94 - 「近衛騎士団、団長オーリア」
雨が本降りとなり、水を得た魚の如く動きが良くなる
城壁で食い止めていた
兵士や冒険者達は奮闘していたが、こちらの剣は
状況の悪化は止まることをしらないらしい。雨音でこちらの号令は目先までしか届かず、更には大雨により足場がぬかるみ、馬が足を取られてしまうため、ついには
敵は殺せど殺せど増える一方で終わりも見えず、こちらの負傷者は増えるばかり。さすがに鍛えられた
「オ、オーリア団長! 北門へ回った部隊が合流しました!」
「くっ…… ということは、北門は落ちたのか?」
「は、はい…… 残念ながら……」
「そうか…… まだ戦える者はこちらへ集めよ!」
「はっ!」
続々と運び込まれる怪我人。
「ここが私の墓場になるのか……」
そう呟き、その考えを否定するかのように頭を左右に振る。
「こんなところで死ねるものか……!」
そう気合いを入れ直し、自身が守る屋敷を見た。ローズヘイムの領主やフロン様が籠城している重要な拠点だ。籠城と言っても、城内としては異常に強固な柵で囲まれている大屋敷でしかない。幸い、この大屋敷は小高い丘にあり、周辺は更地だ。守りには適していると言える。だが、元々が籠城することを想定して作られてないのだ。柵は侵入しにくい作りにはなっているが、耐久度としては少し心許なかった。あの数の
「くそっ! 何か打つ手がないのか!? 私が居ながらこのざまか!?」
悔しさで涙が込み上げてくる。
(一体何のために今まで苦しい訓練に耐え抜いてきたというのだ! 自分が情けない!)
「団長! 北側が押されています! 数が多過ぎて対処が間に合いません!」
「くっ…… 分かった、私が向かう! ここは冒険者達に……」
「だ、団長ーっ!」
「今度は何だっ!?」
「敷地内に巨大な
「敷地内だと!? なぜ……」
屋敷を囲う柵はまだ突破されたという報告は聞いていない。
(ま、まずい! 敷地内にはフロン様が! )
「今すぐ行く!
「は、はっ!」
敷地内から出てきた兵士が周囲を見て狼狽える。この屋敷のある丘へと駆け上がってくる
「最悪、フロン様を王都までお連れしなければ…… くっ! やはりフロン様をここへお連れするべきではなかったということなのか! くそっ!」
私はキツく歯を食いしばりながら、屋敷へと走った。
屋敷の敷地内へ立ち入ると、兵士や冒険者達がこちらへ背を向け、何かを囲んでいる。
「オーリアだ! フロン様はどこだ!? どけ!道を開けろ!」
「だ、団長! 申し訳ありません! へ、陛下が
「何だと……」
頻りに顔へ当たる雨粒が鬱陶しかったが、部下の言葉でそんなことを気にする余裕さえなくなった。
いや、目の前が真っ白になったことで、逆に冷静になった。
周囲の喧騒が消え、耳には自分の心臓の鼓動だけがドッドッドッと聞こえる。
「フロン様…… フロン様……」
フロン様の名を無意識に呟きながら、冒険者達を押し退け、彼らの前へと躍り出る。
するとそこには、赤褐色の肌をした一際大きな
(大きい。今まで見たどの
「もしや……
仮にその
(しかし、あの大きさ…… あの数の多さ……
普通じゃない……
希少種……
いや、変異種の上位かも知れない……
厄介なっ……)
ふと、
(あの
嫌な予感がする……
はっ! それよりフロン様は一体どこに!?)
「……あっ」
目の前の
(……フ、フロン……様)
「き、貴様ぁあああああ!!」
「待て! 無闇に動くな!!」
だが、誰に何を言われようが、もはや私の行動を止められる者はいない。
フロン様に危害を加えた奴を、私が許せるはずがない。
愛する人を汚された、目の前の蛙を今すぐ八つ裂きにしろと心が訴えかけてくる。
その心の嘆きを抑えつけようとは思わない。
怒りに身を任せる。
理性すらも目の前の敵を殺せと判断している。
怒りは身体を駆け巡り、その怒りに反応して身体の芯から
全力だ。
全力で目の前の蛙を排除する。
私は瞬時に凍てつく冷気を身に纏うと、即座に走り出した。
それと同時に、大地へ降り注ぐ雨粒をそのまま氷の杭へと変えていく。
無詠唱で行使したため、身体からごっそりと
だが気にしない。
今は目の前のフロン様を助けることだけに集中する。
その後のことは二の次だ。
すると、あろうことか左手をこちらへ差し向けてきた。意識を失ったフロン様を盾にしてきたのだ。
「ゆ、許さんッ! 殺すッ!!」
(フロン様を盾にすれば、あるいは人質にすれば私が手を出せないとでも思ったか!?
