36 -「ベルの運命の日」

 物心ついたときから、わたしには両親がいなかった。


 いたのは両親に代々仕えていたというビルマただ一人だけ。


 それでもわたしは幸せだった。


 毎日気持ち悪い像にお祈りをしなくちゃいけないのが最初は嫌だったけど、今では毎日欠かさずお祈りしている。


 過去に一度だけ、お祈りをサボったことがあった。


 本当にその一度だけ……


 お祈りをサボった日の夜、わたしは胸を内側から炎で焼かれたような激しい痛みに襲われた。


 異変を感じたビルマが、わたしを担いで像まで連れていき、一緒にお祈りをしてくれたのを覚えている。



 その日、わたしはビルマから全てを聞いた――



 わたしのご先祖様がした悪いこと。


 わたしの両親がなぜ死んだのかということ。


 そして、わたしの血が呪われているということ。



 わたしは泣いた。


 とにかく悲しかった。


 そして寂しかった。



 わたしや両親が、他の多くの人達に恨まれているという事実が、わたしを孤独にさせた。


 そして12歳になり、わたしを一生懸命育ててくれたビルマが死んだ。


 わたしが親から贈られた唯一の贈り物であるペンダントを川に落としてしまったせいだ。


 ビルマはわたしと一緒に連日川でペンダントを探してくれた。


 そのせいで体調を崩して、死んでしまった。


 結局、ペンダントは見つからなかった。


 でも、そんなのどうでもよかった。



(わたしはビルマに傍にいてほしかっただけなのに……)



 ビルマがこの世を去り、わたしの周りには誰もいなくなった。



 きっとこれも呪われた血のせい。


 なんで自分は生まれてきてしまったのだろう。


 いっそのことわたしも死んでしまいたい。



 ビルマが死んでからは生きることが苦痛に変わった。


 いつもの見慣れた部屋が、まるで他人の家のような冷たさを放ち、家の中の静寂がわたしにビルマの死を思い出させる。


 そんな孤独な世界で… 起きて、お祈りして、帰って寝るだけの日々。


 神父として村の小さな教会を切り盛りしていたビルマも今はいない。


 ビルマの代わりに生きるためのお金も稼がないといけない。



 気が付けばわたしは川縁に立っていた。



 このまま死んだ方が、わたしたちを恨んで死んでいった人たちは喜ぶんじゃないか。


 そう考えながら、川に一歩踏み出そうとしたところで、身体を強引に担ぎ上げられた。


 最初は死のうとしていたわたしを誰かが止めてくれたのかと思った。


 でも違かった。


 その人たちの言葉は乱暴で、わたしを標的と呼んだ。


 そして大人しくしていれば命までは取らないと。



 わたしは本当に呪われている。


 きっと神様すらわたしのことを憎んでいるのだと思った。



(このままこの人達に攫われて死のう……)



 胸が焼ける痛みは嫌だけど、我慢しよう。


 こんな人たちでも、死ぬときに一緒にいてくれるならそれでもいいと思っていた。




 細身の男の人がわたしに何か呪文を唱えるが、上手くいかずイライラしている。


 その後、わたしを担いできた大きな男の人に薬を飲まされた。


 何度も、何度も。


 眠り薬というのは会話で分かった。


 でも、全く眠くならなかった。



(これもきっと呪われた血のせいだ……)



 わたしは悲しくなって眼を瞑った。


 それを薬が効いたと勘違いした男の人たちは、そのまま会話を続けた。


 わたしの血のことについて何か話していたようだけど、わたしにはどうでもよかった。


 いっそのこと楽に死なせてほしいなと願ったが、その願いは実現しなかった。



 ドアが壊れる大きな音が鳴り、誰かが乗り込んできたのが分かった。


 人がぶつかったり倒れたりする衝撃が床越しに響く。



(今度は、誰だろう……)



 そして暫くしてわたしを攫った男の人たちへの拷問が始まった。


 悲鳴が小屋の中に響き、わたしは少し怖くなった。



(痛いのは、やっぱり嫌だな……)



 聞き耳を立てていると、なぜわたしを攫ったのか問い詰めているらしかった。


 新しく乗り込んできた人たちはわたしを助けにきてくれたみたいだ。



 でも、どうして?


