103 - 「ローズ家の反乱、後編」


「……ありえないわ。あの無能は一体何を考えているの?」



 目の前の不届き者は、自信満々の笑みを浮かべながら、女王である私に向かって、堂々と謝罪と賠償を要求してきた。


 その者は、今は亡きティー公爵の長男――ボンボ・ローズだった。


 怒りで震える私に、レティセが落ち着くようにと声をかけてくる。



「フロン様、あの様な者の声に耳を傾けてはなりません。耳が腐ります。なので、今すぐにあの者を反逆罪で捕らえ、口に猿轡を嵌めて黙らせ、更には拷問にかけ、生まれてきたことを死ぬほど後悔させて差し上げるべきかと」



 レティセらしからぬ言葉に、一瞬怒りを忘れてレティセの方を勢いよく振り返る。


 私と目が合ったレティセは、いつも通り真面目な表情だった。


 冗談を言われたのか、本気なのか判断できず、暫くレティセを見つめてしまう。



「……さすがに冗談よね。あまりに真面目にレティセが言うもんだから、びっくりしちゃったじゃない」


「今回に限っては、冗談ではありませんよ。命懸けでここまで助けにきたフロン様を、あのように侮辱しただけでも大罪…… いや、万死に値しますが、それだけでなく、今回は私にとって命の恩人であるマサト様まで、いわれなき理由で侮辱されたのです。その様な愚民――いえ、大罪人に、生きる価値などありません。拷問して生まれてきたことを後悔させた後に、見せしめとして晒し首にするべきです」



 一件冷静に見えるレティセだったが、フロンには、レティセの瞳に身の毛もよだつ程の冷たい怒りの炎を垣間見た気がした。



(レティセがこんなに熱くなるなんて…… マサトが瀕死のレティセを救ったと言うのは、信じて良さそうね)



 フロンには気絶していた間の記憶がなかった。


 気が付いた頃には、土蛙人ゲノーモス・トードとの戦争が終わっていたのだ。


 目を覚ました後、気絶していたときの出来事をレティセとオーリアから聞いた。


 最初は何かの冗談かと思えた出来事も、街の様子と、庭で大人しく寝転ぶドラゴン――灰色の翼竜レネを見て信じる気になった。


 ラミアの一件を任せていた兵士――スフォーチからも、今回の任務の報告を既に受けている。


 確かに、マサトと土蛙人ゲノーモス・トードの動きには怪しいものがある。


 だが、実際に自身の目で見てこなかったフロンとしては、どれも今一信じることができなかったというのが本音であった。



(とはいえ、このボンボって無能は、どうにかしないといけないわね。王に反旗を翻すなんて前代未聞だわ。反抗勢力に唆されて厄介な存在になる前に、何らかの対処は必要ね)



 フロンは、再び目の前の男へと視線を向ける。


 意味のない大儀を振りかざす勘違い男と、王である私に向かって、嘲笑を含んだ笑みを向ける厚化粧の女。


 その周囲にはボンボの私兵と、身なりの悪い冒険者風の男達――恐らく、金で雇った傭兵だろう――が、屋敷を囲うように布陣している。



(私が蛙人フロッガーとの戦のために、この国へ誘致した傭兵達ね…… はぁ…… あのときちゃんと手を打っておけば良かったわ)



 一方で、屋敷には近衛騎士団クイーンズガードと、竜語りドラゴンスピーカーのクランメンバーがいる。


 それに絶対強者のドラゴン――灰色の翼竜レネまでいるのだ。



(こちらが負ける要素は皆無ね。住民も、女王である私を襲おうなんて、馬鹿なこと考えるほど危機が迫っている訳ではないだろうし。となると…… そうね、領主が怖くて逆らえないだけという可能性が高いはずだわ)



