112 - 「もう一つの戦場」

 屋敷の中で一波乱があった一方で、屋敷の外では癒し手ヒーラー達の治療準備が着々と進められていた。



「今日は傷病者の選別トリアージから行います。重傷者から優先的に治療を始めますが、辛くなり始めたら無理せずに申告してください。今日の進捗を見て、今後のペース配分を相談して決めたいと思います」


「「「はい」」」



 戦場の癒し手バトルフィールド・メディックのロイが、礼拝堂の癒し手ヒーラー・オブ・チャペルの四人を先導していく。


 衛生兵メディックとしての経験が、彼を自然とそう行動させたのだろう。


 他の癒し手ヒーラー達も、彼を現場のリーダーとして指示を仰ぐのは当たり前かのように従っていた。


 マーチェの案内で怪我人を収容した仮説テントまでやってくると、その中の状態を見たロイが、「あれ?」という顔をしながら首を捻る。



「マーチェさん、ここにいる人達が重傷者ですか? これで全てですかね?」



 問われたマーチェは、なぜロイにそのような質問をされたのか、その意図が分からず、素っ頓狂な声をあげて聞き返した。



「へぁっ? あ、その、さすがに多いですよね……」


「いえ、そういうことを聞いているのでは……」



 ロイの言葉を最後まで聞かず、マーチェは続ける。



「あ、もしダメそうな人がいたら、安眠場に移動させますので……」


「安眠場?」


「は、はい…… はい?」



 ロイが安眠場について聞き直すも、マーチェはなぜ聞き直されたのか分からないという表情をしていた。


 それもそのはずで、マーチェが今説明した安眠場というのは、この世界での一般的に使われている単語だったからだ。


 当然、その意味を知らないロイは理解できず、そのままマーチェに聞き返す形となった。



「すみません。ここの常識に疎くて…… 安眠場について簡単に説明してもらえますか?」


「あ、はい! そういうことか! えっと、安眠場っていうのは、もう治療の施しようがない怪我人を集めた場所のことで…… えっと…… その…… 静かに死を待つ場所です」


「なるほど。理解できました。ありがとうございます。では、そこへ案内してもらえますか?」


「えっ? あ、は、はい!」



 ようやく話の噛み合ったマーチェに再び案内され、屋敷の敷地の外へと移動する一同。


 案内された場所は、周りに建物のない空き地に、ぽつんと建つ、寂れた古屋敷だった。


 空き家であっただろうその屋敷の周辺には、雑草が生い茂り、花壇らしき痕跡の残る岩のブロックが散乱している。そして、屋敷の方角からは、時折鼻をつくような腐臭が、風に運ばれて漂ってきていた。



「こ、ここです。あの、病気がうつるといけないので、あ、あまり長居しないでくださいね?」


「ええ、大丈夫です。心得ています」



 そういって立ち入った屋敷の中は酷いものだった。


 何年も使われずに放置されていたであろう屋敷の中は、家具や床一面に、灰色の埃が大量に積もり、天井には、主人のいなくなった蜘蛛の巣が、ほこりを無数に垂れ下げていた。そして壁には、黒い虫が無数に這って移動しているのが見える。



