87 - 「土蛙王の再起」

 陽の光が届かない地中深くを、黄金色に輝く巨大な蛙が、凄まじい勢いで掘削しながら進んでいく。


 水かきのついたその手で前方をひとかきすれば、その数メートル先の土や岩が大きく消失する。


 赤銅宝石の土蛙王サンストーン・キングが得意とする掘削魔法だ。


「ぎゅふ…… ぎゅふ……」と呼吸を荒げ、這う這うの体で逃げる土蛙王。


 その姿に8万もの土蛙人ゲノーモス・トードを束ねた王としての威厳は皆無だったが、幸いにもその姿を目にする者はそこにはいない。


 初めて出会った強敵――マサト。


 その次元の違う強さに、怯え、恐怖し、無我夢中で逃げ出した土蛙王。


 しかし、その恐怖も、時間が経つにつれて急激に薄れていった。


 恐怖心が薄れれば、代わりに強まるのは復讐心やら野心である。



「そ、そぎゅだ…… まぎゅは態勢を立て直すのがさぎゅ。復讐はそれぎゅら……」



 土蛙王がロサの村だった場所へ辿り着くまでの間、一人で考える時間は十分にあった。


 そこで改めて、瑣末なことだと記憶の端に追いやった情報を一つずつ整理していく――


 モストンが殺られたというのは本当だった。


 当初は報告を聞いて信じることができなかったが、マサトと対峙し、あの報告は本当だったとようやく理解した。


 ブードも死んだ。


 ラミアに操られ、仲間に討たれて死に絶えた。


 これで、忠実で有能な希少種はトードンのみだ。


 奴がゲノーの予言した救世主であるなら、それを信じる者は全て寝返ったと見るべきか。


 どちらにせよ、奴のいる場所へは戻れない。


 住処を取り戻すには、トードンに預けた精鋭部隊を全てぶつける必要がある。


 そのためにはトードンとの合流が最優先。


 そして人族が築いた要塞を奪い、大勢の人族を人質にとる。


 奴がくれば、人質を盾に奴を痛ぶった後、奴の目の前で人質を喰うのもいいだろう。


 人質を奴と戦わせても面白いかもしれない。



「ぎゅぎゅぎゅ…… 人族などに負けるはずがなぎゅ…… 」



 いつの間にかマサトへの恐怖は記憶の彼方に消え去られ、土蛙王の思考は、人族の住処を攻めることで埋め尽くされていた――。



 ロサの村だった場所に辿り着いた土蛙王は、部下から報告を聞く。



「四角い箱への地下通路が開通しまぎゅた! トードン将軍は既に向かっておりまぎゅ!」


「そぎゅか…… よぎゅやった」



 今が勝機だと確信した土蛙王は、全軍での総攻撃を決意。


 その場にいる全ての土蛙人ゲノーモス・トードへと命令を下した。



「要塞を包囲している同胞達にも告ぎゅよ! 全軍、総攻げぎゅだ!!」


「「ゲロ、ギュー!!」」



 土蛙王の命令で土蛙人ゲノーモス・トードの大群が動く。


 ローズヘイムから然程離れていないロサの村跡地で起きたこの動きは、すぐさまローズヘイム側にも伝わることになる――




 ◇◇◇




「た、隊長! 中央広場から救援信号はどうすれば!?」



 ローズヘイムの城壁、東。


 防衛塔の上で、隊長と呼ばれた男は、外周を包囲している土蛙人ゲノーモス・トードの大群をボーッと眺めながら答えた。



「そう騒がなくとも、私にもちゃんと見えていた」


「で、ではどうすれば!?」



 青い顔をしながら焦る新兵に、力無く溜息を吐くと、生気の抜けた瞳で流し見た。



「どうすることもできんだろ。私達が下へ降れば、外にいる土蛙人ゲノーモス・トード達が城壁を登ってきたとき誰が対処するというんだ。ただでさえ、あの大群をここにいる数で応戦できるのかすら怪しいのに…… はぁ…… つまりだ、中央に回す人員など最初からいない」


「そ、そんな……」



 隊長と呼ばれた男は、再び視線を外周にいる土蛙人ゲノーモス・トードへと戻す。


 外周を囲むようにずらっと並ぶ土蛙人ゲノーモス・トード


 報告では、東西南北全ての城壁を囲む程の数だそうだ。


 その時点で、ローズヘイムが自力で切り抜けられる状況ではなくなった。


 ローズヘイムが取れる選択肢は一つ。


 籠城しつつ、王都からの援軍を待つこと。


 だが、目の前に映る大群全てが総攻撃を仕掛けてきたらどうなるのか?


