83 - 「ティーの決意」
堅牢な城壁に囲まれた要塞都市、ローズヘイム。
その都市は今、
城壁を囲むように布陣している
しかし、敵襲の鐘の音が街中に鳴り響いていた。そう、城壁塔から鳴り響く鐘の音は、外からの敵襲を告げるものではなく、城壁を突破された際に鳴らされる鐘の音であったのだ。
「何事だ!? なぜあの鐘の音が鳴っている!?」
領主館の書斎で仕事をしていたティー公爵は、突然鳴らされた市街への敵侵入を知らせる鐘の音に驚き、叫んだ。急いで側近を呼び出し、事情を聞き出す。
「閣下、どうやらあの鐘の音は間違いではないようです。城壁の外にいる
パークスが答え、後からやってきた兵士へと引き継ぐ。
「し、失礼いたします! 閣下、街の中央の広場に大穴が! そこから
「な、なに……」
ありえんと言いかけ、言葉を止めるティー公爵。そして何かに思い至ったのか、目を見開き、その考えを口にした。
「ま、まさかロサの村を占拠したのは、これが理由か?」
「恐らくは。城壁から見える位置で地面を掘っていれば、見張りが気付いてこちらへ報告がきているはずです。その報告がきていないということは、城壁から見える場所よりも遠くから掘り進めてきたと見ていいでしょう」
「そんなことがこの短期間で可能なのか…… いや、現にそうなっているのだ。可能なのだろうな。それが
ティー公爵が、机に肘を折りながら頭を抱える。その動作により、白髪が何本か、ひらりと机の上へ落ちた。その白髪を見て、また白髪が増えてしまうなと自嘲気味に笑う。
「直ちに王都へ伝書鳥を送れ。市街に侵入を許した。陥落の恐れあり。至急救援を求む。とな」
「は、はっ! 直ちに!」
退出する兵士。
兵士を見届けたパークスが、ティー公爵との会話を続ける。
「閣下、城門が破られれば抵抗すらままならなくなります。城壁の兵士は挟み撃ちに遭い、城壁外へ打って出ることも不可能となりましょう。ここは冒険者ギルドと連携し、大穴の封鎖に全力を挙げた方がよろしいかと」
「そうだな…… 外の
「はっ」
「他に、何かあるか」
「防衛に適した場所に兵を集め、閣下の守りも固めておく必要があります」
「ここでは駄目なのか? いざという時のために籠城も兼ねて設計されていたはずだが……」
「建築当時はそうだったのかもしれません。ですが、現状、この領主館で籠城するには、防衛面でいくつか大きな問題があります。全て奥様が改築された場所になりますが……」
「そういうことか……」
パークスの言葉に、ティー公爵は全てを察して深い溜息をついた。その顔は、実年齢よりも10歳近く老けて見えるほどに疲れて見える。
「では、どこならいいのだ。お前なら既に場所の検討を付けているのだろ?」
「はっ。中流地区に、頑丈な柵で囲まれた屋敷があります」
「中流地区に? 誰の所有地だ?」
「今は
突如出てきた
「これは偶然か。それとも何かの因果か」
「如何致しますか?」
「戦える者は武器を手に取り、籠城に必要な食料は全て運び出せ。この屋敷を捨て、全員でそこへ移動する」
「はっ。ではそのように」
退出しようと背を向けたパークスに再び声をかける。その声は心なしか弱々しいものだった。
「息子は…… ボンボは戻ってきたか?」
「いえ。その情報は門番からも入っておりません。恐らくはまだ城壁の外かと」
「そうか……」
「ボンボ様には私兵と傭兵が計100人以上護衛についているはずです。
「ふっ…… そうだな。どうやらうちの息子は悪運だけは強いらしい」
「その点についてだけは、私も同意いたします」
「ふはは。パークス、お前もそう思うか。これも時のいたずらというものか。すまない。足止めさせたな。頼んだぞ、パークス。お前だけが頼りだ」
「はっ。お任せを」
退出するパークスの背を見届けると、ティー公爵は机の奥、天板の上に隠してあった一通の封筒を取り出した。
公爵印で封蝋されたその封筒を胸の内ポケットへとしまうと、長年使ってきた見慣れた書斎をゆっくりと見回す。
年季の入った机――机の端にはボンボの落書きが今でも残っている。消そうと思えば消せたその落書きを、今でも残してあるのは何故だったか。
何度も読み返した本が並ぶ本棚――結局、ボンボはそれを一切読もうとはしなかった。あれほどこの都市の歴史を学べと言ったのにもかかわらず、一度も手に取ることさえしなかった。一体何が悪かったのか。どうすればボンボに学ぶことの大切さを理解させることができたのか。正直、今でも分からない。
街一番の絵師に描かせたローズ家の自画像――あの頃のボンボはまだ可愛かった。ヒュリスは相変わらずな性格だったが、今よりも美人ではあったのは確かだ。
動物の剥製――ボンボが初めて狩りをして仕留めた動物だ。息子の成長を喜び、剥製にして書斎に飾るように命じたのは誰でもない、この私だ。今思えば親バカであったと思う。
暖炉、アンティーク、ランプ、ペン、大小にかかわらず、全てに思い出が詰まっている。
それを一つ一つ思い出しながら見回した。
そして気付く。
今では不満しか感じない駄目息子。私の言うことを一切聞かず、我儘で傲慢な人間に育ってしまった可哀想な息子。そんな息子との想い出が、この書斎の大半を占めていたことに。
「ふっ。私は自分が思っていた以上に息子のことを大切に想っていたようだ」
巻き戻すことのできない過去に想いを馳せていると、自然と目尻に涙が浮かんできた。それを指先で拭うと、感傷的になる気持ちを振り払うかのように軽く頭を振った。
そしてドアの前まで出てくると、再び書斎へと振り返り、大きく息を吸い込み、「よし!」という言葉とともに顔に力を込める。
酷く疲れて見えたその顔には、迷いや弱さの色が消え去り、いつもの威厳が復活していた。
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