55 -「蜘蛛と傲慢貴族」

 ―― 後家蜘蛛ゴケグモのアジト ――



 黒崖クロガケ背赤セアカのいる場に、灰色ハイイロが遅れてやってきた。



「あらぁん。黒ちゃんはいつも早いのねぇん。何か収穫があったのかしらぁん?」



 灰色ハイイロの態度を気にすることなく、黒崖クロガケは話を進める。



「例の男の情報だ。名をマサト。この街に来てすぐクラン < 竜語りドラゴンスピーカー > を作り、傘下にBランクパーティの < 熊の狩人ベアハンター > と、Cランクパーティの < 三葉虫トリロバイト > を加えた。そのクランにギガンティアの末裔も加わっている」



 来て早々重い報告を受けて、灰色ハイイロはため息を吐いた。



「よくない展開ねぇん。そうなるとボンボが目を付けたって子も、ギガンティアの末裔ってことで合ってるのかしらぁん?」


「そうなる」



 マサトとベルが大通りでボンボ相手に起こした一件は、今や街中に知れ渡っていた。


 この街を治める大貴族の子息に、面と向かって啖呵をきった男。その事実だけではここまで広まることはなかったが、啖呵をきった相手が、親の権力を盾に好き勝手暴れまくっているドラ息子ボンボとなれば話は別だった。


 ボンボに苦汁を舐めさせられた者は多く、この街にボンボの味方をする者は少ない。いたとしてもそれはボンボによって甘い汁を吸っている連中のみだ。


 普段であれば、ボンボに楯突いた者は報復を恐れてすぐ街を出ていっただろう。だが、マサトは違った。あろうことか高ランクパーティを傘下に入れたクランを作り、街に留まる姿勢を見せたのだ。


 市民達には、その行為がマサトからボンボへの宣戦布告に見えた。今では、マサトが「俺はお前の権力には屈しない。やるならかかってこい」と啖呵をきったという事実無根の尾ひれまでついている。


 この一種の街の盛り上がりは、後家蜘蛛ゴケグモにとっても非常に頭を悩ませることになっていた。



「我らの標的の1人に、街全体の注目が集まったというのも問題だが、もう1人の標的にボンボが興味を示したという事実も見逃せない。早く手を打たなければ手出しできなくなる」


