90 - 「フロンの誤算」

「フロン様! どうか隊の後方へ移動を!」



 近衛騎士団クイーンズガード、騎士団長であるオーリアが、叫びながらフロンへのヘイトを肩代わりするかのように前へと躍り出る。



「気色の悪いイボガエル風情が! 次は私が相手だ!」



 オーリアの前には、他の土蛙人ゲノーモス・トードとは明らかに筋肉のつき方の違う――体長2m程の筋骨隆々な土蛙人ゲノーモス・トード達が、石斧を片手にこちらの様子を窺っていた。



「 ≪ 王の傲慢アローガント・オブ・ザ・キング ≫ が効かないなんて…… こいつらなんなの!?」



 フロンは一人焦っていた。


 自身の加護が、目の前の土蛙人ゲノーモス・トードに効かなかったからだ。


王の傲慢アローガント・オブ・ザ・キング ≫ は、相手の適性や加護を掻き消すという非常に強大な力であり、フロンの切り札でもある。


 この世に生きる者の優劣は、その身に宿る神の力 ≪ 適性 ≫ ≪ 加護 ≫ により決まると言っても過言ではない。その力を掻き消す力となれば、それだけで圧倒的な武力となり得る。


 フロンが死地への援軍に自ら駆け付けたのも、家臣がその行動を強く反対しなかったのも、この強力な加護 《 王の傲慢アローガント・オブ・ザ・キング 》 をフロンが行使できるからに他ならない。


 しかし、目の前に立ち塞がった筋骨隆々の土蛙人ゲノーモス・トード達には全く効力を発揮しなかった。それはフロンが今まで経験のしたことの無い出来事だ。それだけで、フロンが今まで抱いてきた絶対的な自信が揺らいでしまったとしても、それは仕方のない事だったのかもしれない。



(こ、こんなこと初めてよ!? 何で効かないのよ!? よ、よりによってこんな緊急時に!)



 フロンの先、オーリアの前に立ち塞がった土蛙人ゲノーモス・トード達よりも更に先からは、絶えず爆発音が鳴り響いている。


 きっと誰かが敵の大将クラスと交戦しているのだろう。


 そう確信したからこそ、フロンは真っ先に街の中央へと進行してきたのだが、ここへきて誤算が発生してしまった。


 フロンの切り札は、≪ 王の傲慢アローガント・オブ・ザ・キング ≫ による敵の無力化だ。それが出来ないとなると、純粋に力で上回るしか方法がなくなる。そうなると数で劣るフロン達は一気に劣勢となってしまう。


 逸早く状況を見極めたレティセがすかさず助言を述べた。



「姫様、ここは各城門へと向かわせた部隊を集結させた方がいいのではありませんか?」


「駄目よ! 城門を突破されてもこの都市は終わりなの。外にいる土蛙人ゲノーモス・トード全てを一度に対処する戦力はないわ。今は城門を守りつつ、都市の中に侵入した敵をひたすら叩き続けるだけよ。王都から援軍が来るまでね」



