91 - 「空を駆ける」

「うーん…… やっぱりまだちょっと臭うな……」



 地上へ戻ってきたマサトは、朝日を浴びながら、土蛙人ゲノーモス・トードとの戦いの傷跡が残る集落を見回っていた。


 赤銅宝石の土蛙王サンストーン・キングとの一戦で、マサトには約1万程の土蛙人ゲノーモス・トードが配下になったのだが、生活を共にするには土蛙人ゲノーモス・トードの体臭が臭すぎた……


 故に、彼らには引き続き地下で生活してもらっている。ただ一人を除いて。



「マサけろ、凄いけろ! だんだん明るくなってきたけろ! まだ明るくなるけろか!?」



 マサトの隣では、薄い桜色の肌をした睫毛の長い土蛙人ゲノーモス・トードの変異種――元、異臭のトワレこと、ケロりんが眼を輝かせながら左右に上にと忙しなく視線を動かしていた。


 因みにケロりんと名付けたのは俺だ。仲間に瀕死の傷を負わされたトワレは、死ぬ間際まで土蛙人ゲノーモス・トードであるが故の種族の楔に精神が囚われていた。なので本人には、「トワレは既に死んだ。今ここにいるのは、トワレの魂と身体を元に新たに俺が召喚した精霊体だ」と言うことにして新たに名を与えた。実際はレッドポーションを使っただけだが、ケロりんは元々頭が足りない子なのでそのまま信じたようだ。



「そっか。ケロりん地上に出たことなかったんだよな」


「そけろ。ずっと自分の部屋に居たけろ」



 その言葉を聞いてとても切なくなったが、土蛙人ゲノーモス・トードの中には一生を地中で暮らすことは珍しくないらしい。何よりこのガルドラの地は土蛙人ゲノーモス・トードの天敵が多く、捕食される側である土蛙人ゲノーモス・トードにとっては行きたくない怖い場所だったと言う。



「里から出なければ安全だけど、一人でどっか行くときは必ず誰かに行き先を言うようにね」


「わかったけろよぉ。何度も言わなくても大丈夫けろ。あっ! あっ! あれは高級食材の蝶々けろ!? 生で見たの初めてけろ! た、食べていいけろか!?」


「いいよ〜」


「やったけろぉー! 蝶々待つけろよー!」



 ケロりんがはしゃぐ度に、フローラルな香りが風に運ばれて流れてくる。それだけでここ一帯の空気が澄んだような気持ちになった。



「やっぱケロりん連れてきて正解だったわ」


「何か言ったけろ?」


「いや何も」



 暫くケロりんと集落を散歩した後、すぐさまネスに呼び出された。集会所には既にシュビラやレイア、ベルも同席している。



「マサト、この緊急時にどこに行っていた?」


「いや…… ケロりんに里の案内を……」


「そんなことは他の者に任せればいいだろう!」


「えー……」



 開口一番、レイアに小言を言われる。



(レッドポーションの最後の残りをケロりんに使ったことをまだ怒ってるのだろうか…… それとも月の障り?)



「小娘は生理ではないぞ、旦那さま」


「ぐわぁー!? 思考読むの反対! そのチート何!? やめて!? お願いだから! そしてそれ声に出さなくてもいいよね!? 念話でいいよね!?」


「くふふ」



 シュビラが小さい手を口に当ててクスクスと笑う。悪戯が成功して喜ぶ子供のようだ。


 一方で、レイアは相変わらず顰めっ面している。あっ、溜息を吐いた……



「マサト、お前が追い出した土蛙人ゲノーモス・トードがどこへ向かったか知っているのか?」



 その言葉を聞いて嫌な汗が出る。



(あ…… これやばい奴だ…… 完全に忘れてた……)



「どこへ、向かったんでしょうか……?」


「はぁ、ロサだ。と言っても、私らが里へ引き返している最中に落とされたようだ。今はローズヘイムへと進んでいるらしい」


「マジか……」


「えっ!?」



 ベルが絶句している。


 やっちまった……

 調子に乗ったツケがきた……

 土蛙人ゲノーモス・トードを追い返しただけで留めておくべきだったのか?

