141 - 「マサトの背中」

 私とマサト、そしてノクトは、客人用の宿泊所に案内された。


 こぢんまりとした平屋だ。


 床には絨毯が敷かれ、ソファーのようなベッドが壁伝いに並んでいる。


 そのソファーへと、マサトが大きな溜息とともに倒れこんだ。



「はぁ…… なんかドッと疲れが……」



 マサトが疲れ顔で微睡む。


 ニドとの死闘で精神的に疲れたのだろうか。


 それともあの戦いで何か怪我を……



「大丈夫か? どこか怪我はしていないか?」



 私が覗き込むようにして聞くと、マサトは意外そうな顔をして、こう答えた。



「なんだ、オーリア心配してくれんの?」


「あ、あ、ああ当たり前だろう。お前は仮にも今回の護衛対象だ。それに王族でもある。私が騎士である限り、お前は守るべき対象で……」


「オーリア様、陛下を王族と認めているのであれば、お前呼ばわりはどうかと思います」


「ぐっ…… す、すまない」


「いいって、いいって。もう好きに呼んで」



 またマサトをお前呼ばわりしてしまった……


 これでは騎士として失格だ。


 初対面の頃のイメージが抜けず、どうしてもマサトを王として見れないのだ。


 私の中でのマサトは、恋敵ライバルであり、私の愛する人を横から掻っ攫っていった嫌な奴という認識だった。


 今は大分印象も違うが、その根幹にある “負けたくない気持ち” は、この関係になった今でも変わっていない。


 基本的に、私は負けず嫌いなのだ。


 特に、マサトには負けたくない気待ちが強かった。


 何故かは分からないが……



「なんか、俺が行く場所って毎回何か起きるよな……」


「それはお前が…… ごほんっ! マ、マサトが異常な力を保有しているからではないか?」


「結局、名前で呼ぶことにしたのか」


「な、名前で呼んでは駄目なのか!?」


「いや、良いよ。お前呼ばわりされるより名前で呼ばれた方が良い」


「そ、そうか。良かった……」



 焦った気持ちが、マサトの返答で急に落ち着きを取り戻す。


 マサトと話すと、私は変になる。


 ちょっとした言動で胸が高鳴ったり、焦ったり、落ち込んだり、とにかく変になるのだ。



「そういえば、この力とこの騒動って何か因果関係あるの?」


「それはあるだろう。巨大な力は人を惑わせ、強く惹きつけるものだ」


「あー、そういうことね」



 そんな他愛のないやり取りをしていると、ノクトが近付いてきて立ち止まり、マサトへ向けて深々とお辞儀した。



「……ん? どうしたの? お辞儀なんかして」


「はい。陛下、グーノムとの一件では、私を庇っていただき、ありがとうございました」


「あー、あれね…… あれは、その、災難だったね。あの程度のことで良ければ、いつでも助けるから、遠慮せずに頼ってね」


「はい。陛下の背中、凄く心強かったです。陛下の背中に守られただけで、凄く安心できました」



 普段から笑わないこの娘が、年頃の娘のように微笑みながら話している。



(この娘、まさかマサトに惚れているのか?)



