望みを叶えるだけよ。その後のことは、そなたの好きにすれば良い」
「くっくっく。はい、もちろんそうさせてもらうつもりです」
床の隅に配置された
もしその場で不気味に照らされた二人の表情を目撃する者がいたのであれば、その者はきっとこう思ったに違いない――
『二匹の悪魔が笑っている』と。
◇◇◇
そこには、シュビラからマサトの状態と、今後の方針を聞いたトレンが、状況を共有するべく、
だが、ここに集まったのは
「ベルさんは? まだ巡回中か?」
トレンの言葉に、マーレが答える。
「
ベルを心配するマーレに、パンとフェイスも続いた。
「ベルさん、少し働き過ぎな気がします。いくら [状態異常無効] という適性があるから風邪を引かないのだとしても、過労で倒れないか心配になっちゃいます」
「確かに、いつもの元気はなかったなぁ。野暮な詮索はしない主義だが、おれっちも心配になるね」
皆が唸る。
「こればかりは考えても仕方ないな。とりあえず後で本人に事情を聞くとしよう。で、
その質問には、パンが控えめに手を挙げながら答えた。
「あ、わたしが知ってます。セファロさんに声をかけたんですが、養蜂作業で忙しいから後でまとめて教えてくれって言って去って行きました。恐らく、いつもの場所です」
その内容に、マーレが片眉を上げて唸る。
「あいつら〜。養蜂が上手くいったからって調子に乗ってんじゃないだろうね。可哀想だから
「まぁまぁ姐さん落ち着いて。セファロの奴も、あれで内心はかなり負い目を感じてんだ。それを一心不乱に働くことで少しでも取り戻そうと頑張ってるだけだって」
「なんだいフェイス。あんたやけにセファロの肩を持つじゃないのさ。怪しいねぇ」
「ちょっ! なんも怪しいことなんか……」
「まさか次はジディを狙ってんのかい?」
「いやいや、ジティちゃんは確かに美人だけど違……」
マーレの鋭い眼光に、フェイスがたじろぐと、パンが口を挟んだ。
「きっとフェイスさんは、三人から融通して貰った蜂蜜を、誰かに横流ししてるんです」
「ち、ちょっ! パンちゃん!?」
助け船を出してくれたのかと思いきや、息の根を止めるべく背中を刺しに来たパンに、フェイスが顔を引きつらせていると、意外なところからトドメの一撃が放たれた。
「あーっ! あたい見たことある! フェイスさんが、瓶に入った蜂蜜をレティセさんへ渡してデレデレしてるとこ!」
「「「なにぃ!?」」」
皆の叫びが一致する。
「フェイス、あんたまた性懲りもなく…… はぁ、呆れて物も言えないさね」
「フェイス、お主まさか支給順番を守らなかったのか? 儂も楽しみに待っとったというのに」
マーレとワーグが呆れた視線を向けると、フェイスがたじろぐ。
「マ、マーチェちゃん!? そ、それは誤解っていうか、レティセさんがスイーツ好きだと聞いて差し入れに行っただけで…… って、なんでそこにマーチェちゃんが!?」
マーチェがフェイスの反応を見てニヤニヤと笑っていると、トレンが溜息とともに事情を説明し始めた。
「マーチェには、女王陛下との伝達係として旧領主館を行き来してもらってる。マーチェは人に取り入るのが得意だからな。おれより適任だ」
「まっ、早い話がトレンの使いパシリだよねー。あたいは女王陛下とその周辺の人達に顔を覚えてもらえる利点があるから、大して気にしてないけど」
「運が悪かったな」
「そ、そう。い、いや、別に見られて困るもんじゃ……」
「ああ、そうそう。養蜂で得た蜂蜜は国の所有物だから、フェイスが横流しした分は、給料からしっかりと天引きしておく。まだ蜂蜜は貴重品だからな。結構値は張るが、頑張って働けば生活に困るほどではないだろう」
「ま、まじっすか…… ち、因みに、いくらくらい?」
「物流を止められているローズヘイムには、蜂蜜などの嗜好品が流れてこなくなって大分経つ。つまり、需要過多な状況にあるわけだ。更にあの蜂蜜は、他に出回っている蜂蜜と比べものにならない程に良品だと噂にもなっている。蜂蜜は保存がきくからな。ローズヘイムに残った商人達が我先にと買い求めてきているせいで、値がかなり高騰している」
「で、で…… い、いくら……」
フェイスがこぐりと唾を飲み込む。
