100 - 「白妙の秘薬」
「ぐぐぎ…… ぎぎ……」
レティセの声にならない悲鳴が、私を早く楽にしてと、私に訴えている気がした。
ベッドの上で、上体をくの字に反らし、全身を痙攣させながら、全身を蝕む激痛と必死に戦っているレティセ。
そんな変わり果てた姿のレティセを見つめながら、私は腰に下げた短剣の柄に、そっと手を添えた。
冷んやりとした鉄の感触が伝わる。
いつもなら手に吸い付くように馴染んだその短剣の柄は、いつもとは違って酷く違和感があった。
手に伝わるそれは、長年使い古された愛剣ではなく、ただの冷たい金属でしかなかった。
「今、楽にしてやる……」
王都へ送った使い鴉は戻ってこない。
念のため早馬も走らせたが、もう間に合わないだろう。
王都から援軍は来ない。
理由は分からないが、きっと良くないことが起きているに違いない。
(もう、私からしてあげられるのは…… これだけなんだ……)
短剣を、静かに鞘から抜く。
(すまない……)
短剣を逆さに持ち、振り上げた。
(レティセ……)
視線をレティセの胸部へと向けると、レティセが再び身体を痙攣させ、上体を大きく逸らしたところだった。
痙攣により、レティセが無意識に両腕を振り上げようとする。
だが、腕を縛り付けていたロープが、ビシッと音を立ててそれを阻んだ。
レティセが暴れて自傷しないように、縛り付けてあったロープだ。
その反動で、ベッドがギシギシと悲鳴をあげる。
つま先は大きく反り上がり、手足には青白い血管がいくつも浮かんでいるのが見えた。
相当な力が入っているのだろう。
戦場では度々起こる現象だ。
損傷のある部位を残し、中途半端に回復が行われた時になると言われる怪症状でもある。
それは、首や背骨、腰などへの損傷が激しい時ほど、その確率は上がるとされている。
レティセは、それを白目を剥きながら必死に耐えている。
(すまない…… すまない……)
急に私の視界が歪み始めた。
零れ落ちそうになるものを必死に我慢する。
だが、これ以上、こんな姿のレティセを見続けることは出来ない。
私は短剣を持つ両手に力を込めた。
「……今、楽にしてやる」
そう呟くと同時に、私は短剣をレティセの心臓目掛け――
振り下ろした。
――ブツッ
「ぎぃっ!?」
短剣が皮膚を突き破る音と、レティセの悲鳴が同時に部屋に響き、白いシーツがじわじわと真っ赤に染まり始める。
徐々に身体の力が抜けていくレティセ。
私は「すまない…… 許してくれ…… 」と繰り返しながら、短剣をレティセの胸へと突き刺したまま固定した。
すると、短剣を握っていた手に何かが触れた。
いつの間にか、目を瞑っていたらしい。
恐る恐る目を開けると、私の手をレティセの手が優しく覆っていた。
「オー…… リア…… さま…… あ…… ありが…… とう……」
レティセが、私を見つめてそう呟いた。
薄っすらと開けた瞳から、一粒の涙を流しながら。
「すまな、い…… すま…… ううぅ……」
胸の奥から突き上げてくる衝動に、喉が詰まる。
呼吸が乱れ、ヒックヒックと情けない声が口から洩れた。
フロン様を共に守ろう、支えていこうと誓い合った親友であり、幼馴染のレティセ。
家臣の子女として、フロン様が生まれたときからずっと一緒だった。
共に武を磨き、時にはライバルとして高めあった。
戦場でも共に戦った。
そんな掛け替えのない親友が、戦友が……
「姫…… さまを…… おね、が…… い……」
私の手から、レティセの手がずれ落ちていく。
そのレティセを前に、私はただ泣くことしかできなかった。
「だ、団長?」
心配した部下が部屋の入口で立ち止まり、心配そうに声をかけてきた。
背中越しに息を呑むのが分かった。
私は、部下へ振り向かずに答える。
「レティセを手厚く埋葬する。人払いを頼む」
「は、はっ!」
足音が遠ざかる。
少しの間、私は親友の顔を見つめていた。
