68 - 「理解と本能」

 里から漂う悪臭に、私の心臓の鼓動は早まり、これ以上先に進むことを躊躇わせた。



(全員、無事で居てくれ……)



 焦る気持ちとは裏腹に、足取りは鉛を付けているかのように酷く重い。それはこの先に待ち受ける惨劇を受け入れたくないという気持ちの表れだろうか。レイアは弱気になりそうになる自分に鞭を打ち、里の門へと突き進んだ。


 里を取り囲む柵の周辺には、土蛙人ゲノーモス・トードの屍体が多数転がっており、そのどれもが四肢のいずれかを切断されている。後にも先にも、こんな芸当ができるのはマサトだけだろう。


 門の近くまで来ると、ふいに門が開き、中から黒髪の青年が顔を出した。



「うっす、レイア意外に早く着いたね。里の皆は無事だよ。結構ギリギリだった気がしないでもないけど、なんとか間に合った感じ。ワイバーンとか新たに召喚したから驚かないでって…… どぉわぁっ!?」



 マサトが話し終えるよりも早く、私はマサトの胸へ飛び込んだ。



「レ、レイア?」


「……すまない。助かった。お前がいて良かった」


「お、おう。よしよし。見た目と臭いが酷いけど、レイアが心配してるような状況にはなってないから安心して」



 マサトはそう言いながら、若干ぎこちなく見える動きで、私の背中をポンポンと叩いて安心させようとしてくれた。



「ああ。分かった。もう大丈夫だ」


「あー、いや…… 無理しなくていいよ。レイアは先に行って里の様子を見てきたらどう? 俺がこの子達をネスに紹介するから」



 甘えては駄目だと頭では理解しているのに、最近は感情に身体が支配されてしまう。


 マサトは本当に不思議な男だ。


 私以外の女性経験がないはずなのに、私の誘惑に溺れることなく、いつも一歩引いたところからさり気なく気を遣ってくれているように思う。


 理不尽なまでの力を持ちながら、私の突発的な行動に狼狽え、それでも最後はしっかりと受け止めてくれる。


 そんな繊細な優しさを持つ男。



 だが、一度甘えてしまえば、今後ずっと甘えてしまうはずだ。


 そうなればマサトの横に立ち続けるパートナーには相応しくないだろう。


 それでは困るのだ。


 それでは……



 一人の女としてマサトに依存しようとしてしまう気持ちをぐっと抑える。



「大丈夫だ。マサトの方こそやることがあったんじゃないか? 私がネスに話を付けるから、マサトはマサトにしか出来ないことを続けろ」



(何故、トゲのある言い方しかできないんだ! バカか私は!)



 上手く感情をコントロールできずに苛立ってしまう。


 それが顔に出ていたのか、マサトが少し焦ったように早口で話し始めた。



「いやいや、俺はレイアにも用があったんだよ。ちょっと新しい力の実験台になってもらおうと思って。あ、いや、変なことじゃないよ? 今後の為に必要な戦力強化というか…… ま、まぁ安全は保証する!」


「……実験台? 新しい力? 戦力強化?」



 マサトの気になる発言により、先程まで抱いていた繊細な感情は、一瞬で彼方まで忘れ去られた。


 そして次の瞬間、私の頭の中は、新しい力を得てマサトと共に肩を並べて戦う自分の姿で埋め尽くされる。



「そ、そう。レイアを俺の力で強化…… というと言い方悪いな…… 強力な加護を授けようと思ってるんだけど…… 嫌じゃなければ……」




 ◇◇◇




(言い出し方を間違えた……)



 レイア達が里に近付いているというのは、スネークの気配で分かった。


 なので、里の酷い見た目に驚かないようにと出迎えたのだが、レイアの予想外の行動に動揺して、思わず言わなくてもいい事を口走ってしまった……



(レイアの強化人間ならぬ、強化ダークエルフ計画がぁー!)



「何故、私なんだ?」


「ああ、えーっと…… 俺が信用してる人達の中で、一番強いのがレイアだから…… かな?」



(もちろん、ベルも強化しようと思っていたけど、とてもじゃないけど言い出せない空気……)



「……そうか」



 少し俯き加減に数秒間の沈黙。


 再び視線を上げたレイアの瞳には、強い意志が感じられた。



「私からも頼む。強くなれるなら協力は惜しまない。私の身体は既にお前へ捧げているからな」


「えぇっ!?」



 俺が反応するよりも早く、それまで話の蚊帳の外に出されて不満顔だったベルが大声をあげた。



「ちょ、ちょっとマサト! どういうこと!? えっ…… やっぱり、レイアさんとは既にそういう関係だったの!?」



 ここへ来ての修羅場っぽい雰囲気に絶句する。


 心なしかミアとプーアも興味津々な表情でこちらを見守っている。



「え、あの、そういう話はまた後で……」


「そうだ。マサトに惚れているベルには悪いが、お前がマサトに出会う前からそういう関係だ」


「うっ…… 薄々そんな感じはしてたけど…… 改めて面と向かって言われるとかなり辛いかも……」



 話を先延ばしにしようとして失敗する。


 レイアが少し勝ち誇ったような顔でベルに暴露した一方で、ベルは目に見えて落ち込んでいる。



(これが噂に聞くハーレム故の修羅場という奴か!)



 だが、モテ期を味わったことのないマサトの心の中は最高潮に浮かれていた。


 しかし、マサトがその感情を表に出すことはしない。


 今の自分の魅力は、この異常な力チートがあってこそだという考えがあったからであり、非現実的なこの世界でモテても、あまり実感が湧かなかったということも大いに影響していた。



「積もる話は夕飯の後にしてはどうですか? 今ならまだ炊き出しに間に合いますよ」



 結局、この場は気配なく現れたネスにより一旦収束する。


 この時ほど、神出鬼没なネスの存在をありがたく感じたことはなかった。




 ◇◇◇




 ネスにミア達の紹介を済ませたマサト達は、ネスの提案により、ガルドラゴン含めた紹介を住人全員へすることとなった。


 今はミア、プーア、ウィークがマサトの後ろに立って紹介されるのを待っている。



「皆にまた新たな仲間の紹介があります。マサト君、どうぞ」



 ネスがマサトに話を振る。


 住人達が一番注目しているのはラミア種であるミアなのは明らかだった。



「お、おいあれラミアじゃねぇか? だ、大丈夫なのかぁ?」


「ガルざん心配じ過ぎでずよ〜。必要以上に怖がっでだら、ぞのうぢネネざんに笑われぢゃいまずよ〜?」



 眼を手で隠しつつも、指の隙間からこちらを窺っているガルに対し、鼻から大量の草を生やしたポチが笑いながらガルをなじる。


 他の住人も大抵がガルと同じような反応だった。



(うーん、ラミアって予想以上に怖い存在なのかぁ…… どうすっかな…… あっそうだ。こうしよう)



「えっと、皆さんを怖がらせないように最初からこの場に連れてきてないですが、新しく加わった仲間にワイバーンがいます。この場に呼ぶので逃げないでくださいね? 安全は保証しますんで」



 マサトの発言に、里の住人が呆気にとられる。


 驚いているというよりは、どうやら理解が追いついていないだけのようだった。



「ガルざん、ボグざっぎワイバーンっで聞ごえだ気がじだんでずが、マザドざんなんで言っだんでずがね?」


「今のポチも何言ってんのか、大概分からねぇ〜けどな。おれぁのバカ耳も聞こえ間違えたみてぇだ」


「ぞでずが〜。ゴリざんばなんでぎごえまじだ?」


「……ワイバーン」


「プププ…… ぞんな訳ないじゃないでずがぁ〜。ゴリざんも冗談いえるようになっだんでずねぇ〜」



 どうやら聞き間違えとして処理されてしまったようだ。


 唯一、ゴリさんだけは額に汗を垂らしているように思えたが、きっと気のせいだと言うことにしておこう。


 因みに土蛙人ゲノーモス・トードとの一戦でワイバーンが登場したにもかかわらず、住人全員がこういう反応をするのには理由があった。その理由とは、マサトが住人全員を無傷で生還させたかったため、ネスにお願いして全員を地下の避難場所まで退避させていたからというだけの話なのだが、それ故に住民全員がワイバーンの存在を知らないといった状況が出来あがっていた。



