92 - 「防衛塔の攻防」

「た、隊長、もう無理です! 持ち堪えられません!」


「耐えろ! 王都の本軍が到着するまでの辛抱だ!」



 ローズヘイムの城壁、東の防衛塔では、北から流れてきた土蛙人ゲノーモス・トードに対応しきれず、ズルズルと後退を余儀なくされていた。


 北門が土蛙人ゲノーモス・トードの波に飲まれ、城壁を登りきった土蛙人ゲノーモス・トードに追われるようにして北の守備兵が東と西に分かれて退避してきたのだ。


 北門担当の兵士から、北の隊長格は皆死んだと報告があった。北に押し寄せた土蛙人ゲノーモス・トード達は、どうやら東よりも多かったようだ。敵は北のロサ方面から来ているため、当然と言えば当然なのだが……


 王都から援軍が来たときは、皆が助かったと安堵した。だが、土蛙人ゲノーモス・トード達は増える一方で、到着した援軍だけではとても勝てるとは思えなくなっていった。今では勝利を諦めてさえいる自分がいる。



「無理に押し返そうとするな! 少しずつ後退しながら戦え!」



 後方から指示を出すが、戦力差は絶望的だった。


 土蛙人ゲノーモス・トードにこちらの剣はほぼ通用しない。鈍器でさえ大したダメージは与えられずにいる。火は大雨のせいで使えなくなった。だが、当たりどころさえ良ければ矢は刺さる。バリスタも有効だ。なので今はバリスタを装填する時間を稼ぎながら後退している。



「バリスタ装填完了しました!」


「前衛後退! 射線を開けろ!」


「後退ー! 退がれー!」


「よし! 打てぇー!」



 ガンッという音とともに対飛竜用の極太の矢が放たれる。すると、突然放たれた矢に巻き込まれながら、数体が矢と共に後ろへ吹っ飛び、そのまま城壁の外へと落ちていった。



「前衛構築ー! バリスタは装填を急げ!」


「了解!」



 先程からこれで凌いではいるが、時間が経つたびに前衛が一人、また一人と城壁の外へと殴り落とされていく。


 前衛は、領主が中央の兵を割いてまで送ってくれたローズヘイムの精鋭達だ。その精鋭達でも防戦一方なのだ。これで勝つことに希望を持てという方が酷だろう。だが、精鋭達のお陰で奮闘出来ているとも言える。彼らがいなければ、北から流れてきた土蛙人ゲノーモス・トード達に為すすべもなく飲まれていただろう。



「う、うわっ!? く、来るなっ! ぎゃっ!? ぎゃぃゃぁあああ!?」



 城壁の内側を登ってきた土蛙人ゲノーモス・トードに、後方の新兵が殴られ、そのまま外へと落ちていった。



「ちっ! 弓兵! 奴を狙い撃て!」


「は、はっ!」



 矢に土蛙人ゲノーモス・トードが怯み、顔を腕で隠しながら通路の端へと後ずさった。



「よし! 今だ! 体当たりで落とせ!」


「おおー!!」



 部下達が盾を構えて突進していく。あ…… 土蛙人ゲノーモス・トードに掴まれた兵が一人、そのまま落ちていった…… また一人部下を失った。もはや乾いた笑いも出ない。



「そ、そんな……」


「た、隊長、これ以上後退できません……」



 新兵達の悲痛な叫びが聞こえる。南を向くと、そこには数体の土蛙人ゲノーモス・トードが南と東を分断するように構えていた。その数は今も一人、また一人と増えている。



「詰んだか……」



 北から流れてきた土蛙人ゲノーモス・トードは、あろうことか城壁の側面を伝って移動してきていたようだ。その対処が間に合わなくなったということは、もうこれまでだろう。完全に回り込まれた。



「ダメ元で南へと特攻するか。数人は掻い潜れるかもしれん」


「そ、そんな……」



 もはやこれまでと最後の命令を出そうとした刹那、上空から巨大な影が近付いてくるのに気付いた。


 死を覚悟した虚ろな瞳を空へ向ける。


 そして次の瞬間、無意識に眼を全開まで見開いた。


 目に飛び込んできた光景の衝撃が強過ぎて声は出なかった。


 私の異変に気付いて見上げた兵達も同様に声を失っている。


 暗々とした雨雲が広がる空から、紅色に染まった巨大な飛竜――真紅のドラゴンがこちら目掛けて滑空してきたのだ!


 ローズヘイムへと名を変えて以降、過去の一度も飛来したことのなかった飛竜が、この最悪な状況下で現れるだと?


 しかも明らかに自分達目掛けて飛んできている。


 ここは地獄か?


 そう頭を過ぎったが、声が喉から出ることはなかった。


 ――いや、出せなかった。


 こちらに向けて開けられたそのドラゴンの口は、大人を丸呑みに出来る程大きく、鋭い牙が幾重にも重なって並んでいる。


 その大口からは、時折火花が溢れ出ているようにも見えた。


 喰われる! 逃げろ! 本能が必死にそう叫ぶ。


 だが、足がすくんでその場から動くことすら出来なかった。




 ――ギャァオオオン!!