 確かに、私も何度かマサトの背中に守られたが、あれは卑怯だとも思う。


 あの背中は、私が憧れた騎士の背中に匹敵する安心感があった。


 ……いや、それ以上かもしれない。


 すると、マサトが突然「あ、ごめん、ちょっと待って」と言って黙った。


 念と呼ばれるもので仲間と連絡を取り合っているらしい。


 だが、そんな加護は聞いた試しがない。


 この男は、本当にどれほどの強力な加護をもっているのか。


 少なくとも、この世界で希少とされる三加護サード――加護を三つもつ者――や四加護フォース以上の加護を持っているのだろう。


 英雄の如き異能者だ。



「ふぅー、やっぱりシュビラは頼りになるな」


「話は終わったのか?」


「ああ、終わった」


「何か解決したのか?」


「まぁね。取り合えず、サーズについての処置を相談したんだけど、そしたら……」


「そうしたら?」


「サーズを国と認め、属国として支配すれば良いと言われた」



 あのゴブリンがそんな助言を――


 シュビラと名乗ったゴブリンに最初出会ったとき、私はシュビラを人族だと思っていた。


 人族と全く見分けがつかなかったのだ。


 ゴブリンに見えないゴブリン。


 そしてゴブリンを従えるゴブリンの女王。


 ゴブリンは無能な魔物とばかり思っていたが、どうやら、この世界は私が思うよりも広いらしい。


 賢いゴブリンもいるのだと認めさせる何かを彼女はもっていた。


 現に、助言されたと説明された内容は、良い判断だと思わせるものだった。


 私もそれには賛成した。


 後々裏切る可能性は高いが、少なくとも反乱直後の今なら、ローズヘイムに攻め込んでくるといった問題を起こすことはないだろう。


 暫くは大人しくしているはずだ。


 その間にこちらの国力を回復させればよい。


 あのニドという男は信用できないが、状況を見誤ることはしない強かさを持ち合わせているように思える。


 厄介な男であることには変わらないが――



 すると、村人がノクトを呼びに来た。


 ノード古老が呼んでいるらしい。


 到着は明日と聞いていたが、予定よりも早く到着したのだろうか。


 ノクトが出て行く。


 それにしても、あの大人しそうな娘が、この土地の出身者だったと聞かされたときは驚いた。


 事前情報では、ノクトの父が、若き頃に武功をあげたことで男爵位を授かったと聞いたが、サーズについては王国での偏見も多い。


 サーズ出身者の盗賊が多かった影響もあるだろうが、その地の者が爵位を与えられるなど、当時は誰もが考えられなかった。

 

 何か裏で別の力が働いた可能性もある。



(ノクトの祖父、ノード古老か。この者が相当の切れ者なのか、あるいは……)



 そこまで考え、ふと、マサトと二人きりになっていることに気が付いた。


 その事実に心臓がドクンと跳ねる。



(お、落ち着け。焦っては駄目だ……)



 深く息を吸って、吐き出す。


 少し床を見つめて呼吸を整えた後、ゆっくりと視線をマサトへ向けると、マサトも落ち着かないのか、何やらそわそわしていた。



(何をそんなにそわそわしてる。まさか、マサトも私と二人きりの状況に緊張しているのか……?)



 そう考えると、カーッと頭に血が上り、顔から蒸気が吹き出るほどに熱を帯びた。



(か、考えるな! そ、そうだ、何か話をして気持ちを紛らわせよう!)



「ノ、ノクト殿、遅いな」


「今出て行ったばっかりだけど……」


「そ、そうだったな。それにしても、この部屋は暑いな」


「いや…… むしろ肌寒い方だと思うけど……」



(暑いのは私だけなのか!? は、恥ずかしいー!!)



 その後も一生懸命話しかけるも、一向に会話が続かない。



(くっ…… どうやってこの薬を飲ませればいいのだ!?)



 そうだ!


 酒だ!


 酒が必要だ!


 この際味はどうでもいい!


 意思が飛ぶくらいの強い酒があれば!


 胸の鼓動が高鳴る。



「そ、そうだ! 祝杯をあげよう!」


「と、突然どうした? なぜ祝杯?」


「それは…… 確かに…… 祝杯だと変だな……」


「まぁ、あの争いの後だから神経高ぶって落ち着かないってのはあるな。寝酒ってのは良いアイディアだと思うけど」


「だろう! 寝酒が必要だ! 特別に今宵は私が酌をしてやろう!」


「お、おう。でも、肝心の酒がなくないか?」


「それは私に任せよ! 探してくる!」


「探してくるって…… あ、ちょ、待っ……」



 マサトの言葉を背に受けながら、私は酒を求めて部屋を後にしたのだった。




◇◇◇




「ここでノード古老がお待ちです」



 私を案内していた男性が、古びた倉庫のような建物の前で立ち止まり、振り返りながらそう告げました。



「は……い……? え…… ここに……?」


「あー、えーっと、今日の一件で、他の家が空いていなかったそうで……」


「……はい。そうですか」



 私が訝しんでいると、案内の男性がドアを開け、建物の中へと促してきました。



「どうぞ」



 建物の中は、古びた倉庫のような外見とは異なり、小奇麗で、ランプの灯りが複数備え付けられ、とても明るくなっていました。



「……はい」



 私は祖父を心配するあまりに、正常な判断ができていなかったのかもしれません。


 案内されるまま、部屋へと入り――



「んん!?」



 突然背後から口を押さえつけられました。



「騒ぐな! 俺だ! てめぇの婚約者様だよ!」



 耳元で聞き覚えのある声――そう、グーノムの声が聞こえました。


 私が抵抗を止めると、口を押さえていた手の力が緩まります。



「いいか? 騒ぐなよ? コロナ族の奴らに見つかれば、俺は生きてここを出られねぇ。分かってるな?」



 コクンと頷くと、少しして解放されました。


 私はすぐさま振り返り、グーノムを睨みつけます。



「こんなこと……」



 ですが、グーノムは私のその反応が気に入らなかったようで――



「なんだぁ? その挑発的な目は! 俺が死んだら困るのはてめぇもだろうが、よっ!!」



 突如、ゴッと音とともに目の前に火花が飛びました。


 ズキンと傷む後頭部。



「うぅっ……」



 激痛のあまり薄めになった視界に、振り下ろされたグーノムの大きな握り拳が入りました。



(頭を…… 殴られた……?)



