69 - 「ロサの村の悲劇」

 マサト達がモストン率いる土蛙人ゲノーモス・トード軍と交戦していた頃、ティー公爵はパークスが齎した報告に頭を抱えていた。



「2万だと!? そんな馬鹿な! ありえん!」



 ロサの村が土蛙人ゲノーモス・トードの大軍に攻められ、一瞬で壊滅させられたという事実は、ティー公爵の理解を軽く超えた。


 直ぐさま斥候を飛ばし、事態の把握に努めるも結果は変わらず、敵の数は確認しただけでも2万にも及ぶという絶望的な事実が分かっただけだった。



「閣下、奴等は既にこちらへも斥候を飛ばしてきております。奴等がローズヘイムへ攻めてくるのは、もはや時間の問題かと……」


「そんなことは言われんでも分かっておる…… たった2万でこの都市が落とされるとは思わんが…… パークスよ、お主は報告にあった2万で全てだと思うか?」


「思いません。恐らくその数倍はいると見ていいでしょう。ですが、ロサの村一つ攻めるだけであれば2万という兵力は多過ぎます。低能で下賤なトード種が後先考えずに全軍で攻めてきたとするのは簡単ですが、突然変異で賢い個体が生まれるというのはよくある話です。向こうに何か考えがあり、敢えて2万という数で攻めてきたという線も捨てきれません。私にはあれが威力偵察のように思えてなりませんが」


「2万で威力偵察だと!? 本来であれば、それこそ馬鹿げた話だと切り捨てたいところだが…… 王都と蛙人フロッガーとの前例もある。本体は数倍を見ておいた方がよいということか……」


「そう考えるのが賢明かと」


「ふっ…… 王都と蛙人フロッガーの戦争は対岸の火事だと思っていたが、こちらは土蛙人ゲノーモス・トードか。やるせないな……」


「心中ご察しします」



 パークスは現役のAランク冒険者だ。


 数年前に突如頭角を現し、あっという間にティー公爵お抱えの冒険者兼、側近となった天才である。


 そのパークスをもっても、土蛙人ゲノーモス・トード達の考えは読みきれないという。



「籠城するにしても、先に王都へ援軍を打診しておいた方が良いのではないでしょうか」


「それは…… できん……」



 パークスの助言はもっともだったが、ティー公爵は王都への援軍要請を躊躇していた。


 土蛙人ゲノーモス・トード2万に対し、ローズヘイムの常駐兵は1万程度しかいない。更に実戦に耐えうる訓練を積んだ精鋭兵となると、その数は2000まで減る。


 北の要となる要塞都市でありながら、この程度の軍事力しか保有していないのは、ティー公爵自身が長年の平和により不要と判断して軍費を縮小させたからに他ならない。


 北と西にあるガルドラの地は、基本放っておけば害はなく、東と南は王都や同盟国の砦が盾となってくれる。


 故にローズヘイムが必要以上の軍事力を保有する必要はないと判断したのだ。


 何より、ティー公爵は何かと理由を付けて王都からの出兵要請を断ってきた経緯があり、その負い目が王都への打診を躊躇させていた。



「しかし、ロサの壊滅は既に現実となってしまいました。この報告は遅れれば遅れるほど閣下の立場を悪くするのでは?」


「そうだな…… 已むを得んか…… 分かった。私も自分の非を認めるとしよう。王都への書状は今書き留める。勿論、ロサの村奪還の為の助力要請としてな」


「賢明なご判断かと。いざとなれば私が閣下の矛となり道を斬り開きましょう」


「ふっ…… 頼りにしている」



 その後、ティー公爵はフロン女王陛下宛に土蛙人ゲノーモス・トード襲撃に対する報告と、ロサ村奪還に向けた助力要請を書面に起こし、王都ガザへ早馬を走らせた。



「閣下、御子息の件は如何しますか?」


「ボンボか…… 息子がガルドラの地に軍を入れたことで、土蛙人ゲノーモス・トード達が森から出てきた可能性もある。見つけ次第牢獄に監禁しておけ」


「はっ! しかし、本当に宜しいのですか?」


「良い。このローズヘイムの平和を脅かすのであれば、たとえ血を分けた息子であっても容赦はせぬ。それにボンボには十分過ぎる程猶予を与えてきた。いや、単に甘やかし過ぎただけなのかも知れんな…… ボンボの後始末は親である私の責任として自ら決着を付ける」