笑止!
このような状況は想定済みだ!
毎日欠かさず訓練もしてきた、対策も抜かりはない!
むしろ女王を救う英雄譚の一節のような状況を再現してくれたお前に感謝したいくらいだ!
私は何千、何万回とこの状況を夢見て訓練してきたのだからな!!)
左手を
不快な笑みを浮かべていた
「はぁぁああッ!!」
冷気が暴風となって駆け抜ける。それは氷の杭よりも先にターゲットへとぶつかり、周囲の水分を瞬時に凍らせた。
そして遅れてやってくる無数の氷の杭。その氷の杭は、フロン様を巻き込んで
「ぎゅわぁあっ!?」
勿論、フロン様に傷はない。フロン様が身に纏う魔法衣は、あらゆる魔法や加護による外的要因を無効化させてしまう純白の神鳥――
世の中には希少度を表す名称として、最上位から順に
だが、奴は未だにフロン様を掴んだままだった。
(くそ蛙がっ! 威力が足りなかったか!)
私は地面を蹴り、高く飛び上がった。
そしてフロン様を握る薄汚いその手を全力で斬りつける。
凍てつく冷気で表面の水分が凍った
フロン様を握っていた気色の悪い手の甲が裂け、そこから黄緑色の血が噴き出す。
「よし!」
すかさずフロン様を抱き抱え、兵士達の場所へと走る。
「今だッ! 総員かかれぇーッ!!」
「おおおおーー!!」
私の号令に、その場に居た部下達が
(やった! やったぞ! フロン様をこの手で助け……)
「団長ぉお!!」
――ドン
駆け付けた部下の一人に突き飛ばされ、フロン様と共に泥の中へ倒れ込んだ。
「何……」
私が自身へ体当たりしてきた部下に素早く視線を向ける。何をする!と怒りに任せて罵声を浴びせるつもりだった。だが、その光景を見たことで、一瞬でも愚かなことを考えた自分を悔やんだ。
私を突き飛ばした部下は、口から大量の血を吐き出すと、血で真っ赤に染まった口元を緩めてぎこちない笑みを浮かべていた。
「良かった…… ご無事で…… ぐぶっ」
私がいた場所には鋭利な岩が隆起しており、その岩は部下の身体を貫いていた。
「お前……」
「魔法障壁を展開しろ! 陛下と団長を命に代えてもお守りしろ!!」
「おお!!」
部下達が私と
反対側では、ヴィクトルを中心に、冒険者達が
すると突然、
「不味い! 来るぞ! 耐えろぉおお!!」
冒険者達の叫びが聞こえ――
その直後、四方を乱れ飛ぶ岩の弾丸の一つが、私の前髪を掠めて飛んでいった。
岩の弾丸にぶつかり、弾き飛ばされる部下達。
冒険者達も次々にやられていく。
「無理だ! 魔法障壁が意味をなさない! 」
「だ、団長! 指示を!」
(無理だ……
一度態勢を立て直さねば……)
そう考えて周囲を見渡すが、逃げる場所などないことに気付く。
(態勢を立て直す?
どこで?
ここがこの街最後の防衛ポイントではなかったのか?)
私の腕の中で気を失っているフロン様を強く抱き締める。
逃げ場はない。
ここが唯一の避難場所であり、最後の砦だ。
屋敷から出たところで街中には対処しきれぬ程の
もうこの街は駄目だ。
このままではフロン様共々全滅してしまう。
それだけは…… それだけは避けねば……
「レティセはどこだ!? レティセ!」
「団長…… レティセ殿はあそこに……」
「何?」
部下の指した方角を見ると、そこには隆起した岩にもたれかかるように背をつけてグッタリと項垂れたレティセの姿が。
「そんな……」
「レティセ殿は陛下を庇って……」
「くそっ! 私が付いていれば…… レティセに至急手当を!」
「これ以上の手当は……
「ぐっ……」
打開策が思い付かない。
フロン様は意識を失い、レティセは瀕死。
どうすれば…… どうすればいい?