 でももし何万という土蛙人ゲノーモス・トードが一気に攻めてきたら里で対応できたか?

 俺たちで何とかできた?

 いや、夜襲もある。

 あの数なら里一帯の地下を掘り進めて里自体を沈めることもできたはず。

 それをやられたら俺でも召喚でも手が出せない。

 じゃあ攻め込むこと自体は間違いじゃなかった?

 赤銅宝石の土蛙王サンストーン・キングを逃したことが失敗だったか?

 どうすれば正解だった?



 「旦那さま、たらればを考えるよりも先に、これからどうするかを考えるべきではないかの?」


「そ、そうだね。ベル、すまない……」


「謝らないで。マサトのせいじゃないよ。わたしなら大丈夫だから」



 ベルが気丈にも笑ってそう言ってくれたが、顔は少し青い。ロサの村には、ベルと親しかった住人もいたはずだ。なぜこうなることを事前に予測できなかったのか、自分の短慮さに腹立たしくなる。


 すると、それまで様子を窺っていたネスがこほんと咳払いをしてから話し始めた。



「ロサの村のことは残念ですが…… マサト君が土蛙人ゲノーモス・トードを追い返さなければこの里が同じ目にあっていたのも事実。あなたは正しい選択をしたのです。責任を感じる必要はありませんよ」


「うーん、そうは言ってもねぇ……」


「全てを完璧にこなそうなど自惚れぬことです。それと、事は急を要します」


「うっ…… そすね…… 自惚れっちゃ自惚れか…… で、急なこととは?」


「ローズヘイムのことです。客観的に見ても土蛙人ゲノーモス・トードの侵攻を止められるとは思えません。既に気付いているとは思いますが、土蛙人ゲノーモス・トードに小高い城壁など無意味です。万の敵が地中を掘り進めて攻め込んでくるとなれば、数日ももたないでしょう」



 それは薄々感じていた。というよりも、この世界において人間――人族は基本的に弱い。すんごく弱い。唯一、その繁殖力と道具を作り出す知能で生活圏を広げているらしいが、1人1人の身体能力は土蛙人ゲノーモス・トード以下だ。むしろ土蛙人ゲノーモス・トードは身体も大きく力も強い。なのにこの世界では弱者側の種族だというのだから驚く。人族が魔法や武器を駆使するとしても、それは土蛙人ゲノーモス・トードも同じ。その相手に数で圧倒されるとなると、人族に勝ち目はないだろう。



土蛙人ゲノーモス・トードの侵攻を食い止められるのは俺だけか」



(俺ならやれる、よな? 数万の土蛙人ゲノーモス・トード相手にいけるのか? いや、やれる。 < 灼熱の火鞭シアリング・ラッシュ > のカードもまだ残ってるし、マナも潤沢にある。だけどレッドポーションはもうないから無理はできないか。もしもの時は真紅の亜竜ガルドラゴンの咆哮で追い払えば…… 追い払うってどこにだ? ダメだダメだ。完璧は目指せない。目の前のできることから一つずつやっていこう。うん、そうしよう)



 俺の言葉に、他の3人が頷いた。


 じゃあこの後の作戦を話し合おうと言おうとした瞬間、頭に直接思考が流れてきた。配下のゴブリンからの念だ。シュビラも同様に感じたようで、こちらを見ている。



「やばい、既にローズヘイムが土蛙人ゲノーモス・トードに襲撃されてる…… 俺がローズヘイムに購入した屋敷の中で、仲間に渡しておいた < ゴブリン呼びの鈴 > が使われた。って、もう街の中まで土蛙人ゲノーモス・トードが侵入してきてんのか! マジかよ!」


「既にそこまで侵攻していましたか…… そうなってはここにいる戦力をローズヘイムへ向かわせても間に合いませんね…… ですが、空からならまだ間に合うかもしれません」


「空からか」



 真紅の亜竜ガルドラゴンの背に乗ってローズヘイムへと向かえば間に合う。背には2人は乗れるだろう。レイアも一緒なら心強い。


 レイアを見ると、意図が伝わったのか、喜びを噛み締めたような顔で頷いた。きっと頼られるのが嬉しいのだろう。段々とレイアが何を望んでいるのかが分かるようになってきたみたいだ。


