ラベリント ⑴

ヘルツォーク山の麓を中心に広がるラベリント小国の町並みはレンガや石造りが基調だ。山から流れてくる川は麓で大きな湖に流れ込む。その湖の反対岸は霞みがかって見えないほど大きい。


湖の水かさは本来満水であろうラインから見ると半分以下まで下がっている。

町は何かを背負っている人、リヤカー・手押し車を引いている人、また昼下がりにはご婦人たちがハット帽や麦わら帽子をかぶり思い思いに行き交う。


町の一角に治安保全庁舎があった。町の犯罪やトラブルを解決し国家反逆者を逮捕・留置できる設備も設け、平和な都市を日々守っている。都市運営に重要な要衝である。

その地下牢に彼らはいた。

「痛って〜、マジ痛いから…」

ビーオンの顔半分がすり傷で血が滲んでいる。ビーオンの喚き声は上階まで聞こえそうだ。

「痛っつ…ビーオン大丈夫か、俺も柄で思いっきり殴られたのが、まだ効いてるよ…」

アレスも呻く。


「おい、そこの四角い顔、静かにしろ!上まで聞こえるぞ」

看守がめんどくさそうに注意をする。

アレスは檻の中を見回す。自分から言った作戦だがこれも命懸けだ。


コンクリートで囲まれた四角い壁と地面、前面は鉄格子で脱出する隙は見当たらない。

おあつらえ向きに地面が掘れるようにはなっていないようだ。


一方アンリの方は尋問室にいた。

「お嬢ちゃん、帰るあてはあるのかい」

顔が長くあごが尖った尋問官がアンリに話しかける。

「ヒック、ヒック、うぇ~ん、おかあさあ〜ん」

泣きじゃくるアンリに尋問官はたじろぐ。


「おいおい、そういつまでも泣いててもしょうがないじゃないかぁ…」

あどけないアンリの泣き顔に何とかなだめるのに必死だ。

「お母さんはどうしたの?どこにいるのかな?」

尋問官が長く尖った顔を近づける。

「ヒック、ヒック、死んじゃったの~、うわぁ~ん」

アンリは机に突っ伏してさらに泣きじゃくる。


入口ドアがノックされた。

扉が開いて「どうだ、様子は」と男が入ってきた。

「館長、まだ調査中でございます。」

尋問官が背筋をピンと伸ばして敬礼した。

「怪我は無いのか?」

「はい......目につく限りでは.....」

いかにも所長らしい貫禄がにじみ出ている。

「お嬢ちゃん、ケガは無いかい?出身はどこだい?」

机に伏しているアンリに館長が問いかける。

アンリが目を腫らせた顔を上げ、

「ムガール帝国…ヒック......」

と泣きながらボソッと言う。

2人は驚きの表情を見せ、お互い顔を見合わせた。


ムガール帝国はこの町からはるか西にあり、ラベリントの二倍近い規模の大国である。ラベリントはその大国と友好的関係にある。貿易も頻繁だ。水資源もよくこちらに買い付ける。


「ムガール帝国のどこの地区にお家があるのかなあ」

館長がさらに詳しく聞いてくる。

「エウル街です」

ムガールの居住区は大きく5つに分けられていて、エウル街は帝国の権力者・政治家・裕福な者たちの生活区となっている。


館長は娘によってムガール帝国ないしは権力者に借りが出来そうだと値踏みをしている。

「おい、この子を丁重に扱え、寝床を準備させておく」

館長は笑顔をアンリに向けて出て行った。

「了解しました」

尋問官が出ていく背中に敬礼をして見送った。


どうやらアンリに危害を加える気はなさそうだ。

アンリは聞き知っていたありったけの知識を総動員させていた。ムガール帝国もラベリント小国との関係性もたまたま事前に知っていただけだ。


さらに都市内部の事情にも詳しかったのは、同じコミュニティにいる親しい一家がムガール帝国出身だったからだ。


なんでもその一家は何らかの事情で追放されたようだ。まさに上流階級としてエウル街に住んでいたのだが......そのころの優雅な話しをよく話してくれた。


本来、水が不足するこの世界では家庭で植物や花を買い育てることは一般には禁止されている。しかしエウル街の特権階級の住居の軒先にはきれいな花や植物が彩り豊かに咲き乱れているらしい。特別に放任されているのだ。