生涯、この親友の顔を忘れないように、目に焼き付けておくために。
暫くして、部屋の外が少し騒がしくなった。
部下の話声が聞こえる。
「あ、あの、マサトさん、困ります」
「えー、困るも何もここ俺の屋敷だけど……」
「いや、その、そうですが…… あ、ちょ、ちょっと」
部屋の入口に目を向けると、そこには
私の顔を見ると少し驚き、そしてベッドに横たわるレティセの亡骸を見て、更に驚いていた。
「げっ! 遅かった!?」
「……何?」
一瞬、何のことか分からなかったが、瞬時にレティセが助かったかも知れない情報を持ってきたのだと言うことに考えが至った。
考えるよりも早く、身体が動いた。
マサトの胸倉を掴み、壁へ押し付ける。
「うおっ!?」
「貴様! 何をする気だった!? 何を持ってきた!?」
「ストップストップ! お、落ち着いて! その人を助けようとしに来ただけだって」
「助け…… す、既に手には負えない状態だっただろ!? どうやって助けるつもりだったというんだ!?」
気持ちが逸る。
助けられたという可能性が、今の私には酷く怖かった。
「お、落ち着けって! つか、急がないと手遅れになるかも知れないな…… ちょっと大人しくしててね」
「手遅れ……? 何を…… あっ」
私は力の限りマサトを押し付けていたはずだったのだが、それを意にも介さず私の腕を押し返すと、そのまま私を脇にどけ、レティセの方へと歩き始めた。
「あちゃー…… 心臓に短剣が突き刺さってるよ。まぁダメ元でやってみるか」
「おい! 貴様……」
「今ここでマサトを止めたら、その女は完全に戻らないぞ」
マサトを止めようとする私に、銀髪のダークエルフが釘を刺した。
そのエルフを睨み、どういう事か問いただそうとして――言葉を失った。
「 《
マサトが何かを呟いた瞬間、視界が一瞬真っ白になった。
光が収まると、マサトの手には、純白の光の粒子に包まれた小瓶が。
その小瓶には、キラキラと白く輝く液体が入っていた。
「加減が分からなくて、念のため10マナも注ぎ込んじゃったけど…… まぁいいか」
10
一体何のことだ……?
この状況についていけていない私を他所に、目の前の男は、その白い液体をレティセへと少しずつ振りかけた。
すると、瞬く間に光に包まれるレティセ。
「おっと、短剣は抜いておこう」
マサトが、レティセの胸を貫いていた短剣を抜き取る。
「な、なぜ……」
その短剣を見て、私は疑問の声しかあげることができなかった。
短剣についていたはずの血が、綺麗に無くなっていたからだ。
それどころか、シーツや床に垂れた血も綺麗になくなっていた。
マサトがレティセの首に手を当て、口元に耳を寄せた。
「脈は…… ある。呼吸も微かに…… これは、間に合ったと判断していいのかな? えーっと、レティセさーん、聞こえますかー?」
マサトがベッドに横たわるレティセの頬をペチペチと叩き、身体をゆすり始めた。
「……ここは? 私は……」
「ま、まさか…… そんな…… レティセ!!」
ゆっくりと目を開け始めたレティセを見て、私は条件反射でレティセの傍まで駆け寄った。
私に弾き飛ばされたマサトは、床で尻餅をついたようだが、それどころではなかった。
「レティセ…… レティセ…… ごめんね…… ごめん」
謝りながら泣きじゃくる私を、レティセは優しく抱くように包み込んでくれた。
「オーリア様……? そうですか。私は助かったのですね。では、私もオーリア様に謝らなくてはなりません。危うく、あなたにとても辛い重荷を背負わせてしまうところでした」
「そんな…… そんなこと……」
優しく頭を撫で、私が落ち着くまで待ってくれるレティセ。
歳は一つしか違わないのに、レティセは私の姉のような存在でもあった。
私が落ち着くと、レティセがマサトへ話しかけた。
「私を救ってくださったのは…… あなたですね?」
「マサトです。クラン「
