86 - 「思わぬ合流」
領主館では、クラン「
Aランク冒険者であり、ティー公爵の側近でもあるパークスが先陣を切り、目的地までの経路を切り開く。
目の前に立ち塞がる
必要物資は荷車や馬車で持ち運び、それを私兵が護衛しながら進む。
その列は長く、とても目立つため、路地から
私兵の中でも精鋭達に護衛されていたティー公爵は、馬車の中で一人乾いた笑いを浮かべていた。
「街中での移動に、森を移動する以上の厳重警護か」
馬車の中に、第二夫人であるヒュリスの姿はない。
ティー公爵の命令に反発しただけでなく、領主館から出て行くことを拒んだのだ。「不在の間に、ボンちゃんが帰ってきたらどうするおつもり!?」とか「篭城に適さない原因が、わたくしにあると仰いますの!?」と、ヒステリック気味に騒いだ。結局最後はティー自身が説得を諦める形となり、今に至る。
決断を急がなくてはならない状況だったとはいえ、ヒュリスの命よりも家臣達の命を優先したというのもまた事実である。この判断に、ヒュリスが不満を持たないはずがなく――結果、私兵や家臣の半数を館に残す羽目になった。
ヒュリスの取り巻きならまだしも、それ以外の家臣達はティー公爵の意図に同意し、共に避難しようとしていたのだが、ヒュリスが館を出ることを断固として認めなかった。館を出れば最後、二度とこの館へは踏み入れさせないとまで迫ったのだ。
無事に今を生き延びたとしても、職を失ってはその後の生活ができなくなる。家臣達はそれを恐れ、ティー公爵とヒュリス夫人の間で揺れ、多くの者が館に留まる形となった。
「これではどちらが領主かわからんな」
ヒュリスとの一連の騒動を振り返り、ティー公爵は大きく溜息をついた。
道中、
その屋敷は、中流地区にありながらも周囲を厳重な鉄柵に囲まれた異質な場所であった。周りに他の屋敷はなく、どこぞの領主館のようにさえ見える。
屋敷の門には、先行させていた兵士が見張りとして警戒しており、ティー公爵を乗せた馬車を敷地内へと誘導していく。
ティー公爵が馬車から降りると、駆け寄ってきたパークスへ声をかけた。
「
「いえ、まだ屋敷内を捜索中です。門と屋敷の扉は開いておりました。既に敷地内にいた
「そうか。気を付けよう」
すると丁度そのタイミングで、数人の兵士が屋敷から出てくるのが見えた。屋敷の入口を警戒し、何かが出てくるのを待つように武器を構えている。
すかさずパークスがティー公爵を庇うように前へ出る。
屋敷の入口からは、
「あれは……なんだ? ゴブリンのようにも見えるが……」
「恐らくゴブリンかと。ですが、私が知っているゴブリンとは種族が異なるようです。亜種でしょうか。なぜ
「なぜゴブリンが…… パークス、対処は可能か?」
「はい、問題ありません。手練れだったとして、所詮はゴブリンです。私の敵ではありません。ご安心を」
「そうか。であれば」
パークスが一歩ゴブリンへと踏み込む。
そしてティー公爵がゴブリンへの攻撃指示を出すよりも早く、屋敷の中から慌てて出てくる人影があった。
◇◇◇
――少し時間を遡る。
書斎へ侵入してきた
(くそっ! きっとあの絨毯はもう使い物にならないぞ!? こんなことであれば安物に交換しておくんだった!)
トレンは酷く後悔していた。と言っても、高級な絨毯を駄目にしてしまったことを後悔していただけではあるが。
一方で、マーチェは過度の緊張から解放され、ふにゃふにゃと腰を抜かしていた。
「た、助かったぁ……」
「ああ、なんとか助かったな…… ボスからこの
「なんでよ。それならその
「だな。ありがとう、ゴブリン」
「「ゴブ」」
二体のゴブリンが同時に頷く。
そして再び鳴るドアベル。
「ま、また来たぁ……!?」
「ゴブリン、頼んだぞ……」
「「ゴブ」」
ゴブリンが書斎を出ると、すぐ近くに
トレンは床に転がっていた石槍を手に取ると、もう一本をマーチェへと投げ渡す。
「おれたちも行くぞ! このまま倉庫へ向かう」
「えっ!? あっ!? ちょっと待って…… って、あぁっ!」
「おい、今度はなん…… あれは」
通路の窓からは、武装した兵士が数人、周囲を警戒しながらこちらに向かってきたのが見えた。
「た、助けが来た! ね、ねぇ、助けが来たよ!?」
「あ、ああ」
(なぜ兵士がここへ…… 偶然か? そんな偶然があるのか?)
