断章
『郷土の英雄マンフレート・プレトリウス氏を偲んで、かれの好きだった航空ショーを開始します』
空を駆ける蒸機飛行機の煙の跡を、少年は食い入るように見ている。
「ほら、こうちゃん、行くよ!!」
「はぁい」
眼鏡の先生に呼ばれた少年はそちらに向かう。煙の跡はいつまでも空に残っていた。
始祖ヨハンや、英雄マンフレートが眠るプレトリウス家の墓には以下の文言が刻まれている。
『この家系図が薄明の古代に由来するものでないとしても
まさしく由緒ある勇敢な一族である。
この一族の名声は水晶のように透明で澄んでおり
真理、名誉、公正さが常に高く奉じられている。
父祖の慣例に忠実にして、敬虔、勇猛果敢かつ慎ましくあって
恩寵によって害悪からお守りいただいた。
義務の道から外れて揺らぐことなく
汝の家名を真の紳士道へと誇り高く導きたまえ!
名誉の象徴たるこの一族にさらなる繁栄をもたらし
その高貴な紋章にはけして影を落とすなかれ!』
作家にして実業家であるヒューズ氏がリーグリッツ行きの蒸気機関車に乗っていたとき、サンドイッチを食べた。そのときのことを、かれはこう語る。
「あのニセモノは、見た目こそそれなりだが、実際は中身がなく、微々たる量しかなかった。この肉をこそげ落とした骨がだしをとるためになべに送られるころには、肉なぞ欠片も残ってなかったに違いない」
戦争が終わったのち、老猫が裁かれた。かれは著名な作家で、敗北側のスポークスマンだったのである。罪状が読み上げられてる間、老猫はひたすらこうつぶやいていた。
「自分は正しく事実を知らにゃかった……。誰もくわしく報せてくれにゃかった……。にゃにも教えてくれにゃかった……」
結局老猫は『高齢を鑑み』釈放された。
流浪の詩人が友人に当てた手紙の一説。
『いずれ貴方にもはっきりするでしょう。わたしたちは大きな破局に直面している。いずれ全面的な新しい戦争となるでしょう』
『大戦期の研究』より『カンタール時代の諸相』からの引用
カンタールが帝国の主導権を握った20年間と、その前後5年を足した30年間をいわゆる「
そして、その特徴は、外は結局失敗しる外征、内は政治的、道徳的腐敗と報われぬ闘い(しかも最終的に敗北する)の時代でした。
この時代を代表する人物として知られているのが、フライスラー氏でした。彼は帝都最高裁判所の裁判官でしたが、この時代の厳しい
人民法廷という名前ではありますが、実際は国家を健全化するために異分子と認定された人々を裁くために作られた、それ専用の裁判所でした。その中にはいわゆるLGBTの人々やお酒の場でちょっと愚痴ったくらいの人も含まれていました。
そして、フライスラー氏はその人民裁判で一番仕事をした方です。
結局、フライスラー氏は摂政期の終わりごろにあった、敵国の空襲で落盤に潰され亡くなりました。
しかし、そのような強制は、下からの反発を招くこととなり、天京院春見の台頭を許してしまうことになります。
(中略)
皇帝の近臣たちはこのような
そうして腐敗は無くなったように思われましたが、その実内側に隠れてしまったのでした。
たとえば、いわゆるゾドムの罪と呼ばれる同性愛をめぐるスキャンダルが発覚した時期でもあります。これは同性愛自体よりも、それが幼児虐待になってたことがとくに問題でした。これが皮肉であるのは、カンタール体制はこの種の問題に特に保守的ないわゆる
これに対処するように命じられたのは、逢坂の一族である
彼女たちは、どちらかと言えば今回の仕事にあまり気が進まない風でしたが、カンタールや後述するフライスラー氏を始めとした関係者の異様な熱気にあがなうこともできず、またコンシディーン個人は子供の親権のために働かなければいけませんでした。
彼女たちの仕事内容については、多岐にわたりますが、その中でよく知られているのが『オスカー・ワオ事件』です。
これは著名な作家オスカー・ワオが未成年者とそういう関係になったこととそれを罪として裁くことになってしまった裁判をまとめてそう呼称したものです。
オスカー・ワオは『サロメ』の翻案、『不幸な王女』『奇怪な肖像画』で知られる作家でした。そうして同時に同性愛者であり、それを隠しもしていませんでした。
