133 - 「クズノハ」


 北への遠征準備のため、今日は一日フリーだ。


 ローズヘイムへ来てからというもの、心穏やかに休める日が全くなかった気がする。


 いや、この世界に転移してきてからずっとイベントの連続だったかもしれない。



「……色々あったなぁ」



 ベッドの上で、窓から差し込む日差しに照らされてきらきらと光る埃を眺めながら、濁流のように過ぎ去った日々をぼーっと振り返っていた。



 転移直後、巨大な亀に噛み付かれたこと。


 ジャガーに襲われたこと。


 剣牙獣に追いかけ回されたこと。


 ワイバーンに喰われかけたこと。


 童貞の卒業。


 火傷蜂ヤケドバチの群れに突っ込んだこと。


 岩熊ロックベアを一刀両断したこと。


 まだある。


 ベルを助けたり、ソフィーにストーカーされたり……


 ラミアを助けようとしたら、鋼鉄虫スチールバグの大群に襲われたこともある。


 木蛇ツリーボアとも戦った。


 土蛙人ゲノーモス・トードの軍隊と戦争したと思えば、一国の女王を泣かせたり、後家蜘蛛ゴケグモとの抗争で瀕死になったりと、本当に刺激的な毎日だった。


 今日一日くらい、部屋でゆっくりしていても罰は当たらないだろう。


 そう思い、部屋の窓から中庭を眺めた。


 中庭には、壊死寸前だったとされるコシの木が生えている。


 コシの木とは、高級香辛料の原料となる実をつける貴重な木だ。


 屋敷を買ったときは、周囲を建物で囲んだ場所にひっそりと生えていたのだが、どうやらトレンが陽当たりの悪かった場所から植え替えたようだ。


 前にトレンが話していたコシの木の再生方法は、ベルの血を木に吸わせるという異端地味たものだったが、なんとそれだけで木が息を吹き返し始めたのだから、このファンタジー世界は侮れない。


 トレン曰く、ベルの血に流れる [状態異常無効] の適性にそういう作用があると、借金のカタとして手に入れた古書に書いてあったのだそうだ。


 その話を聞いた俺が、軽い気持ちで「それならベルの血清でエリクサー的な万能薬作れてもおかしくないかもね」っていったら、それをたまたま聞いていた薬学者アポセカリーの二人が雷に打たれたような顔をしていたっけ……


 二人には、ベルを人体実験のモルモットにしたら許さないと釘を刺しておいたので大丈夫だとは思うが、少し心配だ。


 なんせ彼らには前科があるから……

 


「ん? あの狐耳……」



 ふと、中庭の端で一人体育座りの体勢で、膝に頭を乗せて小さく蹲っていた狐人族のクズがいるのが見えた。



(そういえば…… クズに母親のことを触りだけ伝えたんだよな……)



 寂しいだろう。


 親に甘えたい時期に、親に捨てられて独りぼっち。


 小さい頃の俺なら耐えられただろうか?


 いや、無理だ。


 中庭の隅で一人小さくなっているクズの姿に、胸がズシリと痛む。



(クズともっとちゃんと話をしよう)