 シュビラも居れば心強いが……



「われはお留守番じゃな。一人では何もできぬ。旦那さまの足手まといにはなりたくないからの。それに、ゴブリンへの指示だけならわざわざ出向かずともここでできるのだ」


「そうか、分かった」



 やけに素直で物分りがいいことに少し違和感を覚えたが、シュビラの言うことももっともだと思ったのでここで留守番してもらおう。街中でゴブリンを大量召喚してその指揮をシュビラに任せようとも思ったけど、それだけなら里に居ても可能なのか…… って、凄いチートだよな? それ。


 後はベルか……



「わたしは…… 行きたい!」



 言うと思った。


 ロサの村のこともあるし、仲間のことも心配なんだと思うが、連れて行って大丈夫か少し不安だ。というより、真紅の亜竜ガルドラゴンって何人まで乗れるんだ? 身体は物凄く大きいけど。



「ベルはあまり危険な場所には連れて行きたくないけど…… 真紅の亜竜ガルドラゴンに3人乗れるのであれば…… 」


「それなら大丈夫! マサトがいない間、灰色の翼竜レネで飛行訓練したから! 灰色の翼竜レネの背に乗って飛べるよ!」


「……えっ? レネ?」



 どうやら、ネネに預けていたレッサードラゴンの卵が羽化し、みるみるうちに成長して空を飛べるまでになっていたらしい。そしていつの間にかその背に乗って飛行訓練していたと…… ドラゴンの成長恐るべし。いやいや、それ以前にそんな幼竜に乗ってテスト飛行だなんて、なんて危ないことをしてるんだこの子は!?



「わ、分かった。じゃあベルは灰色の翼竜レネで。ただし、絶対に無理はしないこと。いいね?」


「うん!」


「俺とレイアは真紅の亜竜ガルドラゴンだ。準備次第、すぐにローズヘイムに向かおう!」


「ああ!」


「分かりました。念のため、私が調合した傷薬や万能薬をいくつか持っていってください。今用意しますので」



 その後、俺はベルに火の加護を能力付与エンチャントし、緊急時用としてゴブリン呼びの指輪にマナを30程込めて召喚したものを持たせた。付け刃で役に立つかどうかは分からないが、火走りの靴、火投げの手袋も召喚して装備させる。現状できる限りの補強だ。


 灰色の翼竜レネにも火の加護を付けようと思ったのだが、シュビラから既に灰色の翼竜レネには火の加護の素質があると言われたので、火の加護は能力付与エンチャントしなかった。だが、代わりに火吹きの焼印を能力付与エンチャントしてやると、嬉しそうに空に向かって火を吹いていた。


 ただ、こいつのパラメータは 1/1 (攻撃力1、防御力1)なので、少し心配だ。流れ矢とかに当たって死ななければいいが……


 俺の心配を察したのか、灰色の翼竜レネに頬摺りされたりした。シュビラ曰く、身体は一丁前に大きくなったが、まだ竜としては子供とのことだ。既に二本足で立ったときの背丈が3〜4mはあるけどね。因みに真紅の亜竜ガルドラゴンはその倍くらい大きい。


 準備が整い、里の皆が集まった広場から飛び立つ。


 里に連れてきたプーアとウィークがスネークに乗りながらこちらに手を振っている。その隣にはラミアのミアが。彼女も今回ばかりはお留守番だ。さすがに人族の前に見せる訳にはいかない。ネネも元気いっぱいに飛び跳ねながら手を振っている。ガル、ポチ、ゴリは見上げているだけだ。ネスと目が合うと、お互いに頷きあった。



「よし! いっちょローズヘイムを救いに行きますか!」


「そうやってすぐ調子にのる。お前の悪い癖だ」



 相変わらず、レイアは手厳しい。だが、不謹慎ながらも何故かワクワクしてしまうのだ。超越した力を手に入れ、その力で人々を救う勇者のような真似事ができる。恐怖心はいつの間にか薄れ、身体に心地よい高揚感が流れていた。