「承知しました。ではその様に手配します」



 パークスが下がり、部屋にはティー公爵一人になった。



「はぁ…… こんなことになるのなら…… いや、今更後悔しても何も変わらんな……」



 ティー公爵は緩くなった紅茶で渇いた喉を潤しながら、心の奥深くに隠していた大きな不安を独り言のように吐き出した――



「ロサの村が壊滅…… ビルマはベルポルテュと共に無事に逃げられたのだろうか…… もしかしたら、どこかで隠れてるのかも知れん…… だがどうやって助け出せば…… 頼む…… 無事で居てくれ……」




 ◇◇◇




 ロサの村が土蛙人ゲノーモス・トードによって壊滅させられたという悲報は、瞬く間に街中を駆け巡った。


 ロサの村へと続く北門は直ちに封鎖され、各ギルドは不安に駆られた市民達の対応に追われることになる。


 本来であれば、流れ者の冒険者や各地を転々としている商人達が我先にと安全な場所へ去っていくのだが、この時ばかりはどこの都市も状況が不安定だったため、それ程の混乱は起きていないというのが不幸中の幸いだろうか。


 王都ガザでは北の地に住む蛙人フロッガーと戦争をしており、王都の南にある各要塞都市は、フログガーデン南部を統治するハインリヒ公国との小競り合いが続いている。そのため、どこへ逃げてもいつ戦禍に巻き込まれてもおかしくない状況であった。となれば、比較的安全な場所へと逃げるのも一手だが、危機的な状況こそ金の稼ぎ時だというのもまた事実であり、結果それ程大きな混乱は起きていない。


 商人ギルドは、食料や日用雑貨の枯渇を懸念して在庫の輸出を制限したり、買い占めを行う業者への対応に追われた。また、冒険者ギルドでは、王都を繋ぐ商業路の安全確保へと動き、都市への流通が滞らないよう最善を尽くしていた。


 商人も冒険者も、どちらも金によって動くことは間違いないのだが、冒険者が金の落ちる場所を用意すれば上手く回るのに対し、商人は自ら金を増やす目的で市場を操作しようとする者が多いため、戦禍に巻き込まれた際の忙しさは、冒険者ギルドよりも商人ギルドの方が上と見ても良いだろう。



 ローズヘイムに一人残った竜語りドラゴンスピーカーのトレンもまた、この状況を使い上手く利をあげようと考える商人の一人だった。



土蛙人ゲノーモス・トードの襲撃か。ロサ村が陥落したみたいだが…… 王都は相変わらず蛙人フロッガーとの戦争中…… となると…… あれは値が上がるまで売らずに残しておいた方がいいか」



 竜語りドラゴンスピーカーの拠点となる屋敷の書斎で、トレンは一人、安物の羊皮紙に刷られた記事を読みながら、竜語りドラゴンスピーカーの軍資金をどう稼ごうか思考を巡らせていた。



「ボスがいる限り、ローズヘイムは安泰のはず。仮に土蛙人ゲノーモス・トード側の殲滅に成功したとして、価値の上がるものはなんだ……?」



 土蛙人ゲノーモス・トードの死体が増えれば、蛙の舌、背骨、頭蓋、肉、油が市場に腐る程出回る。値崩れは確実だ。


 だが、これは王都で既に供給過多になっている蛙人フロッガーの素材と大差ない。



土蛙人ゲノーモス・トードにあり、蛙人フロッガーにないもの…… あるもの…… ないもの…… あっ」



 トレンは何か閃いたのか突然立ち上がると、そのまま部屋を後にした。


 既に食料品や生活必需品の類は、商人ギルドが規制を掛けたため買い占めはできない。だが、それ以外の物であればまだ規制は緩い。トレンの狙いはまさにそこにある。


 本来であれば分が悪い賭けであっても、トレンはマサトの神がかった力を信じていた。それに、たとえ失敗したとしてもトレンの個人資産が消えてなくなるだけのことである。既に、トレンは自分の私服を肥やすことに価値を感じておらず、マサトと共に歴史に名を残すことだけを考えているため、この程度の流通の先読みくらい出来て当然だとも考えていた。



