140 - 「生き残り」


「俺としたことが…… 蛮族ごときに……」



 鎖のついた首輪を嵌められ、更には手を後ろ手に縛られた黒ずくめの男が、地面に膝をつかされた状態で項垂れている。


 拘束される際に抵抗したのだろうか。


 顔や手足には無数の傷があり、左瞼は青紫色に腫れ上がっていて、眼球が見えない。


 すると、コロナ族の族長であるニドが、口髭を生やしたギョロ目の男に支えられてやってきた。



「シュホホホホ。黒幕はその者一人です。手練れの幻術使いのようですので、気を付けてくださいねぇ」



 幻術の類いは効かない身体なので問題ない。


 オーリアも、幻術に対抗する術を身に付けているようなので大丈夫だろう。


 ノクトはというと、少し心配なので、真紅の亜竜ガルドラゴンの近くへ退避させた。


 緊急事態が起きるようであれば、真紅の亜竜ガルドラゴンに乗って先にローズヘイムへ帰還してもらうつもりだ。



 鎖に繋がれた男はというと、少しこちらを窺うようにチラ見するや否や、再び頭を下げた。


 歯を悔しそうに噛み締めている。


 どうやら、向こうは俺を知っているらしい。


 問題は、こいつが "どこの誰なのか" だ。


 残念ながら、記憶になかった。



「マサト、そいつを知らないのか?」



 オーリアが腕を組みながら、聞いてくる。



「見覚えが…… ない」



 すると、俺のその言葉を聞いた黒づくめの男が、急に顔をガバッと上げ、腫れていない方の目で睨みながら歯をギリギリと噛み鳴らした。


 その顔を見て、もしやと思う。



後家蜘蛛ゴケグモの幻術使いか? ベルを攫った奴」


「今頃思い出したか! 貴様に任務を妨害されてから全てが狂ってしまった! 貴様さえ、貴様さえいなければ……!!」



 男は後家蜘蛛ゴケグモの構成員だった。


 ベルを攫った二人組のうちの一人。


 まだゲーム感覚が抜けきっていなかった俺が、初めて人を殺した時にいた片割れだ。


 だが、後家蜘蛛ゴケグモは既に俺の支配下にある。


 となれば、こいつは仲間と連絡を取らずにずっと潜伏していたのだろうか。



後家蜘蛛ゴケグモとは連絡を取り合ってないのか?」


「……貴様に教える必要はない」



 教えるも何も、この状況が何よりの証拠だ。


 この男が黒崖クロガケと連絡を取っていれば、この不幸な襲撃は起きずに済んだかもしれない。



「お前がちゃんと黒崖クロガケに連絡を取ってれば…… まぁ、たらればを言っても仕方ないか……」


黒崖クロガケに連絡だと……? 何を言っている」


「何って、今の後家蜘蛛ゴケグモは、俺の支配下にあるんだよ」


「はっ! ふざけたことを! それこそあり得ん!」



 男が吐き捨てるように否定した。



(本当のことなんだけどなぁ。まぁ言葉だけで信じろっていう方が無理か。仕方ない……)