「マサト様、私のような粗末な命を救っていただき、感謝に堪えません。ありがとうございました」
レティセは胸元にオーリアを抱きながら、マサトに対して頭と視線を下げてお礼を述べた。
「いえいえ。大丈夫そうなら俺は行きますね」
「え、あの……」
「ああ、お礼は言葉だけで十分なんで…… というと、この世界では逆に怪しまれるんだっけか。えーっと、貸しにしておいてください。いつか俺か
「そうですか…… 殊勝な方なのですね」
「はは、普通ですよ。後、これ、残り少ないですけど、姫さんに使ってあげてください。精神の傷まで癒せるかどうかは分からないですが。多分、少しは回復してくれるはず」
その言葉に、私は勢い良く上体を起こし、マサトを見た。
マサトは少し驚いた様子だったが、嘘をついているようには見えなかった。
「本当に…… フロン様にも効果が!? …… 痛!?」
突然、頭を叩かれた。
振り向くと、そこにはレティセがいつもの鋭い細目を向け、私の言動を咎めるようにこちらを睨んでいた。
「す、すまない」
「私に謝ってどうするのです。ちゃんとマサト様へ謝罪しなさい。心臓を一突きされた人族すらも回復させてしまう秘薬を、大した見返りも要求せずに分け与えてくれたのです。王国筆頭の
完全に回復したらしいレティセから、それから数分間説教を受けた。最近は、話す機会もめっきり減り、レティセとしても色々言いたいことがあったらしい。
「すまない……」
「はぁ…… これからは、姫様同様、あなたにも容赦なく指導して差し上げます」
「うっ」
「はは、元気になったようで良かったよ。じゃあ俺たちはこれで」
話の区切りを見つけたマサトが、すかさず部屋から立ちさろうとする。
「お待ちください」
「ま、まだ何か?」
「宜しければ、姫様へこの薬を使う場に同席いただきたいのですが……」
「ああ、そういうことか……」
手を顎につけ、悩むマサト。
この薬の効果は、レティセによって実証済みだ。
レティセはきっと、この恩を機に、フロン様とマサトを繋げようとしているのだろう。
仮にも、死者――心臓を貫かれた瀕死の者を回復させる秘薬中の秘薬を持つ者だ。王家として、その繋がりを持っておくに越したことはない。
だが、レティセは気絶していたことで知らないことが多くある。この男――マサトが今回の戦争で成し遂げた神がかり的な出来事を……
「申し訳ないですが、遠慮させてもらいます」
「それは、何故でしょうか? 理由をお聞きしても?」
「いえ、助けられる者は出来る限り皆救おうと決断しまして。そのためには、森にいる俺の仲間を一刻も早くここへ連れてくる必要があるのです」
「……救う? そうですか…… では、その後でまたお話しできますか?」
「その後であれば」
「では、お約束しました。お引止めして申し訳ありません」
「いえいえ、ではお大事に」
部屋から出ていくマサト。その後を追って、銀髪のエルフも出て行った。
「彼は一体何者でしょうか」
「この街の大半の者からは、神や神の使い、または天使と呼ばれている」
「神? 神の使い? 天使? それはまた…… フフッ、でも、心臓が止まった者すらも蘇生させてしまう者であれば、それを神と呼んでも間違いはないのかもしれませんね」
クスクスと笑うレティセを見て、私も頬が緩んだ。
レティセが笑うところを、久しぶりに見た気がする。
「レティセ、これから話すことは全て事実だ。レティセが気絶した後、何が起こったのか。奴がなぜ、民に神と呼ばれているのか。その事実だけを話そう」
真剣な表情の私を見て、少し驚いた表情をしたレティセだったが、姿勢を正すと、ゆっくりと頷いた。
奇跡のような事実を話したら、沈着冷静なレティセはどんな反応をするのだろうか?
不謹慎にも、レティセの反応を少し楽しみにしている自分がいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます