56 -「王都ガザ」
フログガーデン大陸の北部を統治している王国アローガンスの王都ガザ。
王国アローガンスは女王制で、現在はシャロウ王家が統治している。現女王フロン・ジャ・シャロウは、人間に対して善政を敷く女王として支持される一方、亜人に対しては非人道的な対応をする狂女王とも呼ばれている。
謁見の間に、1人の兵士がとある報告をもってやってきた。
その兵士はとても緊張しており、額には汗をかいている。左右を金色の糸で刺繍されている真紅色の絨毯の上を慎重に歩きながら、兵士はこの報告役に選ばれた自分の運の無さを呪った。
「女王陛下、ご報告申し上げます」
兵士の言葉に、フロンが大仰に答える。
「よい。話してみよ」
兵士は下を向いたまま報告を続ける。
顔を覚えられませんようにと心の中で祈りながら。
「先日城下町で起きた騒動ですが…… 見世物小屋からラミアが脱走したことが原因だということが分かりました」
「あなたバカなの? そんなことは報告される前から分かってるのよ。早くどうなったのか教えなさい」
フロンの言葉に、兵士は嫌な汗をかいた。
(何事もありませんように何事もありませんように……)
「は、はっ! ラミアの魔眼により多くの者が操られた影響で負傷者が多数でまして、その混乱に乗じてラミアは下水へと逃げたとのことです。現在は……」
捜索中と言おうとして、目の前を細く綺麗な足が円を描いて迫ってくるのが見えた。
ゴッという音とともに、顔面を蹴り上げられて一瞬意識が飛ぶ。
(なん…… で…… おれが蹴られなきゃ……)
フロンを止めようと侍女が動く。
兵士はツーンとなる鼻を押さえながら、涙目で侍女を見た。
(なぜ蹴る前に止めてくれないんだよ!)
侍女は涼しい顔をしながら、鼻息を荒くするフロンを諌める。
「姫様、はしたない真似はお止めください。婚期が遠のきます」
「レティセ! 女王と呼びなさいって何度も……」
「姫様がご結婚なさらない限り、私は姫様とお呼びします。それは以前お約束したはずです」
「うぐぐっ」
女王フロンは、女王としては致命的なまでにじゃじゃ馬で血の気が多かった。礼儀作法を身に着けていない訳ではないのだが、終始お淑やかに対応するというのが性に合わないらしく、フロンの場には流血沙汰が絶えない。
王族の権威を使い、自身の望むまま戦闘に関する修練を徹底的に行ってきたため、実力はベテラン冒険者のお墨付きを得るほどに成長し、今では手が付けられなくなってしまっている。
「あなた名前は?」
兵士は泣いた。
おれの人生は終わったと。
(平凡な人生を送りたかったよ母さん……)
「スフォーチ、と言います……」
「そう。じゃあスフォーチ。あなたの責任でラミアを捜索しなさい。ラミアが逃げた下水の下流はローズヘイム側よ。もしローズヘイムに被害が出たら王都の恥と思いなさい。だけど決してローズ側には悟られてはダメ。悟られたらあなたに関係する者を皆縛首にするわよ」
フロンの容赦ない命令に、スフォーチの涙と鼻血は止まることはなかった。
「姫様、それはさすがにやり過ぎでは?」
「無能な者にはこのくらいの危機感がないとすぐ怠けるからいいのよ。いい? スフォーチ、よく聞きなさい! ラミアの生死は問わないわ! だからちゃんと任務を遂行するのよ!」
「ばぃっ!」
鼻血と涙で変な返事になった。
そんな惨めなスフォーチを笑う者は、この場にはいない。そしてこうなってしまっては、ただの一般兵でしかないスフォーチとしては黙って従うしかなかった。
(早くここから立ち去りたい……)
侍女から退出の許しが出たスフォーチは、先ほどから鼻血の止まらない鼻を必死に手で押さえながら、謁見の間から逃げ出すように退出していった。
「ラミアの件、あの者に任せて良かったのですか?」
スフォーチが退出したのを見届けてから、レティセがフロンに疑問を投げかける。
「いいのよ。今は逃亡したラミアなんか追いかけてる余裕ないんだから」
フロンはため息混じりにそう吐き出しながら、王座にだらしなくもたれかかった。その様子にレティセは顔をしかめたが、とくに指摘することなく話を進める。
「ボンボ・ローズがこの王都で傭兵を集めていることですか? それとも北東に生息する
「両方に決まってるでしょ!
「
レティセのその言葉に、フロンは両手に拳を作り、勢いよく立ち上がってヒステリックな声をあげた。
「思い出させないで! あー気持ち悪い! 考えただけでもゾッとするわ! ちょっとでも攻めてきたら一族諸共残らず皆殺しにしてやるんだから!」
フロンの亜人嫌いは、何も生まれたときからのものではなかった。
幼少期に
ケロロ・ケロ・トードは、身体は小さいが見た目が可愛いフロッグ種と、身体は大きいが見た目が醜いトード種の混合種で、身体が小さく見ためが醜い。
身体を2〜3cmまで縮める変身魔法を習得しており、この変身により夜な夜な城へ侵入しては、まだ幼いフロンの身体に悪戯する等、悪質行為に及んだ。そして幼い頃の純情なフロンの心は、醜い蛙に汚されたことで簡単に壊れてしまった。
その後、絶望から奇跡的に立ち直ったフロンが武を磨き、亜人を徹底的に憎んだとしても仕方のないことだろう。
「ボンボ・ローズの件はいかがしますか?」
「私がせっかく他国から誘致して集め続けた傭兵達を持っていかれるのは癪だけど…… ボンボのバカが軍をガルドラの地へ進めたとなれば、ティー・ローズを脅迫するいいネタになるわ。放っておきましょ」
「分かりました。彼らの中に、こちらの息がかかった者を数人紛れ込ませてありますので、いざとなれば証人となってくれるでしょう」
「相変わらず手際がいいのね」
「そうでなければ姫様の世話役は務まりません」
「はぁ…… それ本人の前で言うことかしら。嫌味に聞こえるわよ」
「ご自覚がおありなら、もう少しご自重ください」
「ふんっ!」
そっぽを向くフロン。
そんな子供のような行動をするフロンに、レティセはやれやれと頭を振りつつも、先ほど退出していった兵士のいた方向へと視線を移した。
真紅色の絨毯の上には、先ほどの兵士のものと思える血痕が点々と出口まで続いていた。
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