 俺は予め黒崖クロガケから預かっていた黒い水晶を取り出した。


 後家蜘蛛ゴケグモの構成員は、入団時に黒崖クロガケといくつかの血の契約を結ぶ。


 その契約は、どれも被契約者側にとっては一方的なものだ。


 その契約にメリットはない。


 あるのはリスクだけだ。


 だが、黒崖クロガケが授ける力には、そのリスク以上の、それこそ命を捧げるほどの魅力があるのだろう。


 現に、後家蜘蛛ゴケグモに入団するということは、組織に命を捧げる覚悟があって初めて成り立つと聞いた。


 そして、その契約の一つに、従者の体内に毒を発生させる呪いの契約がある。


 その毒を発生させられた者は、身体の内側へ熱湯を注がれたような激痛が襲うとか。


 俺が取り出した黒い水晶は、その呪いを行使するための魔導具アーティファクトだ。


 黒い水晶の中心には、背中に赤い模様の入った黒い蜘蛛が閉じ込められており、水晶の中で独特な存在感を放っている。


 俺はその水晶を握り、男の目の前へ掲げた。


 すると、男の表情が一転して怒りから動揺に変わる。



「な、そ、それは…… い、いや、そんなはずは……」



 見覚えがあるのだろう。


 俺が水晶に微量の魔力マナを込めると、水晶の中の蜘蛛が真っ赤に輝いた。


 その瞬間、目の前の男が声を上げて苦しみ始めた。



「ぐっ、ぐあっ!? や、止めろ! 止めてくれ!!」



 地面に倒れ込み、身体を反るようにしながら踠き続ける。


 少しばかりその効果を確認した後、魔力マナを込めるのを止める。


 すると、男の動きも止まった。



「はぁ…… はぁ…… な、なぜその水晶を……」



 男が息も絶え絶えしく聞いてきた。


 相当苦しかったのか、額には大量の汗を掻き、ぐったりするように地面に身体を預けている。



黒崖クロガケに貰ったんだよ。後家蜘蛛ゴケグモの構成員に、問答無用で主従関係を理解させるには、これが一番だと聞いたからな」


「そんな…… では、まさか…… 後家蜘蛛ゴケグモは……」


「ああ。俺の支配下にある」


「し、信じられん…… 幹部や上級構成員はどうした!? 国すら転覆させられるほどの戦力だぞ!?」


「確かに手強かったよ。だが、上級構成員の殆どが死んだ。いや…… 俺が殺した。全員。この手で。幹部は俺に従っている。灰色ハイイロは逃げたけどな」


「そんなことが…… そんな……」



 男が力なく地面に頭を付け、ぶつぶつと「あり得ない」と繰り返している。


 その様子を見ていたニドが、何か面白いものを見たかのように突如大声で笑った。



「シュホホホホ! 面白い! 面白いですねぇ!」



 その声量に、オーリアがビクッと小さく肩を上げ、ニドを睨みながら身構えた。



「貴様、何が面白い! 何を企んでいる!」


「まぁまぁ、オーリア落ち着いて」



 オーリアを手で制し、ニドへと向き直る。


 この曲者の塊のようなおっさんは、どこからか情報を得ている。


 それは間違いないだろう。


 なぜなら、この辺境の地において、既に俺の宝剣のことを知っていたような発言をしたからだ。


 であれば、ドラゴンのことだけでなく、俺がローズヘイムで起こした事も既に知っていたはず。


 その上で襲撃してきたとしては、詰めが甘い気がしていた。


 ドラゴンを捕獲する訳でもなく、族長自ら単騎で乗り込んできただけなのだ。


 ただの勘でしかないのだが、その違和感がずっと引っかかっていた。



「で、あんたはどうするつもりだ? 俺は合格なんだろ? まさか本気でローズヘイムと全面戦争するつもりじゃないよな?」


「シュホホホホ。ええ、ええ。あなたは合格です」


「じゃあ知ってることを全て教えろ。他に誰と繋がってる」



 俺の言葉に、耳まで裂けるくらい口角を釣り上げて深い笑みを作るニド。


 もはやホラーだ。



「いいでしょう。トロウ、あれを連れてきてください」



 ニドに肩を貸していたギョロ目の男――トロウが、指笛を吹き鳴らした。


 すると、周囲を取り囲んでいた人垣が二つに割れ、そこからコロナ族と同じ格好をした一人の男が、口や手足を縛られた状態で引きずられてきた。


 引きずられてきた男は、後家蜘蛛ゴケグモの構成員と違い、周囲を見て酷く怯えたように蹲っている。



「こいつは……?」


「シュホホホホ。見た目はコロナ族の恰好をしていますが、中身はただの公国の犬ですかねぇ」


「公国だと!?」



 オーリアが吠える。



「なぜ公国の者がここにいる!? 説明しろ!!」


「ええ、もちろん、そのつもりですよ。焦らなくとも、全て話して差し上げますから安心してくださいねぇ。シュホホホホ」



 高笑いするニド。


 正直、安心しろというのには無理がある。


 族長達の毒殺を企てただけでなく、まるで虫を殺すように躊躇うことなく同族を斬り殺してみせた男だ。


 信用できるという根拠はない。


 だが、聞く価値はあるだろう。



「まずは、そうですねぇ。そこに転がっている男の事から説明しますかねぇ」



 ニドの言い分はこうだ――



 数ヶ月前に、総族長ナウイルと会う機会があったニドは、ナウイルの異変にいち早く気が付いた。


 勿論、直ちにナウイルの異変を他の部族長達に訴えた。


 だが、外の情報に疎い族長達は、ニドの話をまともに聞こうとはしなかった。


 むしろ厄介者のコロナ族を追い払おうとした。


 ニドは激昂し、そこでひと騒動――一つの部族を半殺しにする事件――を起こした後、独自に動き回り、ナウイルを幻術で操っていた後家蜘蛛ゴケグモの構成員に辿り着いたというのだ。



「なぜ、そこでこいつを始末しなかったんだ?」


「当然、始末することも考えはしましたが、少なくとも彼は優秀ですからねぇ。一人でサーズへとやってきただけでなく、幻術で総族長を意のままに操ることに成功したのですよ? そう、これは賞賛すべき功績です。そのような優秀な人材を、ただ殺すのは惜しいとは思いませんかねぇ?」


「利用価値があると踏んだのか」


「ええ、そうです。いいですねぇ。理解が早い者は好きですよ。そこの小娘は理解できていないようですがねぇ」


「貴様っ!」



 オーリアがいつもの癇癪を起こしかけている。


 ニドのような考え方は、仮にも騎士であるオーリアには理解し難いものなのだろう。


 ゲームや小説ではよくある展開だと思うが、この世界にはその手の娯楽が少ないようだし、耐性がなくても仕方がないのかもしれない。



「オーリア、挑発に乗るなって」


「マサト! こんな下郎の話を聞く必要などない! そいつは私達を毒殺しようとした男だぞ!」


「オーリアの意見も最もだけど、それは全ての話を聞いた後に判断する」


「なっ……」


「いいね?」


「……分かった」



 渋々だが、何とか従ってくれた。


 オーリアは一度火が付くと中々止まらないから少し面倒くさい。


 一方で、オーリアが代わりに激怒してくれるからこそ、俺が冷静でいられる面もある。


 ニドは、そんな俺とオーリアのやりとりを、不気味な笑みを浮かべながら見守っていた。



「随分と優しいのですねぇ。あなたがその小娘をとても大切にしているのがよく伝わりますよ。シュホホホホ」


「なっなな、何をっ!? 大切!? 私が!?」



 ニドの言葉に、オーリアが身体を仰け反らせるほどに驚いた。


 口をあわあわさせながら、顔を真っ赤にして返す言葉に詰まっている。


 そんなオーリアを見て、ニドの瞳が怪しく光った気がした。


 何か良からぬことを企てているのかもしれない。


 言葉の抑止力など大したことはないのかもしれないが、牽制はしておくべきだろう。



「オーリアには手を出すな。ノクトにもだ。俺の周りの者に手を出せば、サーズもろとも灰にするぞ」


「シュホホホホ。怖いですねぇ。そう警戒せずとも、何もしませんよ。久し振りに生娘の初々しい反応を見て、少し興奮しただけですからねぇ」



 あかん奴だった。


 性的に興奮してるじゃないか。


 俺はオーリアの手を引き、ニドの死角となる背後へと隠す。



「あっ……」



 オーリアの呟きを背で受けながら、俺はニドへと向き直り、逸れた話題を戻した。



「この後家蜘蛛ゴケグモの構成員が優秀だとしても、結局、あんたらに捕まっただろ。それでも優秀といえるのか?」


「シュホホホホ。私達は格が違いますからねぇ。サーズが戦闘民族だと各国に認知されているのも、元々は私達――コロナ族の武が高かったことが発祥だったのですよ。ご存知でしたかねぇ?」


「いや、知らないけど」


「そうですか。残念ですねぇ。ですが、それも現実。痛いほどに痛感している悲しい現実です。それもこれも、全てはサーズの武を衰退させた無能な部族達のせいですかねぇ。私は元の強きサーズを取り戻したい想いが強いのですよ」