「マーチェ、お前は運がいいぞ」


「なんだよ来てそうそう偉そうに」



 トレンは、商人ギルドにある貸し倉庫で在庫整理をしていたマーチェに会いに来ていた。


 マーチェは昔からの腐れ縁であり、信用できる数少ない商売仲間だ。


 マーチェはトレンの適性「目利き」を頼り、トレンはマーチェの人脈の広さを頼りにする、言わばwin-winな関係でもある。



「あんた朝の情報記事読まなかった訳じゃないんだろ? 今や商人ギルドはてんやわんやだよ? なのに運が良いとか、他の仲間に聞かれたら殴られても文句言えないよ?」


「こんな時だからこその儲け話だろ。まさか、乗らないのか?」


「乗らないとは言ってないじゃん。乗るとも言ってないけど…… いいから勿体振らずに何か教えなよ!」



 マーチェは口ではああ言ってはいるが、トレンが持ってきた話で失敗した試しはなかったため、既に心は決まっていたりする。


 トレンは周囲に誰もいないことを再度確認すると、話を続けた。



「至急、触媒剤と精霊水を買い占めてほしい。まずはローズヘイム、次に王都ガザ。後は手の届く範囲で構わない」


「なんで触媒剤と精霊水? ん…… ちょっと待って。今考えるから。えーと…… あ! 分かった! 土蛙人ゲノーモス・トードから採れる魔結石でしょ!」


「そうだ。おれはこの一戦で高級触媒である魔結石が市場に大量に出回ると見てる。すると、職人ギルドと錬金ギルドが競い合うように魔具やら触媒杖を作り始めるって見立てだ」


「そこで錬金に必要な触媒剤と精霊水を狙って先に買い占める訳ね。触媒剤と精霊水ならそもそも需要が少ないから供給量も少ないし、買い占めは簡単だと思うけど、この土蛙人ゲノーモス・トードとの戦争、本当に勝てると思ってるの? 相手は2万で、それも一部って話だよ?」


「ああ、そうだな。比較的早く決着するだろうよ。もちろん、人間側の勝ちでな」


「……まだ何か隠してそうね。分かったわ。今回も乗ってあげる。で、取り分は利益の半分よ!」


「分かった」


「ふん! 今回だけは譲っても4割…… え? 今なんて言ったの?」


「だから、利益の半分でいい」


「ちょ、ちょっと! 何よ気持ち悪い! 何!? もしかして分の悪い賭けだったりするの!?」


「そんな警戒するな。まぁ美味しい条件には必ず裏があると疑ってかかるのは常識だから分かるが…… 一つ条件がある」


「な、何よ? 言っておくけど、あたいから出せるものはないからね!」


「はぁ、そんなことは誰よりもおれがよく知ってる。だからこそっていうのはあるな。独り身で身軽なお前だからこそできることがな」


「な、何させる気……?」


「お前には竜語りドラゴンスピーカーに加入してもらう。勿論、おれの部下として商売周り全般に携わってもらう予定だ」


「え? えぇええ!? ど、竜語りドラゴンスピーカー!? なんであたいが!?」


「信用できる商人仲間で出世してないのがマーチェだけってのもあるが…… 純粋に人手が欲しい」


「ガーッデム! そこはお前だけが頼りだ!とか、お前の力が必要だ! とか言うシーンだろっ!」


「……言ってほしいのか?」


「御免被る。断固拒否。イケメンに限る」


「くっ…… 加入したら扱き使ってやるから覚えとけよ……」


「それにしても、いつからあんたは冒険者お抱えの商人になったんだ? 商館持つって夢はどうしたんだよ」


「そんな小さい夢は捨てた」


「小さい!? 商館を持つのが小さい夢!?」


「おれは一国の財務大臣を目指す。そして史実に名を残す」


「……あっきれた。これ重症だわ……」


「で、乗るのか? 乗らないのか?」


「乗るわよ。クソ真面目なあんたにそこまで言わせる奴に会ってみたくなったわ。あんたを変えたの、噂の竜語りドラゴンスピーカーのリーダーでしょ?」


「そうだ。お前もきっと今までやってきた地道な努力が馬鹿馬鹿しくなるぞ」


「何それ怖い……」


「じゃあ買い占め頼んだぞ。倉庫は竜語りドラゴンスピーカーの屋敷の敷地にあるのを使って構わない。人手が必要ならマーチェが信用できる人選で勝手にやってくれ。資金も全額こっちが用意する。何か質問は?」


「す、凄い投資ね。どんだけ資金あるの? ま、まぁいいわ。竜語りドラゴンスピーカーの拠点って、あの馬鹿広い屋敷でしょ? あたいも加入したら住んでいいの?」


「いいぞ。むしろ、引っ越してもらわないと色々やり難いから、すぐにでも引っ越してこい」


「わーいっ! やったぁー! あんな豪邸、玉の輿に乗らなきゃ住めない夢の世界だと思ってた!」


「質問はそれだけか?」


「うーん…… 取り敢えずはないかな? まっ、いつも通りやるよ」


「頼りにしてる」


「は〜い」



 こうしてトレンは人知れず竜語りドラゴンスピーカーの軍資金稼ぎに動くが、その努力すらも馬鹿馬鹿しくさせる出来事が起きるとは、この時のトレンはさすがに予想できなかった。


 トレンの顎が外れるのは、まだ数日先の話である。

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