 中庭へ出ると、困り顔のフェイスが、壁に寄りかかりながらクズを見ていた。



「あれ、フェイスさんここで何してるんですか?」


「お、マサトっち…… じゃなくて陛下いいとこへいらっしゃいました」


「いやいや、普通でいいですって…… っていうか、このくだり何回やるんですか?」


「ははは、まぁまぁ。そんなことより、クズに会いに来たんだろ?」


「はい。俺の部屋から見えたので。フェイスさんも?」


「ああ。だが、おれっちには全く心を開いてくれなくて困ってたんだよ。ここへ来てからずっとあの調子じゃあほっとけないだろ?」


「確かに」



 さすがはフェイスさんだ。


 クズに気を配ってくれていたなんて。


 普段は空気が読めないチャラ男みたいな人だが、あれは場を和ませるために敢えて空気を読んでいないだけなのだろう。


 やべ、フェイスさんがイケメンに見えてきた。



「じゃあ、マサトっちが来たことだし、おれっちは行くぜ。バトンタッチだ」


「分かりました。フェイスさんはこれからどこに?」


「ん〜、今日は非番だからな。酒場で聞き込みでもするさ」


「それいつもと変わらないじゃないですか」


「ははは、違いねぇ」



 フェイスさんを見送り、クズへと向き直る。


 クズは、白いノースリーブに、薄い桜色のシンプルなサンダルを履いていた。


 ちゃんと服が支給されていたことに少し安堵する。



「クズ、ちょっとお話できる?」



 黄金色の狐耳がピクピクと動き、ところどころに薄い桃色のメッシュが入った黄金色の髪を揺らしながら、ゆっくりと頭を上げた。


 ずっと泣いていたのか、目元は真っ赤で、涙やら鼻水が凄いことになっている。



「あー、鼻水が凄いことになってんな…… ちょっと待ってろ。ハンカチはっと……」



 ポケットからハンカチを取り出して、クズの涙と鼻水を綺麗に拭き取ってあげる。



「はい、ちーんできる?」


「……うん。すぅー…… ブブー」



 びちょびちょになったハンカチを畳んでポケットへしまい込み、何事もなかったようにクズの横に座る。



「今日はいい天気だね」



 クズからの返事はない。


 だが、少しだけ頷いたようだ。



「そういえば、持ってたぬいぐるみは?」


「……おけが、したの」


「おけ? あーお怪我? なるほどね。じゃあ今は治療中かな?」



 再びクズが頷きで返す。



「そのぬいぐるみのお名前を教えてくれる?」


「……メイ」


「メイちゃんか。女の子だよね?」


「……うん」


「じゃあ、そうだな。メイちゃんが元気になったら一緒に遊べるように、メイちゃんのお友達を探しに行こう!」


「……え」



 クズがゆっくりと振り向く。


 それを、俺はとびっきりの笑顔で迎えた。


 俺を見つめる赤と白の瞳が、小刻みに左右へ揺れている。


 クズは盲目だと思っていたのだが、完全に視力がないのではなく、赤い方の瞳なら、ぼんやりと見えるらしい。


 白い方の瞳は、白鼠色の千里眼マナ・クレアボヤンスという魔力マナの放流が見えるという特殊な瞳だ。


 この白鼠色の千里眼マナ・クレアボヤンスは、特殊な力を持つ反面、代償も大きい。


 まず、白鼠色の千里眼マナ・クレアボヤンスは、魔力マナ以外のものが視えない。


 万物は少なからず魔力マナを身に纏っているため、魔力マナの流れによって、その物の形が把握できる。


 それだけでなく、魔力マナの色合いや雰囲気によって、人の感情なども感じ取れるとのことだ。


 魔力マナを視認できるという弊害は、思いの外大きく、白鼠色の千里眼マナ・クレアボヤンスとは関係のない、正常なはずのもう片方の瞳まで悪影響を及ぼしていた。


 白鼠色の千里眼マナ・クレアボヤンスの能力保持者は、例外なく視力が極端に低くなるらしい。


 魔力マナの視認と、光の視認では、瞳の焦点が違うせいなのだろうか。


 視力が下がっただけであれば、眼鏡でどうにか見えるようにならないかと考えたのだが、視力というより、識別能力が白鼠色の千里眼マナ・クレアボヤンスによって歪められているらしく、眼鏡ではどうにもならないらしい。


