第2話 ブラコン皇子(弟に限る)
ロイエンタール帝国帝城で意味のない議論が交わされているのとほぼ同時刻
ザンドラ大陸北西部にあるエストニア公国
その首都カントにあるとある宿の一室———
1人用の部屋にしてはやや大きめではあるが、そこまで高級感があるわけでもない。
庶民でも泊まれる宿の中で、最高級といった感じの高ランク冒険者御用達の宿の一室に1人の青年と、白髪頭に執事服のいかにもな見た目の執事が対面していた。
「お呼びでございますか?」
「あぁ。久しぶりだな、クロウ。」
「お久しぶりでございます、ウィリアム様。」
高ランク冒険者御用達の宿だけあって、シングルの部屋にも関わらずついている、リビングスペースでウィリアムと呼ばれた青年はソファーに座り寛ぎながら老執事風の男―クロウ―に話しかける。
対して、クロウはあいさつに合わせてウィリアムに向かって深々と礼をする。
ここが年功序列の社会なら青年に非難の雨が降り注ぐであろう光景だが、当事者たちはなんの違和感も抱かずに話を続ける。
「まあ、立ち話もなんだ、紅茶でも飲みながら話そう。」
「左様ですか。では紅茶をお淹れいたします。」
そう言いながら、紅茶を淹れるために部屋に備え付けの簡易キッチンに向かおうとするクロウをウィリアムが制止する。
「いや、いい。俺が淹れたほうが早いだろう。」
そう言うが早いか、ウィリアムは慣れたように魔法でお湯を作り出し、流れるような手つきでポットにお湯と、どこからともなく取り出した茶葉を入れる。
まるで彼の周りだけ時間がゆっくり流れているかのような素早く無駄がない優雅な動きで紅茶を淹れるウィリアム。
それをクロウは懐かしいものを見るような眼で見ていた。
茶葉を蒸らし終わり、ポットからカップに注いだウィリアムは音も立てずにクロウの前のローテーブルにカップを置いた。
そのまま自身も先ほど座っていたソファに座り直し、2人はそれぞれ一口飲む。
「相変わらずウィリアム様のお淹れになる紅茶は美味しいですな。コツでもあるのですかな?」
「まあ、コツというほどでもないが、魔法で作り出したお湯は温度調節がしやすいからな、それで常に適温で淹れられる。」
「………魔法で作り出した水の温度調節が簡単ですか………それはウィリアム様の魔力操作が卓越しているからでしょう………」
「そんなこともないぞ?練習すれば誰でもできるようになるさ。
この間、茶会を開くとか言って美味い紅茶の淹れ方を聞いてきた奴がいたが、そいつもすぐできるようになってたぞ?」
何気なさそうに言うウィリアムを見てクロウは、ため息をつく。
クロウがため息をつくのもそのはず。ウィリアムが簡単にやっているお湯の温度調節は宮廷魔術師でも数人しか出来ないような技術なのだ。
確かに魔法の才能があって練習すれば誰でもできるようになるのだが、できるようになるまで、それだけを練習したとして普通は何年と掛かるのだ。
だから、その茶会を開こうとした人物も、きっと相当な身分で相当な魔法の才能があったに違いない。
そもそも庶民は茶会などというものを開かないし、開いたとしても井戸端会議の延長に過ぎず、お茶の味などそんなに意識しない。
そんな身分も才能もある人物をあたかも知り合いの一般人の一人、のような調子で話すウィリアムを見て、またため息をつきそうになるクロウ。
この話を聞く限り、ウィリアムの周りにはウィリアム以外にもその人物の様な規格外な人間がまだまだいるということだ。
類は友を呼ぶというのはよく言ったもので、まさしくその通りであるとクロウは実感する。
このウィリアムの規格外さは昔からのこと。そうやって無理矢理自分を納得させることにしたクロウは、ため息ひとつでなんとか切り替えた。
紅茶をもう一口飲み、話題を変えるために思ったことをつぶやく。
「………しかしまたこの紅茶が飲めるとは…」
「なんだ、そんなに俺の淹れた紅茶が飲みたかったのか?
言えばいつでも淹れてやったのに。」
クロウの言葉を聞き、驚きつつ、意外だという表情をするウィリアム。
実際にはウィリアムの使う茶葉が他では絶対に飲めない特別製であるがために、その茶葉に対しての感想だったのだが、そこは長年の付き合いだ。
クロウは軽く笑いながら話を合わせて答える。
「それでは私の仕事がなくなってしまいます。」
「っふ、確かにそうだな。」
ウィリアムは軽く笑いながら紅茶を一口飲むと、先程までの朗らかな雰囲気から纏う雰囲気を一変させ、真面目な顔でクロウに問いかける。
「今日は帝城内が騒がしいらしいじゃないか。」
ここでいう帝城とは、ザンドラ大陸の東部にあるロイエンタール帝国のことだ。
―――——ザンドラ大陸内での主な移動手段は馬である。
ごく一部の人間は飛竜を使ったりもするが、金銭面、飛竜を手懐ける能力面、機能面など様々な問題から王侯貴族以外にはあまり普及していない。
そのため、今ウィリアムとクロウがいるエストニア公国の首都カントから帝国の首都ハリスまで行くには、馬車での移動が一般的なのだが、馬車だと3週間掛かる。例え飛竜に乗ったとしても3日掛かる。
それぐらい離れた国のことなのだが事件の起こった当日にウィリアムはもうそのことを知っている。
本来あり得ないことなのだが、ウィリアムの素顔を知っている数少ない人のうちの1人のクロウは、特に驚きもせずに答える。
「お耳が早いようで。」
「世辞はいい。現実問題どうなのだ?