「う、うぇ……」



 黒い虫が這うのを見たマーチェが、肩を竦めながら小さく悲鳴をあげる。


 部屋の中の換気も悪く、死体から発生したであろう腐臭やガスが充満しており、外にいた方が幾分か衛生的だともいえる程に酷かった。


 さすがのロイも、顔をしかめながら屋敷の中を進む。


 癒し手ヒーラー達も、文句一つ言わず、袖で口元を押さえながら後をついてくる。


 顔をしかめたマーチェが、部屋の入り口で立ち止まり、中へと促した。その顔は今にも吐きそうなくらい青い。とても辛そうだ。



「こ、ここが広間、です。うっぷ……」


「案内ありがとうございます。辛いようでしたら、マーチェさんは先に戻っていいですよ。後は自分達がどうにかしますので」


「そ、そういう訳には…… ゔっぷ」



 屋敷の広間まで通されたロイ達は、そこに横たわる負傷者達を見て回った。



「この人も、この人も…… この人もまだ助かる…… 命だけは助けられる」



 そう言いながら、まだまだ助ける余地のある怪我人を選別していく。



「マーチェさん、ここにいる人達は、戦の後でなければ、ちゃんと治療を受けられた人達ですよね?」


「え? い、いや…… 多分、無理だと、思います……」


「そうですか…… 分かりました」



 すると、奥の部屋から何やら言い争うような声が聞こえた。


 すぐさま駆け付けると、二人の兵士に、一人の女性が何やら縋り付いているようだった。



「何をしているのですか?」


「あ? 何って…… お前誰だ? 見かけない奴だな。ここは立ち入り禁止……」



 兵士の一人がそう言い終えるよりも早く、マーチェがロイと兵士の間に割って入った。



「ストーップ、ストーップ! この人達は竜語りドラゴンスピーカー癒し手ヒーラー達だよ! 話は事前に聞いてるだろー!?」



 マーチェの言葉に、緊張した面持ちだった二人の兵士がホッとした表情に変わった。



「何だよ、そうならそうと最初から言ってくれ。ここはただでさえ追い剥ぎしようと忍び込む輩が多いんだ」



 一人の兵士がそう話すと、もう片方の兵士が疑問を口にした。



「なぁ、それより何で癒し手ヒーラー様方がここに? ここは安眠場だぜ?」


「それは……」



 マーチェが二人の兵士に質問されて言い淀む。


 マーチェもなぜここに案内することになったのか理解していなかったのだった。そんなマーチェの視線を浴びたロイは、「もちろん治療するためですよ」と言って、軽く笑った。


 お互いに顔を見合わせる兵士二人に、今度はロイが質問した。



「それで、さっきの言い争いは何が原因ですか?」


「ああ…… それなら……」



 一人の兵士が、気まずそうに頭をかきながら、部屋の隅に置いてあった小さめのテーブルで眠る子供を指差した。先ほどの女性は、その子供の手を握りながらすすり泣いている。



「その坊主はもうダメだ。だから腐る前に埋葬場に連れてこうとしたんだよ。そしたらその母親に縋り付かれて困ってたんだ」


「なるほど……」



 状況を理解したロイが、先ほどの女性――静かに横たわる子供の母親へと優しく話しかける。



「お子さんを少し診てもいいですか?」


「は、はい…… マストが…… マストが返事をしないんです…… さっきまで…… さっきまで心配し過ぎだって言って笑ってたのに…… どうして…… どうして……」



 母親に手を握られた子供は、死人のような寝顔で、テーブルの上に力なく横たわっている。



「ちょっと失礼します。外傷は…… 頭に鉄の杭か……」



 子供の頭部には、鉄の杭が突き刺さっていた。



「皆は諦めろと…… でも…… でも、この子さっきまで元気に話を…… ううっ……」



 母親は、何度も何度も、祈るように、動かなくなった子供の手を両手で摩り続ける。冷たくなった手を両手で温めようとしているようだった。



「そらダメだろ…… あんな状態じゃあ…… なぁ?」


「そうだな。時間の問題だ。腐敗が進む前にとっとと連れて行こう」



 二人の兵士が仕事をしようとするのを、癒し手ヒーラー達が二人の進路に立ち塞がる形で自然と制した。



「お、おい…… あんたら何を……」


「助けるんですよ。ここに居る人達を」



 そう言うと、ロイは母親から視線を外し、癒し手ヒーラー達の顔を見た。



「皆さん、手を貸してください」


「はい。最善を尽くしましょう」



 ロイの言葉に、とろんとした垂れ目を閉じ、優しく微笑んでそう答えたのは、礼拝堂の癒し手ヒーラー・オブ・チャペルの一人であるクララだ。


 クララに続き、他の三人――シエナ、カルメ、キュリも同じように聖母のような微笑みで頷く。


 その行動の意味を理解できずにいたのは、マーチェと兵士二人だけだ。



「……え? この子、助けるんですか? ほ、本気?」


「む、無理だろ…… だって頭に鉄が刺さってるんだぞ?」


「それに血だって大量に出て……」



 動揺するマーチェと、困惑する兵士二人に、迷いのない瞳を向けながら、ロイがはっきりと答えた。



「はい。それでも、助けます。助けてみせます」


「で、でも……」


「大丈夫。自分達に任せてください。なので、少しの間、この子の母親のことを任せてもいいですか?」


「う、うん」



 そのやり取りを聞いていた母親が、ロイの足元に縋り付いた。



「ど、どうか息子を見捨てないでください! お金は…… お金はどうにかしますので! どうか、どうか!」


「はい。最善を尽くしてみます。なのでお母さんは少し離れていてください」



 泣き縋る母親をマーチェへ預け、ロイは癒し手ヒーラーの四人へ再び視線を向ける。

 