 そう考えると少し切なくなってくるのだが、そんな気持ちをぐっと堪えて、最高の笑顔でクズに答える。



「お兄ちゃんに任せなさい! こう見えて、結構お金は持っているんだ! はっはっは」



 その場から立ち上がり、大袈裟に自慢してみせた俺を、クズは呆気にとられながら見つめている。


 クズの瞳に、俺がどう映っているのかは分からないが、リアクションからして雰囲気は伝わったのだろう。


 少しずつ、本当に僅かだが、クズの固まった表情が緩んでいっている気がする。



「メイちゃんのお友達、お兄ちゃんと一緒に探しに行くかい?」



 狐耳がぴくぴくと動き、左右の色が違う瞳が驚きで大きく見開かれていく。


 少しずつ俺の話したことを理解し始めたのだろう。


 黄金色の綺麗な尻尾がふわりと動き、少しだけ、ほんの少しだけクズが微笑んだ気がした。



「メイの、おともだち。さがしにいくの?」


「ああ! 探しに行こう!」



 差し伸べた手に、恐る恐る手を伸ばすクズ。


 その手を優しく握ると、ゆっくりと立たせてあげた。



「よーし! じゃあ出発!」


「……うん!」




◇◇◇




 日が沈み始めた夕暮れ時を、肩を落とした二人の兄妹が、仲良く手を繋ぎながら歩いている。


 一人は人族、もう一人は狐人族だ。


 実際には兄妹ではないが、はたから見れば兄妹そのものだった。



「……見つからなかったね」


「……うん」


「また今度探しに行こう」


「……うん」



 ぬいぐるみを探しに街へ行ったはいいが、肝心のぬいぐるみが売っていなかった。


 復興に向け前進はしているが、娯楽品まではまだ手が回っていなかったらしく、そもそも開いている店が少なかった。


 だが、大見栄きった手前、手ぶらではさすがに帰れない。


 そう思った俺は、雑貨屋で花の髪留めを買っておいたのだが、足取りは重い。


 屋敷へ着くと、ぬいぐるみを抱えたベルが駆け寄ってくるのが見えた。



「マサトー、クズちゃーん」


「おー、ベル。ただいまー」


「ベルおねえ、ちゃん?」



 それまで意気消沈していたクズに、少しだけ明るさが戻る。



「遅くなっちゃってごめんね。でも、治療は無事に終わりました! メイちゃんは元気いっぱいだよ」


「うん! ありがとう、ございます…… ベルおねえ、ちゃん……」



 ぎこちなく微笑むクズ。


 だが、笑顔から一転、急にしくしくと泣き始めた。


 最初は嬉し泣きかと思ったのだが、どうやら違うらしい。


 悲しい記憶でも思い出してしまったのだろうか。


 ベルと二人でクズを囲み、おろおろし始める。



「クズちゃん、ど、どうしたの?」


「どっか痛むのか? 大丈夫?」



 つぎはぎだらけのぬいぐるみに顔を埋めながら、クズが震える声で聞いてきた。



「おかあ、さん。クズ、わるい子だったから、クズを、おいていっちゃったの? クズ、わるい子だったから?」



 ベルと顔を見合わせる。


 子を捨てるような親の気持ちなど分からない。


 でも、これだけは言える。


 クズはわるい子なんかじゃない。



「違うよ。クズはいい子だよ。今も、これまでもね」


「そうだよ。クズちゃんは、いつもいい子にしてたよ」


「じゃあ、なんで、おかあさん、クズをおいていっちゃったの?」


「それは……」



 ベルと二人で言葉に詰まる。

 

 純真なクズに嘘はつきたくなかったが、真実を伝える勇気はなかった。


 だが、クズ一人くらい追加で背負っても問題ないだろう。


 決意が固まる。



「クズのお母さんは、病気だったんだ。病気で死んだだけ。だから、クズが悪い子だからおいていったわけじゃない。きっと、そうするしかなかったんだよ」


「……ほんと?」


「ああ、本当」


「うう…… おかあさん…… あいたいよぉ……」



 胸が締め付けられる。


 正直見てられない。


 ベルも共感する部分があるのか、辛そうな表情をしながらクズを見つめている。



「おかあさん…… いい子にします…… クズ、いい子にします…… あいたいです…… おかあさん……」



 再び泣き始めてしまったクズを、優しく抱き寄せる。


 そして、背中をゆっくりとさすりながら、こう告げた。



「クズ、お兄ちゃんと家族にならないかい?」


「……かぞ、く?」


「そう、家族。そうだなぁ、お兄ちゃんの妹? が、いいかな? どう?」


「いもうと……」



 そう言いながら顔を上げたクズの顔は、また涙と鼻水が凄いことになっていた。


 それを自分の服の端で拭き取ってあげる。


 赤く充血した瞳が、その心の不安を表すかのように、小刻みに左右に揺れている。


 だから、俺は満面の笑みでこう聞いた。



「お兄ちゃんと家族になるのは嫌かい?」



 クズは顔をブンブンと左右に振って否定した。



「じゃあ、決まり! これからは俺のことを兄ちゃんと呼ぶように」


「……あん、ちゃん?」


「なんだい? 妹よ」


「……あんちゃん」


「うんうん、偉いぞ。我が妹よ! 欲しい物があったら遠慮せずになんでも言うんだぞ?」



 その発言に、ベルが苦笑いを浮かべながら「マサトに子供できたら、我儘に育ちそう」と呟いた。


 場が和んだことに、少し調子にのってしまう。



「もう家族だからな。家族同士で遠慮する子は、悪い子だ」


「ク、クズは、いい子にします! いい子にしますから!」


「あわああ…… ご、ごめんごめん、大丈夫。大丈夫だから! 悪い子っていうのは嘘! そう嘘、嘘だからね?」



 失敗した。


 悪い子という言葉にトラウマがあるのか、過剰反応してまた泣き崩れそうになったクズを、そっと抱き寄せながら、子供をあやすように背中をぽんぽんと叩いて落ち着かせる。



(これは暫く悪い子って言葉は禁句だな……)



