ラベリント ⑶

そのころ3人は地下牢を脱出すべく階段を上がり始めていた。

アレスの左腕は骨まで到達する重傷、ビーオンは二度の戦いで左頬を擦りむき体中打撲痕があちらこちらで痛む。

応急処置は傷口に布切れを巻いただけだ。一時しのぎに過ぎない。


問題はアンリだった。人を貫いた生ぬるい感触がアンリの繊細な心を打ちのめす。自分の手で命を絶ったことへの罪悪感に苛まれていた。


そうこうしている内に一階表玄関に通じる踊り場に差し掛かかった。

表玄関では衛兵が見張りをしている。


アレスは一階の床すれすれのところから顔を出して表玄関を覗き込んだ。

(裏口を探そう......戦いを回避しないと、もう持たない)


すると、見晴らしの良い表玄関が見えると思いきや、四つん這いになった何かがアレスの鼻頭に自分の鼻頭を当ててきた者がいた。超至近距離で目と目が合う。

「おわっ!」

アレスがのけぞった勢いで階段を転げ落ちそうになった。

横からビーオンが支えてくれていた。

よく見ると衛兵の恰好をしている。


(見つかった!)

「ここで何をしているのかな~」

顔の長い衛兵が尋ねてきた。顔を伸ばすように、一番後ろにいたアンリを覗き込む。


「あっ、やっぱりアンリちゃんだ。探してたんだよ~」

衛兵の鼻の下がたちまち伸びてさらに顔が長くなった。

アレスとビーオンがどう対応したらいいのか戸惑う。

「お前ら、知り合いか?」

アンリの顔が渋面になりうつむいた。


「私を取り調べしてた衛兵さん......」

「アンリちゃん、大丈夫だったかい、どこにもいないから心配してたんだよお。それにみんな傷だらけじゃないか」


(そうだ!)

アンリはハッと気づいた。

前の二人を押しのけ衛兵の前まで前進して顔を近づけた。

アンリは衛兵の両手を持ち上げ、両手で包み込んで『お願い』のポーズをとった。

「衛兵さん、助けてください!このままじゃ殺されます」

14才の女の子が涙ながらに訴えてくる。


いたいけな少女の体についた返り血の跡や傷だらけの仲間、そもそも被疑者と連れ立って檻を背にして歩いてきてるのだから自分の所轄内でなにが起きたかはこの衛兵も分かっているはずだった。


顔の長い衛兵は三人を見回し

「分かったよ~、着いておいで」

衛兵は一階を横に伸びる廊下を先立って歩きだした。

三人はお互い顔を見合わせた。


「どうなってんの?」とビーオン。

「罠だよ!」とアレス。

「私のこと好きだから、助けてくれるのかも......」

と、アンリ本人が言った。


男たち二人はもう一度顔を見合わせ、合点がいったように、

「それなら早くいこう」

単純な三人組は堰を切ったように衛兵のところまでそっと駆け出した。

ついでにアンリが衛兵に名前を尋ねると『タルタル』と言った。


薄暗い廊下には扉が並んでいる。その一つに《証拠品保管庫》のプレートが目に付いた。

「ちょっと待ってください」

アレスがそう言うと先頭を歩くタルタルも立ち止まり振り向いた。


しかしドアノブを回しても鍵がかかっていた。

「どいてごらん」

タルタルが腰のロングソードを引き抜きドアノブめがけて縦に一閃を放った。

ドアノブが床に転がり扉は留め具が外れたため、自然に中に開いた。

入るとすぐ手前にアレスのショルダーバッグとビーオンのリュックが置いてあった。

中には、水を入れる折りたたみ式の保水バッグも入っている。


しばらく歩くと次は地下に降りる階段が出てきた。タルタルはその階段を下りた先の扉の前に立った。扉の横に端末が備え付けられ小さなモニター画面まである。


これまでの扉とは趣向が異なる。

タルタルはポケットをまさぐり、《何か》をその端末に近づけた。

認証されたのか何やら軽快な電子音を発して、扉が横スライドして開いた。


全員、中に入ると、タルタルは扉内側に備わっている端末を素早く操作した。


中の部屋は広い空間になっており、様々な医療用設備と壁には電力供給ユニットや医療用キャビネット、医療品、薬品などが整然とならんでいる。

研究室みたいだ。


床には白衣を着た五人の遺体が無造作に横たわっていた。

アレスは気持ち悪いながらも遺体を見回すと60歳は超えるであろう老人の顔に目が留まった。


片方の眼窩が空っぽで血だけがあふれているのだ。

(目玉がない......)