ここに居る者全てを切り捨て、生き残った
ローズヘイムの住人を全員見捨てる決断を私は出来るのか?
本当に、本当にもう他の手段はないのか?
私が決断を躊躇っていると、
その岩柱に身体を貫かれ、複数の冒険者や兵士が鮮血を撒き散らしながら悲鳴をあげる。
「ぎゅぎゅぎゅ、力が戻ぎゅた。やはりその娘が原因か。危険な力ぎゅな」
「人族相手でも、もう油断はしぎゅい」
背中の
「岩の…… 武装だと……」
「なぜ
誰かが裏で糸を引いている?
そんな馬鹿な。
――不可能ではないのか?
だとしたら誰がこんな真似を……
「団長! 陛下を連れてローズヘイムからお逃げを! あの
「団長! どうか陛下を!」
「団長!」
部下達が私を背に庇いながら、この窮地からの脱出を促してくる。
やはりそれしか道はないのか……
部下達に後押しされ、ようやく決断に腹がすわる。
「ここを…… ローズヘイムを放棄するぞ…… フロン様の命をお守りすることが絶対だ」
「はっ!」
フロン様を強く引き寄せ、先程の攻撃で底をついた
絞り出した
「行くぞ! 皆へ撤退の合……」
「逃ぎゅさぬ!」
ドドドドという音とともに、岩の礫が飛来する。
何発かが地面に着弾し、泥を撒き散らす。
「う、うわぁあ!?」
「的を絞らせるなっ! 散開しつつ反撃しろっ!!」
「おおおーー!!」
部下達は注意を私から逸らすため、それぞれが四方に散らばりつつ反撃を開始した。
だが、一人、また一人と
「くっ…… すまないっ!」
私は出口まで走り出し――
屋敷の出口を見て足を止めた。
それは自分達の知る低脳な
「そんな……」
そのきっかけを作ったであろう一際大きな
「あれも…… 希少種か何かなのか……?」
私が新たな絶望に立往生していると、目の前の大きな
「王。外の包囲、完了しまぎゅた」
「ぎゅぎゅぎゅ。トードン、よぎゅやった。ここを潰せばこの街は我のモノぎゅ!」
……囲まれた?
……外の兵士や冒険者達はどうなった?
……まさか、全滅した、のか?
「もう…… ここまで、なのか……?」
「ぎゅぎゅぎゅ、お前も終わりだぎゅ」
背後で岩を纏った
だが、どうすれば……
「まだ諦めるんじゃないさね!!」
突如、黄金色の淡い光を纏った女の戦士が私の隣へと現れ――
フロン様を抱える私ごと体当たりで弾き飛ばした。
それとほぼ同時に、地面から隆起してきた鋭利な岩が突き出る。
女戦士が私を突き飛ばさなければ、私はあの岩に貫かれていただろう。
また助けられた。
そして私の代わりにまた……
そう考えたが、結果は違った。
女戦士は手に持っていた大剣を器用に岩と身体の間に滑り込ませると、そのまま岩肌を削るように大剣を滑らせながら上手く回避してみせた。
「ここじゃ挟撃されるよ! さっさと屋敷の方へ行きな!」
「そうはさせぎゅい」
「ちっ!」
退路を断つように、長方形の岩の壁が迫り上がり、出口から侵入してきた
「おいあんた! あたしが…… ぐっ!?」
女戦士は私に何か伝えようとしたが、その暇も与えないとばかりに、岩の弾丸が彼女を襲った。
上手く大剣で凌いではいるが、攻勢に出られる余裕はないようだ。
屋敷側にいる冒険者達も、屋敷を囲んでいる塀を次々に飛び越えてくる
出口からは石の棍棒を振り上げながら、身体の大きな
――終わった
私とフロン様はここで死ぬ。
ふと視線を下げると、私の腕の中で眠るフロン様が……
その顔は泥で汚れている。
そっとその汚れを拭うと、私はフロン様を抱え込むように強く抱き寄せた。
「死するその最期まで、お側におります……」
容赦無く降り注いでいた雨粒が一瞬止んだ。
そんな気がした。
顔を上げると、目の前で
「あんたっ! おいっ! 何ボサッとしてんだいっ! お、おいっ!!」
私は助けに来てくれた女戦士の方を向き、一言「すまない」と言って目を瞑った。
最期はフロン様と共に……
そう死を受け入れた刹那――
大気が震えた。
――ギャァオオオン!!