「だから他の族長達を毒殺したと?」


「シュホホホホ。導く者の弱さは罪、大罪ですよ。民を不幸にする悪でもありますかねぇ。ましてや、彼らは民の上に胡坐をかくような愚か者でもありましたからねぇ」


「サーズの民が、彼ら族長達に搾取されていたとでもいいたいのか?」


「それを搾取と呼べば、搾取になるのかもしれませんねぇ」


「はっきりしないな」


「事はそう単純ではありませんからねぇ。ただ、民の上に立つ者は、民の生活を豊かにする義務があるとは思いませんかねぇ?」


「それは…… そうは…… まぁ思うけど……」


「そうでしょう、そうでしょう。あなたなら理解してくれると思っていましたよ」



 興が乗ったのか、はたまた俺の肯定を追い風とみたのか、ニドの声が次第に大きく、熱のこもったものになっていく。



「辺境の地だからといって、自ら殻に閉じこもり、文化を守ると称して一族の発展を蔑ろにするような古き部族は滅ぶべきなのです。人族の生活や技術は日々進歩しています。現状維持は衰退と同じ。個人で勝手に滅ぶ分には、さすがの私も干渉しませんが、民を巻き込んで自滅への道を突き進む愚か者達は、部族の長を務める者として、到底見過ごせるものではないですかねぇ」



 両手を広げ、そう熱弁するニドには、無意識に後退りしてしまいそうになるような威圧感があった。


 尚もニドの熱弁は続く。



「この地をご覧なさい。野生動物もいなければ、野草も生えていません。森ですらないこの過酷な地に、誰が好き好んで住み続けたいと思いますかねぇ? この地を好むのは、空を喰らう大木ドオバブと、それに寄生する魔物くらいです。まだ森の恵みが豊かなガルドラへ移住した方がマシな生活ができるでしょう。ですが、私達はこの地を捨てなかった。いえ、捨てられなかった! それはなぜかご存じですかねぇ? ローズヘイムの若き王よ」



 ニドが問う。


 大きな瞳を、更に大きく見開きながら。


 纏うオーラが凄いのか、ニドの顔が数倍は大きく見える。



「……その話の流れからすると、ローズヘイムの領主のせいか?」


「その通りです! 彼らは私達サーズの民を蛮族だと蔑み、移住を認めようとはしなかった! だからといって、私達サーズと交易する訳でもありませんでしたからねぇ。生活は依然として苦しいままでした。私達にあるのは空を喰らう大木ドオバブの恵みのみ。他の領地との貿易で発展したローズヘイムには、空を喰らう大木ドオバブの恵みなど不要だったのでしょう」


「……ローズヘイムにも恨みがあるのか?」


「シュホホホホ。恨みがあったというべきですかねぇ。旧領主は死んだようですし。今の領主は――いえ、今の王はあなたですからねぇ」


「それで、試したと? 致死毒でか?」



 自分で言ってて、さすがにそれはないだろと少しイライラしてきた。



「ええ。あなたは毒に対し、人外に強いと知っていましたからねぇ」


「ふざけんな! それでオーリアやノクトが死んでたら問答無用でお前を殺してたぞ!」


「シュホホホホ。それはそれで、そういう運命だったと諦めますかねぇ」



 ニドはそう言うが、絶対に嘘だろう。


 素直に諦めて殺されるような男には見えない。



「それに、その情報だ。情報源はどこだ? どこから情報を得たか教えろ」


「シュホホホホ。間者程度、至る所にいますよ。何も、ローズヘイムに限った話ではないですからねぇ」


「どういうことだ……? 公国にも間者がいるってことか?」



 ニドの笑みが深くなる。



「ええ、います。いますとも。我らコロナ族を、戦闘だけの無能な者と見てもらっては困りますねぇ。絡め手も得意なのですよ、私達は。公国の犬がここにいるのも、その証拠の一つですかねぇ」