 男は理解していた。


 今のローズヘイムの兵数ではとても守り切れないということを。


 唯一の救いは、土蛙人ゲノーモス・トードが何を躊躇したのか、一向に攻めてこないということだけ。


 だがそれも、城壁内部への侵入経路を掘っていたためだと分かると、もはや籠城すらできない状況に絶望を感じずにはいられなかった。


 城壁を守り続けたところで、市街には土蛙人ゲノーモス・トードが湧き続ける。


 しかし、城壁の守りを捨てたら最後、外周にいる土蛙人ゲノーモス・トードが城壁をも占拠するだろう。


 そうなっては、もはやローズヘイムの民に命はない。


 突然訪れた死の宣告に、状況を正しく理解した者ほど、顔に浮かぶ絶望の色は濃くなっていった。


 それが今まで戦争らしい戦争をしてこなかったローズヘイムの兵であれば尚更だ。


 今すぐ街へと戻り、家族のもとへ駆け付けたい部下も多くいるだろう。


 だが、敵前逃亡は許されない。


 重罪だ。


 であれば、自分の役割は分かっている。


 絶望する部下を叱咤し、敵へ立ち向かう意思を奮い立たせるのは、隊長である自分しかいないのだ。


 しかし、それも市街中央に空いた大穴と、そこから湧き出す土蛙人ゲノーモス・トード、更には街の至る所から小さな穴が次々に空き、ひっそりと侵入してくる土蛙人ゲノーモス・トード達を見てしまっては、その意味すらも見出せずにいた。



「……勝てる訳がない」



 誰にも聞こえないような小さな声で、心の気持ちを吐き出す。


 そう、どう考えても勝てる訳がないのだ。


 市街へは次々に土蛙人ゲノーモス・トード達が侵入しているのに、外周にいる土蛙人ゲノーモス・トード達に動きはない。


 つまりは、目に見えている数よりも多くの土蛙人ゲノーモス・トードがローズヘイムへ攻めてきているということになる。


 この状況で、ろくに戦ったこともない新兵を多数引き連れ、何をしろというのだろうか。


 そこまで考えると、不思議と乾いた笑いが込み上げてくる。



「た、隊長! き、北から合図が……」


「次は何……」



 隊長と呼ばれた男が驚きに目を見開く。


 そこに居た全員が青い顔を更に青くさせたことだろう。


 何故ならば……



「敵の…… 増援だ、と……?」



 部下の誰かが膝を折った。


 目に見えて近付いてきた死神の存在に、戦意喪失する兵が出始めたのだ。


 そして訪れた変化はそれだけではなかった。



「「「ゲロ、ギュー!!!」」」



 突如響き渡る土蛙人ゲノーモス・トード達の号令。


 そして、一斉に城壁へと飛び付き、よじ登ってくる土蛙人ゲノーモス・トードの大群。


 それは地響きとなり、城壁を揺らす程であった。


 その揺れに、その雄叫びに、新兵達が頭を抱えて蹲ってしまう。



「くっ! ま、まずい……」



 防衛塔の至る所から、敵襲の警鐘が打ち鳴らされる。


 このまま土蛙人ゲノーモス・トード達に呑まれて無駄死にするのは御免だと、少しの気概が生まれ、それが動力となって身体を突き動かす。


 男は、腰に携帯していたラッパ状の魔導具アーティファクトを手に取ると、息を大きく吸い込み、それを吹き鳴らした。


 隊長格だけに所持が許されたそれは、その音を聞いた者の心を揺さぶり、闘争心を焚き付ける使い捨ての魔導具アーティファクトだ。


 顔を上げた新兵達に、畳み掛けるように発破をかける。



「いつまでそこで泣いているつもりだッ! 貴様らがここを守らず、誰が貴様らの両親や恋人を守るというんだッ! 目を覚ませッ! 敵は城壁を登ってきているッ! 貴様らの大切な者の命を奪いにやって来るぞッ! 生きてここを通させるなァッ! 分かったかァーッ!!」


「「は、はいっ!!」」



 慌てて立ち上がる新兵達。


 新兵達の顔からは絶望の色が薄まっていった。


 その様子を見た男は、少しはマシになったと頷きつつ、すかさず新兵達に指示を与える。



「油壺を持て! 満遍なく油を撒けば、かなり時間稼ぎができるはずだ! 弓兵は近付いてきた蛙を優先的に狙え! 上まで登ってきた蛙には、必ず二人一組で対処に当たれ! 決して一人で挑もうとするな! 分かったな!!」


「「はいっ!!」」



 ――そこからはどのくらい城壁で戦い続けただろうか。



 攻城兵器など持たない原始的な土蛙人ゲノーモス・トード達は、油によって城壁が登れなくなったことに大分苦戦しているようだった。


 そのお陰で、新兵達だけでも何とか防衛に成功している。


 しかし、状況は悪くなる一方だ。



「た、隊長、も、もう油が残ってません!」


「隊長、う、内側の門が攻められてます! ど、どうすればいいでしょうか!?」



 次から次へと問題はやってくる。


 だが、やれる事は限られている。



「油の効き目が少なくなれば、そこへ火を放て! 火が消えたら焼石をくれてやれ! 城門へは弓兵を半数だけ移動させろ! 絶対に門を開けさせるな!」


「「は、はい!」」



 城壁はなんとか死守できている。


 だが、城門の防衛が限界にきていた。



「くそっ! このままでは一時間も保たない…… どうすれば……」



 ふと、東の空に何かが見えた気がした。


 視線を向けると、青い信号弾のようなものが微かに見える。



「あ、あれは……」



 すかさず双眼鏡で見渡すと、そこには騎兵らしき一団が、大量の土煙を巻き上げながらこちらへ向かってきているのが見えた。



「え、援軍だ…… お、王都から援軍が来たぞ!」

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