 尚も怒りがおさまらないのか、グーノムの声は徐々に荒々しくなり、蹲りそうになる私を無理矢理立たせ――



「まだ、分かってねぇようだな。てめぇがあの時、俺をコケにしやがったことを忘れた訳じゃねぇぞ。後でたっぷりと誰が主人か身体に覚えさせてやるから覚悟しておけ」



 顎を掴まれ、強引に顔を上に上げさせられ――



「んん!」



 グーノムの顔が近付き、そのまま口を口で塞がれました。


 体中をぞわりと気色の悪い感覚が走り、私は条件反射でグーノムを拒みました。


 ですが、グーノムの力は強く、私程度の力では抗うことができません。


 それでも、私が頑なに唇を強く締めて抵抗し続けていると、グーノムの舌が無理矢理閉じた口をごじ開けて侵入してこようとしてきました。


 そして、そのままのしかかるように押し倒され、口を塞がれたまま胸を弄られ――


 その手が胸から下へと移り――



「い、いや!!」



 咄嗟に力を振り絞り、グーノムの身体を突き飛ばすと、拒否されたグーノムが額に青白い血管を浮かべながらこちらを睨んでいました。



「ちっ、生意気な。素直に言うことを聞いてれば可愛がってやったものを…… おい、そいつを捕まえとけ」



 今度は、壁で控えていた数人の男達が向かってきます。



「や、やめて。い、いや。近付かないで」


「おれたちも命がかかってるからな。あんたがグーノムの命令に素直に従わないなら…… 死ぬ前にみんなで楽しんでパーッと散るしかなくなるぜ? ハハ」


「オレ、最後に抱くなら、もっと肉付きの良い女が良かった」


「おいおい、贅沢言うな。穴があるだけいいだろ」


「違いねぇ」



 男達が下卑た笑みを浮かべて笑っています。


 正気じゃありません。


 何とかして、陛下に連絡を……



「あのマサトって男に少しでも俺を売ってみろ。てめぇの親父がどんな手を使って爵位を授かったか。サーズを売った罪を部族中に広めてもいいんだぞ」


「それは……」


「そうなったら、ノード古老も、お前も、お前の親父も、ただじゃ済まないんじゃないのか?」


「……」


「いいな? 俺の嫁なら、旦那である俺の命令に黙って従え」


「は…… い……」


「よぉし。じゃあ俺たちをローズヘイムに招け。上級の来賓として最大限の接待をしろ。それと、俺たちが暮らす土地や相応の金も必要だな」


「い、いいえ…… 無理です…… 私にそこまでの権限は……」



 グーノムが私の首を乱暴に掴み、再び壁へと押さえつけました。


 ドンと胸に衝撃が走り、一瞬呼吸ができずに咳込みましたが、グーノムの力が緩むことはありませんでした。



「ぐっ…… うぅ……」



 それどころか、グーノムの手の力が徐々に強くなっていきます。



(く、苦しい……)



 私は呼吸ができずにもがきました。


 でも、グーノムに力ずくで押さえ込まれてしまい、どうすることもできません。


 そんな私に、グーノムは顔を近づけ、睨みながら凄みました。



「やるんだよ。あいつに媚びるなり脅すなりなんでもやりようはあるだろ」


「ぅ……」


「あぁん? 苦しいのか? てめぇが糞みたいな返答するからだろ。自業自得だ。だが、次の返答次第ではもっと酷いぞ。泣いて殺してくださいと叫びたくなるほど、徹底的に甚ぶってやるからな。いいか? よく考えてから返答しろ」