アレスはタルタルの横顔を見やりアレスは気持ち悪い想像をして背筋が冷たくなった。


アンリは医療グッズに目が留まり物色してはバッグに入れている。


室内空間には二列で合計六台の医療用らしきベッドが並んでいた。電気仕掛けのコンソールパネルにモニター画面と入力用キーボードが各ベッドに備わっている。


更に一番奥の壁際には巨大な水槽のようなものが置いてありそこから各ベッドに管がつながっている。

中には《ピンク色のなにか》が液体と共にたくさん浮いている。

皆が一様に気持ち悪さを感じた。


「さあさあ、みんなじっとしてないでそれぞれベッドに寝てちょうだい、上半身脱いじゃってね、早くしないと捕まっちゃうよ、アンリちゃんも下着になっちゃって、寝てちょうだいね~」


気軽な口調でいまいち信用に欠ける物言いだが、アレスは彼に従うほかはなかった。出血も多く意識が遠のく......ホントのことを言うと早く横になりたかったのだ。

限界だった......。


アレスが横たわるとタルタルはベッドに備わったキーボードを素早くタイピングする。

上下に開いていたハッチが静かに締まり外と中を隔絶した。


アレスは麻酔薬で意識が朦朧とする中で父親となぜか自動修復ベッドについて話していたことを思い出していた。

(メドベッド......)


***

アレスの父クラトスと母マリッサの会話がよみがえってくる......

「今日は、機械で指をはさんじゃってさあ......もう、複雑骨折で指一生使えなくなると思ったよ」

「まあ、大変じゃない!大丈夫だったの、あなた?」

マリッサがクラトスのことを心配している。

「あ~それが、自動で治療してくれるメドベッドというものがあってさあ......人口培養した万能ヒト細胞を使って自動で治療してくれるというものなんだ」


クラトスはその指をまじまじと眺めてマリッサに見せた。

「あら、なんか怪我の後みたいなものはあるのね」

「びっくりしたよ、ずいぶん昔の医療技術とかいってたなあ。今はその機械を作れる人がいないらしい、作り方を知っている人間はみんな死んじゃったんだとよ。使えるのも限定的だってさ」

***


十分ほど電子音があちらこちらから漏れ聞こえ、しばらくするとベッド両サイドに備わっている端末から触手のようなものが伸び出てきて、それぞれが意思を持つかの如くアレスの体に接触する。


ある触手は注射アーム・治療アーム・細胞抽出アームと別れてアレスの体を修復していく。

大きな傷口には、ピンク色の液体が続々と流し込まれ傷口になじんでいく。


ビーオンも顔にはピンク色の液体、腕などに注射アームが取りついた。


アンリは、体と頭に触手が分散して治療を行っている。

「アンリちゃんは精神的な部分も同時に改善していくからね、相当ダメージ受けてるようだから」


しばらくすると扉の外が騒がしくなってきた。

インターホンのモニターに外にいる衛兵たちが映っている。

先ほど部下のふりをしていた時の所長が現れた。


眼球識別モニターに目を合わせている。

タルタルはここの所員を殺す前に開錠システムを書き換えさせ、所長の眼球では開かないようにしていた。


時間にして一時間が過ぎたころ、外は槍や剣で扉を壊そうと兵士たちは必死に試みていたがまだ突破されてはいない。三人の治療が終わって、順番にハッチが開いた。


アレスは床に立ちまじまじと自分の左腕を眺めた。

傷跡が筋のように残ってはいるが、傷自体は修復されきれいに塞がっている。

「すげ~、治ってる」

ビーオンもほっぺたを鏡に映し、不思議そうにのぞき込んだ。


アンリは何もなかったように二人を見て喜んでいる。


「みんなに一つ言っておくけど、このベッドは副作用もあるの。このベッドを育ち盛りの年齢の人に使うと元々成長ホルモンの分泌が多いので、ブースト効果でより成長が早くなるの。だから、急に脳も体も成長するかもということを覚えておいてね」


ビーオンがいまひとつ理解できず質問を投げかけた。

「どういうことだよ、意味がわかんねえよ」


「簡単に言うと、急激に身長が伸びたり、頭が特別賢くなったりするってこと。個人差が激しく一概には言えないけどね」

「賢くなるのはいいことだな、うん」

ビーオンは納得した。


「さあみんな~、傷が癒えたところで脱出するよ!」

タルタルは号令をかけた。


最初からあったのか、タルタルが持ってきたのか分からないが脚立を持ち出してきた。

部屋の端のほうに移動し、脚立を開く。

天井にはエアーダクトが設置されていた。

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