 なんでわたしなんかを?



 すると、突然女の人がわたしを呼んだので驚いてしまった。


 どうやら寝たふりがバレていたみたい。



 不思議なことに、この人たちはわたしの名前を知っていた。


 そしてわたしにとって衝撃的な言葉を――


「君の捜索を、ロサの村にいた白くて長い髭が特徴のお爺さんにお願いされてね。水汲みから戻らないからって。運良く見つけられて良かったよ」



 わたしは言葉を失った。


 忘れもしない。


 長い白髭を蓄えたわたしの唯一の家族。



 そんなはずはと思った。


 でも、次の一言でわたしは確信した。



「確か名前はビルマだったかな? 家に帰ったらいつもの場所を調べなさいって言ってたよ。なんでも君が探してた大切なものを見つけてしまっておいたからって」



 ビルマ……


 わたしの大切なもの……


 もしかして、ペンダント?


 まだ、探してくれていた…… の……?



 死んだはずのビルマが、死のうとしていたわたしに何かを伝えようとしてくれたのだろうか。


 そう考えただけで、涙が溢れて止まらなかった。



 ◇◇◇



 マサトと名乗った黒髪の男の人は、わたしが落ち着くまでずっと背中をさすってくれた。


 彼の手の温かさは今でも覚えてる。


 でも、それだけじゃなかった。


 身寄りのないわたしに、ここは危険だからローズヘイムへ行こうとも誘ってくれた。


 嬉しかった。


 本当に嬉しかった。


 でも、断った。


 わたしは呪われているから。


 きっとこの人たちにも迷惑がかかってしまう。



 マサトさん達にビルマのことを伝えたらかなり驚いていた。


 わたしでも信じられない。


 でも本当にビルマならと、わたしは教会の祭壇に向かった。


 ビルマとわたしだけが知っている、2人だけの秘密の隠し場所。



 そこには川に落として見つからなくなったペンダントが仕舞ってあった。



 わたしはそれを握りしめ、ビルマが助けてくれたんだと確信した。


 ビルマがマサトさんを呼んでくれたんだって。



 そう伝えると、マサトさんは顔を引きつらせながらも再びローズヘイムへと誘ってくれた。


 嬉しかった。


 でも、わたしはこの村を出ることができない。



 マサトさんの誘いを断ると、彼はまだ納得していない顔をしていた。


 フードを被った女の人がわたしを幽霊だと勘違いしたのには少し驚いたけど、血の呪いのことを正直に話すと、マサトさんはもっと驚くことをわたしに言った。



「この像、壊そっか」



 戒めの像を壊そうとした者が死んだことは、正直に話した。


 なのに……


 そんなことは承知の上で、像を壊そうと言ってくれた。



 わたしは口ではだめだとマサトさんを止めたけど……


 内心はとても嬉しかった。


 マサトさんなら、ビルマが信じたマサトさんなら、きっとどうにかしてくれるんじゃないかと少し期待もした。


 でも、マサトさんがわたしのために死んでしまうのは耐えられない。


 マサトさんが死ぬことで、わたしがこれ以上の罪の意識に耐えられそうにない。


 わたしはどこまでも自己中心的で嫌な奴だと自分を呪いたくなる。



 マサトさんと一緒にいた女の人が何やら怒っている。


 マサトさんがわたしなんかのために命を懸けることに怒っているみたいだ。


 ふと、この人は本当にマサトさんのことが好きなんだなと思った。


 そして、少し嫉妬した。


 人生で初めての嫉妬。



 わたしは本当に呪われた子だと思う。


 この状況で、マサトさんに助けてもらいたいと思ってしまったのだから。



(わたしを…… 見捨てないで……)



 その願いが通じたのかは分からない。


 でも、マサトさんはわたしのために命を懸けてくれた。



 今でもその光景が目に焼き付いて離れないでいる。



 マサトさんの手から光が溢れ出し、わたしを縛っていた戒めの像が崩壊していく様子を。



 そして。



 ぎこちない笑顔を精一杯浮かべたマサトさんの顔を。




 今日、わたしは、わたしを長年縛ってきた戒めから解放された。




 淡い光の粒子を身に纏った、


 運命の人の手によって。

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