 全身の筋肉が弛緩し、身体が無意識に頭を抱えて縮こまる。


 一瞬、何が起きたのかここがどこかも分からなくなった。それくらいの衝撃であり、恐怖だった。


 それは他の者達も同じだったようで、新兵に限らず精鋭までも…… いや、この場にいた全ての兵士が皆尻餅をついたり、仰向けに倒れたりしていた。



(な、何が起きた? 俺は一体何を……)



 すぐ近くに敵がいるのに、皆が無防備過ぎる姿を晒している。それだけでなく、そこから動けないでいた。恐怖で手が、足が、身体全てが震えて言うことを聞かないのだ。こんな経験は初めてだった。



(何故、何故動かない……?)



 だが、土蛙人ゲノーモス・トード達はもっと酷い状況だった。



(これは……)



 ある者は白眼を剥いて倒れ、ピクピクと痙攣しながら泡を吹いている。そしてある者は、どういう訳か口から内臓を吐き出して絶命していた。



「どう……」



 どうしてと言おうとして、飛竜の仕業だということをようやく思い出す。あまりの恐怖に、脳が記憶を消去したのかもしれなかった。記憶と共に死への恐怖も呼び覚まされる。



(ま、まずいぞ!? ひ、飛竜はどこに行った!?)



 体に力は入らなかったが、飛竜が近くにいるという恐怖心がそれを凌駕したのか、僅かに首から上を動かすことができた。大粒の雨が降り注ぐ空を見上げ、見失った飛竜を必死に探す。


 真紅のドラゴンは、すぐ見つけることができた。火花を時折後方へ撒き散らしながら飛行する真紅のドラゴンは、上空を大きく右旋回すると、城壁の南側に集まった土蛙人ゲノーモス・トードよりも南側に回り込み始めた。


 嫌な予感が全身をガタガタと震えさせる。



(まさか…… まさか…… く、来るなっ…… 来るなぁっ!!)



 私の嫌な予感通り、真紅のドラゴンは私達を正面に捉えると、そのまま城壁の上空すれすれを滑空するようにしてこちらへ向かって飛んできた。



「ひ、ひぃっっっ!?」

「助け、助けて……」

「うわっ、うわぁあああ!?」



 南側にいた新兵達が恐怖のあまり腰を抜かし、バランスを崩して転がる。


 無理もない。両翼を広げたその姿は優に20mはある。その大きさは城壁上部の通路幅よりも広い。そんな巨大な飛竜が、大口を開けて向かって飛んできているのだ。怖くない訳がない。


 ドラゴンに追われるように、土蛙人ゲノーモス・トードがこちらへ向かって必死に逃げてくる。


 中にはその恐怖に耐えられず、城壁の外へと飛び落ちていく土蛙人ゲノーモス・トードもいた。この高さから落ちれば、土蛙人ゲノーモス・トードと言えど即死だろう。それが分からない程の無能ではないはず。だが、本能からくる恐怖心には抗えなかったのか。我先にとその高所から勢いよく飛び降りていく。


 迫るドラゴン。


 次は自分達の番かと死を覚悟したとき、どこからか声が響いた。



「伏せろぉおおお!!」



 空気を震わす程の声量が、金縛り状態にあった兵士達の時を動かした。その叫びに脊髄反射するかのように、全員が頭を抱えるように地面へと転がる。


 そのすぐ上空を凄まじい風圧と共に通り過ぎるドラゴン。



(助かった……?)



 見渡す限り、全員無事だ。


 通り過ぎたドラゴンに目を向ける。


 その背中に、人族らしき者が見えた。


 見間違いかと思ったが、遠ざかるドラゴンの背に2人、確かに乗っているのが見える。



「あり得ん……」



 目の前の光景をすぐ受け入れる事が出来ないでいる。だがそれは皆同じだったようだ。


 呆然とした表情で、誰もが遠ざかっていくドラゴンを見ていた。


 ドラゴンは城壁上空ぎりぎりを飛行しながら、土蛙人ゲノーモス・トード達を北へ北へと追い立てていく。


 ドラゴンに追われた土蛙人ゲノーモス・トードは、まるで蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。そしてその大半が通路から外へと飛び降りていく。転ぶなどしてそのまま運良くドラゴンの後方へ残った土蛙人ゲノーモス・トードも、既に戦意を喪失したのか、這々の体で逃げ出していく。


 ドラゴンは尚も土蛙人ゲノーモス・トードを追い立てる。時折火を吹き、通り過ぎる土蛙人ゲノーモス・トードを火達磨にしていた。



「す、凄い……」



 誰かがそう呟いた。


 だが、皆はドラゴンから目が離せなかった。


 昔、ドラゴンの襲撃で壊滅した大国――ギガンティアの跡地ローズヘイムで、今度は土蛙人ゲノーモス・トードの襲撃で壊滅状態となっていたローズヘイムをドラゴンが助けにきた。そんなお伽話のような光景を、ただただ口を開けながら見つめることしか出来なかった。

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