【短編】イマジナリーフィアンセに婚約破棄されてしまいました。 ー本当に困るのは王子様のほうではなくて? ー

椿 梧楼

第1話

「アンジェリカ! 君との婚約は終わりだ!」

ブリタニア王国第二王子ヒメネス様は、学園の卒業パーティの場で高々と宣言する。

私アンジェリカは、遂に来るべくしてその日が来たと悟った。


「ヒメネス殿下……ついに、ついにアンジェリカ嬢との別れを決断されたのですか?」

侍従長が口をパクパクさせながら、言葉を捻り出す。

「ああ、あいつはとんでもない淫売であった。

だが僕はついに真実の愛を見つけた! ソフィーティア男爵令嬢に結婚を申し込む!」

肝心のソフィーティア男爵令嬢は手にしたクリップボードに何やら書き込むのに夢中で、別の意味の感激の笑みを私とヒメネス様に向けている。


父である国王陛下は、若い頃の自分にそっくりな息子の宣言に天を仰ぎ、母である王妃様は卒倒する。

王太子は、とっくの昔に諦め我関せずを貫いていて、この場にすら居ない。

「……ああ、王様。別にマジで入籍まではしなくていいっスよね?」

薄汚れた白衣の中年女が、思慮や遠慮のかけらもない言葉を国王夫妻にかける。

ソフィーティア男爵令嬢は独身で学園に居たものの、40歳を軽く超えている。

憎い、こんな明らかに王妃様より歳をとった中年女に負けるなんて!


「仮にも王位継承権を持つヒメネス様に、なんという口の聞き方でしょう!」

私はソフィに面と向かって言葉を発する。

「……ついに出ましたね、アンジェリカ様?」

「ごきげんよう、ソフィ。相変わらず、見すぼらしい姿ですこと」

「そりゃどうも。

生憎ドレスを着る立場じゃありませんのでね」

最後にガリガリとクリップボードに書き込み、白衣を羽織ったくたびれた中年女のソフィは私を見る。

「ずいぶん長いこと、あなたのことを見ていました。

ヒメネス様とは違う種類の高い政治力と人心掌握力を発揮したときには、大変な逸材だと喜んだものですよ」

「お褒めに預かり恐悦至極といったところですかしら?」

私は開き直る。


「最初は、数学と音楽の才に恵まれながらも内気なヒメネス王子に、お友達が出来たと喜んでいたご様子。

それが妖精であれ何であれ、王子の生きる力になっていたのは間違いございませんねえ」

ソフィは殿下と呼ばないことに、誰も注意を払っていない。

「でも王子は、何重もの不幸と都合の繋がりの結果、誰にも訂正される事なく今ここに至ったのですよ」

「幼なじみと愛を育んで、何が悪かったというのですか?」

「別に珍しくもなく、悪くもない。

ただし、普通はいずれ消えなけりゃならんのですよ。アンジェリカ様……いや、ヒメネス第二王子殿下!」


「だからアンジェリカとの婚約は破棄するよ、僕のソフィーティア!

こんな淫売、こっちから願い下げだ!」

ヒメネス王子がソフィに縋るように割り込む。

「王子、なんでアンジェリカ様が淫売だと断言なさるのですかね?」

「それは……そうだ! いかに酷い淫売かを知ってるからだ!」

「具体的に口に出さなくて結構、ただどうやって知ったのですか?」

「それは……分からない。でも全てを知っているんだ! 寝物語でアンジェリカのお尻を叩きながら言ったヤツもいる! !」

王と王妃の顔面は、ヒメネス様の言葉にみるみる顔色を失い、蒼白となった。


「……よろしくありませんね、アンジェリカ様の記憶がヒメネス殿下に流れ込んでいる」

「ヒメネス王子は魔女に呪われあそばされた!」

侍従長はなんとかヒメネス様を庇おうとする。その為に私にすべての罪を押し付ける腹積りだ。

「黙って、これは呪いではありません!

……ヒメネス殿下、男性しか愛せないのは別に悪いことじゃないんですよ?

悪いのは、社会のほうです。王子のご病気を利用して、だ」


私は、目の前のくたびれた女に刮目する。

私の火遊びを、王子にバラしたのはソフィではない?

「さあ、御伽の国のプリンセスは、ゆっくり王子の中に帰ってくださいよ。

……皆様がアンジェリカ様の才とヒメネス様の才、どちらも惜しむ気持ちは分かりますけどね。

アンジェリカ様という空想上のイマジナリーフレンドに本当の自分を投影し、ふたつの心を育んでしまったんですよ。

どちらも有用な天稟てんぴんがおありなだけに、どちらを残すのか悩ましいところだと思います。

しかし、どうしても美しいドレスに身を包みたい、男性を愛することをやめられない自分を恥じるヒメネス様の心が、存在しない令嬢との婚約破棄という形になったのです」

……ヒメネス様の心が、私に流れ込んでくる。


「私は、どうしたらいい?」

どちらが言ったのか、判然としない。

「別に何も。

願わくばその才能さえ活かされれば、王太子殿下も安堵なされるでしょう」


「そうだ、ヒメネスがかような仕儀であると分かれば、ヒメネス派などと担ぎあげようとする不逞の輩も出ぬ、か」

「ごめんなさい、ヒメネス。女の子に産んであげられなくて」

国王陛下と王妃様は、貌に懊悩を浮かべながら今まで見て見ぬふりをしていた大問題の落とし所を模索する。


「そういうわけで、ヒメネス様、アンジェリカ様。

あなたはもうご自身にまで嘘をつく必要はありませんな。

では、くたびれた中年女はこれにておいとまを頂きますけど、よろしいですよね。

では皆様、ごきげんよう」

40代独身の大陸帰りの医師、ソフィーティア男爵令嬢は誰の返事も聞かず、白衣に両手を突っ込んで会場を去る。


……ソフィの処方していた薬物に耐性を付け、先にヒメネス様の記憶が私アンジェリカ側に漏れ出していたことは隠し切った。

これからは、音楽と数学の才まで私のものだ。

人格は、アンジェリカを基礎として統一され始める。

しかし、生きるためにはヒメネス様のふりを続けなければならない。


ああ、数ある男のうちでもっとも私を玩弄した兄様。

ヒメネスという気弱な弟に与えた辛い記憶を、すべてアンジェリカという奔放で淫蕩なイマジナリーフレンドに押し付ける羽目になった、愛しい王太子殿下。

私アンジェリカの名付け親でもある兄様……ヒメネスという名のアンジェリカはこれから、あなたに並び立つ存在となります。

予定通りすべてを喪った私はこれから、ゆっくりすべてをお返しいただきますわ。


……畜生、考えただけで勃起が止まらねえ。

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【短編】イマジナリーフィアンセに婚約破棄されてしまいました。 ー本当に困るのは王子様のほうではなくて? ー 椿 梧楼 @abc1970

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