つまるところこれは、懲罰的な意味あいの裁判でした。『出る杭は打たれる』
というヤツです。
結局、オスカー・ワオは牢につながれ、数年をそこですごすことになります。このの事件の影響を大きく、いわゆる『クローゼット』つまりは、自分の性的志向を隠して生きていけない時代になってしまいます。その傾向はこうしてこの文章が書かれている
話を元に戻すとして、このオスカー・ワオ事件が典型的なように、その種の性的逸脱に対して、帝国はてとも厳しい対応をしていくことになります。
オスカー・ワオについてあることないこと調査する役回りだったコンシディーンは
「なんで、戦時にこんなくだらないことをやらされているんにゃ」
と、愚痴っていた。
それに対して上司だった九條楓は
「つくづく因果な
と、返した。
『
なおこの政策は、純粋な刻人による選民社会を目指すために政策で、虐殺された刻人は来訪者や獣人の血を引いた人々だったという。しかし、黒い肌であったというシャドウ自身がそうであるように、『純粋な刻人』とはなんだったのかというのは、今なお問われることである。
ある刻人の証言
……付き添っていた東方領域政府軍の兵士が
「金、宝石その他貴重品を入れろニャ。隠しているのを見つけたら殺すニャ」
と、買い物バッグを回してきた。わたしは紙幣を靴底に隠した。
そのとき、若い耳付きが
「これから住民交換が行われる。生きている者は生きている者と。死んだ者は……」
わたしたちはすし詰めにされたまま銃撃され、そのまま谷に押し出された。
注:証言者はたまたま意識を失ったまま木に引っ掛かり、なんとか生き残った。意識朦朧のままさまよっていたところ、学園都市の医療従事者に助けられたという。
東方領域政府軍に占領された東方地域に潜入していた資源財団のスパイは、現地の抵抗勢力について語るものたちの口から『TITO』なる言葉を度々耳にした。
「若い女性のゲリラ指導者ニャ」
「いやいや、共和国から亡命した獣人の指導者だよ」
「虐殺から逃れた刻人じゃない?」
「シャドウに反乱した軍人だよ」
「第三国際テロリスト組織の略称ってハナシだね」
と、さまざまな情報が乱れ飛んでいたが、ようは正体不明のナニモノかとしかわからない。だが、たしかに存在している、とスパイは感じた。
『ある10組の夫婦の物語』より抜粋
ここで敵に襲われ自害した将校の妻は、摂政期前半の混乱のキッカケであるナルベコフ家出身の娘でした。名前は最初カレーシアでしたが、嫁ぎ先でカリンと改名します。
彼女が嫁いだ先は、イルハムの息子で九條家に養子の出されていた
お家のためにと自害を進めるものもいましたが、カリンは
「父への孝行もありますが、夫のいうことも聞かずそういうことをするのは、妻の道をたがえてしまうことになります」
と、忠利への愛をつらぬきます。
やがてカンタールに許されて、忠利のもとに帰った彼女は、つらい暮らしが待っていました。九條家と交流があった共和国の外交官は、こういう記述を残しています。
「忠利どのの妻に対する過度の
こんなエピソードがあります。
たまたま九條家の庭を整えているときに、カリンを見かけた庭師がいました。それを見た忠利はいきなり庭師の首をカタナで切り捨ててしまいました。そしてその首をカリンの前に置きましたが、カリンは動じません。たまりかねた忠利は
「おまえは蛇なのか!?」
と、怒鳴りますが、カリンは
「鬼の妻には蛇がお似合いでしょう」
と、返しました。
やがて、天京院のもとに従軍していた忠利は
「もし、敵に攻められて追いつめられたときに、生きて辱しめをうけてはならぬ、よいな」
と、カリンと部下たちに言い含めていました。
その後に起こったことは、前述した通りです。
すべてが終わったのち、忠利はカレンの墓所を造り、毎日そこに手を合わせるのが習慣になったそうです。
『共有主義史』より抜粋
カンタールの政策はいわゆる共有主義と呼ばれる思想に拠っていたが、かれのその思想はかれの家庭教師であったウラジミールという猫から絶大な影響を受けている。