「そうだ、お兄ちゃんと家族になった記念に、クズに新しい名前をあげなくちゃなぁ」


「おなま、え?」


「そう、名前」


「クズは、クズ、です。おかあさんに、もらった、おなまえ、です」



(うーん、嫌なのかな? でもなぁ…… 名前の由来をパークスから聞いたせいで、嫌なイメージしか湧かないんだよな……)



「じゃあ分かった。クズノハって名前ならどうだい?」


「クズ、ノハ?」


「そう、クズノハ」


「マサト、その名前って、何か由来とか、意味のある言葉だったりするの?」



 ベルが中腰になりながら、マサトへ問いかけた。



「あるよ。俺のいた世界での伝説だけど……」



 クズノハ――正確には、葛の葉くずのはという。日本に伝わる伝説上のキツネの名前だ。


 狩人に追われていた白狐を助けて怪我をした主人公の前に、葛の葉くずのはという女性が現れ、恋仲になり、ついには結婚して子供をもうけたという話。


 この葛の葉くずのはというのが、主人公が助けた白狐が化けた姿なのだが、クズという名前から葛の葉くずのはの話を思い出して、クズノハと名付けたに過ぎない。


 特にこの子と結婚したいとかそういう願望はない。決してない。ないよ。ないからね? 少なくとも今は。



「へぇー…… そんな伝説があるんだ……」



 ベルの声のトーンが少し落ちる。



(……ん? ベル?)



 だが、次の瞬間にはいつもの明るい笑顔で、クズへと話しかけていた。



「クズちゃん、良かったね! 私は凄く良い名前だと思うよ。正直ちょっと羨ましいかな」


「……うん。おなまえ、ありがとう、ございます。クズは、クズノハに、なります。あんちゃんと、けっこんして、かぞくに、なります」


「「えっ?」」



(どうしてそうなった)



 ベルと顔を見合わせる。



「あ、いや、結婚は名前の由来の話だから、そういう意味じゃなくて……」


「そ、そうだよ? マサトにはもう婚約者がいるから結婚は……」


「えっ?」


「あっ……」



 ベルが顔を真っ赤にしながら口を手で押さえた。


 一方で、結婚を否定されたクズノハの口元がへの字に曲がり、また瞳が潤み始めた。



「い、いい子にします。いい子にします……」


「あああ、違う違う、泣かなくていい。参ったな…… クズノハは、お兄ちゃんとは兄妹になったから、もう家族! 結婚する必要はないんだよ? お兄ちゃんと家族になるってだけじゃ嫌かい?」


「い、いやじゃない、です! あんちゃんと、かぞくに、なりたい、です…… おねがい、します…… おねがい……」


「おおうおうおう…… よーしよしよし。泣かなくてよろしい。じゃあ、お兄ちゃんと家族になった記念に、これもあげよう」



 不安そうな顔で祈るクズノハの髪に、雑貨屋で買っておいた花の髪留めを付ける。



「わぁ、クズノハちゃん、良かったね! 凄く可愛いよ!」


「う、うん。あ、ありがとう、ございます」


「壊れたり、無くしたりしても、また新しい髪留め買ってあげるから、もし無くしちゃっても遠慮せずに言うんだよ? 約束」


「やくそく、します。やくそく」


「よし、いい子いい子」


「……あんちゃん」



 今度こそ嬉し泣きしそうになっているクズノハを、潰れない程度にぎゅうっと抱き締める。


 クズノハの、細く、短い腕が、胸板の厚いマサトの背中へ手を回そうとするが、案の定届かず、すぐ脇の下の部分をぎゅっと掴んだ。


 抱き合う兄と幼い妹に、それをすぐ側で微笑む白髪の少女。


 夕陽に照らされて長く伸びた三人の影は、クズノハが心の底からほしいと求め、ずっと夢見ていた家族の形、そのものだった。



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