突然やってきた兵士に違和感を覚えつつも、すぐとある問題に気が付く。
「ま、まずい! このままだとゴブリン達と交戦になるぞ!」
「えっ!? あっ! そ、それはまずいよ! は、早く行こっ!」
トレンがゴブリン達に追い付いたときは、ゴブリンは既に
そこへ兵士達が現れ、
トレンと兵士達は、丁度上と下の階に位置していたため、双方が見えているのは階段の踊場にいたゴブリンだけだ。トレン側からも、兵士側からもゴブリンだけしか見えていない。
「ガァアア!!」
ゴブリンが兵士達を威嚇すると、兵士達は地形の不利を悟り、そのまま後退しつつ、無駄のない動きで外へと出ていった。
それを追うゴブリン。
「ま、まずい! おい! 行くな!」
「は、早く早く! 何してんの! トレン急いで!!」
背後のマーチェに急かされながら、階段を数段飛ばしで駆け下りていく。
そして外へ出ると、ゴブリンは兵士達に包囲されていた。その先にはティー公爵の姿も見える。
すかさず叫ぶトレン。
「ま、待ってくれ! このゴブリンは
そう説明しながらも、毎回これを説明して回るのは大分骨が折れそうだとどっと疲れるトレン。
トレンの言葉に、ティー公爵が応えた。
「よい、下がれ」
「はっ!」
ティー公爵の言葉に、パークス含めた全員が敬礼しつつ下がる。
「お前達は
「はい、閣下。
「あ、あたいはマーチェって言います」
「そうか。では、トレンとマーチェよ。今のこの都市の状況は理解しているな?」
「はい、
トレンの物怖じしない物言いに、パークスが鋭い眼を向ける。だが、その程度で動じるトレンではなかった。
「その通りだ。そこまで理解しているのであれば話は早い。緊急事態につき、ここを拠点として使わせてもらう」
「それは構わないのですが…… 領主館は既に落ちたのですか?」
「いや、領主館にはヒュリスが籠城している」
「夫人が…… もしや兵を分けたのですか?」
「そうだ」
「それはなぜですか? 閣下が正しくこの状況を理解されているのであれば、籠城すべき場所の戦力をわざわざ分散させる理由が分かりません」
トレンの追及に、マーチェが「ちょ、ちょっと!」と焦りながら服の裾を引っ張る。
「手厳しいな。確かに貴重な戦力を分けることになったのは私としても苦渋の決断であった。だが、今それを話す必要があるのか?」
ティー公爵が凄むも、トレンは動じない。トレンが一代で店を構えるまでに至った過程には、胃に穴が開く程に厳しい商談や失敗が数多くあったのも事実であり、その経験がトレンの精神を強く成長させていたということも大いに影響していたことだろう。
「ここは
パークスが剣呑な雰囲気を醸し出し、マーチェが「ヒィー」と小さく悲鳴をあげた。その顔はもうこれ以上事を荒立てないでと訴えている。
だが、トレンに面と向かって意見を言われたティー公爵は、怒るどころか眼を丸くしていた。
「わはは、そこまで面と向かって意見を言われたのは久しぶりだ。パークス以来か」
ティー公爵が突然笑い出し、それを見たパークスが剣呑な雰囲気を引っ込める。
「法を熟知しているな。各ギルド長による罷免決議か。緊急事に正常な判断ができないとした場合には罷免が可能だったな」
「はい」
「確かに領主館とこちらとで戦力を分散したのは悪手だったかもしれん。だが、本当にそれが悪手だと断言できる根拠はあるか?」
「……いえ」
「そういうことだ。セオリーを考えれば戦力は一つに集めた方が籠城し易いだろう。だが、敵の戦力も未だ未知数であることも確かだ。それにな…… 一つにまとめることで混乱する指揮系統もある。特に、特権階級にいる貴族という人種はな」
ティー公爵の言葉に、トレンはなぜ領主館に戦力を残すことになったのか事情を察することができた。そして誰が原因なのかも。
「これ以上は言えん。察しの良いお前なら十分だろう」
「はい、無礼を失礼しました」
「よい。だが、その分しっかりと協力はしてもらうぞ」
「勿論です。夢半ばにして死ぬ訳にはいきません。ただ、無事に今を切り抜けることができれば、消耗品は後ほどしっかりと請求させてもらいますよ」
その言葉に再び笑うティー公爵。マーチェはもう話について行けずに目を点にしていた。
トレンがゴブリンの周知を依頼すると、パークスが手際よく部下へと伝達へと動く。
(これでゴブリンの事は大丈夫だろ。今のところは……)