「ガルドラゴ〜ン! もういいぞ〜! おいで〜!」



 思念でガルドラゴンへ指示を出しつつも、周りがちゃんと俺の指示でガルドラゴンが行動していることを意識付けるために、あえて大声で呼んだ。



 数秒の静寂後……



 ガルドラゴンの羽ばたく音が聞こえ、ガルドラゴンことワイバーンがその威風堂々とした姿を上空へ現す。


 ワイバーンの頃の濁った橙色の鱗は、火の加護により燃えるような真紅に染まり、より鋭くなった牙からは炎の息が溢れ出ている。



 その姿はワイバーンというより、ドラゴンに近かった。



(あれ、あんなに迫力あったっけ……? 改めて見ると結構威圧感あるな……)



 ガルドラゴンがマサトと住人の間を、ホバリングしながらゆっくりと下降してくる。


 すると、ポチが直立不動のまま、白眼を剥いて後ろに倒れたのが視界に入った。


 普段なら住人の誰かが介抱しようとしただろう。だが今回に限っては残念なことに、住人全員が他の者を気遣う余裕など全く持ち合わせていなかった。



(やっべ!! 刺激が強過ぎた!! お爺ちゃんとか心臓発作で死なれたりしたらマズイ!!)



「だ、大丈夫ですから! こいつもゴブリンと同じく私の召喚獣です! 安心してくださーい!」



 ガルドラゴンが着地すると、ブフンッという鼻息とともに火花が舞う。



「な、何がワイバーンだぁ!? ワ、ワイバーンどころか、どどどう見てもドラゴンじゃねぇーかっ!!」



 ガルは下半身をガクガク震わせながら、震える手でマサトを指差して叫んだ。


 ガルの渾身の叫びに、隣にいたゴリが激しく頭を縦に上下させている。


 住人の中には腰を抜かしたり、失神した人もいた。



(こ、これ予想以上に酷い紹介になっちゃったな…… 誰かヘルプ…… って、え?)



 誰か他の人に助け舟を出してもらおうと後ろを振り返ると、そこに立っていたメンバーも住人達と変わらない反応をしていた。


 レイアは腰を抜かしたのか、地面にアヒル座りしており、口をキュッと結びながらガルドラゴンを見上げ、目尻には涙を溜めている。


 ミアは青白い顔をさせながら口と手を落ち着きなくあわあわさせ、犬3匹に関しては、腹這いになりながら全力で服従のポーズをする始末。


 全員が恐怖に怯える中、ベルとプーアとウィークは違かった。



「凄い凄い! わたしドラゴン見るの初めて! 触ってもいい!?」


「わ、わたしも! ドラゴン触ってみたい、です!」


「ぼ、ぼくも!」



 グッジョブ!


 これで場を和ませるきっかけが出来た。



「いいよ。ほら、触るだけじゃなくて背中に跨ってごらん? 竜騎士の気分になれるかもよ?」


「やったー! ほら、プーアとウィークも行こ!」


「う、うん!」


「行く!」



 ベルがプーアとウィークの手を引いてガルドラゴンによじ登り始める。


 その光景を見て、最初は危険だと止める素振りを見せていた住人達も、次第に害がないことを理解し始めた。



(ふぅ…… ラミアより強烈な印象を先に与えて、ラミアに対する懸念を小さく見せる作戦、なんとか成功したんじゃない?)



 この3人には感謝感謝である。



「しっかし、ドラゴンを手懐けるとぁ、やっぱあんた普通じゃねぇ〜な」



 ガルが疲れた表情で溜息を吐く。



(ドラゴンじゃなくてワイバーンなんだけど…… まぁドラゴンってことでいいか)



 その後、スネークを呼んだことでまたひと騒動あり、結局ミアを紹介するときには、誰もラミアの不安要素など気にしなくなっていた。


 住人全員に自己紹介を終えると、すぐ炊き出しによる夕飯会になったのだが、その夕飯の肉には土蛙人ゲノーモス・トードのモモ肉等が使われており、今度はマサトが動揺する番であった。


 因みにガルドラゴンとスネークは嬉々として土蛙人ゲノーモス・トードを貪り、とても満足したようである。どうやら好物だったようだ。


 彼らとゴブリン達の食料用にと、大量の土蛙人ゲノーモス・トードが皮を剥がれ、内臓を取り出した状態で木に吊るされ、天日干しにされた光景が里の周辺に広がっていたことは、言うまでもないだろう。


 夕飯が終わった後、レイアとベルとシュビラが、マサトとの寝床の件で大いに揉めるのだが、それはまた別の話である。

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