 グーノムがそう告げた後、私の首を絞めていた手が緩まりました。



「ゴホッ…… ゴホッ……」


「やるよな? 俺はてめぇの旦那なんだ。旦那の言うことは絶対だろ?」



 ここまでの仕打ちをしておいて、私の旦那を語るグーノム。



 この男が私の――


 いえ、グーノムは私の旦那じゃありません――


 ただの婚約者です――


 父が決めた――


 父を強請って無理矢理強要させた仮の――


 でも、抵抗はできません――


 否定も――



「は、はい……」


「それでいい。やれば出来るじゃねぇか。偉いぞ」



 グーノムは私の頭を乱暴に撫でました。



「これを飲め。てめぇが裏切らないと俺に信用させろ」


「これ…… は……?」


「安心しろ。ただの魔薬だ」


「魔薬……」



 魔薬とは、鎮静や麻酔に使われる薬です。


 副作用としての依存性がかなり強いため、普段は滅多なことでは使用しません。


 サーズでは、この魔薬によって廃人になる者が後を絶たないと聞いたことはありましたが、実物を見るのは初めてでした。



「この魔薬はな、空を喰らう大木ドオバブの新芽で作った最新作だ。新作を試せるんだぜ? 光栄に思えよ。すぐぶっ飛べる貴重な代物だからな。さぁ味わえ」



 卑しく笑いながら、私へそう一方的に告げると、グーノムは私の口を無理矢理ごじ開け、口の中にその薬を入れて口を閉じさせました。



「噛め。飲み込まずに鼻で息をしろ」



 グーノムの手が再び首を絞め上げます。


 きっと薬を噛まずに飲み込ませないためでしょう。


 私は仕方なく、口の中に入れられた異物をゆっくりと噛みました。



 すると――


 口の中に、ミントのような香りが一気に広まり――



「おい、グーノム。それ使っていいのか? まともに話せなくなったらどうする」


「あぁん? 心配すんな。その方が余計なことを喋る心配もなくなる。俺が上手く取り次いでやるよ」


「頼んだぜ…… これに失敗したら、おれたちは本当に終わりだ。コロナ族に殺される。ニドがこの集落に戻ってくる朝までしか、チャンスはないんだからな」


「あぁ、分かってる。俺に任せておけ」



 グーノム達が何か話しています。


 私は意識がふわふわ。


 首を絞められた痛みも薄れ、気持ちもふわふわ。


 何も考えられなくなって――




◇◇◇




 空を喰らう大木ドオバブの根元。


 地上から突き出た根が目隠しとなり、外から死角となった暗所で、大柄の男が胡座をかいて座っている。


 その男の周囲に並ぶ、屈強な男達。


 そこへ、一人の男が音もなく近付き、跪いて頭を下げた。



「ネズミがかかりました」


「シュホホホホ。早かったですねぇ。誰ですか?」


「ナウイルの息子です」


「あの出来損ないですか。それで、匿った者の尻尾は全員掴めましたか?」


「はい。こちら側の者も数名ほど」


「それはお手柄ですねぇ。その者達は、今は何をしていますか?」



 大柄の男が聞くと、問われた男は少しの間を開けてこう答えた。



「裏切り者はまだ集落の中に。それぞれ見張りを付けていますので、逃げる事は不可能でしょう。それと、ナウイルの息子ですが……」


「どうしましたか? あなたが言い淀むとは珍しいですねぇ」


「それが…… 集落の中を堂々と歩きはじめまして」


「シュホホホホ。無能の考えることは分かりませんねぇ。ただの間抜けか、相応の策があっての行為か。あなたはどちらだと思いますか?」


「前者かと」


「シュホホホホ。そうですか。であれば殺してしまいなさい」


「それが、ノーズの娘を盾に、ローズヘイムの王との交渉を望んでいるようで」


「ほぅ? そうですか。それは好都合かもしれませんねぇ」


「というと…… 傍観でよろしいですか?」


「ええ。こちらは一切手出し禁止です。見て見ぬ振りをしてくださいねぇ」


「はっ」


「仲間を害されたとき、王がどう対応するのか。観察させてもらいますかねぇ」




◇◇◇




 質素な部屋に一人。


 特にすることもなく、ただ天井を見上げながら考える。



(故郷でもあるノクトならまだしも、部外者であるオーリアを一人で外に出してよかったのだろうか……)



 少し心配だ。


 大丈夫だろうか。


 まぁ、大丈夫か?