他の皇族はどうでも良いが、俺の可愛い可愛い弟、アダムズと母上にだけは危害が及んでいないだろうな?」
この発言は暗に、今回被害にあった皇帝と第一皇子フィリップはどうなってもいいと言ったようなもので、この発言を他の帝国人が聞いていたら即刻不敬罪として処刑されかねないのだが、それを気にもせずクロウは少しからかうような調子で答える。
「そこまでご存知なのであれば、ご自身で確認済みでは?」
半笑いを浮かべ、試すようなクロウの問いにウィリアムは狼狽えもせずに答える。
「まあ、そうだな。今回の事件についてはあいつらから大体聞いている。」
ウィリアム自身、既にほとんどの事情は把握していて、クロウへの問いは確認の意味でしかなかったのだ。
それをわかっているからクロウもあえて問いに問いを返したのだが、ここはウィリアムの方が一枚上手だった。
「しかし、第三者からの情報と内部からの情報では信頼度が違う。それはクロウも知っているであろう?
それに、俺は現状無闇に帝国に近づけないからな。」
「そうでございましたな。………少々おふざけがすぎました。申し訳ございません。
それで、ウィリアム様がご心配していることですが…………御二方に被害はございません。…しかし、………」
ふざけた様子から打って変わって、歯切れの悪い答えをするクロウに、ウィリアムが怪訝な顔をする。
「被害がないのならいいではないか。他に被害にあって俺が困る人間などあの国にはもういないであろう?」
「ウィリアム様に直接関係はないのですが……アダムズ様が…………」
ここまでいうとウィリアムは合点がいったように頷き、それはアダムズらしいと笑い出した。
今回、アドラント王国内で行方不明になった第一皇子フィリップはウィリアムの弟――第六皇子アダムズを年齢が離れていることもあって異母兄弟ではあるが、非常に可愛がっていた。そのため、アダムズもフィリップに非常に懐いていた。
そんな関係を、いくら一緒にいる時間がないからと言って実の兄であるウィリアムズが知らないはずがない。
となると、ウィリアムは心優しいアダムズがフィリップの安否を憂いていることも推測できる。
本来ウィリアムは他人のためには動かない。
正確に言えば、動かなくなったのだが、そんなウィリアムも実の弟は可愛いわけで、弟が困っていたら助けたくなってしまう少々ブラコン気質なのだ。
このブラコン気質によって帝国が大きく変わることになるとは今は誰も知るよしもなかった。
「いかがいたしますか?ウィリアム様。」
全てを把握したと思ったのだろう。
数秒開けてから改めてクロウがウィリアムに尋ねる。
「決まっているだろ。他にない可愛い弟が困っているのだ。兄として助けなくては。」
いたって真面目な顔でウィリアムがそう言うと、クロウは微笑ましげな生暖かい笑顔で「かしこまりました」と言う。
どこか馬鹿にしたようなクロウの表情が気に入らなかったウィリアムは悪態でもついてやろうと口を開いたが、それよりも先に、先程の表情のままのクロウが話しだす。
「失礼しました。ウィリアム様のアダムズ様への溺愛ぶりを久々に見たもので………
それに、一度やめた帝位争いにお戻りになるリスクより弟を優先するそのブラコンぶり、さすがでございます。」
「………ナチュラルに心読んで答えたあげく、さりげなく馬鹿にするのはやめろ、クロウ。
それに世の兄が弟を可愛がるのは当然だ。決してブラコンではない。」
ウィリアムははっきりと言い切る。
しかし、当のクロウは先ほどよりも生暖かい目でウィリアムを見ながら、「そういうことにしておきましょう。」と全く理解していない様子で答える。
これ以上何を言っても事態は好転しないと察したウィリアムは話題を変えることにした。
「…………。
そんなことより、俺は帝位争いなどに戻るつもりはないぞ。」
そこまで聞くとクロウは一体何を言っているのかというような表情をする。
「それは無理な話だと思いますよ。例えウィリアム様にその気がなくても、一度死んだはずの人間が生き返るのですから、当然注目を浴びます。さらに、いくら周りから嫌われていようとも兄弟の中でも最も優秀だったお方なのですから。」
しかし、ウィリアムは自身があるとでも言いたげに笑う。
「…っふ(笑)、安心しろ、正体など明かさずに今回の騒動解決してみせる。」
「本当に可能だとお思いで?」
「生憎、今の俺には隠れ蓑が多いからな。きっとできるさ。」
「さようですか。それはそれで楽しみですな。」
「そうだな。余興の一つだとでも思っておいてくれ。
……まぁ、なにはともあれ、とりあえず可愛い弟の元に向かうか。」
そう言うと、ウィリアムは立ち上がり、何かを確認するようにクロウの方を見て、クロウが頷いたのを確認する。
次の瞬間、2人の姿が消え、先ほどまでウィリアムがいた場所に紙が一枚置いてあるのみで、誰の姿もなくなっていた。
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