「雨雲が凄いな…… あ、てかもう雨降ってきた。火の加護には不利だよなぁこれ」


「元々、土蛙人ゲノーモス・トードに火属性攻撃は効きにくい。奴らの皮膚は粘液で覆われているからな。この雨のせいで土蛙人ゲノーモス・トードは勢いを増すはず。人族にとっては災いの雨になるだろうな」


「それもそうだけど。雷も鳴り始めたら、俺らも危険じゃない?」


「雷か…… 確かに厄介だな。その時は地上へ降りるしかなくなるか」



 状況が刻一刻と悪くなっていく。だが、不思議と危機感はない。むしろ全能感が心地よいくらいだ。これも真紅の亜竜ガルドラゴンに騎乗している影響だろう。空の王者とはこういう気持ちで空を飛んでいるのかと感動すらしている。



「おい、マサト! 聞いているのか!?」


「え? ああ、ごめん、聞いてなかった。何?」



 飛行中とはいえ、風の魔法で風圧を防いでいるため、背中にぴったりとくっついた状態で騎乗しているレイアの声が聞こえない訳はない。雨も凌げて便利だ。なのでレイアの言葉は普通に聞いてなかっただけなので、素直に謝った。すると、腹に回されていた腕が一瞬強く引き締められる。



「うぐっ……」


「この後、どうするのか何か作戦はあるのか?」


「取り敢えず、真紅の亜竜ガルドラゴンの咆哮で脅して、浮足立ったところを個別撃破しかないかな。咆哮で逃げてくれればそれで良し、もし集中して向かってきたら、魔法で一網打尽にできるだろうからそれで良し。問題は何も反応しなかった時だなぁ。こればかりは状況を見ながらかな。後は、親玉らしき奴らがいたら片っ端から殲滅あるのみ」

「分かった。私はどうする?」


真紅の亜竜ガルドラゴンへ指示を頼んだ。恐らく俺が地上へ降りて戦うことになると思うから」


「分かった。だが、必要と判断すれば私も地上で戦う」


「それでいいよ。判断はレイアに任せる。むしろ頼んだ」


「ああ、任された」



 もうすぐでローズヘイム上空だ。


 雨脚が酷くなり、今にも雷雨へと変わりそうな気配があった。


 空から見下ろしたローズヘイムの城壁周辺には、アリほどの大きさの点々が大量にあり、その多くが城壁を登っていくのが見える。


 城壁や街の至るところから黒々とした煙が上がり、ローズヘイム側の被害も大きいことが分かった。


 そして極めつけは、市街中央に空いた大穴である。



「なんだ、あれ…… まさか…… あんな巨大な穴を掘ったのか?」


「そのようだな…… 」



 ローズヘイム中央に空いた大穴からは、大量の土蛙人ゲノーモス・トードが次々に湧き出ている。ネスの里に開けられた穴の比じゃない。こんな大穴を掘られたらひとたまりもなかっただろう。どうやら土蛙人ゲノーモス・トードは本格的に穴掘りが得意らしい。もはや得意という次元を超えているが。


 真紅の亜竜ガルドラゴンでローズヘイム上空を旋回する。


 北の城門は、城壁の上も下も土蛙人ゲノーモス・トードで埋め尽くされており、城壁上部を占領した土蛙人ゲノーモス・トードは、そのまま東西へと城壁の通路を伝って流れていっている。城壁を土蛙人ゲノーモス・トードに制圧されるのも時間の問題だろう。


 街の至る所に土蛙人ゲノーモス・トードが溢れ、兵士がまとまって戦っている場所は確認できるだけで5つだけだった。



「ほぼ壊滅状態じゃないか…… あと数時間ももたないだろこれ……」


「ああ、間に合ったと言っていいのか微妙なところだな」


「全てを助けるのは無理だとしても、やれる限りのことはしよう」


「そうだな」



 俺は追尾していたベルへ予め決めておいた合図を送ると、灰色の翼竜レネは西へと旋回していく。俺は東へ旋回し、そのまま土蛙人ゲノーモス・トードと兵士が交戦している城壁の境界目指して真紅の亜竜ガルドラゴンを急降下させた。

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