無意識に身体が強張る。
その直後、先程まであった喧騒が消えた。
雨音だけがそこに存在している。
誰もが動きを止め、先程の咆哮の出所を必死に探していた。
「ようやくお出ましかい…… 全く、危うく全滅するところだったじゃないのさ」
女戦士がそう呟いた。
「しかし、今度は何を連れてきたんだか…… くくっ、かっかっか」
そして突然笑い出した。
私が理解出来ずに呆然としていると、女戦士はすかさず私へと近付き、フロン様を抱えた私ごと抱き上げて屋敷の方角へ走った。
「あたしらのボスが到着したからにはもう怖いもんなしさね。だからしっかりしな! あんた
この女は何を言っているのか。
ボス?
ここへ人族が一人来たところでどう助かるというのだ。
その時の私はそう考えていた。
だが、誰かが東の城壁上空を指差し、その先の光景を目の当たりにした時、私を更なる絶望が襲った。
「ド、ドラゴン!?」
東の空を滑空する真紅のドラゴン。
時折火を吹きながら、城壁の上空すれすれを南から北へと何かを追い立てるように飛行している。
そしてそれは北の城門上空まで到達すると、その城壁の上部には
その
――ギュェエエエ
「ドラゴンが……
誰かがそう呟いた。
それをきっかけに少しずつ我に返っていく冒険者達。
「もう一匹いるぞ!?」
「は、灰色のドラゴン!?」
「な、なんでドラゴンがいるんだ!?」
動揺は大きい。
だが、ドラゴンが
「や、奴がぎゅた…… 奴に違いない…… ド、ドラゴンに乗って追ってぎゅたのか……? ぎゅぬぬゅ! 怯むな! 奴は我が仕留めぎゅ! お前達は目の前の人族を捕まえて人質にせよ!」
一方で、
だがそれも、王と呼ばれた
私が混乱していると、女戦士と、ギルドマスターであるヴィクトルの会話が耳に入った。
「あれは…… マサトの援軍か?」
「多分そうさね」
「確証はあるのか?」
「そんなもんある訳ないじゃないのさ! でも、あれはきっとマサトの召喚獣さね。そうじゃなければ何十年も姿を見せなかったドラゴンが、この窮地に突然現れて、更には城壁を登った蛙共を狙い撃ちなんてすると思うのかい? そっちの方がありえないさね」
「……そうか」
マサト?
召喚獣?
あのドラゴンが?
何を言っている。
この二人は何を知って……
「ヴ、ヴィクトルさん! 屋敷の裏手が抜かれました! 屋敷内にも
「くっ…… だがこちらも手一杯だ。何とか耐えてくれ!」
「で、でも屋敷の中には子供や老人達が……」
「デクスト! あんた何やってんだい! ワーグ達はどうしたのさ!?」
「マーレさん!? ワーグさん達はまだ戦ってます! ですが侵入してくる
「ちっ、皆にマサトが到着したと伝えな! あとひと頑張りだよ!!」
「えっ? ええっ!? マサトさんが!? 何処に!?」
「近くには来てるはずさね。その証拠にあそこに……」
そう指差した先からは、こちら目掛けて急降下してくるドラゴンの姿があった。
それに気付いた誰もが目を見開き、足を止めた。
それは
周囲からか細い悲鳴が聞こえる。
脈が不規則にドドドと脈打ち、「ひぃっ」という悲鳴が、無意識に開いていた口から漏れた。
凶悪な牙が並んだ大口を開けながら、真紅の両翼を広げてこちらに迫るドラゴン。
その距離が十数メートル近くになったとき、私は恐怖で飛びそうになる意識を歯を食いしばって耐えるので精一杯だった。
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