 仮にも騎士だし……


 いや、やっぱり危険だろう。


 オーリアが部族の人間と揉め事を起こさないとも限らない。


 探しに行こう。


 そう思い立ち、外へと出た。


 月明かりの注ぐ道には、所々で篝火が炊かれており、比較的明るい。



「さて、どこから探すか……」



 すると、遠くで怒号が聞こえた気がした。



「ま、まさか!?」



 手遅れだったかと思い、焦って騒ぎのする方角へ走った。


 すると、人垣が見えた。


 俺は近くの男へと声をかける。



「何が起きてる!? 中央にいるのは誰だ!?」


「ああ、タン族の残党が居たみたいだぞ」


「タン族?」


「今日の昼までサーズだった部族だよ。って、あんた誰だ? タン族を知らないってことは、外の者か?」


「ああ、ローズヘイムの王だ」


「ローズヘイム…… 王!?」



 驚く男。


 すると、俺の話を聞いていた女が慌てて話に割り込んできた。



「あんたローズヘイムの人かい!? 早く止めた方がいいよ! グーノムの屑野郎がローズヘイムの娘を盾に取ってるって!」


「ま、まじか。ちょ、どいてくれ!」



 オーリアか!?


 だが、オーリアがそんなに簡単に捕まるだろうか?


 もしや、ノクト……


 人混みを割って入るが中々進まない。


 気持ちだけが焦る。



(ああ、中々進まない!!)



 丁寧に歩いて向かう必要はない。



(ええい、飛んでしまえ!)



 炎の翼を具現化させると、近くにいた者達が驚きのあまり後退った。


 篝火と月明かりだけで照らされていた空間が、突如として現れた火柱により、パァッと朱色に染まる。


 俺は何事かと上を見上げる者達の頭上を飛び越え、人集りの中央へと急いだ。



 そこに居たのは――



「へ、へへ。間一髪ってとこか。お偉いさんの到着だ。危うく殺されるところだったぜ」



 グーノムと数人の男達。


 それと、ノクトだった。



「ノクト!? グーノム、お前ぇ!!」



 地上へ降り立ち、ノクトのもとまで駆けよろうとすると、グーノムがノクトの肩を抱き寄せ、頬を擦り合わせた。



「誤解すんなよ。こいつは俺の嫁だぜ? おい、ノクト。勘違い野郎になんか言ってやれ」


「は…… い……」


「何ぃ? 旦那の俺とその仲間をローズヘイムに招きたい? そりゃあ旦那思いの良い嫁だ!」



 グーノムとノクトのやり取りに言葉を失う。



(なんだこの茶番は…… つか、ノクトどうしちゃったんだよ! 幻術か!? くそ、俺じゃ判断できない…… こんな時にオーリアは、どこほっつき歩いてんだ!)



 だが、グーノムの言葉が信用できない程度のことは判断できる。



「そんなこと俺が信用するとでも思ってんのか!? 付くならもっとマシな嘘をつけよ!」



 俺の言葉に、グーノムの目元がピクピクと動き、みるみるうちに額に青白い血管を浮かび上がらせた。


 だが、グーノムは俺ではなく、ノクトへと話しかける。



「ノクトぉ、あいつあんな事言ってるぜ? お前の口からちゃんと言ってやれ」



 とろんとした瞳でノクトが呟く。



「陛下…… グーノムを……」


「ノクト……」


「ローズヘイムへ…… お招き…… しましょう……」



 ノクトがそう告げ、グーノムがしたり顔で視線を俺へと向けてきた。


 なので、俺は――



「阿保か! 断る! お前みたいなクズ野郎とは、もう金輪際、ノクトには近寄らせない! ここでお別れだ!」


「なんだとてめぇ! 何の権限で…… くっ…… ノクトがお願いしてんだぞ!? お前は仲間のノクトが未亡人になってもいいのか!?」


「だから、そう言ってんだろ!!」


「て、てめぇ!!」



 すると、仲間の男達が焦った様子でグーノムを宥めた。



「お、おいグーノム! ここで短気を起こしてどうする!」


「抑えろ! 死にたいのか!?」


「くっ、うるせぇ! 分かってらぁ! おい! ノクト! ちゃんとお願いしてこい! いいか!? 失敗するなよ!」



 茹で蛸のように顔を真っ赤に染めたグーノムが、俺へ向かってノクトを突き飛ばした。


 突き飛ばされたノクトがよろけ、そのまま倒れこみそうになる。



「あ、おい! 危ない!」



 すんでのところでノクトを受け止めると、ノクトから何やら甘い香りが漂ってきた。



「なんだこの臭い…… ノクト、大丈夫か?」



 とろんとした瞳が再び向けられる。


 ふと、ノクトの首元が視界に入った。


 その首には、つい先程まで無かった青痣が横一文字についており――



(あれ…… なんだこれ…… もしかしてこれって…… 首を絞められた痣か……?)