その後、次々に敷地内へ移動してくる荷車やら馬車に細かく指示を出し、持ち運ばれた物資を仕分けていく。
するとそこへ、新たな団体が訪れた。
「
「えっ!? ギルドマスター!?」
冒険者ギルドのギルドマスターであるヴィクトルの来訪に、敷地でトレンの手伝いをしていたマーチェが真っ先に声をあげた。
マーチェの大声により、トレンとティー公爵がヴィクトルの来訪に気が付く。
「ギルドマスターもか……」
「どうやらこの拠点の有用性を正しく理解している者は、パークスだけではなかったようだな。優秀な者が多いというのは、領主として嬉しい限りだ」
「そこまで認知されているとなると、あまり公にはしたくなかったおれとしては複雑なところですけどね……」
トレンとティー公爵が軽く会話を交わしていると、二人に気が付いたヴィクトルが一瞬意外そうな顔をした。恐らく、ティー公爵がここへいる事と、トレンと公爵が普通に会話を交わしている事の両方に驚いたのだろう。
「まさか閣下もここへ? 領主館はどうなったのですか?」
「ふっ…… やはり同じ質問をされたか。その話は後でしよう。ヴィクトルも籠城目的か?」
「ええ。冒険者ギルドの館は守りに適していませんので。しかし、ここであればある程度は持ち堪えられます。とは言え、仮に城壁が突破され、外にいる
「そうか。では他に理由があるのだな?」
「…………」
ティー公爵の探る眼つきに、ヴィクトルが黙る。だが、一瞬だけ、その視線がトレンへと流れたのを、ティー公爵は見逃さなかった。
「ふむ。その話も後ほどするとしよう」
ヴィクトルのその含みのある沈黙に、トレンはボスの事だろうなと当たりをつけていた。
(いくらこの状況とは言え、ボスの事をティー公爵に知られるのは不味いだろ。先にヴィクトルと話をしないとだな)
「それよりもトレン、マサトは今どこにいる。会って話がしたい」
「それはおれも知りたいね。何処ぞの貴族の坊ちゃんに追い回されたせいで、行き先も告げずに姿を消したっきりだ。まだ戻ってきてないし、そもそも連絡すらきてない」
「ちょ、ちょっとトレン!? 公爵閣下の前だよ!?」
ヴィクトルの質問に、トレンがティー公爵へ向けて嫌味を含んだ言い方をすると、近くにいたマーチェが慌ててトレンを宥めようとした。
普段溜め込んでいた日頃のストレスを、今がいい機会だとばかりに意趣返しに出るトレンに、ティー公爵も苦笑いで対応する。
「ボンボのことだな。あれの不始末は私が自ら決着をつけると約束する。息子が迷惑をかけた。すまない」
「閣下!」
頭を下げるティー公爵に、パークスが止めさせようとする。思わぬ形で謝罪を受けたトレンは酷く焦っていた。マーチェはあわわと口に手を当てながら青い顔をしている。ヴィクトルでさえ、ティー公爵の謝罪に目を丸くしていた程だ。
「よいのだ、パークス。これもケジメだ。私の好きにさせてくれ」
「……はっ!」
顔を上げたティー公爵に、気まずいトレンはティー公爵の顔を直視することが出来ず、つい無意識に視線を上へと泳がせた。
すると、今にも雨が降り出しそうな程に曇った空を背景に、橙色と赤色の二色の魔法弾が打ち上がったのが見えた。
「お、おい、あれは?」
トレンの言葉に、一同が空を見上げる。
その魔法弾を見て顔をしかめるヴィクトル。
「橙色の魔法弾は救援の合図だ。赤色の魔法弾は強敵出現の合図。方角は中央広場か。恐らく敵将クラスの出現だろう。閣下、至急兵士を向かわせてもらえませんか」
ティー公爵はヴィクトルの言葉に頷き、パークスへと指示を出す。
「最低限の人数だけ残し、残りを広場へ向かわせろ」
「はっ!」
「兵の指揮はお前に任せる」
「……しかし、それでは閣下の護衛が」
渋るパークスに、ヴィクトルが声をかける。
「閣下のことは私が守ると約束しよう。冒険者ギルドの名に誓って、必ず」
「分かりました。ではすぐ片付けで戻って参ります。それまでどうかご無事で」
「言われるまでもない。パークスこそ気を付けよ」
「はっ! では」
数十人の兵を纏め、門から出ていくパークス。
一方で、少しずつ増えていく避難住民。
誰もが突如襲ってきた恐怖に震え、顔を青白くさせて怯えている。
そんな住民達を見回しながら、トレンは「まさかボスはおれたちのこと見捨てはしないよな」と呟いた。
「まさかね」
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