「でも、一体どうするつもりなのぉん? さすがにBとCランクパーティまで同時に相手をするのは厳しいんじゃなくてぇん?」


「ああ。正面からやりあえば、な。だからこちらのやり方で進める。Fからの報告では、例の男は暫く街を離れるとのことだ。であれば戻ってきたときに罠にかける」


「蜘蛛の巣を張るのねぇん。わかったわぁん。この件には誰が動くのかしらぁん?」


「全員だ。全員で動く」



 黒崖クロガケの言葉に灰色ハイイロは反論しようとしたが、いつもとは違い、危機感のある黒崖クロガケの言葉に、吐き出しかけた言葉を飲み込んだ。


 だが、その一方で新たな疑問が浮かぶ。



「決意は固いみたいねぇん。でもどうしてここへきてそんなに急ぐのぉん? 今まで慎重にやってきたあなたらしくないわよぉん?」



 灰色ハイイロの問いかけに黒崖クロガケが黙る。


 暫しの間、場に沈黙が流れたが、灰色ハイイロが引く姿勢を見せずにいると、黒崖クロガケはその重い口を開いた。



「私の身体は、そう長くは保たない……」



 その言葉に灰色ハイイロが勢い良く立ち上がる。その反動で椅子が倒れ、部屋にガンッという大きな音が鳴り響いた。


 剣呑な雰囲気を漂わせて黒崖クロガケへ近づく灰色ハイイロに、今まで微動だにしなかった背赤セアカが立ち上がり、灰色ハイイロの前に立ち塞がった。



「赤ちゃん、そこをどきなさい」



 普段の間延びした声とは違う喋り方で背赤セアカを威圧するも、背赤セアカは平然とした様子でその場から動く気配はない。



「黙っていたことは素直に詫びよう。進行が早まったのはつい最近だ。だから急ぐ必要がある。私が死ねば後家蜘蛛ゴケグモの発展もそこまでだ。分かったな?」



 灰色ハイイロが盛大にため息を吐き、剣呑な雰囲気を引っ込めた。



「今度こんな重要なことを黙っていたら、わらわにも考えがあるわよぉん?」


「……肝に銘じておこう」



 こうして後家蜘蛛ゴケグモの会談はお開きとなった。




 ◇◇◇




 ―― ローズ家 第二夫人邸 ――



 赤を基調にした部屋の中には、金細工で飾られた壁画や置物がいたるところに並べられている。


 新しくボンボの専属メイドになったプランは、それが持ち主の欲の深さを象徴しているように思えてならなかった。


 その派手に飾られた一室で、ヒュリス・ローズとボンボ・ローズが優雅にお茶を楽しんでいる。プランはその給仕役だ。今は静かに壁際で待機している。


 ローズヘイムを統治する大貴族ティー・ローズの第二夫人であるヒュリス・ローズには、今年25歳になる愛すべき一人息子のボンボ・ローズがいる。


 溺愛するあまり、自分の望むのもが全て手に入ると勘違いしたまま大人になってしまったボンボは、今や街の嫌われ者として有名だが、ヒュリスはそれを庶民の妬み、戯言として切り捨て、取り合わなかった。


 父親のティー公爵は、ヒュリスやボンボの浪費癖と傲慢な振る舞いに頭を悩ませていたが、ティー自らその行為を正そうと動くことはなかった。それがこの現状を招いたともいえる。



「お母様、今日は以前お話しした愚民に罰を与えようと思っているのですよ」



 ボンボが意地汚い笑みを浮かべてそう言ったのを聞いて、プランはまたかと心の中で嘆息した。もちろん表情や仕草に出すような真似はしない。



「あらボンちゃん、それは良い日になりそうね。わたくしの可愛いボンちゃんの命を脅かした愚かな人間には、きちんとした罰を与えなきゃ駄目よ?」


「分かっておりますとも。ですが相手は腐ってもBランクとCランクパーティを束ねるクランの長。泣いて許しを請うようであれば、僕の奴隷として一生かけて償うことで許してあげるつもりですがね。はっはっは」


「あら、ボンちゃんは相変わらず優しいのね。わたくしもこんな自慢の息子が持てて鼻が高いわぁ。おほほほほ」



 目の前で繰り広げられる聞くに堪えない話から逃げるように、プランはボンボが話題にあげた人物のことを考えていた。


 2日前、ボンボの誘拐紛いの強引な行いに反発し、人通りの多い大通りで啖呵をきった勇士がいるという事実は、巷だけでなく、屋敷で働くメイド達の中でも当然話題になっていた。


 かくいうプランも、ボンボに強引に連れてこられたうちの一人である。今では大分諦めの気持ちもついたが、当時は毎晩枕を涙で濡らし、自害も考えた程であった。


 ボンボという絶望が訪れた時、自分を庇ってくれる男性がいたらどれほど幸せな気持ちになれたのだろうか…… と、同じ境遇に直面したことのあるメイド達は、空想のシチュエーション話でよく盛り上がった。そしてその話題は必ずといっていいほど、一度でいいから私もそんな殿方に庇われてみたいという羨望の意見で一致して終わるのだ。


 この屋敷には、ボンボが己の欲を満たすために街から強引に連れてきた女性が多い。


 幸い、ボンボは種が薄いのか、妊娠させられたメイドはまだ一人も現れていないが、突然ボンボの性処理を強要される日が訪れるため、その日が訪れる度に、メイド達はここに連れてこられたことを死ぬほど後悔するのだった。


 メイドというのは名ばかりで、お給金も雀の涙ほどしかでない。そしてボンボの性的興味が薄れると、今度は自身の嗜虐心を満たすために鞭で打たれるようになるのだ。メイド達は皆、そうなったら自害すると心に決めている者が多い。プランもそう考えるうちの一人だ。