「公国と取引したってことか」


「シュホホホホ。察しがいいですねぇ」


「どんな取引をした」


「あなたの遺体を引き渡すことを条件に、ローズヘイムの統治譲渡を認めてもらいましたかねぇ」


「統治譲渡……」「なんだとっ!?」



 俺の呟きを掻き消すように、オーリアが叫んだ。



「貴様も公国の犬ではないか!!」


「シュホホホホ。勘違いしては困りますねぇ。私は全てを利用するだけです。それが民にとって最善の策になるのであればですがねぇ」


「それが民のためだと!? 他の族長達を虐殺することがか!!」


「あなたが民のためにならないと思うのであれば、あなたの中では民のためにならないのでしょうねぇ」


「貴様……!!」



 ニドに噛みつこうと一歩前に出ようとしたオーリアを、身体を割り込ませることで無理矢理止める。



「マサト! 何を迷っている! こいつは公国と繋がっている! それが分かれば十分だろう!」


「取り敢えず落ち着けって……」



(話をまとめるの苦手だけど、仕方ない。ざっくりとでもいいから話を整理するか……)



「あー、こいつの言うことをまとめると、公国と結託して俺を殺そうとしたけど、俺に会って逆に公国を売ろうと決めた。そういうことだろ?」


「なっ、マサト!!」


「シュホホホホ。ええ、ええ! そうです! やはりあなたは物分かりが早いですねぇ」



(現実世界では、そんなこと言われたことないけどな……)



「族長達は、腐った政治をしていたから皆殺しにした、と」


「総族長の異変にも気付かない無能共でしたからねぇ。私が手を下さなくとも、時代の流れが淘汰していたでしょう。それが早まっただけですかねぇ」


「で、その歯車として、そこに転がってる後家蜘蛛ゴケグモの構成員を泳がせたと」


「大体それで合っていますかねぇ」



 ニドの行動は極端で、過激だ。


 だが、実際に殺された族長達の統治をみてきていない俺には判断できない。


 本当に酷い統治をしていたのかもしれないし、そうでないかもしれない。


 もしかしたら、総族長の息子の素行が、その片鱗を象徴しているのかもしれないが……



「なんとなく把握した。で、この男はどうするんだ?」


「シュホホホホ。幻術使いは、あなたに差し上げますよ。部下なのでしょう?」


「部下……」



(そうか…… 後家蜘蛛ゴケグモは俺の支配下にあるから、必然的にこいつも俺の部下か。そこまで考えが至らなかった。待てよ。ということは、この不始末は俺の責任? あれ? マジ?)



 責任の所在を少し考えて、止める。


 俺が、黒崖クロガケ後家蜘蛛ゴケグモに対し、各地に散らばった連絡の取れない構成員への伝達を厳命し、仮に徹底していたら、この惨事は事前に防げていたかもしれないと思い至ったからだ。


 その可能性に目を瞑る。


 非を認めたら負けだ。


 この時ばかりは、地球上に存在するどこぞの国を見習うことにしようと思った。



「そうか…… で、後家蜘蛛ゴケグモのお前、名前は?」



 虚ろな目をしながら、地面にぐったりと横たわっていた男の目が一瞬動いた。


 だが、答えようとしない。



(どうするか。このまま殺してもいいけど…… いや待て待て。殺す? 俺、いつの間にそんな簡単に人を殺す判断をするようになったんだ?)



 自分の価値観の変化に、一瞬だけ眩暈がした。



(人の命を奪うことに抵抗がなくなりすぎてるな…… 順応といえば順応なんだろうけど。っと、思考が脱線し過ぎだ。考えるの止め止め! はぁ、こいつの処置はっと…… まぁ、チャンスを与えてやるか……)