ウラジミールは今日では共有主義の理論家であり、活動家であったが、その過激さ故に故郷の南洋諸島から追放され、困窮のため仕方なくやっていた家庭教師のバイトに籍を入れていて、そこで幼いカンタールと出会ったのである。
外交官トマス氏のオブザーバー誌の寄稿より
「だが、資源財団にはこの件に関して東方地域政府を非難する資格はない。かれらはこの戦争で、資源財団がやってきたことを、ささやかに模倣したに過ぎないのだ。資源財団がかつてチャトラビアで現地の獣人たちにあのようなことなしておきながら、東方地域政府の行為を責めるとすれば、それはユーモアの欠如というべきだろう。(中略)資源財団がチャトラビアで毒を用いなかったのは不思議なくらいだ。(中略)毒を用いればチャトラビアの獣人たちをきれいに消滅させられるのだから。非人道という点では、それとさしたる差はないではないか」
注:チャトラビアは帝国こ皇国の国境の地方を指す。中心都市はマディーナ。帝国とチャトラビアの開発利権を得ていた資源財団は当地に住んでいた獣人たちに居住権を付与してたが、かつて住んでいたが帝国の政策で追い出されたドラゴニアンとよばれる獣人の亜種の居住権を資源財団が承認してしまう。この二枚舌の結果、深刻な対立と衝突が発生。戦後まで続く火種となる。
……わたしの家の隣には、もう長いこと使われていない家具の製作所があったのですが、子どもたちがそこで遊ぶことは固く禁じられていました。しかしある日、退屈なあまりわたしたちがこっそり入ると、中にハシゴがかかっていました。上になにがあるか見たくてそのハシゴを半分登ったあたりで、祖母が見たこともない顔で走ってきて
「すぐ降りなさい!!!」
と、叫んだので、ビックリしました。わたしたちは知りませんでしたが、屋根裏には2名の獣人がかくまわれていたのです。
秋月国の漁師が帝国の大艦隊を発見した。
「こりゃ、タイヘンだ!!!」
と、3日3晩寝食抜きで手漕ぎの船をこぎ続け、電信施設のあるところから、反共有主義派の本部に連絡したが、惜しいことに、かれらの所有していた数少ない巡洋艦最上丸の敵艦隊発見の報告の方が1時間早かったのである。実際は漁師の方がはるかに早く発見したのだが、通信事情のため、最上丸に遅れを取ってしまったのだった。
そのとき、戦艦白上を始めとした軍艦が機雷に接触して沈没、反共有主義派のもつ主力軍艦は巡洋戦艦阿武隈のみというありさまで、かれらとしては帝国側の艦艇をさきに見つけてすこしでも不利を埋めなければならなかったのである。。
ブリドニエストニアは帝国と共和国の係争地だった地域である。カンタールはこの地を自身の直轄地とし、戦後は共有主義者に占拠され、現在に至る。
共和国はそれに対し、この地を奪い返そうとしたが、帝国内や共和国にいた共有主義者によって撃退されてしまった。
ある狙撃手は初めての任務をこう語る。
「わたしは、作戦が図にあたって戦闘に熱中してしまい、『一撃離脱』の原則を失念してしまったのです。向こうにも狙撃手がいることを忘れてはなりません。銃弾が近くをかすめたとき、わたしはそれに気づき、すぐにその場を離れましたが、それと同時に、それまでわたしがいた場所にさらに数発の銃弾が撃ち込まれました」
ある学園都市兵士の南洋諸島での回想
「突然、谷の向こうの木で葉が揺れだした。もういちどよく見てみると、なんと木の枝の股の部分に影が見えるではないか。どうやら腕と上体を動かしてるようだった。その姿が非常にハッキリ見えたことにすっかり驚いてしまい、もし反射神経が正常に機能してなければ、その場に座り込んで、どういうことかと考え込んでしまったに違いない。しかし幸いなことに、反射神経はキチンと働いてくれた。急いで地面にうつ伏せになると同時に、狙撃手が銃を撃つ音が聞こえて、銃弾が頭の上を飛んで行った。そこで、さっき上体を動かしていたのは銃を持ち上げる動作だったのだと気づいた」
帝国貴族の子息の手紙
『親愛なる父上、例によって「ここでは新しいことはなにも起こっていない」という言葉で手紙を書き始めなければなりません。つまり、戦闘の準備と、倒れた兵たちの搬送です』
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