 そんなことを考えていると、突然部屋のドアを荒々しく叩く者が現れた。



「ボンボ様! 大変でございます! 例の愚民の件でお話が!」


「なんだ騒がしい! お母様との貴重な一時を些細なことで邪魔したとあれば許さぬぞ!」



 プランがドアを開けると、ボンボ専属の執事であるディスカスが入ってきた。そしてボンボの前へ跪き、ボンボを不機嫌にさせる報告を行った。



竜語りドラゴンスピーカーのリーダー、マサトが、昨日の深夜にガルドラの森へ逃げたと報告がありました」


「なんだとっ!!」



 ボンボの顔がみるみるうちに赤くなっていく。



「お母様、少々問題が起きたようです。お父様にガルドラの地への派兵の許可を得て参りますので、本日のお茶会はお開きにいたしましょう」


「仕方ありませんわね。ボンちゃん、頑張るのですよ」


「はいっ! お母様!」



 そう言うと、ボンボはディスカスを連れて部屋から出て行った。


 まずいと思ったプランは、そそくさとお茶の後片付けをし始める。ボンボがいない場でのヒュリスは、陰湿な嫌がらせをしてくる小姑に変わるためだ。



「プランさん。あなたは暫くわたくしのお茶に付き合いなさい」



 その言葉を聞いたプランは、心の中で大いに落胆した。



 この後、ボンボはティー・ローズにガルドラの地への派兵許可を求めたが、許可されるどころか逆に手酷く叱責される結果となった。


 ギガンティアと同じ道を辿りたいのかと。


 それだけでなく、ティー・ローズに今まで溜まっていた不満が爆発するかのように、これまでの行いについても色々お叱りを受け、ボンボの不満はより拗れていった。



「くそっ! なんで僕がこんなに怒られなければいけないんだ! 全ては僕に逆らったあいつが悪いのに!」



 ティーに叱責されながらも諦めなかったボンボは、次に冒険者ギルドを頼った。


 しかし、冒険者ギルドに高額の指名手配依頼を出そうとしたところ、ギルドマスターのヴィクトルがこれに反発した。


 その反発に腹を立てたボンボは、愚かにも私兵を使ってヴィクトルを脅そうとしたが、ヴィクトルはその脅しに動じることなく、平然と全面戦争の構えを見せたため、逆にボンボが逃げ帰ることとなった。



 そして数日後、血迷ったボンボは、闇の手エレボスハンドへ独自のルートで接触を試みた。



 闇の手エレボスハンドへの接触に成功したボンボは、意気揚々とマサトの暗殺依頼を闇の手エレボスハンドへ持ち掛ける。ところが、聞いていた相場からかけ離れた法外な依頼料を吹っ掛けられたことにより、ボンボは大いに激怒した。


 結局は、闇の手エレボスハンドのメンバーから「再び我らに舐めた口を聞けば貴様をターゲットにするぞ」と脅されたボンボは、上や下から色んな水を垂れ流しながら逃げ帰るはめになるのだが……


 賢い者であれば、ボンボに反発してきた者達がマサトを擁護していたことに気付いたかもしれない。だが、ボンボは視野が狭かった。


 ヴィクトルが予想外にマサトを庇い、ボンボと争う姿勢を見せたのも、闇の手エレボスハンドが法外な依頼料を吹っ掛けてきたのも、全てはマサトが自分に恥をかかせたせいで、皆が自分を軽視し始めたのだと勘違いしたのだった。


 そして今までの威厳を取り戻すには、自分に逆らったマサトを血祭りにあげるしかないと思い込んだ。


 不幸なことに、この間違った思い込みを正してくれるような者は、ボンボの周りには既にいなかった。何より、そのようなアドバイスをくれるものを全て排除してきたのは、ボンボ自身だったからだ。


 そしてボンボは取り返しの付かない過ちを犯してしまうことになる。



「ディスカス、ありったけの金で傭兵をかき集めろ。ただし、お父様には気付かれるな。王都ガザからもかき集めてこい。どんな罪人でも、この際戦争奴隷でも構わん。いいな?」


「はっ!」



 こうして、一つの戦争の火種が燻り始めた。

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