 オーリアが得意の氷魔法で土蛙人ゲノーモス・トードの動きを鈍らせ、近衛騎士団クイーンズガードの面々が確実にトドメを刺して敵の戦力を削っていく。


 一匹、また一匹と強靭な肉体をもつ土蛙人ゲノーモス・トードの戦士が地面に転がっていった。


 だが、それでも相手の数は一向に減る気配はない。



「きりがないわね……」



 フロンがそう呟くと、フロンの背中を護っていた女王専属メイドのレティセが何か異変を察知した。



「姫様…… 何か大きい悲鳴が聞……」



 レティセが警戒を促そうとした次の瞬間、ゴゴゴゴという地響きとともに目の前の地面が崩落し始めた。



「そ、総員退避ぃーー!!」



 オーリアがすかさず叫ぶ。


 その場にいたフロン含めた近衛騎士団クイーンズガードの面々が急旋回しつつ緊急退避。


 その刹那、後退するフロンの視線と、穴へと落ちていく一人の若い兵士の視線が交差した。


 若い兵士は顔に恐怖を浮かべ、こちらに手を差し向けながら、「助けて」と叫び穴へと落ちていった。


 結局、一同はギリギリのところで崩落に巻き込まれずに済んだ。


 だが、中央広場から撤退してきていた冒険者や兵士数人は、なすすべも無く、誰もが顔に恐怖を浮かべながら、土蛙人ゲノーモス・トードと共に地中へと落ちていったのだった。


 フロンの顔が青くなる。



「姫様、ここもいつ崩れるか分かりません。一旦ここから離れましょう」


「離れる? それよりも穴に落ちた者の救出を……」


「なりません」


「どうして!? 見捨てろと言うの!? まだ助ける余裕はあるはずだわ!」



 崩落に巻き込まれた者の救出を訴えるフロンの意を汲み、側近の一人が大穴から舞い上がる土煙を風魔法で霧散させた。


 救出しようにも、崩落先の状況が分からなかったからだ。


 そしてクリアになっていくその先の大穴を見た1人が、目を見開きながら驚きの声をあげた。



「な、なんだこの数は……」



 地面が崩れ落ちたはずの穴に、あるはずの土はなく、その代わりにまるでそれが土であるかのように、辺り一面にひしめき合っている土蛙人ゲノーモス・トードが、我先に地上へ上がろうと踠いている。


 土蛙人ゲノーモス・トードと共に落ちた冒険者や兵士達が、悲鳴をあげながら土蛙人ゲノーモス・トードの波に飲み込まれていく。


 不幸にも、フロンは先ほど落ちていった若い兵士と再び目が合ってしまった。


 若い兵士はフロンを見て、見捨てないで、見殺しにしないでと涙を流している。少なくともフロンにはそう見えていた。



「姫様、ここにいては危険です! 一時後退するべきです!」


「で、でも……」



 今のフロンに、部隊の指揮は無理だと判断したレティセは、直ちに騎士団長であるオーリアへ指示を飛ばす。



「オーリア様、至急部隊へ後退指示を! 姫様は私が!」


「わ、分かった! しかしどこへ後退するのだ!? これでは城壁内外からの挟み討ちになるぞ!?」


「ここへ居ても逃げ場を失うだけです。今は最後の希望を繋げるために一旦引き、そこで次の策を練りましょう」


「どのみちこの人数ではこの大穴を包囲しきれぬか…… 仕方ない! 総員一時後退する!」


「はっ!」



 動揺して思考が定まらないフロンを無理矢理騎馬へと担ぎ、一同は来た道を引き返していく。




 ◇◇◇




「はぁ、はぁ、あ…… お、おーい! ストップストップー!」



 スフォーチが引き返してきた騎士団一行の前へと躍り出て、先頭を走る騎馬に止まれと呼びかける。



「お、おい! 危ないぞ! そこをどけ! 逃げるなら我等の後に付いてこい!」



 先頭を走っていた急停止し、アーリアが目の前に立ちはだかった一人の男に怒鳴りつける。何事かと前方で手を振る男を見たレティセだったが、見覚えのある顔に引っかかりを覚えた。だが、すぐに思い出せない。誰だっただろうか。



「女王陛下! お、おれです! スフォーチです! 女王陛下から、あ、あの、勅命を受けた!」



 極秘と言われた任務故に、内容を告げられずにしどろもどろしているスフォーチに、レティセはようやく気付くことができた。そしてフロンへと耳打ちする。



「姫様、あの者はラミアを捜索させていた兵士の様です。何故ローズヘイムに居るのかは分かりませんが」


「ラミア捜索……? あ、ああ。あの無能……」



 フロンは、レティセの言葉もどこか上の空だった。先程の一件を未だに引き摺っているらしい。そんなフロンの様子に、レティセは露骨な溜息を吐いた。そして――



――バシンッ!!



 レティセが、いきなりフロンの背中を勢いよく引っ叩いた。



「い゛っ、いたァッ!? な、何するのよ!? 痛いじゃない!」



 フロンがほぼ条件反射でレティセを睨みながら怒鳴るように抗議したが、レティセはフロンを睨み返しながら反論し始めた。



「姫様がこの緊急時に弱気になるのがいけないのです! 《 王の傲慢アローガント・オブ・ザ・キング 》 が効かなかった程度で何ですか!? 勇敢に戦った者の死に目を見たから何ですか!? 姫様はいつから目の前の全ての者を救えるような神になったのですか!? 馬鹿ですか!? それはとんだ勘違いです! 自惚れです! 大馬鹿者です! ここまで威勢良く私達を率いて来ておいて無駄死にさせる気ですか!? いい加減らしくもない乙女な感傷など吐いて捨ててしまいなさい! 姫様は傲慢で我儘で横暴なくらいが丁度いいのです! ほら早く、本来の目的を思い出しなさい! この大馬鹿者が!!」