「スプーン一杯で、金貨一枚ってところだな」
「いっ!? スプーン一杯で金貨一枚ぃっ!? そ、それじゃ……」
「瓶がどのくらいの大きさかにもよるが……」
「中瓶くらいでした!」
「パ、パンちゃん!?」
「それなら500gくらいか。結構な量だな。金額にして、金貨100枚――約100万Gといったところか」
「ぶっ!? ひゃっ、ひゃくまんっ!? あれで!?」
「かっかっか! フェイス、さてはあのつり目女に上手く使われたね? 自業自得だよ。これに懲りたら悪い女に捕まるんじゃないよ! 今回のことは諦めてしっかりと働きな!」
「うむ。これは自業自得じゃな」
「は、はは、はぃー……」
フェイスががっくりと肩を落としたのに一瞬笑いが起きるも、トレンがすぐに話を戻した。
「ここにいないメンバーへの情報共有はフェイスに任せるとして、本題だ」
皆の視線がトレンへと集まる。
「ボスの治療が無事に終わった。後数日で復帰できるらしい」
「「「おおおお!」」」
パンが「良かったぁ」と両手を合わせて涙ぐみ、パンの服の端を掴んでいたクズノハが「あんちゃん、げんきになる?」と質問すると、歓喜余ったパンに「うん! 後数日で戻ってくるよ! クズノハちゃん良かったね!」と説明されながら抱きしめられていた。
マーレとワーグは豪快に笑って喜び、フェイスはやれやれといった表情で肩を竦めた。
マーチェは事前にトレンから話を聞いていたため、ニンマリ顔で皆の反応を楽しんでいる。
すると、ソファーに足を組んで深く腰掛けていたマーレが、溜息を吐きながらトレンへ投げかけた。
「しっかし、うちのボスも毎回瀕死になってやしないかい? 本当に大丈夫なんだろうね?」
「大丈夫か、そうでないかと言えば、大丈夫な訳がないな。毎回瀕死の状態で帰還する王など、本来であれば外に出したら駄目だろう。これが王国なら、側近の首が飛ぶんじゃないか?」
その言葉には、皆が苦笑した。
トレンは続ける。
「だが、この国はまだまだボス頼みなのも事実。ボスの動きを制限しても滅びの道を歩むだけだ。それなら、ボスが死ぬほどの危険な目に合う前に、おれたちでどうにかするしかない。そうだろ?」
挑発的な表情で聞き返したトレンに、皆が強く頷く。
「まぁ、具体的にどうするという案もないんだけどな」
「ないのかい!」
そうとぼけるトレンに、マーレが盛大に突っ込む。
「ボスはマジックイーターだぞ? 真似は無理だ。凡人のおれたちができることは限られている。だが、やれることはある。今はそれを地道に積み重ねるしかないな」
「結局は、いつも通りってことかい」
「そう。いつも通り。ボスが動いたことによる余波、変化を最大限利用して、ボスのサポートをする。それが今後に繋がるはずだ」
「うむ。儂にも手伝えることがあればどんどん依頼してくれ」
「何言ってんだいワーグ。あんたとあたしには、新米冒険者達の訓練やら討伐指南の予定がみっしり詰まってるだろ。この国に高ランクの冒険者は数えるほどしかいないんだ。他の手伝いをしてる暇なんてないよ」
「う、うむ。そうだったな。すまんかった」
半目で睨むマーレに突っ込まれ、小さくなる巨体のワーグ。
そんなワーグに苦笑しつつ、トレンは続ける。
「苦労かけてすまない。サーズから運ばれてきた大量の素材を捌くのに冒険者ギルドが総出で取り掛かってるんだが、量が量だけになかなか片付かなくてな。もう少しかかる」
サーズから
急遽、巨大な貯蔵庫が複数急造され、剥ぎ取った素材を保管していっているが、
幸い、
これらは、
それを知るのは、また別の話。
後に、今回の素材が、ローズヘイムの財政を劇的に潤すことに繋がる。
「あの素材のお陰で、町は活気を取り戻しつつあるが、交易路が封鎖されていなければ、どれほどの相乗効果が期待できたか…… 本当に悔やまれる…… いや、まだ希望はあるか」
トレンがぶつぶつと一人で話し始めると、マーチェが声をあげた。
「ちょっとトレン! また勝手に自分の世界に入ってる! 本題! 本題がまだ残ってるよ!」
「あ、ああ、そうだったな。悪い、つい」
「まだ何かあるのかい?」
「ある。これはボス自身が決めたことだが――」