「お前の今後は、お前の態度次第だぞ」



 俺の言葉に、男は目を見張った。


 すぐさま、姿勢を正すと、正座するような体勢でこちらへ頭を下げて許しを請うた。



「い、命だけは助けてくれ! 俺は幹部の命令を忠実に実行しようとしただけだ! 組織には忠実なんだ! それだけは誓える!!」


「名前は?」


「ヴ、ヴィンディクだ! コードネーム "A5"、防御型と呼ばれている!」


「A5? パークスは "A0" だった気がするけど、お前も上級構成員か?」


「……いや、俺は出来損ないだ。A級の適性を移植されても、この程度の実力しか発揮できなかった…… 失敗作だ」



 失敗作だと言う割には、サーズの総族長の洗脳に成功するなど、十分な実力は示しているように思えるのだが、何か自分を卑下する過去があるのだろうか。


 自分を失敗作だと蔑むとか、ちょっと親近感が湧いてしまう。



「分かった。ヴィンディク、お前に最後のチャンスを与える。今後は俺に命を懸けて仕えろ。悪いようにはしない」


「マサト!!」


「シュホホホホ!!」


「ああ…… ああ! ありがとうございます!!」



 当然の如くオーリアが怒り、ヴィンディクは泣いて感謝した。


 その様子をニドが高笑いしながら見守っている。


 結局、ニドと同じような判断をしてしまったのが少し悔しいが、見知らぬ土地に潜入し、その土地の長を洗脳できる者が失敗作な訳がない。


 十分、優秀だろう。


 オーリアはヴィンディクが裏切る可能性を言及してきたが、黒崖クロガケの契約はそんな生半可なものじゃないことを説明してどうにか納得してもらった。


 基本的に、後家蜘蛛ゴケグモの上層部は、その殆どが身寄りのない者、帰る場所のない者で構成されている。


 つまりは、組織に捨てられたら最後、帰る場所がないのだ。


 中には、成り上がりを夢見る者や、復讐を糧にしている者もいるらしいが、そういう者には適性を与えないと黒崖クロガケが言っていた。


 適性を移植する資格のある者は、命を懸けて組織に忠誠を誓える者だけだと。


 その上で、覚悟が揺るがないよう、何重もの契約や呪いで縛るのだという。


 闇ギルドとはそういうものなのだろう。


 恐ろしい世界だ。



「シュホホホホ。良かったですねぇ」


「そっちの公国の人間はどうするつもりだ?」


「そうですねぇ。もう不要なので始末しておきましょうかねぇ」


「ひ、ひぃ! お、お助けを!!」



 ニドがもう一人の男へと手を振り下ろす。


 その手から放たれた柄のない短剣が、ゴッと鈍い音を立てて男の眉間に突き刺さった。


 眉間に短剣を突き立てた公国の男は、そのまま声も上げず、白目を剥いて、呆気なく絶命した。


 一瞬の出来事に言葉を失う。


 だが、一つだけ疑問が残った。



「そいつ、本当に公国の人間だったのか?」


「シュホホホホ。当然の疑問ですねぇ。ですが、この者が生きていたとしても、その証明は難しいでしょうねぇ。こればかりは、信じてもらう他ないですかねぇ」



 この世界では、信用のおける身分証というものは存在しない。


 どこのどいつかなど、言葉一つでいくらでも偽装できてしまうのだ。



「それもそうか…… で、この後はどうするんだ? お前は族長達を殺した。その部族の者達と戦争になるんじゃないのか?」


「シュホホホホ。その心配は不要ですねぇ。反抗する可能性のある者達――もとい、今まで民を奴隷のように扱っていた愚か者達は、既に殆どがこの世から消えてますかねぇ」


「そう、か……」



 それが良いのか悪いもはやよく分からない。


 すると、背後から声が聞こえた。



「私の祖父は…… ノード・アールは……」



 ノクトだった。


 話を聞いていたのだろう。


 いつの間にか、すぐ近くまで寄ってきていた。



「ノードのお嬢さんですねぇ。シュホホホホ。安心してくださいねぇ。ノードは “こちら側” ですよ」


「生きてるってことか?」


「ええ。もう歳でいつ死んでもおかしくはないですがねぇ。彼も族長ですが、会合に参加していなかったでしょう? “各地での後片付け” の済んだ明日には、“こちら側” の族長達がこの集落へと集まる予定ですかねぇ」


「はい…… 良かった……」



 ノクトが胸をなで下ろす。


 結局、今回の犯行は、コロナ族だけの仕業ではなかったということだ。


 これは一種の反乱なのだろう。



 その後、俺たちはあてがわれた平屋で一泊することになった。


 のだが――


 サーズの夜はまだ続いていたのだった。

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