 レティセの突然の剣幕に、フロンだけでなく、そこに居た全員がギョッとする。女王陛下に対しての侮辱も、ここまで辛辣なものは一同の理解を超えていた。


 その言葉を至近距離から受けた当人――フロンは、その言葉を徐々に理解していくにつれて、顔が青から赤に変わり始めた。



「な、な、な……」



 怒りで正しく言葉を発せずにいるフロン。その身体は先程とは違った意味で小刻みに震えている。


 だが、その顔を見たレティセは少し微笑むと、またすぐいつもの無表情へと戻った。



「それでいいのです。姫様がまた弱気になれば、すぐにでも私が毒を吐いて正気に戻して差し上げます。なので迷わずお進みください。私達家臣全員は、姫様を信じてここまで来たのですから。それをお忘れなきよう」



 レティセの言葉に、フロンは自分の誤ちに気付くことができた。弱気を振り払うかのように頭を左右へ振り、下がっていた視線を戻す。



「そうね…… ごめんなさい。弱気になってたことは認めるわ。レティセありがとう。もう大丈夫。でも馬鹿馬鹿言い過ぎよ! 仮にも一国の女王に向かって……」


「はいはい、存じ上げておりますとも。私としても、それを承知の上で敢えて罰せられる覚悟で、苦渋の思いで、身を切り刻まれるような心の痛みを伴いながらも、本心とは正反対のことを姫様の為に敢えて述べさせていただきました」


「ぐっぐぐぅ…… それにしては感情がこもってていたように聞こえたわよ!?」


「ええ、もちろんです。感情のない上っ面だけの言葉など相手の心には響かないもの。であれば、言葉に感情を込めるのは道理です」


「え? それって結局……」


「姫様、今は一大事です。あの者、スフォーチと名乗った男の意見を先に聞くべきかと」


「うぐっ……」



 レティセに丸め込まれるように、フロンが先程のやり取りを顔を引きつらせながら見守っていた男へと視線を向ける。その視線に、目の前の男が更に顔を引きつらせたのが分かり、フロンは眉間に皺を寄せた。


 スフォーチはフロンと視線が合うや否や、すぐさま膝をつき、頭を下げた。


 その後、フロンは上手くラミアのことを伏せながらもスフォーチから現状の報告を聞き出したところで、スフォーチの後方から報告にあった者達が走ってくるのが見えた。



「陛下、もし万が一の際は、この者の言う地下通路から外へとお逃げください」


「その程度の分別は弁えているつもりよ。安心して。それにオーリア、まだ万が一のことを考えるには早いわ。そうでしょ? レティセ」


「姫様の仰る通りです。まずはこのローズヘイムの領主とギルドマスターに会ってからにしましょう。ローズヘイム支部のギルドマスターは、首都ガザへの引き抜きも行われた程の逸材と聞きます。その者が指揮をしているのであれば、まだ勝機はあるかもしれません」


「と言うことよ。オーリアも最後まで頼んだわね」


「はっ! 我等近衛騎士団クイーンズガードにお任せください!」



 オーリアの敬礼を合図に、この場に居る近衛騎士団クイーンズガードメンバー全員が剣を胸に掲げた。


 遅れるようにして、アンラッキーの面々もぎこちなく敬礼に続く。


 そこへ、空気を読まない自由人が割って入る。



「一致団結してるところ悪いんだけど、早く移動しないと最悪行き違いになるわよ? 女王陛下がこの都市に入ったとヴィクトルが知れば、陣頭指揮を他の者に預けてこちらへ至急向かうはず。そうなっては時間の浪費ではなくて?」



 その後、オーリアとソフィーが一瞬険悪になりかけたが、事は急を要するとフロンが先陣を切ったお陰で、余計な衝突を生まずに済んだのだった。一同は、ヴィクトルの居る場所――竜語りドラゴンスピーカーの屋敷へと向かう。


 空には雨雲が覆い尽くし、地面にはポツポツと雨が 落ち始めていた。

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