 フロンはボンボを睨みつけるような視線を送りながら、次の言葉を投げかけた。



「それはこのローズヘイムの総意と受け取ってよいのかしら」


「無論です。領主である僕の意思は、この領地の総意です。ねえ、お母様?」


「勿論ですわ。女王陛下がそんな当たり前のことすら知らないなんて、驚きですわね。おほほほほ」



 フロンのこめかみに青筋が浮かぶ。


 しかし、拳を強く握りしめることでぐっと堪えた。


 背後で、レティセが「フロン様、いつも見たいにあの男を蹴り上げていいのですよ? 今回は我慢する必要はありません」と囁いてくるので、逆に冷静になれた。



「そ、そう。でも、ローズヘイムには、冒険者ギルドと商人ギルドがあったはずよ。そのギルドマスター達の意見はどうなっているの?」


「フンッ、そんな者達の意見など不要ですな」


「ええ、ええ、必要ありませんわ。ボンちゃんのおっしゃる通りです。庶民の意見など聞いてどうするというのですか。女王陛下のお考えになることは少しズレているのかしらね。おほほほほ」


「ぐっ」



 歯を食いしばり耐える。


 腹に力を込めたせいで、口から声が漏れ出た。


 その直後、背後でレティセが舌打ちしたのが分かった。


 フロンが一度ならず二度までも踏みとどまったのが意外だったのだろう。



(私だって今すぐにでもこの男を血祭りにあげたいわよ! でも、今、この男に手を上げたら、オーリアが暴走して手がつけられなくなるでしょ! そうしたらここは戦場よ!? そんな馬鹿なこと絶対にさせてなるもんですか!)



