105 - 「トレンの戦場1」

 ストレスで目元が痙攣してピクピクと動く。



(目の前の男は、な、何と答えたのかしら……)



 少なくとも、肯定や受諾を意味する発言ではなかった。


 断られる可能性も、考えなかった訳ではなかったのだが……


 即答で拒否されるとは思わなかった。


 そう…… 「いらない」と、はっきり言われるとは……



「ふ、ふふ…… くふふ…… いらないだって…… くふ」



 外巻きにカールした赤い長髪を揺らしながら、鼻持ちならない女が、わざとこちらに聞こえるようにクスクスと笑っている。


 その笑いが、フロンの神経を激しく逆撫でしたが、フロンは歯を食いしばって耐えた。必死に堪えた。


 一度目を瞑り、大きく息を吸って、少しずつ息を吐く。


 乱れた感情を落ち着かせることに集中する。


 そして――



「……今、何て言ったのかしら?」



 努めて冷静に聞き直す。



「あ、いや…… だから、その…… この街とか、男爵とか…… いらない、です、よ?」



 明確な意思を持って断られた。



「あーっははは! 最高ね!」


「ソフィー! いい加減にしろ!!」



 ヴィクトルが、大笑いし始めたソフィーをきつく叱責する。



「ふぅ…… はーい、分かったわよ」



 さすがのソフィーも、ヴィクトルの剣幕に肩を竦めながら渋々従う。


 だが、ソフィーの嘲笑を含んだ笑い声は、フロンだけでなく、その側近のオーリアの神経をも逆撫でしたようだった。



「き、貴様! フロン様の貴重な申し出を!!」


「オーリア! 黙りなさいッ!!」


「は、はッ! 失礼いたしました!」



 オーリアが煽られた形になり、そのままいつもの癇癪を起こしたため、素早く叱責することで黙らせる。


 そして、もう一度深呼吸をすることで気持ちを落ち着かせた。



(れ、冷静になるのよ ……そう、冷静に。あの赤髪の女の安い挑発は無視よ。今はマサトにだけ集中するべきね。相手はドラゴン二頭と、数万の土蛙人ゲノーモス・トードを従えた猛者。もはや一国の軍隊と同等の力を所有しているの。その相手に短気を起こしたら、交渉の場としては負け確定よ)



 再びマサトへと視線を向けると、マサトは気まずそうに頭をかいていた。



「なぜ褒賞を受け取らないのか、理由を教えてくれるかしら?」


「いや…… 自分の国を持ちたい願望がない訳ではないんですが、この街が欲しいかと言われると…… その…… うーん…… それに、この街の住民全て背負えるほど、俺はまだ強くありません。その覚悟も足りてないと自覚があります。勿論、内政については無知ですし…… なので……」



 マサトが最後まで話し終える前に、フロンは食い気味に言葉を被せた。



「であれば問題はないわ! ローズヘイムの運営に関しては、そこのヴィクトルとドワンゴ、それに私の側近の一人であるレティセが、あなたを全力で支援します」



 フロンの言葉に、ヴィクトルとドワンゴが驚きの表情に変わり、存在を無視されたソフィーはというと、睨むように目を細めて不満を露わにしていた。


 だが、フロンは気にせずに話を進めた。



「それに、あなたには優秀な参謀がいるでしょ? 名前をトレンと言ったかしら」


「は、はい。女王陛下。お褒めいただき光栄です」



 フロンに突然持ち上げられたトレンは、一瞬驚いた顔をしたが、すぐさまその発言に顔を緩める。



(うん、そうよ。これが普通の反応。なのに、何故あいつは無反応なの? 何故即答で拒否できるの? しかも少し嫌そうな顔をして…… もしかして、こちらの意図は既に気付いて……)



 フロンは、マサトへ自分の権威が通用しないことを悟ると、すぐさま説得のための攻め方を切り替えた。



(本人が駄目なら、周りから口説き落とすわ)



「トレン、竜語りドラゴンスピーカーの参謀でもあるあなたはどう考えるのかしら? 意見を聞かせてもらえる?」


「お、おれは……」



 流石のトレンも、相手が一国の女王相手では、緊張せずにはいられなかった。


 戸惑った表情を見せた後、何かを決意したかのやうに、ゆっくりと口を開く。



「領地の運営なら、問題なく運用できる自信があります。ですが、それだけでは、ボス――マサトの理想には恐らく届かないとも考えています」


「理想?」


「はい。その前に…… 失礼を承知で発言することをお許しいただけますか?」



 トレンの顔から動揺が消え、真剣な表情へ変わった。


 その表情に嫌な予感を覚えたフロンだったが、話を振ったのが自分であった手前、発言を止めさせることは憚られた。



「いいわ。率直な意見を聞かせて」


「ありがとうございます。では……」



 それを合図に、トレンの商談が始まった。

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