「この子を助けることができれば、この屋敷にいる大半の人は治療できるはずです。急ぎましょう」


「「「はい」」」



 ロイには、共同での治癒魔法ヒーリング行使の経験はなかった。


 だが、この四人となら問題なく出来る気がしていた。これも召喚の影響だろうか。


 ロイが子供の頭に刺さった鉄の杭を掴むと、四人の癒し手ヒーラーがテーブルの四方を囲み、両手を広げて詠唱を開始。



「万物に宿りし母なる魔力マナよ、この者の傷を癒し給え―― 《 治癒ヒール 》 」



 四人の癒し手ヒーラーの両手から白い光の粒子が、テーブルの上で横たわる子供へと降り注ぐと、子供の身体を白い膜のような光が包み込んだ。


 ロイが治癒魔法ヒーリングの効果に合わせて、ゆっくりと鉄の杭を頭から引き抜く。


 その光景を、子供の母親とマーチェ、兵士二人が息を呑みながら見守る。


 鉄の杭を抜き終わると、ロイはすかさず再生魔法リジェネレーションを行使した。



「万物に宿りし母なる魔力マナよ、この者が失いし命の息吹を、我の魔力マナから分け与え給え―― 《 母なる魔力の血潮再生ブラッド・リジェネレーション 》 」



 ロイと子供が淡い緑色の粒子に包まれると、途端に子供の顔色が良くなり始めた。



「う、ううん…… あ、あれ…… ぼく…… いつの間にか…… 寝ちゃってた?」


「あ、ああ…… マ、マスト!!」


「お、お母さん…… く、苦しいよ」


「何ともないのかい? 痛いところはないかい?」


「うん…… あれ? 痛くないよ? ぼく、助かったの?」


「そう…… そうだよ…… ああ、僧侶様、本当に、本当にありがとうございました……」


「いえ、助けられて良かったです」


「お金は必ず用意します、必ず……」


「お金はいりませんよ」


「そ、そんな…… ですが……」



 困惑する母親に、クララが優しく微笑みながら話しかける。



「全てはマサト様のご意向なのです。私達はマサト様に仕える巫女であり、神に祈りを捧げる信徒でもあります。そのマサト様が、困った者がいれば手を差し伸べよ、負傷者は全ては無償で助けよと仰りました。そのご意向を実現するべく、お仕えするのが私達の役割でもあるのです。ですので、私達ではなく、どうかマサト様に、その感謝の気持ちをお伝えください。そして、マサト様や、他の者が同じように困っているのを見かけたら、今度はあなたが手を貸してあげてください。それをマサト様は望んでおられます」


「わ、私が……」


「はい。あなた方に、マサト様のご加護があるようにお祈りしています」


「あ、ありがとうございます…… ありがとうございます……」



 母親と歩けるくらいにまで回復した子供が、二人で何度もお礼を言いながら部屋から出ていくのを皆で見送る。


 すると、兵士二人が驚きの表情でロイ達を見てこう言った。



「は、高僧ハイプーリストの方とは知らず! ご、ご無礼をお許しください!」


「も、申し訳ありませんでした!」



 兵士二人が膝をついて頭を下げて謝罪を口にした。


 この世界での高僧ハイプーリストは、大抵が高い地位についた貴族か、教会の幹部かのどちらかである。


 このフログガーデン大陸では、癒し手ヒーラー達が少なく、教会がその技術を独占しているために、治癒魔法ヒーリング自体の効果水準が低い。


 その環境下において、高僧ハイプーリストから嫌われることは、街で治療を受けられなくなるのと同じ。兵士だけでなく、民にとっては王族と変わらないくらいに無礼を働いてはいけない存在だった。



「い、いえ、自分は高僧ハイプーリストではありません。ただの衛生兵メディックです」


衛生兵メディック? はは、ご謙遜を。それでは俺たちはこれで……」



 逃げるようにしてその場から立ち去る兵士達。


 去り際に「竜語りドラゴンスピーカーには高僧ハイプーリストもいるのかよ……」と話す声が聞こえてきたのだった。



「参ったな。自分程度の実力で高僧ハイプーリストなんて……」



 恐縮するロイに、クララが語りかける。



「謙遜なさることはありません。ロイ様は素晴らしい実力をお持ちです」


「クララの言う通りだ。母なる魔力の血潮再生ブラッド・リジェネレーションなんて初めて聞いたぞ? 創作魔法オリジナルか?」



 そう聞いたのは、緋色ひいろのウェーブヘアーに、はち切れんばかりの胸元をローブから覗かせたカルメだ。



「い、いえいえ。そんな大層なものじゃないですよ」


「ロイくん、すごぉ〜いね! キュリ尊敬しちゃうなぁ〜。お胸がトクントクンするよぉ〜」


「あ〜? じゃあキュリはマサト様じゃなくて、ロイ担当で決まりだな」


「カルメ意地悪〜。キュリはお胸がトクントクンする皆を癒したいだけだよぉ〜」


「お胸がなんだって? 胸なんてどこにあるんだ?」


「ひどぉ〜い!」


「二人とも、殿方の前ではしたないですよ」


「「はーい」」



 クララが、カルメとキュリを窘めると、それまで黙って二人のやり取りを見つめていたシエナが、ボソッと呟いた。



「私達、この世界の常識を覆すために、召喚されたのかも」



 シエナの呟きに顔を見合わせる一同。


 その中で、一際力強く頷くロイ。



「そうかもしれないですね。そういうことであれば、まずは手始めに、ここにいる怪我人を、皆で可能な限り救いましょう!」


「「「はい!」」」



 五人の気持ちが一つにまとまった。


 『この世界の間違った常識を正し、マサト様の考える新しい思想で世界を導く』という目的のもとに――

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