 隣に控えるオーリアからは、肌を刺すような冷気が身体から溢れ出ている。


 私が合図すれば、真っ先に目の前の男を蹂躙してくれるだろう。


 だが、そうなっては駄目だ。


 そう、自分自身を必死に説得するが――


 さすがに限度はあった。



「ああ、そうでした。ヴィクトルなら僕を侮辱した罪で捕らえました。今頃、僕の兵が彼を地下牢へ案内しているはずです。はっはっは」



 唖然とする。


 どこまでこの男は馬鹿なのだろうか。



「そう…… 話にならないわね」



 そう言って露骨な溜息を吐くフロンに、ボンボが不機嫌になった。



「謝罪も賠償もする気はない…… と?」


「なぜ女王である私が、反逆者如きに謝罪する必要があるのですか?」


「反…… 逆者!? ぼ、僕のことを指しているのか!?」


「ひ、酷いですわ! 横暴です! こんな独裁者に国を任せるなんてできませんわ!」


「所詮、この女もマサトと同じ侵略者だったんだ! 女王フロンこそ、マサトと結託してローズヘイムを土蛙人ゲノーモス・トードに襲わせた大罪人だ!」


「そうですわ! こんな罪人、女王なんかじゃありません! 下賤な偽物です! お前達、この者達を捕えなさい!!」


「捕えよ!!」



 ボンボの号令を皮切りに、フロン達を包囲していた兵士や傭兵が一斉に剣を抜いた。


 それに応戦しようと、近衛騎士団クイーンズガードがフロンを守る防衛陣形を組み、竜語りドラゴンスピーカーやアンラッキーの面々がそれぞれの武器を抜いて交戦態勢に入る。



「マーレ! フェイス! 絶対に先に手を出すな! いいな?」


「分かってるさね」


「ワーグさん、それおれっちにまで言う必要あった? おれっち、いつの間に姐さんばりに血の気が多いキャラになったんだ?」


「フェイス! ごちゃごちゃ煩いよ! 黙って目の前のことに集中しな!」


「へいへい」



「なぁスフォーチ、フェイスさん達、何であんなに余裕なんだ……」


「おれに聞くなよ…… でも、竜語りドラゴンスピーカーの皆がいるなら怖い者なしだ」


「そうだな。俺も不思議と不安はない」


「バラックもスフォーチも油断し過ぎなんだな。斬られても知らないんだな。癒し手ヒーラー回復薬ポーションも不足してるから、怪我したら大変なんだな」


「アンハーの言う通りだよ。ピレスが回復魔法の使い過ぎで屋敷で休んでるんだから、これ以上負担掛けないように、わたしたちがしっかりしないと!」


「イルフェ、それを言うならピレスだけじゃなくて、パンさんもなんだな」


「わかってるよ!」


「なぁスフォーチ。不謹慎だけど…… 女王陛下の為に戦うって、こんなにも奮い立つもんなんだな。俺、知らなかった…… はぁ…… 今この時初めて、王国兵士で良かったって心の底から思えたよ」


「おいバラック、一回死の淵を彷徨って頭いかれたのか? そういうことは今の危機が去ってから言ってくれ」


「ああ、悪い悪い」


「それに女王陛下はお前が思ってる程……」


「なんだスフォーチ? 何か言ったか?」


「いや、何も……」



「お、おいおい。本当に戦うのか? 味方だろ? どうなってんだよ!」


「セファロ、落ち着いて! ラックスを見習って!」


「ジディに褒められたでござる」


「……ガーン」


「褒めた訳じゃ、ちょ、ちょっとセファロ油断し過ぎ!」



 一発触発の場にいるのに、竜語りドラゴンスピーカーはどこ吹く風だ。


 踏んできた場数が違うのだろうか。


 まるで緊張感が感じられない。



 場の空気が変わったことに気が付いたのか、灰色の翼竜レネが突然身体を起こして、周囲を囲む兵士達を睥睨し始めた。


 灰色の翼竜レネと向かい合う形になった兵士が、情けない悲鳴をあげながら腰を抜かす。



(下手な味方より大分頼りになるわね。あのドラゴン。賢そうだし。二頭いるなら、一頭くらい私に献上してくれないかしら?)



 灰色の翼竜レネの行動に満足したフロンは、この状況での優勢を確信し、対峙していたローズヘイムの兵達にゆっくりと視線を向け、これが最終宣告よという威圧プレッシャーを込めて言葉を投げかけた。



「で、あなたたち兵士は、この反逆者――ボンボと共に、王である私に剣を向けると受け取っていいのよね? 女王として、反逆者には容赦しないわ。親子三代まで渡る重刑よ」



 フロンの強気な声が場に響くと、ボンボ側の兵士達が青い顔をしながら顔を見合わせた。


「私がこの土地の王であることが理解できないなら、王である証明として、あなたたちの適性や加護を、全て掻き消して思い出させてあげます」



 フロンの身体から光が溢れ出す。


 その光に、ボンボ側の兵士達が目を見張る。


 周囲の反応をゆっくりと確認しながら、フロンは自身が王の血筋である証を見せつけた。



「 《 王の傲慢アローガント・オブ・ザ・キング 》 」



 フロンの身体から溢れた光が、後光となって周囲を照らす。そして具現化する光りの剣。



「か、加護消しの光!?」


「ほ、本物!?」


「じょ、女王陛下、お、お許しを!」


「おれたちはボンボ様に無理矢理従わされていただけなんだ!」


「ボンボのせいだ……」


「全てはこの男が!」


「この街を救ってくれたマサトさんを疑うなんて、間違いだって皆分かっていたんだ!」


「そ、そうだ、それを無理矢理……」


「逆らえば死罪だと……」


「なんでこんなことに……」


「……この男だ」


「この男のせいだ!」


「そうだ! この男のせいだ!」


「反逆者を女王陛下へ差し出せ!」


「反逆者はボンボだ!」


「ボンボを捕まえろ!」


「大罪人ボンボを捕まえろぉお!!」



 ボンボにより、その権力と恐怖で押さえつけられていた兵士達は、それ以上の権力であり、恐怖の対象――女王であるフロンや、灰色の翼竜レネを目の当たりにして脆くも瓦解した。