大きい家の庭には反映の象徴として好んでバオバブの木が植えられる。

まがまがしい枝葉の形になぞらえ悪魔の木とも言われるが、その反面寿命は1000年~3000年ともいわれるため、災厄を消し去り子孫繁栄の象徴ともいわれる。


その実はフルーツとして食され、葉はつぶして料理に和えたり樹皮も薬効成分があり経口薬としても使われる。


ここまで効果があるとは思わなかった。アンリの胸は安堵感で満たされた。


しばらくすると先ほどの尋問官に寝泊まりできる場所に案

内された。治安保全庁舎5階に位置する小ぎれいな部屋だった。

広い庁舎はきれいに整備され、24時間体制で警備にあたるため、寝泊まりできる部屋も多いのだろう。

そんな中でも来客用に作られた部屋のようだ。


アンリに顔を向ける尋問官の長く尖った顔はさらに鼻の下が伸びている。

申し訳ないが、いかつい男の柔和な笑顔は気持ち悪い、とアンリは思った。

「お嬢ちゃんはいくつだい?」


アンリは言葉少なげに答える。

「14歳......」


「そんな年でさらわれて......すぐにムガールに返してあげるからね、今日はここでゆっくり眠るといいよ」

どうやら尋問官はアンリにご執心のようだ。おじさんの一歩手前の年令のようだが、経験もなく純朴なのかもしれない、とアンリは思い至る。


「あの~、私をさらったあの二人はどうなりましたか?もう死にましたか」

アンリはあえて辛辣な言葉を選びながら訪ねた。

「こんなかわいい子をいじめた奴らはすぐに死刑になるから大丈夫だよ、今は留置場だけどね」


「まだ留置場に......それはいったいどこにあるのですか」

「大丈夫だよ、アンリちゃん、すぐに死刑にされるからね、まだ地下の留置場だけどね」

こちらを見る顔はアンリに対して愛おしさ爆発しているような顔だが気持ち悪さは数倍はね上がっている。


「まだこの建物の中に......出てきたら殺される......どう安全なんですか?」

「アンリちゃん心配症だなあ。檻に入れられてるから大丈夫だよ」


「そんなのあいつらならすぐ空けられます」

「鍵は門番が持っているから空けられっこないよ」

(門番......)

アンリが確認のためボソッとつぶやく。そして尋問官の馴れ馴れしい口調に辟易する。

気持ち悪い笑顔で鼻の下を伸ばし、なれなれしい口調となると、アンリはもう吐き気をもよおしそうだった。

(早く出て行って!)アンリは呪文を心で唱えるのだった。


夜も寝静まったころ、アンリはふくよかなベッドからムクリと起き上がった。

ふわふわのベッドでずっと寝ていたいものだが、仲間を救出して水を出来るだけ汲んでコミュニティに持ち帰らないといけない。寝ている場合じゃないのだ。


アンリは護身用ナイフを太ももの外側に鞘ごと付けていた。それを手で触れて落下防止フックの具合も確認したのち、ベッドを離れた。

入口扉の音、軋みに注意しながらそっと開ける。


辺りを見回す。

シーンとした薄暗く長い廊下、等間隔で扉が備えられている。5階は来賓用だけだろうか?所長クラスの人の居住スペースではなかろうか?見張りはいないのか?色々思考を巡らせる。


そっと歩いていくと扉が無くなったところで階段の踊り場のようになっている。

広い階段が下に降りている。


ゆっくり忍び足で階段を降りる。地下まで丸々5階分降りなくてはならない。見つかったらなんて言い訳をしようか?その時のセリフを思い浮かべながら降りていく。少しづつ少しづつ......


どこかに誰かの寝床や見張りが居るに違いない。そんな人たちとばったり会うようなことがあれば......

そんなことを考えているとナイフを装備されている右太ももに神経が集中する。無意識に手でナイフを確認していた。


一階まで下りたところで広いロビーのような空間が広がる。表玄関のガラス扉越しに外に警備兵のような者が二人玄関脇を見張っている。

治安保全庁舎といっても普段の日常だとこんなものかもしれない、とアンリは安堵する。


目の前の下り階段から地下に続く。留置場には鍵を持った見張りがいる。そいつを仕留めて鍵を奪わなければならない。14才のアンリには少々重いミッションである。

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