 そう思い至ると、自分でも驚くくらいに全身の毛がピリピリと逆立った。



「ノクト! あいつに何された!? おい! しっかりしろ!」


「はい…… 陛下…… グーノムを……」


「それはいい! だから何を……」


「ご奉仕…… しますから……」



 ノクトの手がゆっくりと下半身へと動く。



「ばっ! よせ!」



 その手を掴み、やめさせる。



(ノクトは一体どうしちゃったんだ!? くそっ! これじゃ埒があかない。そうだ! この時のために薬学者アポセカリーに作らせておいた万能薬エリクサーが!)



 俺はポーチから万能薬エリクサーもどき――薬学者アポセカリーの二人に作らせた万能薬エリクサーの試作品を取り出した。


 6等級相応の状態異常を回復できるらしいが、使うのは初めてだ。


 虫栗色むしぐりいろの液体が、試験管のような細長い容器に入っている。


 それをノクトへと無理矢理飲ませると、ノクトの身体が淡く輝いた。



「お、おい! てめぇ、俺の嫁に何しやがった!?」



 グーノムが何か騒ぎ、こちらへ向かって走って来る。


 俺はそれを、火魔法を撃つことで立ち止まらせる。


 俺とグーノムの間で、放たれた火の玉が地面にぶつかり、ドンッと音とともに小爆発を起こした。



「ぐわっ!? な、何すんだ!?」


「それ以上近付けば、次は当てる。そこで大人しくしてろ」



 ノクトに視線を戻す。



「大丈夫かい? 俺の言うこと理解できる?」


「は、い…… 陛下…… すみません…… 私……」


「いい。謝らなくて。それより、ノクトはグーノムを助けたいのか? 正直な気持ちを教えてほしい」


「私は……」



 ノクトの言葉を遮るように、グーノムが叫ぶ。



「ノクト! 分かってるだろうな!?」


「うっ……」



(くそ、あいつノクトに何したんだ!? なんでノクトはあんな奴の言うことを聞いてんだ!? 訳わかんねぇ!)



 ノクトがグーノムの言葉を聞いて苦しそうに悩んでいる。


 だから俺は、そっとノクトの耳を塞いでやった。



「あっ……」



 ノクトが驚いた表情で、こちらを見返す。


 そして、俺の手に触れると、口をきゅっと結び、泣きそうな顔をした。


 そんなノクトへ、俺はもう一度ゆっくりと問う。



「ノクトは、どうしたいんだい?」




◇◇◇




 意識が戻ってきます。


 先程までのふあふあした気持ちが、嘘みたいに綺麗になくなっていきました。


 目の前にはマサト陛下。


 心配そうな表情で私を見ています。


 優しい瞳。


 嫌な声から私を守ってくれている温かい手。


 この人なら、私を助けてくれるかも知れません。



 あの男から――



 今日、グーノム本人に会うまでは、私は婚約者に対して淡い希望を抱いていました。


 親が強請られて決めさせられた婚約とはいえ、それは親同士の話。


 私の婚約者となる人が、父が話すような酷い人だとは限らないと。


 でも、現実は違いました。


 父の言葉は正しかったのです。


 私の婚約者、グーノムは、最低な男でした。


 複数の女を侍らせ、私を道具としてしか見ていない、最低な男。



 挙げ句の果てには――



 私は、あの男に何の恩義もありません。


 でも、私が我慢しなければ、祖父と父が悲しみます。


 それは嫌です。


 私さえ我慢すれば――


 私さえ――



「は、い…… つら、い…… です…… 我慢するのは…… つらい……」



 涙とともに、自然と声が漏れました。


 答えになっていない答え。


 でも、マサト陛下は優しく微笑み、ゆっくりと頷いてくれました。



「わかった。それで十分だ」



 そのまま抱き寄せられ、背中をポンポンと叩いてくれました。


 空の旅で怯えきったオーリア様にしていたように、優しく背中をポンポンと。


 自然と肩の力が抜け、厚い胸板と太い腕に守られて、今まで感じたことのない安心感に包まれました。



「後は俺に任せろ」



 そう私に告げて、マサト陛下はグーノムへと歩いて行きました。


 私はその背中を見つめ、込み上げてくる感情が溢れ出ないように、キツく口を締め――


 溢れる涙を拭いながら、マサト陛下に向かって頭を下げました。


 感謝と謝罪を胸に――

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