 一度、綻びが出ると、状況が覆るのは一瞬だった。


 次々に兵士達がフロン側へと寝返り、その剣をボンボ達へと向け始める。



「き、貴様ら! 何をしているのか分かっているのか!? ぼ、僕はこのローズヘイムの領主だぞ!? 貴様らの領主だ!」


「ど、どういうこと!? ボ、ボンちゃん、裏切り者の首を跳ねておしまい! み、見せしめが必要よ!」



 自分達が連れてきた兵士に追いやられ、さすがの傭兵達も形勢不利を悟ったのか、構えていた剣を投げ捨て、両手をあげた。



「ちっ、こうなっちまったらもう無理だ。俺は降りるぜ」


「お、おい! 貴様! なぜ剣を捨てる!? ぼ、僕をちゃんと守れ!」


「旦那ぁ、そりゃいくらなんでも無理だぜ。本物の女王様が相手なんて契約になかったからな。俺たちが付き合えるのはここまでだ」


「き、貴様ぁ……」


「ボ、ボンちゃん、どういうことなの!? どういうことなのかしら!?」



 ついには屈強そうな傭兵達も武器を捨てたことで、この場での敵はボンボとヒュリスの二人となった。



「な、何をする!? 貴様! ぼ、僕に触るな! い、痛い!? 止めろ!?」


「汚らしい手で触らないで! ボ、ボンちゃん! どうにかしなさい! ボンちゃん!!」



 近衛騎士団クイーンズガードに捕縛されたボンボとヒュリスが抗議するも、今や誰も気に留めることはなかった。



「女王の命令です。街にいる反逆者の私兵を全て捕らえなさい。ただし、このボンボに強要されていたのであれば、情状酌量の余地を与えます」


「は、はっ!」



 命令を受けた兵士達が、列を成してぞろぞろと屋敷から出て行く。



「その男と女は牢に入れておきなさい。王都に戻り次第、裁判にかけます」


「はっ!」



 踵を返したフロンだったが、少し歩いたところでふいに立ち止まった。



「あ、そうね…… やっぱりやられたらやり返さないと気が済まないわよね」



 そう呟くと、地面にうつ伏せに倒されたボンボへと駆け寄り――


 そのままボンボの顔を勢いよく蹴り上げた。



「ぐぶぇっ!?」



 ボンボの口から鮮血が飛び散り、少し黄ばんだ歯が地面へと転がる。



「ふぅ。これで少しスッキリしたわ」


「素晴らしい蹴りでした」


「お見事」



 白目を剥いて意識を飛ばしたボンボを見て、レティセとオーリアがフロンの行動を称賛した。



「姫様、ローズ家はどうするおつもりですか?」


「取り潰しね。当然、爵位も剥奪よ。でも、そうなるとこの領地を治める者が別に必要になるわね」


「はい、それですが適任者が」



 レティセが、この領地の領主として代わりを立てようとしているのを察したフロンは、その先の言葉を言わせないように言葉で遮った。



「レティセ、そこまでよ。その話はまた後でしましょう」


「……はい、失礼いたしました」



(全く…… 誰を代わりに領主に置こうとしたのかは想像に容易いけど…… まだその判断を下すのは早いわ。それをレティセも理解しているはずなのに…… あ、まさかレティセって…… 惚れた男に尽くすタイプなの? ……えっ? もしかして本当に? あ、ありえそうで怖い…… あの生真面目なレティセが…… いいえ、真面目で厳格だからこそ、惚れたら一直線なのかも…… うん、それなら納得できる。これは注意しないといけないわね…… レティセを籠絡するなんて…… 本当、マサトって一体どんな奴なのよ……)



 フロンがいらぬ懸念を膨らませていると、突然、遠くで竜の咆哮が轟いた。



「どうやら到着したようね」



 ローズヘイムを救った英雄の到着に、フロンは人生であまり体験したことのない緊張感を感じるのだった。

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