再び皆の視線がトレンへと集まる。
「北端の禿山から、北東の
「そ、それは本当かい!? 公国が睨みを利かせているこの状況で
「うーむ、北東の地…… アローガンス王国の総力をもってしても攻略しきれなかった
「攻める? 本当にマサトっちが決断を?」
「攻めこむなんて…… だ、大丈夫なんでしょうか?」
「あんちゃん、どうなっちゃうの?」
「あ、クズノハちゃん…… うん、マサトお兄ちゃんは大丈夫だよ! 大丈夫!」
皆がマサトの決定とは思えない決断に騒つく中、不安になったクズノハを安心させようとパンが必死に慰める。
不安がるクズノハに、トレンが少し困ったような表情を浮かべながらも、話しを続けた。
「
「なんだい…… あんたも人が悪いね。それを先に言ってくれればいいのに。一瞬でもリーダーの頭がイカれちまったのかと疑っちまったじゃないかい」
そう言いながら、マーレは起こした身体を再びソファーへ埋め、脱力した。
「話は最後まで聞け。まだ話は終わってない」
「あいよ、話の腰を折って悪かったね」
トレンに注意を受けたマーレが、片手をひらひらと振って適当に謝罪。
そんなマーレにトレンは「はぁ」と軽く溜息を吐きつつも話を続けた。
「ボスは、公国へ交渉しに行くつもりらしい」
「はぁあああ!?」
皆が驚く。
唯一、驚きの声をあげたマーレがそのまま疑問を口にする。
「どういうことだい!? まさか降伏じゃないだろうね!?」
「違う。交易路の封鎖を止めさせる交渉に行くと聞いているが、どういう計画かまでは知らされていない」
「そ、そうかい。そうならいいんだけどさ。でも、交渉にリーダーを行かせて大丈夫なのかい?」
「本来なら大丈夫じゃないが、ボス以外に適任がいない。仮に破談になったとしても、ボスなら単騎でも帰還できる力があるが、他の者は人質になって終わりだ。とはいえ、人質になってもいい程度の人物を送り込んでも、交渉にすらならないだろうしな」
皆が唸る中、パンが両手を胸の前で祈るように握りしめながら声をあげた。
「で、でも! やっぱり危険です! マサトさん一人で行かせるなんて! わたしは反対です!」
パンが突然反対し始めたことに、皆が驚く。
すると、パンの主張を感心したような表情に変わったマーレが口を開いた。
「パン、あんたも言うようになったね。その意見は直接リーダーに言ってあげな」
「えっ!? あ、あの、いや、それは、ちょっと、恥ずかしいというか、なんというか……」
急に顔を真っ赤にしてまごまごし始めたパンに、マーレの目がジト目に、表情は呆れ顔へと変わっていく。
「はぁ。うちのメンバーはポンコツばっかりかい。トレン、他に重要な話はあるのかい?」
「いや、話は以上だ」
「そうかい。じゃ、あたしはこのポンコツどもを連れて久しぶりに訓練でもしようかね」
「ちょっ!? 姐さん!?」
「えっ!? わ、わたしもですか!?」
「そうだよ! 他に誰がいるってんだい! さっ、ぐずぐずしてないでいくよ! ほら、行った行った!」
動揺する二人の尻を引っ叩きながら、マーレがフェイスとパンを部屋の外へと追い出す。
「ワーグ! あんたも来るんだよ!」
「う、うむ」
ワーグも連れて行かれる。
部屋には、トレンとマーチェ、それとクズノハだけが残った。
「マーチェ、クズノハを頼む。ボスへの面会はもうできるはずだから、連れて行ってやるといい」
「おっけー! クズノハちゃん、良かったね! あんちゃんに会いに行けるって!」
「は、はい! あんちゃんに、あいたいです!」
クズノハの顔がパァっと明るくなる。
「うきゃー! 可愛いっ!!」
そのクズノハに頬ずりするマーチェ。
「じゃ、行こっか!」
「うん!」
「トレンじゃ〜ね〜」
マーチェとクズノハも部屋から退出していく。
部屋に一人残ったトレンは、軽く息を吐き出すと、おもむろに腕を組み、自分の世界に入り始めた。
「ボスが動くということは、流通も元に戻る可能性が高いな…… 早急に輸出リストをまとめておこう……
それから暫くの間、部屋にはトレンの独り言が響いていた。
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